発端は昨年12月17日、一人の青年が焼身自殺を図ったことだった。
彼は失業したため生活の手段として道端で野菜を売ろうとしたところ警察に止められた。
独裁体制による「警察国家」へ対する抗議の自死(彼は1月4日に病院で死亡した)だという。
青年の友人が怒りのデモを始めたのがきっかけだったそうだ。
北アフリカ・チュニジアで23年に及ぶ強権支配を続けていたベンアリ大統領は14日、民衆革命によって国外へ逃亡した。
政権崩壊への強力な武器となったのはインターネット上のソーシャルメディアだった。
秘密警察監視下で言論の自由が制限されていたにもかかわらず、各地で連鎖反応的に広がるデモの状況は、ツイッターやフェイスブックを通じて情報が共有され、国内そして世界へリアルタイムで発信された。
チュニジアは紀元前の古代都市国家「カルタゴ」があったところ。
ジャズのスタンダード・ナンバー「チュニジアの夜」はディジー・ガレスピーの名曲だ。
1956年独立以来、2代にわたる大統領の専制体制に民衆の怒りは圧倒的な力となって、大規模な反政府デモを引き起こした。
このたび大きな役割を果たしたのは、個人が不特定多数へ瞬時に発信できる最新の情報ツール。
体制の影響下にあって、情報を操作することで国民の意識管理へ加担するマスメディアと違い、インターネットは今起きていることがリアルに伝わる当事者のメディアである。
例えば江戸時代、幕藩体制と身分制度に苦しめられた民衆はたびたび一揆を起こすが、情報を伝える手段を持たなかったため孤立し、大きな動きにならないまま押さえつけられてきた。
40年前はビラやタテ看が活躍した。そして今、若者の手には携帯情報端末がある。
こんなブログは誰も読んでくれてないけど声を大にして言いたい、「君ら、ゲームばかりしてる場合やないぞ!将来に夢も希望も持てなくなった社会を作ってきた奴等に怒りをもたんかい!その手にある武器を使って怒りを力に結集し、闘わなあかんのとちがうか」。