一所不住



ボンテン

この季節になると、11月に突然消えてしまった 友のことを思わずにいられない。
「梵天」を自称していた彼は、大学を中退し ドロップアウトした。

デイジー・ガレスピーが好きで、彼自身もトランペットを吹いた。
ガレスピーと同じように ラッパのところを少し上に曲げた愛用のペットを
いつも手にしていた。

フリースペースを自ら運営するべく、古い家を借りて 活動を始めた矢先だった。
11月の寒い夜、未明に出火した炎は 大きな家を焼き尽くすほど猛威を振るう。
知らせを聞いて 早朝に駆けつけた時には、焼け跡に 燻ぶる煙が立ち昇って
いるだけであった。

その時から、彼は行方不明になったままである。
一方で、身元不明の焼死体が 残されていた。

この2つの事実を 1つのこととして考えたくなかった。
現実を受け入れられなくて、葬儀にも墓参りにも行かないまま 日が過ぎた。

今でも、ある日ひょっこりと 彼が現れそうな気がしてならない。
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# by rurou-no | 2006-11-14 14:01

バクさんの死

2年前、退院したばかりのところへ 友人の死の知らせが入った。
胃がんだった。

初めて会った時、彼はまだサラリーマンをしていて スーツ姿だったのを
覚えている。
私たちが共同で運営していた、フリースペースに 出入りしているうちに
会社を辞め、ドロップアウトしてしまった。

20代のころは よく一緒に遊んだ。
毎年夏になると、富山県の山奥の廃校になった小学校で 子どもたちと
合宿する「野草塾」へ スタッフとして2人で出かけるのが恒例だった。

彼の先祖が 「風の盆」 で有名な、八尾の出だというので 時期はずれの
静かな八尾の町を訪ねたり、演劇祭のシーズンは 世界中から集まる人で
賑わう利賀村へも 時期はずれに出かけ、淋しい山里を歩いたりした。

これまで何人もの 親しい友人の死 に、向き合ってきた。
人間 生きている限りは、死者を見送り続けることから 逃れられない。
どの死も かけがえのないもの。しっかりと受け止めるしかないのだ。
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# by rurou-no | 2006-11-13 16:01

公開自主講座「公害原論」

宇井純さんが 亡くなったそうだ。
60年代より 「公害問題」に取り組み、現在 盛んに言われる「環境問題」の
先鞭をつけた。

彼は常に被害者側の視点から 「公害」が生み出される構造を明らかにして
問題の本質を炙り出した。
事実の隠蔽を謀ろうとする企業や行政、御用学者の嘘を暴き、その反社会的
ともいえる行為を 批判し告発する。

水俣病をはじめとする 数々の「公害」は、その因果関係が解明されているにも
関わらず、企業や行政は、それを認めようとせず 逃げ回るばかりである。
多くの死者や 病気で苦しむ人を出しているのに だ。
その上 国内で「公害問題」が クローズアッップされると、東南アジア諸国に
工場を建設し 「公害」を輸出する愚挙にまで出た。

こうしたことは、いまだに繰り返し行なわれている。

「公害」の学習をしていた者にとって 彼の存在は大きかった。
学者の良心を 身を以って示してくれた。
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# by rurou-no | 2006-11-12 13:37

上方落語

殊のほか 上方落語を愛好する1人である。
大阪に住んでいた頃は、地域寄席の常連であった。

耳が聞こえなくなってから、落語会へ足を運べなくなるのかと思うと 残念で
ならなかった。

子どもの時分から、ラジオやテレビでやっていた 演芸番組が大好きだった。
上方四天王と言われた、松鶴 米朝 文枝(小文枝) 春団治 の大師匠らが
働き盛りで、脂が乗り切っていた頃である。

大阪へ転居してからは、初めの内こそ NGKで吉本の漫才や新喜劇を楽しむ
こともあったが、いつしか地域寄席で 落語を聴くのが定番となっていった。
寄席通いが止められないのは、放送では15分くらいに省略されていた噺が
30~40分、長いのになると1時間を超えて演じられ じっくりと聴けるからに
他ならない。マクラの楽しみもある。
それに古典から創作まで、様々なネタが掛けられる。

