裏窓からは夕日が見える洗濯干場の梯子が見える裏窓からは寄り添っているふたりが見える
裏窓からは川が見える暗いはしけの音が聞こえる裏窓からはときどきひとの別れが見える
裏窓からはあたしが見える三年前はまだ若かった裏窓からはしあわせそうなふたりが見える
だけど夜風がバタン扉を閉じるよバタンまた開くよバタンもうまぼろしは消えていた
裏窓からは川が見えるあかりを消せば未練も消える裏窓からは別れたあとの女が見える
詩 寺山修司
浅川マキが唄う
「裏窓」 は何度聴いたか知れやしない。19歳の時、金沢で一面識もない人
の所へ転がり込んだ。その居候先の主が浅川マキのファンで、全てのLPを揃えて持っていた。
主不在の部屋で来る日も来る日も繰り返し 浅川マキばかり聴いて過ごした。
いわば自分にとって再生の音楽だった。
京都に住んでいた頃は、知り合いの K さんが定期的にマキさんのライブを企画していたので
何度も マキさんの生の声 を聴く機会に恵まれた。
そして心から思う。浅川マキという歌い手と同じ時代に生きて幸運だった と。
映画ファンなら
「裏窓」 といったら、
アルフレッド・ヒッチコック である。1954年の作品。
ニューヨークの下町にある高層アパートの向かいの部屋を、カメラマンが退屈しのぎに望遠
レンズを使って覗き見ることに夢中になる。そんなある日、そのレンズの中で事件が起こる。
観客もカメラマンと一緒に覗きをする仕掛けになっている。超一流のサスペンスで傑作だった。
そういえば、
寺山修司 は路地を徘徊中に 他人の家を覗いていて逮捕されたことがある。
この〈覗く〉という行為は、物事に興味を持って観察する行為と紙一重であり、何物であっても
覗いてみたいと思う心境はよく解る。私も日常生活の中で、犯罪スレスレのことをしているやも
知れない。犯罪人の有資格者ということか?