ある一時期
ボリス・ヴィアン ばかりを読んでいたことがあった。
ボリス・ヴィアンは1920年パリ郊外に生まれた。作家、詩人、そしてジャズ・ミュージシャン
としても知られている。確かに彼の小説の背景には、ジャズのリズムが流れている。
ボリス・ヴィアンの作品は、早川書房から伊藤守男さんや長島良三さんの訳で、シリーズが
出ていた。
「うたかたの日々」 はジャズを文字に変換したかのような内容の恋愛小説。
「アンダンの騒乱」 「北京の秋」 「人狼」 「死の色はみな同じ」 「醜いやつらは皆殺し」
「彼女たちには判らない」 「ぼくはくたばりたくない」 「墓に唾をかけろ」 「心臓抜き」
「赤い草」 など、そのころ本屋さんへ行って見つけるたび、1冊ずつ買ってきては読んでいた。
ニューオリンズ・ジャズ と
デューク・エリントン をこよなく愛していたヴィアン。
レイモンド・チャンドラー を翻訳してフランスに紹介したヴィアン。
第二次大戦後解放されたフランスも例外なく、アメリカの文化が一挙に押し寄せてきた。そして
戦時中からアメリカの音楽や文学に嵌まっていたヴィアンは、一躍ヒーローとなったのである。
若者たちが集まったサンジェルマン・デ・プレのカフェでは、
サルトル と
ボーヴォワール が
実存主義を語り、黒いセーターの
ジュリエット・グレコ が新しいシャンソンを歌った。
その中心にいたヴィアンもシャンソンの詞を書き、歌手としてステージに立った。
マイルス・ディヴィス を最初にパリへ招聘したのはヴィアンだ。マイルスにとっても初めての
海外公演だった。そこで歌姫ジュリエット・グレコと出会い恋をする。
ヴィアンは映画化された「墓に唾をかけろ」の試写を見ている時、心臓発作で亡くなった。39歳
だった。もともと心臓疾患を抱えていて、トランペットの演奏で命を縮めたと云われている。