一所不住



奄美の島唄

ここ数年来 一番多く聴いているのは、奄美の民謡(島唄)であろう。
その頻度は、耳のアクシデント以前も 以後も変わらない。
中でも、船大工で 唄者として第一人者の 坪山豊 を贔屓にしている。

沖縄の島唄、とりわけ八重山民謡が好きで よく聴いていた私に、奄美出身の友だちが
「奄美の島唄もいいから、聴いてみてよぅ。」と薦めてくれたのが きっかけだった。
一度聴いて すっかり虜となってしまってからは、名瀬市にある発売元へせっせと注文を
出し、CDを購入していった。

その中に、高校生の元ちとせが唄う 「故郷(シマ)・美(キヨ)ら・思(ウム)い」 があった。
お気に入りの一枚である。
奄美島唄の次代を担う存在として 期待を一身に集める若手唄者であった。

彼女は 商業音楽の方へ進み、成功を収めた。
民謡ファンとしては 複雑だったが、音楽活動のスタンスがしっかりとしており 丁寧な
音作りへの姿勢には 好感が持てる。
より多くの人々に 彼女の声が届いて良かった。

今も島唄を聴きながら、キーボードを叩いている。
地元「串本節」の いい歌い手が現れないものか。
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# by rurou-no | 2006-11-02 12:57 | 音楽

元気を出すには、チャーリー・パーカー

色んな音楽の聴き方があると思うし、人それぞれ どんな聴き方をしてもいいと思う。

チャーリー・パーカーは 元気の素になっていた。
その超絶的なアルトサックスの演奏は、「バップ革命」と呼ばれるほど 音楽の概念を
変えるものであった。
こちらはただ、その音の中に身を預けていればよい。
そうすれば、体の細胞の一つ一つが解放されていく。

疲れている時、気持ちが沈んでいる時にパーカーを聴くと 気力を取り戻す。
元気な時は、ますますハイテンションになるから ほどほどに。
20代のころから、いつしか習慣になっていた。

静かな夜を過ごしたいなら、セロ二アス・モンクかマル・ウォルドロンのピアノがいい。
気分がいいと、ジョン・コルトレーンやチャーリー・クリスチャン。
ベニー・グッドマンなら もっとご機嫌になるだろう。

要は いい音楽さえそばにあれば、幸せになれるってこと。
その自分にとってのいい音楽を 見つけられるかどうかが鍵になる。
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# by rurou-no | 2006-11-01 13:07 | 音楽

バランスが

退院して我が家へ帰り、真っ先にしたことは 音楽を聴くことだった。
もちろんその時は 何も聞こえないのは承知の上でだ。

まず、アンプのスイッチをオンにして真空管を暖める。次はLPレコードを
ターンテーブルへ載せる。そして針を落とす。
ベッシー・スミスの掠れた声が流れてくる。振動が皮膚を通して伝わる。
2枚目は、ビリー・ホリディ。そのあとはマイルス・デイビス。
そうして、日が暮れて辺りが暗くなってからも スピーカーの前から動かずに
ずっと音楽を聴いていた。


やがて、少しづつ聞こえるようになってから あることに気がついた。
聞こえる周波帯が アンバランスなのだ。
音が満遍なく耳へ入ってくるのでなく、聞こえる音と聞こえない音にばらつきがある。
その結果、どうなったか
ジャズは 録音状態の悪い古いレコードを聴いているような 妙な効果で何とかクリア。
クラシックは いただけない。音がバラバラになり、とても聴いていられなかった。

いつも身近に音楽があった。
小さいころ ラジオで軽音楽として紹介されていた洋楽に惹かれた。
今にして思うと それはジャズであり、タンゴであり、シャンソンであった。

三つ子の魂はシツコイ。
音を楽しめないなんて、了見が許さないのだ。
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# by rurou-no | 2006-10-31 16:13 | 病気

鳥の歌

3ヶ月余の入院・通院治療の甲斐があったのかどうか、どうやら〈途中まで回復〉組
へ入ったようだ。

現実の音を 再び認識したのは、鳥の声だった。
近くの生駒山へ足を踏み入れて、山の精気を全身で感じ 受け止めている時に
鳥の声がした。確かに聞こえた。
その種類は判別できないが、次から次と聞こえてくる。今度こそ幻聴ではない。
山の精が歓迎してくれている。