少し聞こえるようになるのを待ちかねて、出かけた。
まず、大きなホールでマイクを使った会では 電気機器を介在しているせいか 
聞き取りにくくて 周りの人と一緒に笑えないのが悔しい。
次に行った、小さな会の生の声は 良く聞こえた。
さすがに噺家はプロである。口跡よろしく言葉が明解で聞き取りやすい。

やれやれ と、ひと安心したところで 田舎へ引っ越ししたため
また、寄席通いが出来なくなってしまった。
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# by rurou-no | 2006-11-11 12:29 |

洋画は○ 邦画は△

映画館の音量は大きいので、問題はないかも知れないと 希望的観測の
確認をするため、3ヶ月くらい経ってから 近くの映画館へ出かけた。
邦画2本立を見る。
1本目はシリアスなストーリーの展開で、音は聞こえども台詞は聞き取れず
内容がよく分からないままであった。
2本目は喜劇だったから、台詞は聞き取れなくれも 話の流れは読み取れた。

結局この時に露呈した問題が、今に至るも 変わらず残っている。
相手の声は 音として届いているものの、言葉として内容が掴めないのだ。
人と話をする時は、相手の言葉を聞き取ろうと必死になるので 非常に疲れる。
それに向かい合わないと 声と言葉が届いてこない。
他人同士の会話は、そばにいても聞こえない。
大勢が銘々で喋り合っている場などでは、ただノイズ音が 増大するばかりで
目の前にいる人の声さえ 判らなくなくなる。

誰とも話さないでいられたら 楽なのだけど、社会生活を送っている限りは 
人とのコミュニケーションは欠かせないから 困る。

と、つらつらと不自由なことを 並べてはみたものの、どうにもならない。
洋画は、字幕があるから 殆んど問題はない。
日常会話にも、字幕が付いてたら良かったのに。
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# by rurou-no | 2006-11-10 16:40 | 病気

メタセコイア

昨日は、途中でパソコンのトラブルがあり 最後まで書けなかったので
続きを

十三峠は今では 舗装された道になり、昔日の面影はない。
そこが 十三街道(竜田道)であることを知る手がかりとしては 峠付近に
残る、十三塚の石柱のみ。

業平に倣って、峠道を高安方面へ下ると 突然メタセコイアの大木が現れる。
100万年前には絶滅したと思われていた木が 60年前に中国で発見され、
「生きた化石植物」と呼ばれるようになったそうだ。
今は街路樹や公園、学校などで馴染みのある木となっている。
スギ科の木なので、 花粉症に苦しむ者には 天敵?になるか。

驚くのは その大きさ。堂々として他の木よりも 飛び抜けて大きい。
この時の木は 約30メートルはあった。
そしてなによりも、奔放な枝振りには 圧倒される。整然としたところも、枝が
伸びるリズムすらもなく 勝手気ままに枝を出し、徒に大きくなったかの風。
干渉されたくない、好きにさせてくれ、木の声が聞こえてきそうだ。

その規格外なところが気に入った。
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# by rurou-no | 2006-11-09 13:11

十三峠

十三湖は、坂口安吾「桜の森の満開の下」
この十三峠は、「伊勢物語」で 在原業平が高安の女の所へ通うために
越えたと伝えられている。
また 聖徳太子が法隆寺から四天王寺へ行くのに、通ったとも言われる。

生駒山には、北から 暗峠 鳴川峠 十三峠 と、3つの峠がある。
河内から大和へ(或いは大和から河内へ)と向かうには、これらの峠を
越えなければならない。

療養生活中、生駒の森を縦横無尽に歩き回った。
そして峠に差し掛かるたび、しばしば感傷的な気分になるのが常だった。
自分の身体感覚 時間感覚が、タイムスリップして 昔そこを歩いた人に
乗り移ったような錯覚を覚える。
さては物の怪に化かされたか、軽い目眩で 一瞬我を失う。

と、ここまで書いて いったん送信しようとしたら、エラーになってしまった。
そのあと何度試しても 送信できない。
どうやらパソコンの中にも 物の怪が進入したようだ。
生駒の闇の世界を 覗いてしまった所為かも知れない。
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# by rurou-no | 2006-11-08 19:13 | 病気

