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一所不住



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渡海した人類

毎週日曜日の新聞は書評欄を熟読することより始まる。
本好きを自認するわりには情報源は新聞広告か、この書評欄くらいしかないのが心許ない。
そして、この町に1軒だけあるチェーン系列の書店は、首をかしげてしまうほど品揃えが単調で貧しいため、本との思わぬ出会いにワクワクドキドキする気持ちが生じない。

結局書評欄を隅から隅まで読んで、活字への飢渇感をなんとか誤魔化している次第だ。
この欄ではさまざまな分野の読書通が、それぞれの関心に基づいて本の紹介をしているから、それだけで一つの読み物として十分に面白いのである。

23日付で、ノンフィクション作家・探検家の角幡唯介さんが ブライアン・フェイガン 『海を渡った人類の遥かな歴史 名もなき古代の海洋民はいかに航海したのか』 を取り上げていた。

<天体の位置、潮のうねり、鳥の動き、島に伝わる伝承、総合的な知を蓄積し海を体験的に解読することで、古代人はいつでもどこからでも帰れるという自信を持って外洋に漕ぎ出した。つまり外洋航海は日常的な沿岸航海の延長線上にあり、未知への旅立ちが冒険でなくなるほど彼らは海と親密な関係を築いていたというのである。>

<あるいは、それこそ彼が最も書きたかったものなのかもしれないと思えるほど、強い筆致で。端的に言うと、それはGPSに象徴される現代機器に知を外部化させて、何の省察もないまま自然との深い関係を放棄した現代に対する深い憂慮の念だ。>

大谷大学教授の鷲田清一さんが 清水ミチコ 『主婦と演芸』 評で似たようなことを書いている。
<贅沢三昧の旅行を楽しむ芸能人への感想ー「生きる知恵ってなものを全然使わないから、ただただ快適なだけで、笑いあえるユーモアがぜんぜん生まれなくなります」。”便利”や”快適”をひたすら追い求めてきた果ての社会のつまんなさを、思い知らされました。>

そう、そういうことなんや。人類は退化し余裕がなくなってきていると危機意識を持つべし。
by rurou-no | 2013-06-27 16:14 | 言葉・本

「自死」を選んだ人

彼女のことは前にも書いたけど、ふいに思い出してなかなか頭から離れないので再度記す。
西加奈子 『ふる』 は新入荷本なのか、真新しい帯をつけたまま貸し出しをしたようだ。
その帯に「花しす、忘れんといてな」と、キャッチコピーがあった。その文字を見た途端、突然思い出した。もう名前も忘れているのに、顔は鮮明に覚えている20代で自死を選んだ娘。

劇団とパントマイムのグループに所属し、それぞれの公演で時間と場所を共有した。
自己主張の強いタイプでなく、黙々と準備作業をこなす地味で真面目な姿に好感を持った。
公演に関する以外の個人的な話をした記憶もないが、なんだか妙に気になる存在だった。

ある日、友人から訃報を知らされた。その生の閉じ方は、身に着けている物を除き身の回りの物すべてを処分して、きれいに掃除した部屋には何も残っていなかったそうだ。
几帳面に見えた彼女らしい見事な幕引きだった。

何があったのか、何が彼女をそうさせたのか知る由もないが、個人的な話を交わせず僅かな接点しか持てなかった自分を悔いた。
たぶんひと回り以上も年下で共通の話題も少なかっただろうし、彼女の生き方に何ら影響を及ぼすこともなかっただろう。それでもどこか似た匂いを感じたその人とじっくり話をするべきだった。

『ふる』 は、どぉやん、イケ、イケちゃん、池井戸さん、と呼ばれる花しすが、生きていることが「祝福」であり「奇跡」であると発見する、「生」を肯定する物語だ。

昨日23日は「沖縄戦」で亡くなった人を悼む「慰霊の日」だった。中には日本軍によって「自決」を強制された人も多数いる。軍隊は国の体制を守るために戦いこそすれ、人命を守るために戦わない組織である。そして軍人もまた権力者のために人殺しを強要され、命を捨てさせられる犠牲者なのだ。彼らは死んでもなお、戦争を正当化しようとする連中によって「靖国」で利用されている。

人を人とも思わず、「生」を平気で否定する勢力がのさばってきて、目障りで鬱陶しい。
こやつらの理屈では、原発事故で亡くなった人もいないことになっている。
気持ちの悪い空気で窒息してしまいそうだ。なんとか払えないものかと嘆息するばかりなり。
by rurou-no | 2013-06-24 11:42

