一所不住



節分ける風はアメトラかしましや

ひやくい冬真っ只中や、と思うてたら明日3日はもう「節分」やて。明後日には「春が立つ」。暦が実際の気候に先走り、体感は気候の変化を後からやっとこさ追いかけているような按配で、着ぶくれたからだを丸めながらも思わず力が入る。

節分といえば、この地域では道の辻で小銭をばら撒く風習があると聞いた。
お金を撒いて「邪」を祓う、子どもたちは「福」を拾う。手から離れることで「邪」が「福」に転換する。場所は道路の角っこでなければならない。
どこで、どういう経緯で、だれが始めたのか、不勉強で分からないまま(これを教えてくれた人も「昔からやっていた」と)。昔の子どもたちにとって、小遣いを手に入れる数少ない機会やったんやろな。

異風習の面白さでええやないか、と済ませてたままだったその意味をおしはかると、仏教文化の「施し」に通じるのかもしれない。
持てる者が持たざる者に「施し」をするのは、当然の行為であるという考え。
所有したままでは「邪」を抱え込んだ状態で、手放したときに「邪」が「福」となり、必要な人がそれを手に入れる。お互いに「福」がもたらされるのである。

こうした「お互い様」の考えとは真逆の動きが、今世界中を掻き回している突風(アメリカのトランプ略してアメトラ)である。ここら辺では「あがばっかし」という。
異なる意見には耳を貸さず、根拠のない思い込みだけの作り話をもとに非難や中傷を繰り返す。その下品さには反吐が出そうになる。慣れてしまうのが怖ろしい。

こんなトンデモ野郎は、コイズミイシハラハシモトアベプーチンキムジョンウンシーチーピンら同類が連なった。大衆は免疫を付けられ、とうとうこんなんが最高権力者となってしまった。現象は事実かどうかが問題でなく、いかに騙すかが問われる。騙される方が悪いのだ。さらに何事も自分中心であらねばならず、違う者や事は徹底的にやっつけなければならない。人類破滅の日が近づいてきたな。

今週は連れ合いの本棚から、伊坂幸太郎『仙台暮らし』、宮下奈都『たった、それだけ』、イヴ・シモン『感情漂流』。

[PR]
# by rurou-no | 2017-02-02 11:12

力水キクからハギへ花咲かせ

20日「大寒」、暦のとおりこの冬一番を毎日更新する寒さが続いている。
気温は今日が底か明日が底かと気を揉む1週間を過ごし、どうやら今朝やっと底を打って暖かくなりそうな気配を感じる。

22日に千秋楽を迎えた大相撲初場所は、大関稀勢の里が14勝1敗で初優勝した。そして昨日25日、横綱昇進が決まった。たった一度の優勝で横綱昇進について賛否は分かれるだろうが、去年年間最多勝となる安定した成績は評価されて然るべきだと思う。1年を通して誰よりも強かったのだ。

禿頭爺は①下位に取りこぼしをしない②横綱を倒す③全勝優勝をする、の3点を満たせば横綱にしてもいいのでは、と考えていた。優勝するのは既定のことで、それほど強さは際立っていた(正直なところ先場所までの精神面の弱さは、横綱になれないと思っていたが、今場所は落ち着いた取組みを15日間通した)。大関琴奨菊に負けた1敗は許容範囲となろう、下駄を履かせたい。

表題は千秋楽の土俵から。横綱白鵬との一番に臨む稀勢の里へ力水をつけたのは、来場所は関脇へ陥落が決まった琴奨菊。1年前優勝賜杯を手にしたキクは下へ落ち、水を受けるハギは優勝と綱を手に入れた。勝負の世界の厳しさを象徴する場面として印象的だった。

20日、トランプが本当にアメリカ大統領となった。調査では「真実は4%」だというトランプ語、「なぜすぐバレるウソをつくのか?」と問われた彼のスタッフは、「これはもう一つの真実です」と応えていた。堂々とでっち上げを認めている。
4%の真実、96%の「もう一つの真実」とは、「新しい判断」のどこやらの首相と同類やな。ことばが頭を通過せず、口先だけ何やらでんでん言っている。

「ポスト真実」という言葉さえ出来た。客観的事実よりも、感情や思い込みによる作り話の方が、受け入れられ影響力を持つのだと。こんなんあかんで。
泉鏡花『歌行燈・高野聖』(再読)。

