「は」「は?」「はて?」「果て」「はてるま」「波照間」・・・連れ合いとの会話の一部、単語だけ並べてみた。今回のタイトルに「波照間があるよ」と、昨日の夜のこと。
たしかに「果て」まで行ってみたい「果て欲」が人一倍強いかもしれない。北端・宗谷岬、東端・納沙布岬は行ったので、あと西端・与那国島の西崎と南端・波照間島の高那崎へ立ってみたいささやかな願いは先延ばししたままだ。「波照間」のタイトルも残しておこうと思う。
そこで、昨日は「立春」だったから、お題にいただいた。暦の上で春の始まりとされる。旧暦では立春が新年の始まりとなっていた(らしい)。ただし今年の旧1月1日は「雨水」の19日で、ちょうど半月分ずれている。そう、昨晩はあいにくの雨で見えなかったが満月だった。
立春の前日は「節分」。太巻き寿司をほうばりながら、節分には邪気除けのために柊と鰯の頭を玄関に挿しておく風習が島ではあったが、連れ合いの住む本土側ではなかったという話が出た。そうした習慣も受け継がれなくなってきているなぁ、と嘆息する当の本人も、大坂商人の「恵方巻き」だけで節分をやり過ごしているから世話はない。
と、ここで合点がいった。島の須江地区で大晦日の夜に豆撒きをしているのは、旧暦で節分は大晦日になるからや。新暦へ改暦したときに、豆撒きは立春(正月)の前日である「大晦日」の行事だと律儀に考えたのが須江の人らやったんやな。これでつじつまが合った。やれやれ。
彼らにとっては、われこそ正当な継承者であるぞ、ということやろ。うん、それもええ。
暦が季節を決めるわけではないが、梅の花が咲き出したそうだ。となると杉の花粉もやってくる。草花が芽吹き、山野の化粧直しで周りの景色が明るく華やかになる季節なのに、憂鬱な気分とは皮肉なものだ。その兆候は徐々に表れて来ている。1年の3分の1もの間、マスクとティッシュが手放せないなんて理不尽この上ない。やれやれ(情けないほうの)。
今日は各地で大雪の注意を気象情報が伝えていた。本州の南の果ての地ではどんよりと曇って、時おり小雨がぱらついている。気分も鬱陶しい天気そのまま、沈んだところから浮かび上がれない。ここでもだらだらと文字を連ねるだけで中味は空っぽ。まあ、こんな日もあっていい。