一所不住



祭り囃子とロシア民謡

最初に聞こえてきたのが 祭り囃子。
子どものころ耳にした 懐かしい祭りの太鼓の音がしてきた。
やっぱり、太鼓の音は聞こえるんや と嬉しくなった。
というのも、手話を習っていた頃に知り合った 生まれつき聞こえない友人から
「何も聞こえないわけやなくて、太鼓の音なんかは聞こえるよ。」と聞いたことが
あったからだ。

近所の神社で お祭りの稽古でもしてるのかと聞いていたが、いつまでたっても
終わらない。夜10時を過ぎても 相変わらず続いてる。12時を過ぎたころにやっと
それが幻聴であることに気がついた。

次に聞こえたのが、ロシア民謡を歌う 男声合唱団。
繰り返し、繰り返し ユニゾンの歌声が続く。
この時には、すでに疑い深くなっていたから 冷静に回りを確認した。幻聴だ。

耳が、古い記憶を呼び起こそうとしているのか?
祭り囃子とロシア民謡、この妙な取り合わせが楽しくなってきた。

これがもし、DNAに刻まれていたものが現出したと仮定したら ルーツは北方かも
知れない などと空想してみる。
自分では 寒いより暑い方が平気だから、南方系だと勝手に思っていたけど。
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# by rurou-no | 2006-10-28 13:04 | 病気

音のない世界

ちょうど2年前、2004年10月27日 聴力を失った。
正しくは、シャ------- という砂嵐のノイズが 途切れることなく鳴っている。
この2年間は、たとえ1秒といえども止むことがない。
うるさいこと甚だしい。

左の耳が 原因不明の突発性難聴になり、右の耳がもともと聞こえなかったのもあって
身の回りから、耳鳴り以外の音が消えてしまった。
病院の医師は、「確かな治療法はステロイドの大量注入しかありません。」「元のように
聞こえるようになるのは 3人に1人、途中まで回復するのが 3人に1人、残りの1人は
聞こえないままです。」「一刻を争います。今からすぐ、入院してください。」

筆談でのやり取り、毎日3時間の点滴、生活が一変してしまった。
生活音が全くしないというのは なんとも頼りないものだ。たとえば机の上にペンを置くと
する、机の上に手でペンを置こうとしているのを 目で確認する、さらに机とペンが接した
時に発する音で 確かに置いたと安心する。普段は無意識にしていた作業でも それを
しなくなると 途端に不安になる。蛇口をひねって水を出す、確かに水は出ているのに、
水の音が聞こえないと 目で見えている方を疑いたくなる。

日常の何気ないことが、何事も新鮮で面白くなってきた。
新しい世界の発見だった。
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# by rurou-no | 2006-10-27 14:59 | 病気

20世紀舞踊団

鬼才モーリス・ベジャールが かつて率いていた20世紀舞踊団に
今は亡き天才ダンサー ジョルグ・ドン(ジョルジュ・ドン)がいた。

ある日、友人の部屋で、目にした「アサヒグラフ」の一枚の写真に えもいわれぬ
衝撃を受けた。
左手を上へ突き上げ、顔も視線も同じ方 手の先に延びる遠くを向いている。
雑誌に印刷された写真からでもありありと伝わってくる 情熱とエネルギーの強さに、
その写真を見たまま しばらく動くことができなかった。
ジョルグ・ドンの上半身を捉えた 舞台写真だった。

20世紀舞踊団の来日公演は、
78年 「火の鳥」「ペトルーシュカ」  82年 「エロスタナトス」 2度、目撃している。
白眉は クロード・ルルーシュによって、81年に映画化された 「ボレロ」 
ジョルグ・ドンの至高のダンスが、映像で記録されている。

もともと踊りは好きな方だったが、単に楽しみとしてのそれではなく 身体の動きで 
表現し、それを芸術まで高めるダンスというものに触れた これが最初だったのかも
知れない。

コンテンポラリー・ダンスの現場での仕事を 生業とするようになったのは
ここらへんからなのだと思う。
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# by rurou-no | 2006-10-24 14:13 | 演劇・ダンス

十九歳の地図

佐藤春夫 有吉佐和子 とともに、和歌山県出身の 代表的な作家として
中上健次がいる。
彼の初期の作品 「十九歳の地図」は 後に、柳町光男監督 本間優二主演 
で映画化された。

