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一所不住



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パリ、テキサス

最初、映画のタイトルが 『パリ、テキサス』 とあるのを見て、フランスのパリとアメリカのテキサスが舞台になっているのかと勘違いしていた。内容はともかく、ヴィム・ヴェンダースの作品だから見逃せないと映画館へ足を運んだところ、ヴェンダースの映像とライ・クーダーの音楽がクールで(かっこよくて)ぶっ飛んでしまった。

ヴィム・ヴェンダースはドイツ・デュッセルドルフ出身の映画監督で、ニュー・ジャーマン・シネマ(ファスビンダー、ヘルツォーク、シュレンドルフ、ら)の旗手として知られる。
『ことの次第』(82) 『東京画』(85) 『ベルリン・天使の詩』(87) 『リスボン物語』(94) 『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』(99) など撮っている。『パリ、テキサス』は1984年作品。

砂漠を彷徨する主人公トラヴィス(ハリー・ディーン・スタントン)が向かっていたのは、フランスではなくテキサス州にあるパリ。途中のガソリンスタンドで水を飲んで倒れてしまう。
男と女は強すぎる愛ゆえに生じた行き違いから、男は出奔する。数年ぶりの再会は女が働く「のぞき部屋」の客としてだった。マジックミラー越しに互いの思いを語り合う。

ストーリーを追うより、乾いた映像と音楽に感覚のすべてを預けてしまいたい、目と耳を集中させ全身でまるごと受け入れると至福の時間を過ごせる、そんな映画だった。

トラヴィスの妻ジェーン役が 『テス』(79) のナスターシャ・キンスキー。父のクラウス・キンスキー、娘のソーニャ・キンスキーと3代にわたっての映画人である。このソーニャは村上春樹の小説を映画化した 『神の子どもたちはみな踊る』 に出演していた(これは観ていない)。

ほかにも、イチオシのアメリカ人監督ジム・ジャーッムッシュの 『パーマネント・バケーション』(80) 『ストレンジャー・ザン・パラダイス』(84) 『ダウン・バイ・ロー』(86) 3本ともに出演し、役者としても抜群のセンスを見せたジョン・ルーリーが顔を出していたはずだ。

映画音楽不朽の名曲、ライ・クーダーの音楽は時を超えて記憶に残る。
四半世紀以上前に観た映画だけど、強烈な印象で忘れられない。
by rurou-no | 2013-02-28 15:38 | 映画

記録的な寒波

1週間前は「雨水」で生温い風が吹き、やれやれ寒さも峠を越えたと油断していたら、次の日からまた冷え込みが厳しくなり、昨日から今日にかけて「史上最強の寒波」って、もうすぐ3月やど。
東北地方は猛吹雪で、酸ヶ湯は積雪534cmと国内最高を記録したそうだ。

地球温暖化の声はどこへやら、この冬は寒冷化説の方が正しいのではと思うくらい寒かった。
わが家の電気代はとうとう月1万円を超えた。他の家と比べると少ないようだが、なにしろ超ビンボーな暮らしの中で1万円超は痛い。1万円以内に収まっていた去年より増えているのは何ゆえか、さっそく真相究明の調査に乗り出したところ、どうやら去年は使っていなかったオイルヒーターを出したのが最大の要因と考えられる。

本州最南端でこがいに寒いやなんて、とボヤいてばかりの冬だった。
そんな折、23日付新聞に「世界一寒い村を訪ねた」という記事が載っていた。ロシアのサハ共和国オイミャコン村は「北極圏のやや南の北緯63度に位置する。人口約600人の大半がサハ人(ロシア名・ヤクート人)。ギネス世界記録に、人の定住地として世界最低気温の零下68度(1933年)が登録され、零下71.2度の非公式記録も残る」と説明があった。

西村記者が訪ねたときは、マイナス61.5度。車が故障すると危険なため必ず2台1組で走るそうだ。エンジンを止めると2度と動かないからエンジンはかけっぱなしだとか。鼻水は凍ったが涙は凍らなかったという。小便は「尿からもくもくと出た湯気が瞬時に凍って、ダイヤモンドダストのようになった」と報告する。シャボン玉や熱湯、果物などで実験もしていた。

