歌舞伎役者の中村勘三郎が、5日に亡くなった。
伝統芸能の世界のみならず、演劇界全体にとって大きな損失であることは、彼を知る人ほど強く感じていることだろう。同世代のトップランナーのひとりだった。
「中村屋の若旦那」の業績は、田舎者の禿頭がわざわざ取り上げるまでもなく、数々のメディアが「追悼」という形でその役を果たしてくれるはずだ。
ある一時期、歌舞伎芝居の裏方として何度もその舞台を見る機会を得た立場から、舞台上の艶姿、舞台袖、そして楽屋で見かけた素顔を思い出し、「悼む人」の真似事でもしてみたい。
一番印象にあるのは、『春興鏡獅子』で大奥の小姓から獅子の精へ早替りの場面、化粧前に貼った祖父である6代目尾上菊五郎の写真を手本に早業で化粧をし直していた姿だ。化粧をしながらも付き人へ次々と指示を出し、段取りの確認をするなど、常に舞台全体に気を配っていた。
歌舞伎は座頭が演出家を兼ね、また役者が代々家に伝わっている「型」によって自らを演出する。
彼は芝居が進行中であっても、舞台袖へ引っ込むと共演者へ「あそこはもうちょっとこうした方がいいよ」と、科白の言い回しや所作を教えたり、「あそこの間合い良かったよ。あの間を忘れないで」と、褒めてその気にさせるなど、とにかくじっとしていないし気を抜かない。
きっぷのよさと面倒見のよさはイメージ通りだし、八面六臂の活躍は、いつ休んでいるんやろと心配になるほどパワフルだった。
華がある舞台を眩しく見ながら、この役者は間違いなく歌舞伎界を背負って立つ大立者になる、「6代目」といえば6代目菊五郎、「9代目」といえば9代目団十郎、というように「18代目」と呼ばれ歴史に残る存在になる、そんな役者をリアルタイムで見ているんや、と思っていた。
「突発性難聴」に続いて「食道がん」に侵され、とうとう舞台復帰は叶わなかった。
歴史に語り継がれるべき役者が、生き急いだ伝説の役者になってしまった。
ここはひとつ「中村屋!」「18代目!」と大向こうを掛けて悼むことにしよう。