二番煎じ

雨がない、とボヤいてたらいきなり台風を寄越すとは、お天道さんも落ち着きがなさ過ぎや。ほどほどに恵みの雨を降らせてくれたらええのに集中豪雨やなんて、ほんま意地悪やで。

だらだらと変化のない生活を繰り返しているせいで、この場の文字を埋めるネタも尽きてしまいそうになる。ようするに頭の働きが鈍くなってきているということか。今回も苦し紛れ。

タイトルの「二番煎じ」は、上方落語から借りた。季節外れであるがおつきあい。
火事が多かった江戸時代、町内で「火の用心」を交替で回ることになった。番小屋では持ち寄った酒と肴で宴会が始まる。時には喧嘩・刃傷沙汰もあり「番小屋で酒は一切ご法度」となった。それでも「風邪薬」と称して持ち込み、猪鍋や焼き豆腐をあてに酒盛りを始めたところへ役人がやってきた。徳利の中味を問われて「風邪薬」だというと、役人は風邪気味だから風邪薬をもらおうと全部飲んでしまう。風邪薬がなくなったと聞いた役人は「町内を一回りしてくるから二番煎じ出しておけ」でサゲとなる。

仏教「五戒」の一つ「不飲酒戒」があっても、知恵の授かる湯として「般若湯」を寺へ持ち込んで飲んでいたのは生臭坊主。適量ならば「百薬の長」というくらい薬にも勝る飲物だが、適量で収まらなくてしばしば問題を起こすのもこの飲物である。

先日、連れ合いが姪っ子の舞台を観に(というよりも1歳の赤ん坊と足元の覚束ないばあさんの世話をサポートするのが主目的)出かけ、夕食を料亭でお呼ばれしたものの久しぶりに飲んだ酒で気分が悪くなり、せっかくのご馳走を目の前にしながらあまり食べられなかったそうだ。

アルコールを一切飲まない小生に合わせ、飲んでいなかったせいで弱くなってしまったのかもしれない。まことに申し訳ないことである。甘い物には目がないのに、食後のデザートも口にできず義兄に食べられてしまったのは、さぞ悔しかっただろう。

「風邪薬」「般若湯」「百薬の長」と、呼び名は変われど「魔法の飲物」には違いない。「飲まないと人生の半分を損したと同じ」とはむべなるかな。それでも欲のない小生は素通りしてきた。
by rurou-no | 2013-06-20 15:09

「真夏日」やて、まだ6月やのに

「梅雨入り宣言」なんぞするから、雨が降らんのやないか、ったくぅ。いったい雨の日は何日あったのやら。こうも日照りが続くと、そろそろ「渇水注意報」が出そうやな。
長期予報では、今年の夏は例年より暑さが厳しくなりそうやからえらいこっちゃや。
またしても熱中症で倒れる人が続出するかもしれない。他人事やないど、気をつけんと。

新聞報道によると、13日は「西日本を中心に全国33地点で気温35度以上の猛暑日となった」そうだ。豊中市で37・9度、京田辺市で37・5度を記録している。
翌14日も、全国16ヵ所で「猛暑日」を観測したという。

ここら辺もずっと、気温30度を超える「真夏日」である。季節は1ヵ月前倒しで夏になったようだ。もっともこの国に四季はなくなり夏と冬の二季しかないと考えれば、ついこのあいだまで寒かったのもむべなるかな。寒暖が極端から極端へ振れて、不快指数が上がるのも無理はない。
「中庸」という美しい言葉はどこへ行ったんやろね。

歴史をひも解くと、夏は日照りと水不足、冬は冷害、どちらにしても作物は不作で飢餓と疫病が流行り、地震や火山の噴火など自然の災厄、天変地異が重なるらしい。
昔はそんな時には改元をするか、厄を払うための祭りをするか、神頼みしかなかった。

繰り返す歴史の大きな流れの中で、現代は間違いなくそうした時期にあるのだろう。
またしても飢えが現実の問題となるのか、ウイルスの蔓延は避けられないのか。南海、東南海の大地震は「ある、なし」から「いつ起きるか」の段階だし、火山の噴火も、と不安が広がる。

こんなご時世でも緊張感のない為政者は、私欲だけのマネーゲームにうつつをぬかし、ひたすら国民の金をアメリカの富裕層に貢いでばかり。アベコベノミクス、アベノリスクが今ではアホノミクスと成り果て、大企業や一部の成金などおこぼれに預かったのは少数派、大多数の国民が借金と物価高という形で尻拭いをしなければならない。やれやれ、また神頼みしか手はないのかぁ。
by rurou-no | 2013-06-17 14:46