そういえば米原万理さんの『魔女の1ダース』にも、このサハ共和国のことが取り上げられていた。「通常の感覚でいう寒いなんてものではない。痛くて痛くて皮膚など表面に出していられない」「唯一外気に接している眼の表面の水分が瞬く間に凍って、瞬きする度にシャーベットができていく」
やはり「尿意は脅威となった。排泄は、わたしにとって10枚以上重ね着しているのを全部剥がし、素肌を外気に晒すことを意味した」そして三方を板で囲っただけのトイレにも拘らず「放尿中さらされていた皮膚は、まったく寒さを感じなかったのである」とあった。

こんなとこでよく生活してるな、というのが実感だ。人間の生きる力はすごい。ところで部屋の中の写真は半袖かノースリーブ姿である。目一杯着膨れて震えている南のジジババはどうなんや。
by rurou-no | 2013-02-25 14:23

リビアの古代遺跡

愛読する 『ナショナル ジオグラフィック』 2月号の表紙写真は、リビア東部沿岸にある古代ギリシャの都市遺跡キュレネの2500年前に建てられたとされる「ゼウスの神殿」である。

国土の大半はサハラ砂漠が占めているとはいえ、北の海岸線は地中海に面してヨーロッパに開かれている地形から、過去1万年の間にさまざまな人びとが行き交い、「リビア」という名は北アフリカ全域を表す語として用いられていた時期もあったそうだ。

ざっと歴史を振り返ってみると、紀元前2000年~1200年ごろまでにフェニキア人が地中海交易のルートを確立し、先住民のベルベル人と交易していたという。
その後ギリシャ人が入植。次にローマ帝国が支配する。

7世紀にはアラブ人のウマイヤ朝がイスラム教を広め、16世紀にオスマン帝国の支配下へ。
20世紀初頭、イタリアが侵攻し植民地化した。第2次大戦後は英仏共同統治領となり、1951年、独立。69年、クーデターによりカダフィが政権を掌握し、2011年に内戦で射殺されるまで独裁体制を敷いた。

西部沿岸のレプティス・マグナは世界屈指の古代ローマ都市遺跡で、劇場や広場、市場など往時の活況ぶりを伝える。さらに西の交易都市サブラータには2世紀末に砂岩を使って建てられた古代ローマ劇場遺跡がある。

それぞれ写真からだけでも、規模の壮大さや壮麗さがうかがえる。これらは幸か不幸かカダフィの無関心により放置されていたおかげで、壊されずに残った。しかし未だに国内の治安は不安定な情勢が続いているから安心できない。さらに観光地化で荒らされる懸念もある。

と、まぁほとんど雑誌記事の抜粋になってしまったが、もうひとつ愛読する『民族学』の巻頭特集が「ふたつのお茶 変貌するミャンマーの喫茶事情」で、民主化過渡期にあるミャンマー(ビルマ)の飲むお茶と食べるお茶についてのレポートだった。
リビアにしろミャンマーにしろ、情報を得にくい国や地域の実状を知らせてくれるメディアはありがたい。そのことについて書こうと思っていたのに、長くなったのでここまで。
by rurou-no | 2013-02-22 16:48

ぼんやりと 風ぬるむ朝 雨水なり

昨夜未明よりこの時季にしては珍しく風雨が強くなった。これが放埓にボロ家を揺らしてくれるので落ち着いて寝ていられるものでない。その雨も朝方、一時的に収まった。

毎週月曜日と木曜日は赤い袋(燃えるごみ)の日である。町道脇にある指定場所まで持って行くのは小生の役目。
近所の人(今日はスーツにネクタイ姿でビシッときめている夜勤帰りのおいさんと出会った)と朝の挨拶など交わしながら、登校する小学生の可愛いランドセル姿を眺めるのがいつものパターンだ。

朝7時半ごろ外へ出たら、いい按配に雨は小休止で、変わらず木々を揺らしている風は2月とは思えないほど生温かいものだから、緊張の糸を外されこわばっていたからだが弛んでしまった。
そのとき思いがけず出てきた句が「ぼんやりと風ぬるむ朝 雨水なり」。今日は二十四節気の「雨水」と歳時記カレンダーにあった。朝ごはんのとき見てたから、下句「雨水なり」となったのだろう。

