東南アジアを旅していて重宝するのが、屋台の食べ物屋さん。何かにつけよく利用させて
もらった。現地の人に混じって市場の中にある屋台で、食材は何でどんな味付けなのかも
分からないまま、みんなが食べているのと同じのを注文して食べるのが割と好きだった。
どこの国の人も旅人には親切だ。問いかけると言葉が充分に通じないながらも一所懸命に
教えてくれようとする。人と人の距離の近さはレストランでは気軽に味わえないものがある。
たぶん屋台で食べると美味しく感じるのは、この距離の近さゆえだからかも知れない。
その屋台で忘れられないのが、ジャカルタでの夜。小腹が空いたので何か食べようと通りに
出たら、バジャイ(小型タクシー)の運転手たちが集まっている屋台が目に付いた。みんなが
食べているのと同じものを注文して食べた。麺にドロとしたスープがかけられていたが暗くて
よく見えなかった。それからの1週間、地獄の苦しみを味わおうとは思いもよらなかった。
だいたい日本にいても、ラーメンは屋台で食べた方がなんとなく美味しいような気がする。
あの雑然さと不衛生さがかくし味になるのだろう。扉がなくノレン1枚だけの気安さからなのか
ついつい足が向いてしまう。博多の屋台通りは壮観で味も絶品だった。
江戸時代の蕎麦屋や寿司屋のように、今で言うファスト・フードは屋台から始まったのだ。
まぁ、いつの時代でも若い人たちはせっかちなもの。ファスト・フード店が流行るのも無理は
ないが、私にはあのどこへ行っても同じ店構えで同じ味(不味い!)というのがつまらん。
だいたいからして舌先が鈍感なアメリカ人に合わせてなんで不味いものを食べなあかんのや。
おかげで丼のチェーン店までも平気で不味いものを出すようになってしまったやないか。
ついつい声が大きくなりそうだ。おっさんのボヤキはみっともないからやめとこ。