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一所不住



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頭陀(ずだ)

「頭陀」はサンスクリットの「ズーダ」からきている。
新明解さんによると・・・(払い除く意の梵語の音訳)仏道修行(のための行脚)。 と出ていた。
ここで払い除くのは、あらゆる欲望や煩悩である。「捨て去る」とした方がより厳しそうだ。

ひと月ほど前、村上春樹の「約束された場所で アンダーグラウンド2」を読んだ。
1995年に起こった「地下鉄サリン事件」の加害者であるオウム真理教信者と元信者へインタビューしたノンフィクションである。

本の中で村上さんは、心理学者の河合隼雄さんと対談して、「人間というのは自分というシステムの中に常に悪の部分みたいなのを抱えて生きているわけですよね」と問いかけていた。
話の内容は詳しく覚えていないが、この言葉だけがストンとからだの中へ入ってきた。

確かにそやな、そのとおりや、と同意する。
自分の中にある悪の部分をギリギリのところでコントロールして、なんとか犯罪者にならないでやってこれたんだと、改めて思った。

20代から30代にかけて、テキスト片手にヨガをやっていた。無農薬有機野菜を買い求め玄米菜食も実践していた。「からだ」と「こころ」、そして社会との関係に強い関心を持っていた。
インタビューに答えるオウム信者は、そんな自分とそう変わらない人たちだった。違ったのは彼らより少しだけ早く始めたから、麻原のペテンを見抜いていただけのことである。

彼らは「出家」し、ひたすら修行に明け暮れる。それなりに充実した日々を過ごしたであろう。帰依したのがペテン師だったことを除いて。懲りない連中は名前を変え、相変わらず続けているようだ。小さな箱の中には、わかりやすい答えがあるから、楽でいいらしい。

ここにいる自分は、ストイックな人格の中にワルが潜んでいる。そのことをまず自覚して、手が後ろに回らぬよう世渡りをしていきたいものだ、なんてちょっとかっこつけすぎやね。
by rurou-no | 2011-08-29 14:06 | 言葉・本

ちはやぶる神代もきかず

    ちはやぶる神代もきかず竜田川からくれないに水くくるとわ 
                                          在原業平 


立秋も処暑も過ぎたが、竜田川に映る紅葉を愛でる季節はまだ早い。それにここら辺の山は常緑広葉樹林が多くて、紅葉そのものが見られない。
正月でもあるまいし百人一首はいかがなものか、と突っ込まれそうだが、今日のタイトルは例によって上方落語「千早振る」から思いついた。

物知りとして自他共に認めるご隠居の甚兵衛さんのところへ、喜ぃやんが「娘から『ちはやぶる~』の意味を聞かれたので教えて欲しい」とやってきた。甚兵衛さんは沽券にかかわるから知らないとはいえない。

「そんな大事なことを聞くときは、前もって手紙出すとか、電報打つとか、飛脚走らすとかせなあかん。夕方また出直してこい」と逃げようとするが、すぐに教えてほしいとせがまれて、苦し紛れに頓珍漢な解釈をする。
思いつくまま、大関竜田川と吉原の花魁千早大夫の全盛から零落までの話をして「人間、全盛の時ほど周りに気を配って慎ましやかに生きなあかん」と、もっともらしく説いた。

この知ったかぶりというのはこわいもので、ややもすると墓穴を掘ることがある。
己の知らないことを知る謙虚さ、自らを客観視できる冷静さを常に心がけようとしているが、わが家の食卓では「知ったかぶり」と「思い込み」が交錯して、話がややこしくなることがしばしばあるような気がしないでもない。

見当違いであってもちゃんと教訓を導き出すところは、さすが甚兵衛さんだ。
それにしても現代の知者はどこへ行ったのやら。
人類を破滅へと追いやる放射能禍を目の当たりにしてさえ、そこから学ぶ姿勢が見られない。
今日、成立するはずの「再生可能エネルギー特別措置法」は骨抜きにされそうだし、ポスト菅の次期政権はエネルギー政策を後退させかねない。何をかいわんや、である。
by rurou-no | 2011-08-26 15:07 |

のたりゆくひねもすのたりなつのまち

週末の土日は約1年ぶりに電車へ乗って、紀伊半島南端の町を出た。
濃厚な時間を過ごした顛末は、与謝蕪村風に五七五、17文字のタイトルとなった。

真夏の京都へ出かけるなど、分別ある大人なら慎み深く避けるはず、という考えに異論はないだろう。その禁をあえて犯してまで出かけることになったのは、「踊り続けて三十余年、奇想のダンス集団」とキャッチコピーした「唖撫駆」の公演案内が届いたから。