例年2月は節分、立春、初午、旧正月と季節の行事が続いて、雨水を過ぎるとまもなく春一番が吹くという段取りになっている。花粉症患者には恐怖の季節が到来するわけだ。
その方面ではベテランの小生は、春を待つまでもなく早々と寒い時季から始まるのは予定どおり。

昨日、古座川町へ出かけていた連れ合いの報告によると、山はすっかり赤く色づいて花粉を飛ばす態勢になっていたとのこと。話を聞いているだけで5回連続のくしゃみが出た。
鼻が詰まり気味だし、心なしか眼も痒くなってきた。

それでも近ごろは「ホノビエン」という強い味方のおかげで、年々症状が和らいでいるような気がする。この歳で主な持病が花粉症と痛風(それぞれ期間限定約5ヶ月ずつのシーズン病)くらいで済んでいるのは、ほぼ健康といえるかもしれない。ありがたいことだ。
 
あとはせいぜいボケないように。できるだけ頭を働かせ柔らかくして句や歌に遊ぶ酔狂に憧れるも、まだまだ人間の面白味が足りない。
by rurou-no | 2013-02-18 14:33

つんぼ

「つんぼ」は差別用語として新聞掲載禁止、テレビ・ラジオ放送禁止と冷たい仕打ちを受けているけど、つんぼ本人が使う分には誰も文句は言えないはずやろと「つ」始まりのタイトルに決定。

生まれつき右の耳が聞こえず、子どものころはよく「つんぼ」といわれた。それで特にいやな思いを味わったことはない。つんぼやから聞こえにくうてもしゃぁない、とそのまま受け入れていた。。
おまけに中耳炎で、小学生のときは右耳を黒い袋で包んでいるのがふだんの姿だった。

10年前の秋までは多少の不都合はあっても、なんとか左耳だけでやってこれた。
話が聞こえなくて、なんとなくつんぼ桟敷(これはれっきとした劇場の用語)に置かれていると感じることはあっても、もともと人と群れるのは好まない性質だったので疎外感も苦にならなかった。

ところがどっこい、原因不明の突発性難聴というやっかいなものに取り付かれてしまい、〈聴力喪失→中途半端な快復+止まない耳鳴り〉が日常となった。耳の中に蝉を飼い続けて10年だ。

補聴器がないとほとんど聞こえないくせに、補聴器に違和感があり出かけるときだけしか付けない。よって家では連れ合いが大変な思いをする。
補聴器の助けを借りても聞こえにくいため、出かけるのが億劫になった。友だちと会うのすら面倒になってきた。ましてや大勢の人が集まるところなんて、頭が痛くなるのでとても行けない。

民博の広瀬浩二郎准教授は13歳で失明したそうだ。『民族学』誌上で、色気=色の気配の作品制作を報告している。「さわって創る」過程で、「視覚を使わない開放感」=「めくらめっぽう」の醍醐味を体感した、と記していた。
広瀬さんは、眼を使う人を「見常者」、視覚に障害のある人を「触常者」とよんでいる。「観察」に対して「触察」という言葉もなるほど、と肯いた。

三宮麻由子さんの場合もそうだが、新しい世界の捉え方を教えてくれる。
この禿頭ジジイも、頭の表面を光らせているだけでなく、中身の方をもっと磨かんとあかんなぁ。
by rurou-no | 2013-02-16 17:24 | 病気

知行合一

たしか高校2年の夏休みの宿題だった。担任はまだ20代の熱血教師で、生徒たちは「S平さん」と親しみを込めて下の名前で呼んでいた。「何でもええから本を読んで、感想文をレポート用紙3枚にまとめて提出」と一方的に通告された。
「社会科の先生やのに、なんで国語の宿題やねん」とクラス中から一斉に非難の声が上がったが、「文句ゆうてんと本1冊くらい読んでこい」と一蹴されて、読書感想文の課題が決まった。

ないはずの宿題を出された悔しさから、そのころすでにへそが曲がりだしていた小生は、「S平め、受けて立とうやないか」と図書館であえて難しそうな本を借りた。
それが岩波新書の『朱子学と陽明学』。