そのとき、口をついて出たのは 何故かカタロニア民謡「鳥の歌」。
偉大なるチェリスト パブロ・カザルスが演奏して有名になった曲だ。
彼が生まれたスペインのカタルーニャ地方は、ダリミロ そしてガウディ
出身地でもある。

夢に見た彼の地へ行った時、フォークダンス「サルダーニャ」を踊る人々と出会った。
バルセロナの中心にある カテドラル前広場で、毎週日曜日に集まっているそうだ。
生バンドが演奏する音楽に合わせて、実に楽しそうに踊っていた。

海のそばにあるダリの「卵の家」 丘の上には「ミロ美術館」 ガウディの「グエル公園」
山の中を歩きながら 連想ゲームのように、色んなことを思い出していく。
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# by rurou-no | 2006-10-30 11:51 | 病気

入院生活 三題

その1 〔腕の穴〕
     ひとつ、またひとつと 腕に開けられた穴の数が増えていく。
     点滴のたびに針で刺されて 穴だらけになった左腕を見て考える。
     この穴が 体の通気孔であったなら、さぞや風通しが良くなったやろ と。
     皮膚呼吸がしやすくなったやろけど、過呼吸症にならへんかなぁ とか、
     アホなことばかり 思いつく。

その2 〔副作用〕
     昔から 薬の類は一切飲まない生活をしていた。
     それが急に ステロイドの点滴やら、4種類の薬の服用やらで 体が悲鳴を
     あげ出した。動悸、めまい、湿疹、高血圧、胃痛、頭痛、むかつき、疲労、等
     体調不良のオンパレード。

その3 〔夕焼け〕
     毎日、病院の10階にある食堂兼休憩室から 大阪市内のビルの谷間に
     沈む夕日を見るのが 日課になっていた。
     釣瓶落としの秋の日は、日一日と沈むビルを移りながら 足早に冬へ向かう。
     入り日を眺め、我が人生も落日に近づいているのか などと感傷に浸ったり
     するなんてことはなく、退屈をエンジョイしているから始末が悪い。
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# by rurou-no | 2006-10-29 11:36 | 病気

祭り囃子とロシア民謡

最初に聞こえてきたのが 祭り囃子。
子どものころ耳にした 懐かしい祭りの太鼓の音がしてきた。
やっぱり、太鼓の音は聞こえるんや と嬉しくなった。
というのも、手話を習っていた頃に知り合った 生まれつき聞こえない友人から
「何も聞こえないわけやなくて、太鼓の音なんかは聞こえるよ。」と聞いたことが
あったからだ。

近所の神社で お祭りの稽古でもしてるのかと聞いていたが、いつまでたっても
終わらない。夜10時を過ぎても 相変わらず続いてる。12時を過ぎたころにやっと
それが幻聴であることに気がついた。

次に聞こえたのが、ロシア民謡を歌う 男声合唱団。
繰り返し、繰り返し ユニゾンの歌声が続く。
この時には、すでに疑い深くなっていたから 冷静に回りを確認した。幻聴だ。

耳が、古い記憶を呼び起こそうとしているのか?
祭り囃子とロシア民謡、この妙な取り合わせが楽しくなってきた。

これがもし、DNAに刻まれていたものが現出したと仮定したら ルーツは北方かも
知れない などと空想してみる。
自分では 寒いより暑い方が平気だから、南方系だと勝手に思っていたけど。
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# by rurou-no | 2006-10-28 13:04 | 病気

音のない世界

ちょうど2年前、2004年10月27日 聴力を失った。
正しくは、シャ------- という砂嵐のノイズが 途切れることなく鳴っている。
この2年間は、たとえ1秒といえども止むことがない。
うるさいこと甚だしい。

左の耳が 原因不明の突発性難聴になり、右の耳がもともと聞こえなかったのもあって
身の回りから、耳鳴り以外の音が消えてしまった。
病院の医師は、「確かな治療法はステロイドの大量注入しかありません。」「元のように
聞こえるようになるのは 3人に1人、途中まで回復するのが 3人に1人、残りの1人は
聞こえないままです。」「一刻を争います。今からすぐ、入院してください。」

筆談でのやり取り、毎日3時間の点滴、生活が一変してしまった。
生活音が全くしないというのは なんとも頼りないものだ。たとえば机の上にペンを置くと
する、机の上に手でペンを置こうとしているのを 目で確認する、さらに机とペンが接した
時に発する音で 確かに置いたと安心する。普段は無意識にしていた作業でも それを
しなくなると 途端に不安になる。蛇口をひねって水を出す、確かに水は出ているのに、
水の音が聞こえないと 目で見えている方を疑いたくなる。