「えーっ、今年もやるのー?」と周囲の心配をよそに<アラ還ダンサーズ>は会場となった、120年の歴史ある立誠小学校跡に物の怪となって現れた。会場が「自彊室」って、明治時代の小学校にはこういう部屋が必ずあったのかしらん。物の怪たちとの取り合わせの妙は意味ありげだ。
 
ともあれ、他に類を見ないためどんなに言葉を尽くしても説明しきれない舞台は、万難を排して見るべし。出演者たちそれぞれの芸風は完成されつつあり、いつも同じようでいて違うところなどは伝統芸能に近いものを感じる。新しいアイデアにあふれ、さまざまな想像を喚起させる見せ方、揺るぎない美的センスは、常に新鮮な驚きに満ちて瞬きするのも勿体ないほどだ。

翌日は、1933年築のモダニズム建築、御影公会堂全館を使用した「おまゆみソロ」。彼女はインスタレーションなど、空間とのかかわりの中で身体を動かす、パフォーマンスともダンスとも演劇ともいえないジャンルを超えた表現をする。今回はレトロモダンな建物全体を自分のからだの一部とした、スケールの大きな作品だった。

この2日間は京都と神戸の街をよく歩いた。「ひねもすのたり」という言葉がふさわしい歩き方をした。あいにくの雨模様のおかげで、それほど暑さにへばることなく歩けたのはむしろ幸運だった。

そして極め付きは帰りの電車。「集中豪雨のため倒木があり架線が切断されてきのくに線は運転を取り止めています」と車内放送があり、和歌山の手前で電車が止まってしまった。
一時は電車での夜明かしも覚悟したが1時間後に復旧、運転再開となったものの前に電車がつかえ徐行運転。挙句の果ては鹿をはねて(3度も)、そのたび停車して、を繰り返しながら駅に着いたのが3時間遅れの深夜1時25分。いつもより倍の時間を電車に乗せてもらえたのはありがたいことだ。それにJRから水とカロリーメイトまで頂戴した。ひねもすのたりのたりかな(蕪村)。
by rurou-no | 2011-08-22 15:52 |

海からの贈り物

今日のタイトルは女性飛行家の草分けであった、アン・モロウ・リンドバーグが離島滞在中に書いたという、静かで美しい言葉に満ちた本の題名からいただいた。

小生が生まれ育ったのも離島である。
島には海からさまざまな恵みがもたらされ、それらの贈り物によって人びとは生活を営んできた。
一方で、島を臨む海域は海上交通の要所であり、また難所でもあった。

さて、この島は2つの出来事で歴史に名を刻むことになる。
1791年、ジョン・ケンドリック率いるアメリカの商船、レディ・ワシントン号とグレース号が中国貿易の帰路に島(樫野)へ上陸し、水や薪を求めた。これが公文書に記録された、歴史上初めての日米接触となった。ペリー来航より62年前のことだ。
1890年、トルコ軍艦エルトゥールル号が樫野崎沖で遭難して587人(人数には諸説あり)の乗組員が異国の海に散った。このとき、地元住民の献身的な救助活動によって69人の命が助かった。これが日ト友好の原点となった。

実は、この2つの出来事に連れ合いの先祖がかかわっていた。
レディ・ワシントン号の時は通訳のひとりだったし、エルトゥールル号の時は怪我人を手当てした医師だった。歴史を調べてみると(調べたのは連れ合いだが)面白い事実が明らかになる。

リンドバーグ夫妻も、千島列島沖で飛行不能になり海上に不時着した時、漁民に救出され手厚くもてなされたことがあったそうだ。

日ト友好がかまびすしい町で、この夏もトルコ海軍を迎えて慰霊祭が行なわれた。
わからないのは、なぜ町は他国の軍隊の都合に合わせて(遭難は9月)大々的な慰霊祭をしたのか、ということだ。軍隊とは友好親善とはもっとも遠い活動をする組織である。それに、日ト友好の原点となった主体はあくまでも助けた民間人であって、たまたま助けられた軍人ではない。ましてや夏休み中の小学生まで引っ張り出して「追悼歌」を歌わせるとは、どういう了見なのか。

