雨がない、とボヤいてたらいきなり台風を寄越すとは、お天道さんも落ち着きがなさ過ぎや。ほどほどに恵みの雨を降らせてくれたらええのに集中豪雨やなんて、ほんま意地悪やで。
だらだらと変化のない生活を繰り返しているせいで、この場の文字を埋めるネタも尽きてしまいそうになる。ようするに頭の働きが鈍くなってきているということか。今回も苦し紛れ。
タイトルの「二番煎じ」は、上方落語から借りた。季節外れであるがおつきあい。
火事が多かった江戸時代、町内で「火の用心」を交替で回ることになった。番小屋では持ち寄った酒と肴で宴会が始まる。時には喧嘩・刃傷沙汰もあり「番小屋で酒は一切ご法度」となった。それでも「風邪薬」と称して持ち込み、猪鍋や焼き豆腐をあてに酒盛りを始めたところへ役人がやってきた。徳利の中味を問われて「風邪薬」だというと、役人は風邪気味だから風邪薬をもらおうと全部飲んでしまう。風邪薬がなくなったと聞いた役人は「町内を一回りしてくるから二番煎じ出しておけ」でサゲとなる。
仏教「五戒」の一つ「不飲酒戒」があっても、知恵の授かる湯として「般若湯」を寺へ持ち込んで飲んでいたのは生臭坊主。適量ならば「百薬の長」というくらい薬にも勝る飲物だが、適量で収まらなくてしばしば問題を起こすのもこの飲物である。
先日、連れ合いが姪っ子の舞台を観に(というよりも1歳の赤ん坊と足元の覚束ないばあさんの世話をサポートするのが主目的)出かけ、夕食を料亭でお呼ばれしたものの久しぶりに飲んだ酒で気分が悪くなり、せっかくのご馳走を目の前にしながらあまり食べられなかったそうだ。
アルコールを一切飲まない小生に合わせ、飲んでいなかったせいで弱くなってしまったのかもしれない。まことに申し訳ないことである。甘い物には目がないのに、食後のデザートも口にできず義兄に食べられてしまったのは、さぞ悔しかっただろう。
「風邪薬」「般若湯」「百薬の長」と、呼び名は変われど「魔法の飲物」には違いない。「飲まないと人生の半分を損したと同じ」とはむべなるかな。それでも欲のない小生は素通りしてきた。