23日、糸満市摩文仁の平和祈念公園で行われた「沖縄全戦没者追悼式」で、浦添市の中学3年生・相良倫子さんが「生きる」と題した詩を朗読した。
この聡明で澄んだ眼差しの少女は、手元の原稿にほとんど目を落とすことなく、会場の参列者へ語りかけるように、自らの思いを言葉にして伝えた。
彼女の詩を一部引用させてもらう
私は、今を生きている。/みんなと一緒に。/そして、これからも生きていく。/一日一日を大切に。/平和を想って。平和を祈って。/なぜなら、未来は、/この瞬間の延長線上にあるからだ。/つまり、未来は、今なんだ。
禿頭爺はこれまで、「今」はこの瞬間に「過去」となっていく、という概念がいつも頭の中を占めていたから、彼女の詩にある「つまり、未来は、今なんだ」に、はっとさせられた。確かに私たちは、常に未来を生きている。未来は遠いところにあるのでなく、「この瞬間の延長線上にある」のだ。
追悼式で毎年、美しい少女が詩を朗読するのは、ある種の演出的効果を狙ってのことかもしれない。確かに、いちいち胸を震わすジジイがここにもいる。
彼女は選ばれた一人であり、沖縄の子どもたちが皆、問題意識を抱えているわけでもない。沖縄戦のことを知らない子どもが増えていることも現実らしい。
たとえそうであっても、彼女はしっかりと自分の言葉で、平和の大切さを訴え「今を生きていく」と声に出した。ここに大人の事情が入り込む余地はなく、疑いようもない等身大の相良倫子さんだった。
沖縄の洋上に米軍F‐15戦闘機が墜落した件で、日本政府は「米軍に飛行中止を申し入れた」と国会で答弁したが、在日米軍司令部は「そのような要請を受け取っていない」と否定した。実際、訓練はすぐに再開されている。
こんな風に日本政府は、体面を保つために自国民を欺き続けている。これまでもずっとそうだった。こんなことが罷り通っている世の中なんて。
先月上旬に読んだ、米澤穂信『王とサーカス』の中にあった、ネパール軍准尉の言葉「自分にふりかかることのない惨劇は、この上もなく刺激的な娯楽だ」が頭をよぎる。