19歳の時、東京で この小説の主人公と同じように 新聞配達をしながら 
社会と自分への 不満と鬱屈を抱えて、悶々たる日々を送っていた。
いつしか 大学とは逆方向の電車に乗り、銀座並木座や池袋文芸座などの
名画座へ通いつめるようになった。
映画館が自分にとっての居場所であり、学校だった。

そして、出奔を実行する。
ニセの脅迫電話をかけるのでなく、現実逃避をするしか出来なかった。

地図を広げて、逃げ場所を探す。安住の地など 何処にもないのが 
分かっていながら、街から街へと流れ歩く。
立ち止まると 自分自身が壊れてしまいそうな恐怖心に 追われていた。

根無し草として、放浪の始まりである。
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# by rurou-no | 2006-10-22 17:48

十八番 〔地歌舞〕

地歌舞とは
室町時代、観阿弥と世阿弥によって形作られた の影響を受けつつ、
江戸時代後期(19世紀初頭)に 成立したもの。御殿舞 座敷舞などからなる。
最も古い三味線音楽として、検校(最高位の盲人演奏家)により 伝えられてきた、
地歌の弾き語りに合わせて 舞う。

長い間、京阪では 年頃の子女の嗜みとして 地歌舞が習われてきた。
谷崎潤一郎の 「細雪」 でも、山村流を稽古する いとさんの描写がある。

一般的に日本舞踊といわれる 歌舞伎舞踊が、派手な動きで見せる要素が強いのに対し
地歌舞は、「動かずに舞うべし」との口伝があるように 静止した立ち姿が命である。
腰を落とし、真っ直ぐな背骨は天井へ糸で引っ張られている。重心は足先に、前後左右に
やはり見えない糸で引っ張られているため 安定した状態を保つ。
視線は 遙か彼方の見えないものを見る、或いは 自らの後頭部を見る心持。

形から入る踊りと違い、舞は 精神性に重きを置き、心の奥底を表現するものである。
人間の基本的な動作を 抽象化し、内面を 象徴的に振り付けされている。
能に題をとった「本行物」、廓の女性の気持ちを歌った「艶物」、他に「祝儀舞」など。

古澤流は、姫路城御殿舞松本流の流れを汲む。
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# by rurou-no | 2006-10-21 14:27 |

十七文字

たった、17の文字で世界を表現してしまう 俳句という形式を持つ 
日本文学の奥深さに 畏敬の念さえ覚える。

俳聖芭蕉の例を採るまでもなく、江戸時代の俳諧師は 隠密を疑われるほど、
実に多くの旅に出ている。全国どこへ行っても その足跡が残っており、まるで
俳諧師に追いかけられているかのごとく 至る所で句碑というものにぶち当たる。
旅先では 土地の人に出会い、旅をしている人に出会い、そして 時間を超えて 
かつて旅した人にも出会うのだ。

そんな旅の途中で、自由律俳句を知った。
     咳をしても一人  放哉    たった、9文字である。

ほどなく、漂泊の俳人 山頭火にはまる。
     分け入っても分け入っても青い山
     うしろすがたのしぐれてゆくか
     まっすぐな道でさみしい
     何を求める風の中ゆく
     捨てきれない荷物のおもさまえうしろ
     てふてふひらひらいらかをこえた
     さて、どちらへ行かう風が吹く

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# by rurou-no | 2006-10-20 07:36 | 言葉・本

十六夜清心

僧清心と女郎十六夜は ひょんなことから馴染みとなり、逢瀬を重ねる。
女犯の罪で寺を追われた清心と、子どもを身ごもった十六夜は 心中を
するが死に切れない。


河竹黙阿弥作 「十六夜清心」 の発端である。芝居はここから 意外な
展開となり、面白さを増す。
二代目河竹新七こと 河竹黙阿弥は、江戸時代末期から明治の初期に
かけて活躍した 歌舞伎の戯作者。特に世話物芝居を得意とした。
「三人吉三」 「髪結い新三」 「弁天小僧」 「魚屋宗五郎」 「河内山」 等
代表作と云われる作品を 次から次と上げることが出来る。

歌舞伎芝居に 興味を持ち始めたのはいつごろか、あまり覚えがない。
たぶん子どもの頃に、ラジオやテレビで親しんでいた 演芸番組からでは
ないかと思う。当時の芸人さんは 歌舞伎の一場面をネタに使うことが多く、
中でも落語では 芝居噺として、歌舞伎が演じられていた。