ビー玉とビン玉

困った。「び」は「ビンボー」しか思いつかない。ほかに何かないか、と考えれば考えるほど「ビンボー」が頭の中を占拠して、思考停止に陥ってしまう。いかん、いかん。
抗議のデモを軍隊や警察を使って強制排除する、というのは独裁権力者の常套手段だが、いくら独善的に所有している自分の頭とはいえ、「ビンボー」を排除することはままならぬ。

その言葉を頭から追い出そうとしても、実態がそのままだから追い出しようがないのだ。
振り払っても振り払ってもまとわりついて離れようとしない、蜘蛛の巣か、山蛭か、とにかく長い付き合いの腐れ縁というものである。こうなると意地でも「ビンボー」をタイトルにしてなるものか。

と悪戦苦闘し、脳みそを覗いていたところ、隅っこのほうで子どものころの記憶を見つけた。
そういえば家の庭や近所の原っぱで、悪ガキ仲間とよく「ビー玉」遊びをした。
基本的には、あらかじめ決めたコースを辿りながら相手の玉を取り合う、というルールだ。
取ったり取られたりのバランスがうまく出来ていて、飽きもせず時間を忘れて遊びに興じた。

ゲームの面白さもさることながら、子ども心にビー玉の美しさに魅了されもした。
ただのガラス球というなかれ、小さな球体のフォルムとガラスの色がなんとも魅惑的だった。
ゲームを通して、より美しいと思う玉の収集、というもうひとつの目的もあったわけだ。

ガキ共のポケットはいつもビー玉で膨らんでいた(ほかに「かえし」や「くぎ」も入っていた)。
そして「ビー玉」の大きいのが、漁師が網を浮かべたりする浮き玉「ビン玉」である。
かつては海に浮かび、港にゴロゴロ転がっていたビン玉も役割を終えて見かけなくなった。

このビン玉で町おこしを始めたのが、那智勝浦町の「脇仲倶楽部」の方々。
球の中へ電灯を灯せるように加工したビン玉を、軒先へ吊るしたり通り沿いに置いてライトアップする。町の観光地図にも「ビン玉通り」として紹介され、観光客誘致に一役買っている。

ここで、喜多川歌麿の美人画「ビードロを吹く女」を思い出した。「ビードロ」って確かポルトガル語の「ガラス」のこと。江戸時代からガラスの玩具でポッピンと遊んでいたんやな。
by rurou-no | 2013-06-13 13:54 | 子ども時代

身から出たさび

あまりに胸くそ悪いのでここへ取り上げるのも嫌だったけど、「み」からのタイトルがこうなったからには書かずばなるまい。
されど本人にあまり反省の色が見えない現状では、このような言い回しの意味するところとズレが生じるが、深く考えないことにする。

例の大阪市長による「慰安婦」についての発言である。こやつは以前からこうした弱者を貶める発言を繰り返し、言葉のレトリックを駆使して弱者を虐めることが「正しい」と思わせる詐欺師である。
その話術によって、誰もが心に抱える悪魔的な心情を代弁してくれたと錯覚し、不満が解消されて溜飲を下げる。実はペテン師的言葉のテクニックに翻弄されているにすぎない。

件の発言もそうしたものの延長にある。違ったのは「基本的人権」を大きく踏み外したことだ。
名指しされた元慰安婦のみならず、すべての女性の人格を否定する発言だった。
これは市長の辞職は避けられない、政治家としての資質に関わる重大な内容を含んだ問題である。それを庇った府知事や元都知事も、同罪として失脚の責任を問われてしかるべきだ。

その後の経緯は情報に疎い小生が説明するまでもない。幼児じみた醜い言い訳は聞くに堪えないものだった。こんなときにこそ人間性が如実に現れる。どんだけ小さいんや、こいつは。
米軍に対する発言も、強い権力を手にする米軍にはすぐに謝ったが、本当に謝るべき沖縄の女性たちには詫びの言葉もない。そもそも傷つけられた弱者へ向ける目を持っていないのだ。

結局、報道したマスコミが悪いと開き直ったままである。
あまつさえ別の問題(オスプレイの八尾空港誘致)を出して話題を逸らそうとしている。
どこまで卑怯なんやろ。みっともないぞ。

この連中の会綱領は「日本を孤立と軽蔑の対象に貶め、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた元凶である占領憲法を」と、思わず笑ってしまう自虐的なものだ。
歴史認識も国際感覚にも欠ける幼児的心性しか持ち合わせない者に、女の性は男の性の道具ではない、という当たり前のことを理解させるのも難しいらしい。
by rurou-no | 2013-06-10 14:15

どないしたんやムラカミ

本の感想なんてすぐに書かないと忘れてしまうし、ましてその本が手元にないと内容を思い出す糸口すらつかめないから、少しでも覚えているうちに無理やりのタイトルで。
前回書くつもりだった 村上春樹 『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』 について。

「ぞめき」の後に「なれど」としたのも、あれだけ話題になった割には「あれっ」てな感じで肩透かしをくわされたからだ。というよりもメディアで大騒ぎするものに碌なものがない法則のままともいえる。
どないしたんやムラカミ、「文学的後退」や、おもろないど!