江戸時代天保年間、「大塩平八郎の乱」を起こした大塩平八郎は陽明学をやっていたと知り、この機会に陽明学の勉強をしてみようと色気もあった。他に吉田松陰、佐久間象山、高杉晋作ら江戸後期の気になる人物はおしなべて陽明学を学び、幕末の志士にも影響を与えたという。
一方で、朱子学は支配者のイデオロギーとして利用されていた。

今から思えば随分背伸びしていたと思う。難しい内容をどんな風にまとめたのか、まったく覚えていない。あまりにも稚拙な理解でS平さんも困ったであろう。熱血教師には褒め言葉をかけられたはずだが、はて何を褒めてもらったのか。真面目にレポートを出した生徒は少なかったので、そっちの方だったのかもしれない。

とにかく、この『朱子学と陽明学』という本の中で、ただ一つ40年経った今も忘れないでいるのが「知行合一」という中国明代の儒学者で思想家の王陽明による陽明学の命題だ。
「知ることと行なうことは一体であり、分けられない。知って行なわないのは、知らないことと同じである。本当の知識は実践を伴わなければならない」。

20年ぶりに中上健次の『千年の愉楽』を再読していたら、時代をどんどん遡って、(若いころ座右に置いていた)今回の「ち」から始まるタイトルが、ふっとおりてきた。
by rurou-no | 2013-02-12 16:01 | 言葉・本

「自分」はどっち

おととい投稿していて、ふと思い出したことがあった。
田舎は人口が少ないため出会う人の数も限られており、交わす言葉にも驚くほどの違いはない。近ごろ流行りのキーワードである「多様性」に欠け(絶対数が少ない)、異質なものが相互に影響し合うことによってもたらされる果実を得られないまま、同じであるというだけに意味を見出す退屈な日常が延々と繰り返されていく。そしてあえて変化を求めない姿勢が停滞と疲弊を生み出す。

18年間そんな土地で過ごし、都会へ出てみるとまるで別世界だった。そこでは何でもやりたいことができる、思い通りになる、と勘違いして舞い上がってしまうくらい、さまざまな刺激に満ちていた。どこへ行っても知らない人で溢れていた。それが却って重い束縛から解放された気分を味わせた。

前講釈が長くなるといけない。
今日のお題「自分」について。この場合の「自分」は「あが」のこと。つまり「我」「己」「手前」である。
会話で自分のことを男だと「あし」「ぼく」「おれ」「わし」「わい」など、改まって「わたし」になるくらい。

ところが東京に出て、「ぼくは」というところを「じぶんは」という人に会った。今でこそそうした喋り方をする人種が一部に(元自衛隊員や体育会系)存在すると知っているが、初めて耳にしたとき「なんや、こいつ変やなぁ」と感じたバランスの不安定さは、なかなか慣れなかった。
この「じぶん」という言い方は映画で知った限り、軍隊用語かもしれない。

その違和感が抜けないうちに京都で会った人は、相手のことを「じぶん」と言うではないか。「きみは」とか「おまえは」と同じ使い方で「じぶん~するか」となるからややこしい。その「じぶん」は自分のことなんか、相手のことなんか高度な解釈を要求される。これは大阪でも使われるらしい。

「じぶんは~です」「じぶんなぁ、自分のことをじぶんなんておかしいでぇ」「きみこそ、人のことをじぶんなんて日本語としてどうかと思うよ」「なにゆうてるねん、じぶん(自分)のことはじぶん、じぶん(相手)のことはじぶん、でええんやんけ」てな会話は成立するんやろか。

日本語は奥が深い、と「自分」問題で悩んでいた時分の自分が懐かしい。
by rurou-no | 2013-02-08 14:41

一大事

別にわが家の一大事ではなく、単なる趣味興味の範疇だから他人事になってしまうが、とにかく伝統芸能・歌舞伎と興行会社・松竹の一大事といえよう。
3日、江戸歌舞伎の市川宗家、12代目團十郎が亡くなった。

芝居に関心がない人には、何を大騒ぎしてるのかと思うだろう。世俗的に例えれば、田舎の素封家の主が急死したとしよう。村ではまもなく数十年に一度の大祭が控えており、主はそこで代々世襲を旨とする重要な役を担っていた。幸い跡を継ぐ息子はいるものの、まだ若くて頼りないので任せるには荷が重い。さて、大祭は無事に行なえるのか?そして村の差配は?