[PR]
# by rurou-no | 2017-01-26 10:31

金星のをかし凍れり宵の街

列島は強烈な寒気に襲われて、吹雪や記録的な積雪などニュースが伝えている。
この常春の地でも15日には、めったに見られぬ雪が舞い冷たい風が吹き荒れた。
朝の部屋の温度計は6度を示し、冷えに弱いからだは不調の度を増す。

炬燵にもぐり背中を丸めて、或いは横たえたからだの中を北風がピープー吹き抜けていくようで、って、それは懐具合がピープー吹かれているだけやないか、とあが(我)にツッコミを入れながらウンウンうなっている姿は、みっともなくも情けないジジイだ。

明日(20日)は「大寒」。世界で一番の権力者たるアメリカ大統領に、おぞましくも差別分断排外主義者であるトランプが就任する。世界中が「大寒」になる。
先住民を追い出した土地に移民が築き上げた、アメリカという大国の、失墜と崩壊の始まりとなるのは間違いない。その影響は一国に留まらないから困ったことになった。

今後どのような事態が起こるか、歴史に学べばある程度の想定は可能だろう。
明治の日本が手本とした、イギリスはEU離脱を決めた。昭和の日本が戦争を仕掛けて、負けた後はその従属国の地位に甘んじるしかなかった、宗主国アメリカはこの体たらくだ。さあ、世界は、地球はどないなるのか。

EU内でも足元がぐらついているし、日本をはじめとするアジアの国々もおかしな具合になっている。どこもかしこも、深く物事を考えようとしない恥知らずばかりが、権力を思うままにしている。
目先の自分だけの強欲に絡め取られた輩が蔓延っているのは、人類が劣化して破滅へ向かって歩調を速めている、としか思えない。

こんな不景気なことばかり書くつもりやなかったけど、今日までと明日からと、歴史の線がまた1本引かれるやろ。
福永武彦『告別』、内田百閒『丘の橋』。再読本2冊。

[PR]
# by rurou-no | 2017-01-19 10:55

夜の道身を切る風や心地よき

昨夜歩いているとき、ふっと浮かんだ十七文字を忘れないうちにと、今日の表題とした。
いよいよ冬本番となり、夜歩きも気合を入れてからでないと出かけられない。
14番目の月に照らされほの明るい夜の道は、「彼は誰(かはたれ)」時に似た趣があって踏み出す足を励ましてくれる。

もっとも ♪♪黒潮おどる熊野灘 輝きわたる空のもと~(小学校校歌)と歌ったくらい、「寒い」と口に出したら他の地方の人に叱られるほど、冬でも暖かい南の地だ。
この季節でも、歩いているうちに汗ばんできたりするくらいなのだが、昨夜は肌を刺し身を切るような風がからだを芯まで冷やして、速足で歩こうがとても太刀打ち出来なかった。

こんな夜もあろうと、月明りで凍り付いたかにさえ見える薄闇の街を、月を愛でながら歩を進めるのは、風情があってオツなものである。

歩く途中必ず通る「望楼の芝」には、住んでいるとしか思えないテントが常設されているし(寒ないやろか、風邪ひかんやろかと他人事ながら心配になるが、今のアウトドア用品は昔と違って機能が充実しているみたいやし)、昼間はサーファーが真冬でも海に浸かっている。
ダイバーたちは引きも切らずやってくるし、釣り客は群れをなしている。
夏は涼しく冬暖かいええとこや。住むには大変やけど、遊ぶには申し分ない。

日曜日、連れ合いが本屋へ行こうと誘ってくれたので車で50分走って(田舎は大変や)やっとある本屋へ行ったが、お目当ての本はなく(田舎はかなん)、面白そうな本との出会いもなく、肩透かしをくらってすごすご帰ってきた。
今週読んだのは、藤枝静男『或る年の冬 或る年の夏』(再読)と、桜木紫乃『風葬』(久しぶりに購入した文庫本)。

[PR]
# by rurou-no | 2017-01-12 10:47

手のひらをじっと見ているつましさよ

年の初めに当り石川啄木先生に敬意を表して、って何の関係もなく「て」からの連想でひょいと浮かんだ
   はたらけど はたらけど猶わが生活楽にならざり ぢっと手を見る
の歌を踏まえて表題にしてみた。