せっかく穏やかに始まったのに、最後にまた熱くなってしまった。室温33度の暑さのせい、とでもしておこう。
by rurou-no | 2011-08-19 15:19 | 地域

輪になって踊る姿や追供養

少し前に新聞の文化欄で、夏休み中の子どもたちに日記を書かせるコツとして紹介されていたことを思い出した。それは、その日の出来事を五・七・五の言葉に当てはめてタイトルをつける。そして一番印象に残った一つだけを書く。というようなものだった。

アドバイスできる小学生が身近にいないので、自ら実践してみたい。
と、いうのも今思いついたばかりだが、実は投稿しようとパソコンを開いたときにふと、新聞のことを思い出して頭に浮かんだのがタイトルとなった。

昨晩、散歩の途中、近所の寺へ立ち寄って盆踊りを見物した。
寺の境内に櫓を組んで四方へ提灯を張り巡らした定番の飾りつけも賑やかに、団扇を片手にした踊り手が櫓の周りを二重に囲み、昔ながらの盆踊りを踊っていた。

櫓の一階と二階には囃し方が陣取り、太鼓の伴奏だけで声を合わせて唄う。歌詞はおそらく即興で掛け合いのように唄っていたのが定着したのだろうと思われる内容で、曲調も素朴なもの。踊りの振りは、子供の頃に地元で一度だけ目にした振りと似ていた。連れ合いに聞くと、串本や大島も同じ振りの盆踊りを踊っているそうだ。

折々の行事は時代と共に形を変えていくものだが、変えてはいけない大事な部分をちゃんと継承しているのがうれしかった。
続けて、潮岬節保存会の人びとの手で受け継がれている「潮岬節」も生の唄と演奏で踊った。

「潮岬節」を聞くたび、かつては全国的に有名だった「串本節」の退潮ぶりが残念でならない。
音頭とりの音程はズレるし、伴奏とは合ってないし、で本来の「串本節」が変節してしまった。
その上、踊りがきちんと伝えられていないため正式な踊りを踊れる人が数少なくなった。
残念ではあっても、閉鎖的な串本節保存会へ物申して何とかしようと行動を起こすほど「串本節」に思い入れはないしなぁ。
by rurou-no | 2011-08-16 14:34 | 地域

ルビコン川

ルビコン川(ルビコーネ)はイタリア北部を流れる小さな川だという。
ここは古代ローマで属州との境界となっており、軍が川を渡るのは共和国への反逆とみなされた。
紀元前49年、ユリウス・カエサルが「賽は投げられた」の言葉とともに軍隊を率いて南下した。つまり、ルビコンを渡った。そのことから、重要な決断をするときに「ルビコン川を渡る」という風に使われるようになったそうだ。

「ユリウス・カエサル」は世界史の授業で「ジュリアス・シーザー」と習ったその人で、シーザーは英語読みしただけ。今はカエサルの方が通りがいい。

おとといの9日、66年目の原爆忌を迎えた長崎市で田上市長は、被爆地として脱原発へ踏み出す決意を宣言した。
日本原水爆被害者団体協議会(被団協)も、6月にあった定期総会で脱原発の運動方針を決めた。

私たちは長い人生において、さまざまな局面で決断を迫られる。
「決断」というほど大袈裟でなくとも、「選択」を繰り返してそれぞれの場所に立っている。
選んだ道が良かったのかどうか、振り返ることにあまり意味があるとは思えない。
確かに他の道を選んでいたら違う展開があったかもしれないが、それはあくまでも「もし、あのとき〇〇ならば」と仮定論の次元を超えるものではない。

5ヶ月前、その日、その時、「もし〇〇だったら」助かっていた命もたくさんあったことだろう。だけど、「もし」はありえないのだ。なにげない「選択」が人生の何もかもを決定付けることがある。それを受け入れて生きていくしかない。それ以上の「選択」は用意されていないのだから。

不肖、私メは「ルビコンを渡る」ほどの決断をすることなく、いくつかの岐路で「選択」をしてきたに過ぎないええ加減な生き方をしてきた。それも「より困難」であろう道を選んできたようだ。その結果、ここにいるのだからそれで良かったと思っている。おかげで迷惑をかけている人には、申し訳ない気持ちで頭が上がらない。
by rurou-no | 2011-08-11 16:11