折りよく広告が出ていて、新聞や雑誌に「文化人」たちが寄稿した褒め言葉が列記されていた。
これらを読むと、自分の読み方が足りないのかと一抹の不安が頭をもたげるが、むしろ絶賛している先生方に疑義を呈したい。松永美穂さんの「実存をめぐる内省の物語」だけは共感する。

かいつまんでしまうと、名前に色を含まない多崎が、ある日突然拒絶されたままになっていた高校時代の仲間を訪ねてその理由を知る、という物語である。
例によってスノッブな会話や比喩が多用されていて、本来はムラカミ的な文章のスパイスとして味付けや彩りを添える、役割を持つはずのそれらがくどすぎて興ざめになった。

登場人物に現実感が乏しかった。アオもアカも仲間ならフォローすべきだし、クロの態度も解せない。つくるは夢の中でもいいから性交するだけでなくシロと話すべきだった。つくるはものを作っている人らしくないし、脇役の灰田君と緑川さんは魅力的だっただけに物足りなかった。

読了後思ったのは、辣腕編集者ならもう一度書き直させたやろ、ということだ。残念ながら、国際的な大作家先生の新作の版権を獲っただけで大手柄、ダメ出しなんて恐れ多い、ということか。
広告には「105万部」とあった。この本で初めてムラカミ体験した人には気の毒だった。

そのとき彼はようやくすべてを受け入れることが出来た。魂のいちばん底の部分で多崎つくるは理解した。人の心と人の心は調和だけで結びついているのではない。それはむしろ傷と傷によって深く結びついているのだ。痛みと痛みによって、脆さと脆さによって繋がっているのだ。悲痛な叫びを含まない静けさはなく、血を地面に流さない赦しはなく、痛切な喪失を通り抜けない受容はない。それが真の調和の根底にあるものなのだ。
by rurou-no | 2013-06-06 16:25 | 言葉・本

ぞめきなれど

土曜日の夜、大阪で会社を経営している高校時代の友人が里帰りしたからと、レストランで夕食をともにした(もちろん社長のおごり)。集まったのは、仲の良い同級生男3人と女2人。

四方山話をしながらふと、高校の同級生男3女2の構成は、 村上春樹 『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』 と同じやな、と思った。
われわれの場合は「調和のとれた五角形」でなく、男3人だけの三角形+α やったけど。

3人は町内の東端と西端と南の離れ島、ちょうど三角形のそれぞれの頂点から中心付近に位置する高校へ通っていた。そのころ東側は別の町だったし、3人が生まれた時は離島も別の村だった。
高校1年で同じクラスになり、2年3年はわざと違うクラスにさせられながらも、三角形は動じることなく濃密な関係の3年間を過ごした。

その後は主に、大阪の社長(彼は情熱的で一本気な性格やった)と地元の名士(彼は社交的で女子にモテモテやった)の2人が、風来坊の小生(いったいどんな高校生やったんやろ)を助けるというような形で、今に到るもこうして関係は続いている。

驚くのは2人の記憶力だ。会うたびに、あんなことがあった、こんなことがあったと、高校時代のエピソードを話す。2人が覚えていることはそれぞれの関心によるものか、別の話として披露される。
どれもこれも小生は忘れていたことばかり。たぶん記憶する入れ物が小さいのやろな。

タイトルの「ぞめき」は、浮かれて騒ぐこと。「き」は出たばかりだから、後に「なれど」を足した。
たかが新刊本の発売に大騒ぎ(田舎の図書館でも借り出しの順番待ちがあった)して、その長い題名とともに社会現象ともなった、村上春樹の新作について感想を書いてみようと思ったが、またしても前置きが長くなってしまったので、次回へ持ち越したい。

田舎の高校生たちは、名古屋市内の高校生とは随分かけ離れた人生になった。
それは現実と小説との差異でしかないのかどうか、レクサスには乗っていなくても1人はハイブリッド車、もう1人はデザイン優先の趣味の車、そして小生はボロボロの軽自動車、という程度にはそれぞれの40年がある。
by rurou-no | 2013-06-03 14:51

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