一所不住



15人制

ずっと、ラグビーをやりたいと思っていた。
ところが 田舎の中学校や高校には ラグビー部がなかったため、
一度も あの楕円形のボールに触れることが無いまま、今日に
至っている。

少し前まで 近鉄花園ラグビー場のすぐそばに住んでいた。
自転車で5分、歩いても20分くらいの所だ。
秋から冬にかけてのシーズン中は 週末ともなればラグビーファンで
俄かに賑わい出す。
トップ・リーグの試合がある日には 必ず、サブ・グランドで子どもたちの
試合も行なわれていた。田舎者には、まことに羨ましい環境であった。

近鉄ライナーズの応援団は いつも、バックスタンドの自由席に陣取っていた。
サポータズ・クラブのメンバーに チームからプレゼントされた ライナーズの
小旗やバルーンスティックを手にして、その一群に身を置く。
相手チームの 規律のある大応援団に比べ、こちらは圧倒的に人数が少なくて
それぞれが好きなように 応援しているのは、いつもの光景だった。

試合結果は、問うまい。聖地花園のバックスタンドで 冬空の下、生駒おろしに
身を硬くして ゲームの流れに一喜一憂した、そのことだけでいい。
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# by rurou-no | 2006-10-18 13:29

14番目の月

ユーミンの歌に 「14番目の月」 というタイトルの曲があるそうだ。
次の日から欠けていく 満月よりも、一夜前の14日目の月の方が
好きだという歌らしい。
まだ、聴いたことはない。

これは実に 古来からの東洋的な身体感に即した考え方である。
舞踊や武道の世界では、身体を伸ばしきらず 余裕を持った姿勢が
いいとされる。動く時は 円を描くようにゆっくりと。
シンメトリーよりも 七三を良しとする美意識だ。

一方で、完璧に出来上がったものよりも、どこか崩れている方が
魅力的に見える場合が多い。
足りないからこそ、欲する。足りないからこそ、満たそうとする。
人間心理の微妙なところでもある。

月の話に戻ろう。
14番目は「待宵」 そして「十五夜」「十六夜」「立待月」「居待月」
「臥待月」「更待月」 下弦から新月が「朔」 3日目が「三日月」
昔は 月を見れば日にちが判った。

足りなさ過ぎると 満たすことをハナから諦め
月を数えて暮らすしかないのか。
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# by rurou-no | 2006-10-17 12:30 | 言葉・本

十三湖

津軽半島の西 日本海に向かって口を閉じた形になっている
この湖へ行ったのは、およそ20年前のことである。
能代から弘前へ移動するのに 遠回りをして、鉄道ファンの間では周知の
五能線に乗った。
その時、駅でだったか 列車の中だったか 或いは車内放送の案内か
記憶は定かではないが、突然 「十三湖」 の文字が飛び込んできたのだ。

「じゅうさんこ」という言葉の響きに 魅せられて、次の年に あらためて出かけた。
かつて 海運業が盛んだったことを偲ばせる 奥行きの深い入り江になったそれは
静かに待っていてくれた。そこでとりたてて 印象的なことがあったわけでもない。
ただ、その名前だけは頭から離れないまま 残ってしまった。

その日の夕方、黄金崎まで足を延ばし 海沿いの岩場にある野天風呂に入った。
ちょうど夕焼けの時、あたり一面が文字通り 黄金色に染められている。
目に入るものすべてが 輝いていた。
黄金色の海を眺めつつ、波が打ち寄せる黄金色の湯の中へ、黄金色の体を
浸すのは 格別のご馳走であった。
この風呂の名前は、「不老不死温泉」 よくぞ名付けたものだ。

その効能が効いたのか、まだ死んでいない。
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# by rurou-no | 2006-10-16 12:24 |

12ヶ月

1年は12ヶ月、当たり前のことだが
これも たかだか130年だ。
それまで 我が国でも時々、13ヶ月の年があった。
月の満ち欠けに合わせて 暮らしを営み、暦を作っていたから
どうしてもズレが生じる。
そのため3年に1回くらい うるう月を設けた。

私たちが 現在使っているカレンダー(太陽暦)は、あくまでも
便宜上と考えた方がいい。
外国へ行けば 様々な暦に出くわす。
それぞれの国で 生活に根ざした、昔からの暦が並存して使われている。
曜日や日にちが 訳が分からなくて面白い。

この違うことこそが、大事なんだと思う。
もちろん統一した方が合理的だし、その必要性についても異存はない。
ただ、たとえば私たちの場合で言えば もっと月を身近に置いて、いつも
月を眺める習慣を身に付けていた方が 気持ちいいはずだから。
私たちの体は 月の影響を受けているのだし。
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# by rurou-no | 2006-10-15 18:14

11歳

地元の人は皆、親しみを込めて 「トルコの墓」 と呼ぶ。
海難事故のため、近くの海で亡くなったトルコからの外交使節団員と
トルコ人船乗りを供養する 慰霊碑である。
時代は明治、1890年9月の出来事だ。

以来、5年ごとに慰霊祭が行なわれてきた。
その時に 小学生が必ず歌う追悼歌がある。
   陽は落ちぬ 悲しび深し はるけきか 一つ星なる 海鳴りの
   いよよ冴えきて 白塔の ひらめきうつし 堪えがたく 祈る声とも
          作詩 泉丈吉  作曲 打垣内正