歌舞伎について 真剣に取り組む きっかけを与えてくれたのは、外国の
友人たちである。日本の伝統文化を学びに来ている 外国人は、驚くほど
能 狂言 歌舞伎 文楽 邦楽 などに詳しく、その知識は半端ではない。
それに外国へ行くと しばしば、能 歌舞伎 文楽について問われる。
あまりにも 自国の伝統文化のことを 知らなさ過ぎると思い知らされた。

もっとも それはシェイクスピアに、やけに詳しい日本人が多いことの
裏返しでもあるのだが。
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# by rurou-no | 2006-10-19 16:39 |

15人制

ずっと、ラグビーをやりたいと思っていた。
ところが 田舎の中学校や高校には ラグビー部がなかったため、
一度も あの楕円形のボールに触れることが無いまま、今日に
至っている。

少し前まで 近鉄花園ラグビー場のすぐそばに住んでいた。
自転車で5分、歩いても20分くらいの所だ。
秋から冬にかけてのシーズン中は 週末ともなればラグビーファンで
俄かに賑わい出す。
トップ・リーグの試合がある日には 必ず、サブ・グランドで子どもたちの
試合も行なわれていた。田舎者には、まことに羨ましい環境であった。

近鉄ライナーズの応援団は いつも、バックスタンドの自由席に陣取っていた。
サポータズ・クラブのメンバーに チームからプレゼントされた ライナーズの
小旗やバルーンスティックを手にして、その一群に身を置く。
相手チームの 規律のある大応援団に比べ、こちらは圧倒的に人数が少なくて
それぞれが好きなように 応援しているのは、いつもの光景だった。

試合結果は、問うまい。聖地花園のバックスタンドで 冬空の下、生駒おろしに
身を硬くして ゲームの流れに一喜一憂した、そのことだけでいい。
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# by rurou-no | 2006-10-18 13:29

14番目の月

ユーミンの歌に 「14番目の月」 というタイトルの曲があるそうだ。
次の日から欠けていく 満月よりも、一夜前の14日目の月の方が
好きだという歌らしい。
まだ、聴いたことはない。

これは実に 古来からの東洋的な身体感に即した考え方である。
舞踊や武道の世界では、身体を伸ばしきらず 余裕を持った姿勢が
いいとされる。動く時は 円を描くようにゆっくりと。
シンメトリーよりも 七三を良しとする美意識だ。

一方で、完璧に出来上がったものよりも、どこか崩れている方が
魅力的に見える場合が多い。
足りないからこそ、欲する。足りないからこそ、満たそうとする。
人間心理の微妙なところでもある。

月の話に戻ろう。
14番目は「待宵」 そして「十五夜」「十六夜」「立待月」「居待月」
「臥待月」「更待月」 下弦から新月が「朔」 3日目が「三日月」
昔は 月を見れば日にちが判った。

足りなさ過ぎると 満たすことをハナから諦め
月を数えて暮らすしかないのか。
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# by rurou-no | 2006-10-17 12:30 | 言葉・本

十三湖

津軽半島の西 日本海に向かって口を閉じた形になっている
この湖へ行ったのは、およそ20年前のことである。
能代から弘前へ移動するのに 遠回りをして、鉄道ファンの間では周知の
五能線に乗った。
その時、駅でだったか 列車の中だったか 或いは車内放送の案内か
記憶は定かではないが、突然 「十三湖」 の文字が飛び込んできたのだ。

「じゅうさんこ」という言葉の響きに 魅せられて、次の年に あらためて出かけた。
かつて 海運業が盛んだったことを偲ばせる 奥行きの深い入り江になったそれは
静かに待っていてくれた。そこでとりたてて 印象的なことがあったわけでもない。
ただ、その名前だけは頭から離れないまま 残ってしまった。

その日の夕方、黄金崎まで足を延ばし 海沿いの岩場にある野天風呂に入った。
ちょうど夕焼けの時、あたり一面が文字通り 黄金色に染められている。
目に入るものすべてが 輝いていた。
黄金色の海を眺めつつ、波が打ち寄せる黄金色の湯の中へ、黄金色の体を
浸すのは 格別のご馳走であった。
この風呂の名前は、「不老不死温泉」 よくぞ名付けたものだ。

その効能が効いたのか、まだ死んでいない。
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# by rurou-no | 2006-10-16 12:24 |


一瞬を、永遠に
S M T W T F S
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