一所不住



コンサート事始め

本格的なコンサートを体験したのは、大人になってからだった。
1975年春、そのころニューヨークで演奏活動をしていた 菊池雅章
日野皓正とともに 帰国コンサート全国ツアーをした。
東風(KOCHI)」のメンバーは、菊池雅章(pf) 日野皓正(tp) 峰厚介(ts)
ジュニ・ブース(b) エリック・グラバット(ds) の5人。
場所は、金沢観光会館。

流されるまま辿り着いたのが、金沢という地方都市。
そこで偶然に、高校の同級生とバッタリ会い たまたま彼が
コンサートのチケットを持っていたので 誘われた。
大ホールの客席 前から2列目中央からやや下手よりの席に着く。 
見上げると、菊池雅章がピアノを弾く指先まで見えた。
30年以上も前のことなのに、そのときの光景が鮮明に瞼に浮かぶ。
メンバー構成までもが スラスラと出てくるほど、強烈な印象だった。

その夜は ジャズが持つ自由自在な面白さを堪能した。
それからの日々、ジャズ喫茶に入り浸りとなったのは 言うまでもない。
音楽は 気持ち良くなるという意味では、麻薬のようなもの。
そしてこの日、1人のジャンキー(麻薬中毒患者)が生まれた。
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# by rurou-no | 2006-11-07 08:51 | 音楽

一人の道

東京オリンピックのマラソンで、銅メダルを獲得した 円谷幸吉という選手がいた。
「父上様、母上様、三日とろろ美味しうございました。干し柿、餅も美味しうございました。」
で、始まる彼の遺書には 「美味しうございました。」が 繰り返し6回使われている。
この言葉に込められた万感の思いは 想像するに難くない。
遺書としては 歴史に残る名文である。
当時 中学生の感受性を強く揺さぶった。

その後、彼のことを謳った「一人の道」という曲が出来る。

35年前 ピンクピクルスというフォークグループが 隣町の高校の文化祭で
コンサートをした。
数人の仲間と一緒に 授業をサボって出かけた記憶がある。
この時に「一人の道」を唄ってくれた 茶木みやこさんのコンサートが昨晩あり、
35年ぶりに 生で聴くことが出来た。

このピンクピクルスが、覚えている限り 初めてのコンサート体験だったと思う。
フォークソング全盛の時代、京都から来た女子大生2人組が とても眩しかった。
そして「一人の道」が 歌が及ぼす力の大きさを教えてくれた。
コンサートのスタッフを 仕事にするなど、夢にも思っていなかった頃の話。
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# by rurou-no | 2006-11-06 12:47 | 音楽

山のエネルギーを

その効果の程はともかくとして、森の霊力が耳鳴りを収め 聴力を取り戻してくれると
そんな気がして、退院後は毎日 生駒山へ足を運んだ。
森林浴では言葉が優しすぎる、山のエネルギーを吸収するぞ との気概であった。

そのうち鳥の囀りに始まり、風の音、木々の葉擦れの音、そして落ち葉を踏みしめる
足音と 少しづつ順番に聞こえるようになってきた。

季節は晩秋、彩り鮮やかに日々表情を変えていく 森へ分け入る。
まるで映画の1シーンかのように、とめどなく真っ赤な葉が降ってくる妖しさには
現実感はなく その場に立ち尽くして、見惚れているしかなかっった。
頂上付近には、すっかり葉が落ち 裸木となった幹と枝の幾何学的造形の美しさ。

そんな折、生駒山のもう一つの姿を 垣間見る。
沢沿いの其処彼処に 行場と修験道寺院が点在しており、路傍には地蔵群。
一方で 在日コリアンの信仰の拠り所となった、朝鮮系寺院がいくつかひっそりと
隠れるように建っている。
奈良県明日香村にある石舞台を そっくりそのまま小さくした古墳が、ルートから外れた
山の中腹で 深い森の中に埋もれている。
朽ち果てた庵があり、漢方薬の工場が一帯に匂いを撒いていた。

いつしか、自分のことは忘れて 遠くからは窺い知れない山の秘密を 覗いて歩く
行為に夢中になっていく。
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# by rurou-no | 2006-11-04 12:41 | 病気

奄美の島唄

ここ数年来 一番多く聴いているのは、奄美の民謡(島唄)であろう。
その頻度は、耳のアクシデント以前も 以後も変わらない。
中でも、船大工で 唄者として第一人者の 坪山豊 を贔屓にしている。