樫野小学校の児童によって 歌い継がれてきた、
マイナーな曲調の 忘れがたき歌。
40年経った今でも 諳んじて歌うことができる。

音楽を 初めて 美しい と感じた。
哀しみの歌 であるにもかかわらず だ。
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# by rurou-no | 2006-10-14 14:11 | 子ども時代

背番号10

プロ野球の 北海道日本ハムファイターズが
昨夜、福岡ソフトバンクホークスに サヨナラ勝ちし、
25年ぶりに パシフィック・リーグの優勝を決めた。

今朝 この記事を新聞で読んでいる時、子どものころファンだった
背番号10 を思い出した。

日ハムファイターズの前身球団  東映フライヤーズ
外野手 張本勲  本名 張勲(チャン・フン)
安打製造機の異名をとり、前人未到の通算3000本安打を達成するも
本塁打王と打点王のタイトルは、いつも強打者野村克也に次ぐ2位だった。

野球少年は右利きにも拘らず、憧れの選手を真似て左打ちの練習を始めた。
おかげで、左右両方で投げたり打ったり出来るようになった。

実は、張本選手も右利きだったが 子どもの時の火傷の後遺症で
右手が自由にならなかったため、左手を使うようになったと知ったのは 
あとになってからだった。

このことを知った少年は、ひそかに ニンマリとした。
生まれつき 右手でじゃんけんのチョキ(つまりⅤサイン)ができないことを
恥ずかしくて隠していたのが 逆に誇らしくなった。
少しだけ、憧れのスターに近づいた気がしたからだ。
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# by rurou-no | 2006-10-13 16:04 | 子ども時代

九鬼周造

哲学者
代表的な著作に 『「いき」の構造』 がある。
   #ようするに九鬼は、「江戸の鉄火」と「ヨーロッパの
     形而上学」と「京のはんなり」を、その土地からも
     その言葉からも吸い込んでいた。 (松岡正剛)

江戸時代の遊郭に身を置き、「媚態」「意気地」「諦め」から
「いき」=「粋」とは何かを明らかにしていく。

「粋」=上方では 「すい」
当時の新興都市で、先端文化の華が開いた江戸に対し
成熟した文化と経済に支えられた、難波の都大坂では
より洗練された、深い意味合いで使われていたようだ。

江戸の「いき」に憧れ、上方の「すい」を知る。
野暮な人間にだけはなるまいと、身を処してきた。
果たして どこまで行っているのか?
「粋」への道は遠い。
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# by rurou-no | 2006-10-12 15:13 | 言葉・本

8日 ハシリマイ

10月9日、10日は雷公神社のまつり。
宵宮の8日は 200年続く伝統行事ハシリマイの日である。
3メートル余の苦竹を束にして 火を灯した松明を掲げ、神社と寺へ
走って参ることから走り参い

由来を遡れば、900年も前と 大龍寺の過去帳に記されているそうだ。
神様をお寺で持て成すという、愉快な伝説が残されている。

当地方では、〈神倉神社のお灯まつり〉 〈那智の火祭り〉 とともに
三大火祭りと並び称されるが、その際立つ美しさほどには知られていない。
想像して欲しい ・・・
暗闇の中で 1本の線となった火が、うねりながら流れていく。
そして、その火が神社の森を登っていく。

おそらく ハシリマイを走ることが、子どもから若い衆への
通過儀礼のようなもではなかったのか。
盆、正月に帰らなくても ハシリマイには帰る若い衆が
今でもいると聞くのは 嬉しい。
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# by rurou-no | 2006-10-11 13:41 | まつり

「第七官界彷徨」

尾崎翠という稀有な才能をもった作家の
小説を読んだ時、読書する快楽の
新しい扉が開いた。

それまでは 小説に限らず、文章を読むことは
まず、書かれている内容を理解し、想像を巡らせたり
そこに自らを投影させたりする作業であった。
ところがこの 「第七官界彷徨」 は そうした作業を
受け付けなかった。

なにやら 奇妙な面白さは、感覚器官を刺戟した。
いみじくも彼女自身が言う
「私はひとつ、人間の第七官にひびくやうな詩を
書いてやりませう。」
の罠に はまってしまった。

美術作品を前にしたときに そうしていたことを
本でも同じだと 気付かされた。
わかろうとしなくてもいい、感じればいい と。
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# by rurou-no | 2006-10-07 13:28 | 言葉・本

6人

目の前に 一葉の写真がある。
高校3年生の文化祭で 「父帰る」 を上演した。
幕が下りたすぐ後に、中庭で記念撮影したものだ。
舞台の緊張が解け、充足感に満たされた 6つの笑顔が 
横1列に並んでいる。

左から 弟、父、母、兄、妹、そして指導してくださった先生。
1年後はそれぞれ 大学生、専門学校生、短大生、社会人になり、
ひとつ下の妹はまだ高校生。

セピア色になりかけた この写真を見るたびに思う。
1本の映画が撮れる と。

ひとりひとり 全く違う人生を送り、今でも
かけがえのない 友である。

社会からドロップアウトし、気ままなその日暮しで口を糊してきた。
我が身を振り返る時、彼らと出会った そのことだけでも
まだ半ばではあるが、自分の人生は大成功 と言える。
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# by rurou-no | 2006-10-06 09:54 | 子ども時代


一瞬を、永遠に
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