リアル

前回の続き。作家の村上春樹がカタルーニャ国際賞の授賞式で「非現実的な夢想家になろう」と呼びかけたのは、原子力発電の危険性を訴える反原発の動きに対して、原子力ムラに巣食うゴキブリをはじめとする原発推進勢力が「非現実的な夢想家」と言い放ったことへの回答であった。

果たして、非現実的なおとぎ話を語っていたのはどっちであったのか、今では誰もが知るところとなった。起きてはならない、取り返しのつかない事故が起こってしまった現実にどう向き合うのか、私たち一人ひとりが問われている。そこには「失敗」したエネルギーの原発依存という選択肢はない。

今日は広島の原爆忌。被爆国であるにもかかわらず、「平和利用」の名目で原子力発電を国策とした理由の一つに核兵器開発技術の蓄積にあった。だからこそ、「すべての核」に反対したのだ。
人と人が殺し合う戦争に「正義」などあろうはずがないのと同様、科学技術では制御できず、時間的にも空間的にも無限の災厄を及ぼす原子力に「平和利用」など存在しないのは明白である。

「NO NUKES ONE LOVE」
1988年8月、八ヶ岳山麓で「いのちの祭り」が開かれた。
すべての核に反対しよう!と、「NO NUKES ONE LOVE」を合言葉にした。

現代に生きる私たちは、この地球の未来に責任がある。未来の人びとが安心して生きるための環境に責任がある。地球の形成、生物の誕生、人類の登場から続く長い時間は、未来へとつながっている。その途中にあるのが私たちだ。そのことを大事にしたい。

これこそが「リアル」な話だ。
戦争に反対するのも同じ理由による。憲法9条護持を唱えると現実を見ない空想家呼ばわりされるが、反戦の誓いは極めて現実的な論である。人と人が殺しあっていいわけがない。喜ぶのは血を流す現場にいない一部の権力者だけなのだ。

広島の被爆者の苦しみは過去形ではない。今も、そして放射能禍は次世代へ受け継がされて、これからも半永久的に続いていく。
福島の被曝者も同じだ。外部被曝、内部被曝とさまざまなルートでどんどん増えていくだろう。放射能から逃れた人びともまた、その苦難から一生逃れることはできない。これが現実。
by rurou-no | 2011-08-06 17:01

危機管理

7月31日付朝日新聞記事より<外務省が1984年、日本国内の原発が攻撃を受けた場合の被害予測を極秘に研究していたことがわかった。原子炉や格納容器が破壊された場合に加え、東京電力福島第一原発の事故と同じ全電源喪失も想定。大量の放射性物質が流出して最大1万8千人が急性死亡するという報告書を作成したが、反原発運動の拡大を恐れて公表しなかった。>

原発は危険であるとの立場から指摘されたにも拘わらず、当局は聞く耳を持たなかったことの一つに、この「原発が攻撃されたら」という問題があった。
さすがに無視できなかったのか、外務省が専門機関に研究を委託していたらしい。

①全電源喪失②格納容器破壊③原子炉の直接破壊 と、3つのシナリオを想定。
冒頭の急性死亡1万8千人は、②の場合(福島第一原発事故と同じ)。これに急性障害最大4万1千人が加わる。さらに長期的影響として、がん死亡2万4千人。そして居住制限地域87㌔圏内。
報告を受けた外務省は部外秘扱いに。その理由は「反原発運動への影響を勘案」だとさ。

結局、国内の原子力施設に対策を講じることはなかった。「危機管理」はほったらかしである。
これが、お上のやり口だ。一般市民の命より、テメエらの利益を優先する。何事につけてもこの発想は変わらない。

記事によると、研究のきっかけとなったのは81年6月、イスラエル軍がイラクの原子炉を爆撃破壊した事件。その後85年9月、国際原子力機関(IAEA)総会で原子力施設への軍事攻撃禁止を決議した。ところが91年1月、米軍が湾岸戦争でイラクの原子炉を攻撃している。

「安全神話」が大前提のこの国では、テロ攻撃すら起こりえないことになっている。
一事が万事、欲が絡むと何も見えないし、何も考えられない。
偉そうに「危機管理」をほざく連中も、こういうのには目をつぶったままだ。国を滅ぼすのはオマエらやないか。化けの皮が剥がれたこの期に及んで、あの手この手とウソっぱちのキャンペーンを繰り出しムラを守ろうと必死になっているゴキブリども、悪あがきはみっともないぞ。
by rurou-no | 2011-08-01 14:08

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