「塗炭の苦しみ」に遭っているのは、言うまでもなく地震、津波、原発事故の三重苦を強いられている、東北地方の人びとである。
こんな時のためにと、日ごろからせっせと税金を納めていたのに、なかなか援助の手を差し伸べてくれない行政の体たらくは、傷口に塩を塗り込むかのような仕打ちだ。
それでも生きていかねばならない、と気力を振り絞って再建のために立ち上がり動き出した人がいる一方、まだ絶望から抜けきれない人も。
それぞれさまざまな事情や条件があって被災者の中でも温度差ができるのは無理もない。
問題は、それまで生活していた所へ戻るに戻れない人たちだ。
①警戒区域=福島第一原発から半径20㌔圏内。原則立ち入り禁止。対象人口約7万5千人。
②緊急時避難準備区域=20~30㌔圏内。屋内退避や避難の準備。対象人口約5万9千人。
③計画的避難区域=警戒区域外で年間積算放射線量が20㍉シーベルト超。対象人口約1万人。
①の市町村に住んでいた人は、ある日突然時間を止められて、何もかもを奪われてしまった。
もう二度とその地へ帰ることができないかもしれない。
町や村は4ヵ月前と同じまま、そこにあるのに人の姿だけが見えない。
死んだ町、失われた町、あるのにない町になってしまった。
30数年前、紀伊半島にも原発建設計画があったそうだ。
田舎を出ていたから詳しいことはわからないが、漁民らの反対で計画を撤回させたという。
調べてみると建設候補地から半径10㌔線上に生まれ育った樫野が位置する。
ここ潮岬は半径20㌔圏内、警戒区域に該当している。
もし、原発が出来ていて事故を起こしたとしたら、どんな気持ちでいられるだろう。
10万人を超える人びとが放射能災厄から避難した。先の見えない逃避行だ。
福島県の浜通り付近は子どもが住めなくなってしまった。
この異常な事態は、「節電」がどうのこうのとキャンペーンで誤魔化してるレベルやないぞ。