16年目の1.17。
あれから毎年1月17日は、その時間がくる前に目が覚める。
あの日もそうだった。底冷えのする京都で寒さに目覚め、窓からまだ明けやらぬ東の空をぼんやりと見ていたら、それはやってきた。
11階建て公団住宅の10階にある部屋は、縦にズンと突き上げる衝撃のあと一呼吸置いて横に大きく揺れた。船上で大きな波を受けたときのように、何かにつかまっていないと立っていることもできなかった。
何年経とうが身体に刻み込まれた記憶は失われることはない。前日に見た不思議な雲とともに。
その後、足を踏み入れた神戸の街は凄まじかった。家は潰れ、ビルは倒れ、高速道路は千切れている。そこで時間が止まっていた。
テレビの映像や新聞の写真が伝えるのは単なる点でしかないことを実感した。
倒壊した現場は延々と続き、目にした光景は街そのものが崩壊している姿だった。
そう、あの年は京都に住んでいた。
大阪市、東大阪市と移り、串本町内でも田原、大島、樫野、潮岬と転々としている。
「一所不住」。なかなか定住できない。
6年前に病気をしてからまともに働いていないような気がする。世間の常識ではとうに生活は破綻、倒壊しているはずだ。
こんな輩でもなんとか生きてこれたのは連れ合いや友人、知人に恵まれたおかげ、といつになく殊勝なのは、あの地震で亡くなった約6500人の一人になれなかったという当時の気持ちを思い出すから。
この地でも近い将来、必ず大地震が起きるといわれている。
気象庁によると30年以内の発生確率は東海地震87%、東南海地震60%、南海地震50%。
震度6以上の地震がくる確率は26~100%、震度5弱以上は100%だ。