今日のタイトルは女性飛行家の草分けであった、アン・モロウ・リンドバーグが離島滞在中に書いたという、静かで美しい言葉に満ちた本の題名からいただいた。
小生が生まれ育ったのも離島である。
島には海からさまざまな恵みがもたらされ、それらの贈り物によって人びとは生活を営んできた。
一方で、島を臨む海域は海上交通の要所であり、また難所でもあった。
さて、この島は2つの出来事で歴史に名を刻むことになる。
1791年、ジョン・ケンドリック率いるアメリカの商船、レディ・ワシントン号とグレース号が中国貿易の帰路に島(樫野)へ上陸し、水や薪を求めた。これが公文書に記録された、歴史上初めての日米接触となった。ペリー来航より62年前のことだ。
1890年、トルコ軍艦エルトゥールル号が樫野崎沖で遭難して587人(人数には諸説あり)の乗組員が異国の海に散った。このとき、地元住民の献身的な救助活動によって69人の命が助かった。これが日ト友好の原点となった。
実は、この2つの出来事に連れ合いの先祖がかかわっていた。
レディ・ワシントン号の時は通訳のひとりだったし、エルトゥールル号の時は怪我人を手当てした医師だった。歴史を調べてみると(調べたのは連れ合いだが)面白い事実が明らかになる。
リンドバーグ夫妻も、千島列島沖で飛行不能になり海上に不時着した時、漁民に救出され手厚くもてなされたことがあったそうだ。
日ト友好がかまびすしい町で、この夏もトルコ海軍を迎えて慰霊祭が行なわれた。
わからないのは、なぜ町は他国の軍隊の都合に合わせて(遭難は9月)大々的な慰霊祭をしたのか、ということだ。軍隊とは友好親善とはもっとも遠い活動をする組織である。それに、日ト友好の原点となった主体はあくまでも助けた民間人であって、たまたま助けられた軍人ではない。ましてや夏休み中の小学生まで引っ張り出して「追悼歌」を歌わせるとは、どういう了見なのか。
せっかく穏やかに始まったのに、最後にまた熱くなってしまった。室温33度の暑さのせい、とでもしておこう。