日常の何気ないことが、何事も新鮮で面白くなってきた。
新しい世界の発見だった。
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# by rurou-no | 2006-10-27 14:59 | 病気

20世紀舞踊団

鬼才モーリス・ベジャールが かつて率いていた20世紀舞踊団に
今は亡き天才ダンサー ジョルグ・ドン(ジョルジュ・ドン)がいた。

ある日、友人の部屋で、目にした「アサヒグラフ」の一枚の写真に えもいわれぬ
衝撃を受けた。
左手を上へ突き上げ、顔も視線も同じ方 手の先に延びる遠くを向いている。
雑誌に印刷された写真からでもありありと伝わってくる 情熱とエネルギーの強さに、
その写真を見たまま しばらく動くことができなかった。
ジョルグ・ドンの上半身を捉えた 舞台写真だった。

20世紀舞踊団の来日公演は、
78年 「火の鳥」「ペトルーシュカ」  82年 「エロスタナトス」 2度、目撃している。
白眉は クロード・ルルーシュによって、81年に映画化された 「ボレロ」 
ジョルグ・ドンの至高のダンスが、映像で記録されている。

もともと踊りは好きな方だったが、単に楽しみとしてのそれではなく 身体の動きで 
表現し、それを芸術まで高めるダンスというものに触れた これが最初だったのかも
知れない。

コンテンポラリー・ダンスの現場での仕事を 生業とするようになったのは
ここらへんからなのだと思う。
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# by rurou-no | 2006-10-24 14:13 | 演劇・ダンス

十九歳の地図

佐藤春夫 有吉佐和子 とともに、和歌山県出身の 代表的な作家として
中上健次がいる。
彼の初期の作品 「十九歳の地図」は 後に、柳町光男監督 本間優二主演 
で映画化された。

19歳の時、東京で この小説の主人公と同じように 新聞配達をしながら 
社会と自分への 不満と鬱屈を抱えて、悶々たる日々を送っていた。
いつしか 大学とは逆方向の電車に乗り、銀座並木座や池袋文芸座などの
名画座へ通いつめるようになった。
映画館が自分にとっての居場所であり、学校だった。

そして、出奔を実行する。
ニセの脅迫電話をかけるのでなく、現実逃避をするしか出来なかった。

地図を広げて、逃げ場所を探す。安住の地など 何処にもないのが 
分かっていながら、街から街へと流れ歩く。
立ち止まると 自分自身が壊れてしまいそうな恐怖心に 追われていた。

根無し草として、放浪の始まりである。
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# by rurou-no | 2006-10-22 17:48

十八番 〔地歌舞〕

地歌舞とは
室町時代、観阿弥と世阿弥によって形作られた の影響を受けつつ、
江戸時代後期(19世紀初頭)に 成立したもの。御殿舞 座敷舞などからなる。
最も古い三味線音楽として、検校(最高位の盲人演奏家)により 伝えられてきた、
地歌の弾き語りに合わせて 舞う。

長い間、京阪では 年頃の子女の嗜みとして 地歌舞が習われてきた。
谷崎潤一郎の 「細雪」 でも、山村流を稽古する いとさんの描写がある。

一般的に日本舞踊といわれる 歌舞伎舞踊が、派手な動きで見せる要素が強いのに対し
地歌舞は、「動かずに舞うべし」との口伝があるように 静止した立ち姿が命である。
腰を落とし、真っ直ぐな背骨は天井へ糸で引っ張られている。重心は足先に、前後左右に
やはり見えない糸で引っ張られているため 安定した状態を保つ。
視線は 遙か彼方の見えないものを見る、或いは 自らの後頭部を見る心持。

形から入る踊りと違い、舞は 精神性に重きを置き、心の奥底を表現するものである。
人間の基本的な動作を 抽象化し、内面を 象徴的に振り付けされている。
能に題をとった「本行物」、廓の女性の気持ちを歌った「艶物」、他に「祝儀舞」など。

古澤流は、姫路城御殿舞松本流の流れを汲む。
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# by rurou-no | 2006-10-21 14:27 |


一瞬を、永遠に
S M T W T F S
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