コンサート事始め

本格的なコンサートを体験したのは、大人になってからだった。
1975年春、そのころニューヨークで演奏活動をしていた 菊池雅章
日野皓正とともに 帰国コンサート全国ツアーをした。
東風(KOCHI)」のメンバーは、菊池雅章(pf) 日野皓正(tp) 峰厚介(ts)
ジュニ・ブース(b) エリック・グラバット(ds) の5人。
場所は、金沢観光会館。

流されるまま辿り着いたのが、金沢という地方都市。
そこで偶然に、高校の同級生とバッタリ会い たまたま彼が
コンサートのチケットを持っていたので 誘われた。
大ホールの客席 前から2列目中央からやや下手よりの席に着く。 
見上げると、菊池雅章がピアノを弾く指先まで見えた。
30年以上も前のことなのに、そのときの光景が鮮明に瞼に浮かぶ。
メンバー構成までもが スラスラと出てくるほど、強烈な印象だった。

その夜は ジャズが持つ自由自在な面白さを堪能した。
それからの日々、ジャズ喫茶に入り浸りとなったのは 言うまでもない。
音楽は 気持ち良くなるという意味では、麻薬のようなもの。
そしてこの日、1人のジャンキー(麻薬中毒患者)が生まれた。
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# by rurou-no | 2006-11-07 08:51 | 音楽

一人の道

東京オリンピックのマラソンで、銅メダルを獲得した 円谷幸吉という選手がいた。
「父上様、母上様、三日とろろ美味しうございました。干し柿、餅も美味しうございました。」
で、始まる彼の遺書には 「美味しうございました。」が 繰り返し6回使われている。
この言葉に込められた万感の思いは 想像するに難くない。
遺書としては 歴史に残る名文である。
当時 中学生の感受性を強く揺さぶった。

その後、彼のことを謳った「一人の道」という曲が出来る。

35年前 ピンクピクルスというフォークグループが 隣町の高校の文化祭で
コンサートをした。
数人の仲間と一緒に 授業をサボって出かけた記憶がある。
この時に「一人の道」を唄ってくれた 茶木みやこさんのコンサートが昨晩あり、
35年ぶりに 生で聴くことが出来た。

このピンクピクルスが、覚えている限り 初めてのコンサート体験だったと思う。
フォークソング全盛の時代、京都から来た女子大生2人組が とても眩しかった。
そして「一人の道」が 歌が及ぼす力の大きさを教えてくれた。
コンサートのスタッフを 仕事にするなど、夢にも思っていなかった頃の話。
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# by rurou-no | 2006-11-06 12:47 | 音楽

山のエネルギーを

その効果の程はともかくとして、森の霊力が耳鳴りを収め 聴力を取り戻してくれると
そんな気がして、退院後は毎日 生駒山へ足を運んだ。
森林浴では言葉が優しすぎる、山のエネルギーを吸収するぞ との気概であった。

そのうち鳥の囀りに始まり、風の音、木々の葉擦れの音、そして落ち葉を踏みしめる
足音と 少しづつ順番に聞こえるようになってきた。

季節は晩秋、彩り鮮やかに日々表情を変えていく 森へ分け入る。
まるで映画の1シーンかのように、とめどなく真っ赤な葉が降ってくる妖しさには
現実感はなく その場に立ち尽くして、見惚れているしかなかっった。
頂上付近には、すっかり葉が落ち 裸木となった幹と枝の幾何学的造形の美しさ。

そんな折、生駒山のもう一つの姿を 垣間見る。
沢沿いの其処彼処に 行場と修験道寺院が点在しており、路傍には地蔵群。
一方で 在日コリアンの信仰の拠り所となった、朝鮮系寺院がいくつかひっそりと
隠れるように建っている。
奈良県明日香村にある石舞台を そっくりそのまま小さくした古墳が、ルートから外れた
山の中腹で 深い森の中に埋もれている。
朽ち果てた庵があり、漢方薬の工場が一帯に匂いを撒いていた。

いつしか、自分のことは忘れて 遠くからは窺い知れない山の秘密を 覗いて歩く
行為に夢中になっていく。
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# by rurou-no | 2006-11-04 12:41 | 病気


一瞬を、永遠に
S M T W T F S
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