「車蛍孫雪」は中国の故事からいただいた。ともに貧しい家庭に生まれながら、車胤は蛍を集めた光で、孫康は月光が雪を照らした明かりで、書を読み勉学に励んだ出世譚である。
卒業式の定番ソング「蛍の光」がこれ。 ♪ 蛍の光窓の雪 書読む月日重ねつつ~ ♪ と歌った。
原曲はスコットランド民謡で、かの地では大晦日のカウントダウン時に歌うことを映画で知った。
連れ合いが還暦同窓会の世話役をしていて、探偵よろしく住所録作成に取り組んでいる。
このほど卒業時338人の大半の連絡先が判明したので、手書きからパソコンへ打ち直す作業を、お安い御用と引き受けた。
少子化により統合されてしまった高校であるが、当時は普通科4クラス176人と商業科4クラス162人、1学年にこれだけの生徒が在籍していたのだ。
振り返れば、小学校はとうの昔になくなった。中学校は新築され昔の面影はどこにもないし廃校も近い。校名が変わった高校といい、「蛍雪」時代を偲ぶよすがが失われてしまっている。
といっても勉学に励んだわけでないから、偲ぶべき蛍雪はもとよりなかったか。
名前、住所のほかに出身地の欄があって、今にして知ることになるが、ずいぶん遠方から通学(または学校近くに下宿)していた生徒が、思っていたより多かった。毎日巡航船に揺られていた能天気な高校生は、だれがどこからどんな思いで学校へ来ていたのか、考えることすらしなかったのだ。土地勘が身についた今だからこそ、地名を聞けばどんなところか頭に浮かぶが、当時は地名を耳にしても知らない所だらけだった。
また現住所を見ても、「あれぇここにおったんかいな」「なんや近くに住んでたやん」「うわぁえらい遠くやな」などと、いちいち反応してしまう。
そして物故者が18人。
さて校正しようと出してきたのが、卒業アルバム。クラスごとに名前と顔写真が並んでいる。
町の写真屋さんが撮った42年前の高校生である。みんなすました顔で写っている。
意外に整った顔立ちが多かったのだと改めて知った。42年後、かつての美少年、美少女がどんな風に変わったのか、ひとりずつ確かめてみたいけど、やめたほうがええやろか。