沖縄の島唄、とりわけ八重山民謡が好きで よく聴いていた私に、奄美出身の友だちが
「奄美の島唄もいいから、聴いてみてよぅ。」と薦めてくれたのが きっかけだった。
一度聴いて すっかり虜となってしまってからは、名瀬市にある発売元へせっせと注文を
出し、CDを購入していった。

その中に、高校生の元ちとせが唄う 「故郷(シマ)・美(キヨ)ら・思(ウム)い」 があった。
お気に入りの一枚である。
奄美島唄の次代を担う存在として 期待を一身に集める若手唄者であった。

彼女は 商業音楽の方へ進み、成功を収めた。
民謡ファンとしては 複雑だったが、音楽活動のスタンスがしっかりとしており 丁寧な
音作りへの姿勢には 好感が持てる。
より多くの人々に 彼女の声が届いて良かった。

今も島唄を聴きながら、キーボードを叩いている。
地元「串本節」の いい歌い手が現れないものか。
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# by rurou-no | 2006-11-02 12:57 | 音楽

元気を出すには、チャーリー・パーカー

色んな音楽の聴き方があると思うし、人それぞれ どんな聴き方をしてもいいと思う。

チャーリー・パーカーは 元気の素になっていた。
その超絶的なアルトサックスの演奏は、「バップ革命」と呼ばれるほど 音楽の概念を
変えるものであった。
こちらはただ、その音の中に身を預けていればよい。
そうすれば、体の細胞の一つ一つが解放されていく。

疲れている時、気持ちが沈んでいる時にパーカーを聴くと 気力を取り戻す。
元気な時は、ますますハイテンションになるから ほどほどに。
20代のころから、いつしか習慣になっていた。

静かな夜を過ごしたいなら、セロ二アス・モンクかマル・ウォルドロンのピアノがいい。
気分がいいと、ジョン・コルトレーンやチャーリー・クリスチャン。
ベニー・グッドマンなら もっとご機嫌になるだろう。

要は いい音楽さえそばにあれば、幸せになれるってこと。
その自分にとってのいい音楽を 見つけられるかどうかが鍵になる。
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# by rurou-no | 2006-11-01 13:07 | 音楽

バランスが

退院して我が家へ帰り、真っ先にしたことは 音楽を聴くことだった。
もちろんその時は 何も聞こえないのは承知の上でだ。

まず、アンプのスイッチをオンにして真空管を暖める。次はLPレコードを
ターンテーブルへ載せる。そして針を落とす。
ベッシー・スミスの掠れた声が流れてくる。振動が皮膚を通して伝わる。
2枚目は、ビリー・ホリディ。そのあとはマイルス・デイビス。
そうして、日が暮れて辺りが暗くなってからも スピーカーの前から動かずに
ずっと音楽を聴いていた。


やがて、少しづつ聞こえるようになってから あることに気がついた。
聞こえる周波帯が アンバランスなのだ。
音が満遍なく耳へ入ってくるのでなく、聞こえる音と聞こえない音にばらつきがある。
その結果、どうなったか
ジャズは 録音状態の悪い古いレコードを聴いているような 妙な効果で何とかクリア。
クラシックは いただけない。音がバラバラになり、とても聴いていられなかった。

いつも身近に音楽があった。
小さいころ ラジオで軽音楽として紹介されていた洋楽に惹かれた。
今にして思うと それはジャズであり、タンゴであり、シャンソンであった。

三つ子の魂はシツコイ。
音を楽しめないなんて、了見が許さないのだ。
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# by rurou-no | 2006-10-31 16:13 | 病気

鳥の歌

3ヶ月余の入院・通院治療の甲斐があったのかどうか、どうやら〈途中まで回復〉組
へ入ったようだ。

現実の音を 再び認識したのは、鳥の声だった。
近くの生駒山へ足を踏み入れて、山の精気を全身で感じ 受け止めている時に
鳥の声がした。確かに聞こえた。
その種類は判別できないが、次から次と聞こえてくる。今度こそ幻聴ではない。
山の精が歓迎してくれている。

そのとき、口をついて出たのは 何故かカタロニア民謡「鳥の歌」。
偉大なるチェリスト パブロ・カザルスが演奏して有名になった曲だ。
彼が生まれたスペインのカタルーニャ地方は、ダリミロ そしてガウディ
出身地でもある。

