目は口ほどにものを言う、耳は目ほどにものを覚える。
前者の格言を、個人的な実感で勝手に言い換えた。
何年かぶりで会った人の顔を見ても思い出せなかった名前が、声を聞いたとたんに思い出す。何十年かぶりにかかってきた電話の声で、それまで思い出したこともなかった人とその時代にタイムスリップする。どちらも経験があって、耳の記憶のよさに恐れ入ったのを覚えている。
耳が仕事を怠けだしてから、前ほど音楽を聴かなくなった。もちろん年齢的に音楽への欲求が少なくなったのもあるけど、所有するCDの音が(再生機器の違いを別にしても)微妙に違って聞こえるのが要因の一つでもある。聞き取れる音と聞き取れない音にバラツキがあるのだ。
そんな不揃いな聞こえの耳でも許容できる楽しみを最近見つけた。パソコンの蜘蛛の巣の中で巣くうYouTubeというやつだ。ここで古い音楽(生まれる前を中心に)をよく聴いている。
もとより録音がよいとは言えないし、パソコンのスピーカーで聞く環境だから、音質には目をつぶるのが前提である。近ごろ、これにすっかりはまっている。
そこで数日前、一世を風靡した「学園ソング」に行き当たった。『高校三年生』『修学旅行』『学園広場』『仲間たち』『君たちがいて僕がいた』など、一緒に歌えるほどよく覚えていた。当時はまだ小学生だったが、高校生になると歌のような世界が待っていると信じて憧れたものだ。
そして高校生になってどうだったのか、実はよく覚えていない。今や同級生からあんなことがあった、こんなことがあった、と言われてやっと思い出す有様で、中には思い出せないこともある。
良くも悪くも現実の時間を生きたのやし、ええことだけ覚えてればええんや、と今やから言える。
懐かしい高校生時代も遠くなり、還暦の同窓会を開く年齢になってしまった。
連れ合いは世話役を引き受けて忙しくなりそうだ。禿頭ジジイはパソコンの前で甘美な思い出(なかったとしても)に浸っているとしよう。