立春も啓蟄もとうに過ぎたのに、今朝は今シーズン一番の冷え込みとなった。本来なら桜が開花してもいい時季に、なんちゅうザマや。北の地方は猛吹雪で怖ろしい事態になっている。
さて、先日連れ合いが追いついてきて、わが家は目出度く還暦家族となった。
互いに身体の衰えを自覚するたび、年齢にその因を求めて「しゃあないなぁ」となるのを常としているが、避けられない老化を面白がるくらいの気概は持っていたいと思う。
「あと10年くらいは生きたいな」「それは古来稀なる長生きや、充分楽しい人生やったからいつ死んでもええ」と会話を交わす、朝の時間(夜でも構わないが)こそ大切にしていきたい。
と、ここで「人生のロスタイムに入ったんやな」と唐突に思いが巡った。或いは延長戦か?
1トライ1ゴールで7点が追加されるラグビーでは、ロスタイムで劇的な逆転がしばしば起こるから、最後まで目が離せないし、観戦の醍醐味でもある。
7日に今季が始まったばかりのサッカーでも、テレビ観戦したガンバ大阪とFC東京の試合でロスタイム(アディショナルタイム=追加時間)に東京の武藤選手がシュートを決めて引き分けた。
もっとも人生のロスタイム又は延長戦で、こうした逆転劇はあまり期待できない。
日々失われていく体力と気力、赤瀬川原平さん曰く「老人力がついてくる」というのは、残された時間に足し算はなく引き算ばかり、と知ることかもしれない。
今日は4年目の「3.11」になる。新聞に「避難生活23万人」と出ていた。信じ難い数字である。
復興は「目に見える形」を優先するあまり、大型工事ばかりで住民は置き去りにされたままだ。
この国は、表面だけ取り繕った神戸での愚を東北でも繰り返そうとしている。
原発事故を起こした東電は、リスク管理を怠った責任を今に至るも問われないままで、相変わらず汚染水を流し続けている。政府の態度は事故はなかったことにしたいのが透けて見える。
「死の町」となってしまった所に住んでいた人びとは、棄民に等しい扱いである。
ここへきて、タイトルを「ロストワールド」としてもよかったと気付いたが、余白が少なくなった。
失われていく世界は、もう取り戻せないのか。光明は見出せない。