事故を起こした原発周辺の放射性物質を除去する作業の中で、手抜きが横行していることが明るみになっている。案の定である。やるせない思いだ。
前にここで書いたとおり、小生はそもそも除染には懐疑的だった。どう考えても現実的でないのは自明である。半減期が数十年から数万年といわれる放射性物質を取り除くなんてできるはずもなく、「除染」といっても「場所を移す」作業に過ぎないからだ。
元の土地へ帰りたい、という避難者の気持ちに何とか応えたい「情」が「理」より優先された結果が「除染」作業なのか。はて、これまでお上が民心に寄り添ったことなんてなかったぞ。
とどのつまり、これは原発事故の責任をうやむやにし、事故の影響を曖昧にしようとする「ムラ」の都合でしかない。事故を起こした東電は賠償金すらまともに払おうとしていないではないか。
国は「除染」のために莫大な予算を計上し、ゼネコンに発注する。作業工程は現場を知らない役人が作るものだから、実際の作業に即しないこと甚だしい。何層にも重なる下請け構造の中で、危険手当をも受け取れない安い日当で働く現場の作業員は、それでもなんとか工夫をして作業する。ところが会社は納期とそろばん勘定しか頭にないから、丁寧な作業を嫌い手抜きを指示する。こうしたやり方は今回に限らず長年に亘ってさまざまな現場で行なわれ、野放し状態のままなのである。
いつもどおり環境省はおざなりな調査結果と再発防止策でお茶を濁して、こんな重大な問題に正面から向き合おうとしていない。はなから本気で除染をやるつもりがないのは明白だ。あらかじめ決めておいた測定地点周辺の放射性物質を他へ移して、数値が下がったから大丈夫とする出鱈目を目論んでいるのだ。真に犯罪的である。
たとえば、6500億円あれば6万5千人の避難者へ1人1千万円ずつ生活再建資金として渡せた。新しい地で再出発するもよし、元の土地を自分たちで除染するもよし、少なくともゼネコンを儲けさすだけで効果のない「除染」よりは、まっとうなお金の使い方となったに違いない。
政権交代で「コンクリートから人へ」「最小不幸社会」と国のかたちを変える試みは失敗し、また「人間を幸福にしないシステム」へと戻ってしまった。あくどいやり方が野放しとなって蔓延っている。