夢に見た彼の地へ行った時、フォークダンス「サルダーニャ」を踊る人々と出会った。
バルセロナの中心にある カテドラル前広場で、毎週日曜日に集まっているそうだ。
生バンドが演奏する音楽に合わせて、実に楽しそうに踊っていた。

海のそばにあるダリの「卵の家」 丘の上には「ミロ美術館」 ガウディの「グエル公園」
山の中を歩きながら 連想ゲームのように、色んなことを思い出していく。
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# by rurou-no | 2006-10-30 11:51 | 病気

入院生活 三題

その1 〔腕の穴〕
     ひとつ、またひとつと 腕に開けられた穴の数が増えていく。
     点滴のたびに針で刺されて 穴だらけになった左腕を見て考える。
     この穴が 体の通気孔であったなら、さぞや風通しが良くなったやろ と。
     皮膚呼吸がしやすくなったやろけど、過呼吸症にならへんかなぁ とか、
     アホなことばかり 思いつく。

その2 〔副作用〕
     昔から 薬の類は一切飲まない生活をしていた。
     それが急に ステロイドの点滴やら、4種類の薬の服用やらで 体が悲鳴を
     あげ出した。動悸、めまい、湿疹、高血圧、胃痛、頭痛、むかつき、疲労、等
     体調不良のオンパレード。

その3 〔夕焼け〕
     毎日、病院の10階にある食堂兼休憩室から 大阪市内のビルの谷間に
     沈む夕日を見るのが 日課になっていた。
     釣瓶落としの秋の日は、日一日と沈むビルを移りながら 足早に冬へ向かう。
     入り日を眺め、我が人生も落日に近づいているのか などと感傷に浸ったり
     するなんてことはなく、退屈をエンジョイしているから始末が悪い。
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# by rurou-no | 2006-10-29 11:36 | 病気

祭り囃子とロシア民謡

最初に聞こえてきたのが 祭り囃子。
子どものころ耳にした 懐かしい祭りの太鼓の音がしてきた。
やっぱり、太鼓の音は聞こえるんや と嬉しくなった。
というのも、手話を習っていた頃に知り合った 生まれつき聞こえない友人から
「何も聞こえないわけやなくて、太鼓の音なんかは聞こえるよ。」と聞いたことが
あったからだ。

近所の神社で お祭りの稽古でもしてるのかと聞いていたが、いつまでたっても
終わらない。夜10時を過ぎても 相変わらず続いてる。12時を過ぎたころにやっと
それが幻聴であることに気がついた。

次に聞こえたのが、ロシア民謡を歌う 男声合唱団。
繰り返し、繰り返し ユニゾンの歌声が続く。
この時には、すでに疑い深くなっていたから 冷静に回りを確認した。幻聴だ。

耳が、古い記憶を呼び起こそうとしているのか?
祭り囃子とロシア民謡、この妙な取り合わせが楽しくなってきた。

これがもし、DNAに刻まれていたものが現出したと仮定したら ルーツは北方かも
知れない などと空想してみる。
自分では 寒いより暑い方が平気だから、南方系だと勝手に思っていたけど。
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# by rurou-no | 2006-10-28 13:04 | 病気

音のない世界

ちょうど2年前、2004年10月27日 聴力を失った。
正しくは、シャ------- という砂嵐のノイズが 途切れることなく鳴っている。
この2年間は、たとえ1秒といえども止むことがない。
うるさいこと甚だしい。

左の耳が 原因不明の突発性難聴になり、右の耳がもともと聞こえなかったのもあって
身の回りから、耳鳴り以外の音が消えてしまった。
病院の医師は、「確かな治療法はステロイドの大量注入しかありません。」「元のように
聞こえるようになるのは 3人に1人、途中まで回復するのが 3人に1人、残りの1人は
聞こえないままです。」「一刻を争います。今からすぐ、入院してください。」

筆談でのやり取り、毎日3時間の点滴、生活が一変してしまった。
生活音が全くしないというのは なんとも頼りないものだ。たとえば机の上にペンを置くと
する、机の上に手でペンを置こうとしているのを 目で確認する、さらに机とペンが接した
時に発する音で 確かに置いたと安心する。普段は無意識にしていた作業でも それを
しなくなると 途端に不安になる。蛇口をひねって水を出す、確かに水は出ているのに、
水の音が聞こえないと 目で見えている方を疑いたくなる。

日常の何気ないことが、何事も新鮮で面白くなってきた。
新しい世界の発見だった。
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# by rurou-no | 2006-10-27 14:59 | 病気


一瞬を、永遠に
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