旗艦劇場である歌舞伎座が62年ぶりに建て替えられ、4月から杮落とし公演が始まる矢先だった。大名跡・團十郎として、幕開けを飾る舞台を務めるはずだった。世襲の家業が中心で古いしきたりが残る世界ゆえ、新しい歌舞伎座の柱となるべき存在を失うのは大変な事態だ。
これまで何度も危機を乗り越えてきた歌舞伎は、そう簡単に土台が揺らぐことはないだろうが、かたちは取り繕えども看板不足は否めない。

歌舞伎芝居の一ファン、といってももう10年くらい観劇から遠ざかっているし、もっぱら専門誌の写真や番組表を手懸かりに舞台を想像してるだけだから偉そうなことはいえないけど、勘三郎に続いて團十郎と大看板の欠けた舞台は物足りなくて淋しい思いがする。
名前や地位が役者の器量を育てる作用が往々にしてあり、世代交代がこれからの課題となろう。
伝統を重んじ、常に新しいカブキモノの芝居をどんな風に創れるのか、次世代に期待したい。

なんて能書き垂れていると、素封家の別荘の庭仕事を下働きしていた程度の関わりしかないくせに、のんきによそさんを心配するよりあが(自分)の心配せんかい!と叱責されそうだ。
もっとも、わが家の一大事(貧窮)は日常となってしまっているから、清貧(というほど立派なもんではないが)を甘んじて受け入れる心構えは確固としてあり(ってどんなんや)、「明るいビンボー」「豊かなビンボー」を目指すのさ、と空元気全開状態ではいささか情けなく面目ない。
by rurou-no | 2013-02-06 11:52 |

堅白同異

中国の戦国時代、趙の公孫竜が説いた詭弁的命題。・・・堅くて白い石を目で見れば白いとわかるが、堅いことはわからない。手で触れれば堅いことはわかるが白いことはわからない。よって堅いことと白いことは同時には成立しない。

今回の内容とタイトルの意味するところは、使い方として正しいのかどうか、四字熟語を勝手に解釈させてもらった。というのも今日(1日)付新聞1面の記事について思うところがあったからである。
1面トップは大津市の中学生がいじめられて自死した問題で、市が設置した第三者調査委員会が報告書を市長に提出した記事。その下にあったのは柔道女子日本代表監督が選手にパワハラと暴力を繰り返していたことが明るみになって辞任した記事。

大津市の件では、前任者時代に起こったことにも拘わらず現市長は中学生の死を重く受け止め、パフォーマンスとの心無い批判を浴びながらも遺族に謝罪し、市側と遺族側が3人ずつ推薦した第三者調査委員会を発足させた。報告書は学校と市教委の対応を批判している。

柔道監督の件では、昨年9月に選手から訴えがあったものの、全柔連は注意だけで公表すらしなかった。次に選手らは連名でJOCへ訴える。JOCは全柔連へ調査を要請し、「戒告」という最も軽い処分で事を収めようとした。表面化しなかったら監督は守られ、選手らはさらに酷い仕打ちを受けたに違いない。これがスポーツ界の現実だから始末が悪い。

思い出してほしい。手抜き除染が報道されたとき、環境省は手抜きをさせた当事者であるゼネコンに事実関係の調査を依頼している。JOCも同じことをしている。この国では問題が起こると、当事者に聞いて何もなかったことにする非常識がずっと罷り通ってきた。調査は第三者に、という当たり前のルールすら確立されていないのだ。

大阪市の高校生がクラブの監督の暴力によって自死した件では、「指導に熱くなった」「愛の鞭だった」とかの言葉があったが、指導と暴力、愛と暴力は相容れない概念である。
この時、それまで体罰容認を公言していた当の大阪市長は自らの責任を棚上げし、強権的に学校内の問題へと矮小化してしまった。そうした強者が弱者に圧力をかけるやり方が生徒を殺したんや、ということをだれか教えてやらんとあかんで。
by rurou-no | 2013-02-01 11:30 | 言葉・本

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