今年は体調が好ましくなかったのもあり外出は控え目にして、ほとんどを炬燵とテレビの「昭和」な時間で過ごした正月三が日だった。さすがに炬燵の上に蜜柑はなかったものの、珍しくつけっぱなしにしていたテレビと、長時間向き合うことになった。

実業団の「ニューイヤー駅伝」(7区間100km)と、大学の「箱根駅伝」(10区間217.1km)。ただ走っているだけやのに何が面白いねんと思う向きもあろうが、むしろ走って襷をつなぐだけの単純な競技やからこそ、ランナー1人ひとりが際立ち、競争に勝つため、1秒でも速くゴールするため、チームとして最大限の力を発揮するために、さまざまなやり方で挑んでいるのを応援したくなる。

テレビで疲れたら、目先を変えて活字に向かう。読み初めは、須賀敦子『霧のむこうに住みたい』、永井荷風『つゆのあとさき』。とんと本屋へ行かなくなったので、相も変わらず本棚から抜き出しての読書だ。

ままならぬからだをぐだぐだとゆるゆるしているうち、もう「寒の入り」になった。
穏やかな陽気の正月が過ぎて、暦のとおり本格的な寒さになる気配である。
世の中の動きも、ますます寒くなってきそうやし、かなんなあ。

綱渡りなわが家の経済も、なんとか年越しができた。倹しいながら卑屈にならず、ぼちぼちとやっていくだけ。いつまでもつやろか。ぢっと手を見る。

[PR]
# by rurou-no | 2017-01-05 10:57

恥ずかしや若き日思う本読みて

妙に暑い日が続いて、年の瀬を忘れるほどの気候は、やっぱり変や。
さて、年末恒例(といっても2回やっただけ)の本で振り返る1年。
この1年は傾向として、ときどき新刊本を手にすることはあったものの、再読が多かった。

前半、8月まではとにかく 赤江瀑作品ばかり21冊を数えた。
その合間に 堀江敏幸『燃焼のための習作』や、西加奈子『通天閣』、佐藤泰志『海炭市叙景』など再読し、9月に読んだ新刊 崔実『ジニのパズル』は収穫だった。
10月の再読は、朱川湊人『かたみ歌』、荻原浩『千年樹』、沢木耕太郎『人の砂漠』、五木寛之『風の王国』、堀江敏幸『いつか王寺駅で』など。

11月は再読ばかりで、中道風迅洞『どどいつ入門』、春風亭栄枝『蜀山人狂歌ばなし』、山住昭文『江戸のこばなし』、高木護『辻潤 個に生きる』、一叩人『反戦川柳人 鶴彬』、秋山清『ニヒルとテロル』、高橋新吉『ダダと禅』、森鴎外『ヰタ・セクスアリス』、武者小路実篤『幸福者』。

12月になって、林芙美子『放浪記』、谷崎潤一郎『陰翳礼讃』、川端康成『雪国』、志賀直哉『暗夜行路』、そして今読んでいるのが、田山花袋『田舎教師』。
そうそう、須賀敦子全集から彼女が訳した ジャン・ジオノ『希望をうえて幸福をそだてた男』と、宮沢賢治『虔十公園林』を読み比べてみたことも。

だらだらと再読本ばかり並べてみたのは、読みながら、若いころの自分があまりにも世間知らずで、無鉄砲で、自意識が強かったのを思い出し、恥をかいてばかりの人生やったと感慨深いものがあったから。
特に明治から昭和にかけての文豪の小説は、10代から20代はじめにかけて読んだものだから、性格形成に大きな影響を与えた。中でも『幸福者』の「先生」の清廉な生き方を手本にしようとしたばっかりに、憧れとした無頼派にはなれなかった。

ともあれ、昔読んだ本を書き出すのは、わが身をさらけ出すに等しい感覚である。
まだまだ無知な田舎者の感性を揺さぶった文字列の山は、本棚に控えている。

[PR]
# by rurou-no | 2016-12-27 10:58 | 言葉・本

「トモダチ」と「感謝すべき」のあいだには

金曜日の午前中はこの場へ入れてもらえず、午後になってやっと入れたものの、いつもより長文を書いて送ろうとしたら、またも門前払いの上にせっかくの名文(迷文)も消えてしまった。ええい、ブログなんてもうやめたるわ!と、電脳空間との別離を考えたが、思い直して。・・・今日は無事に入れた。

13日夜、沖縄県名護市の海岸へオスプレイが墜落し、大破した。もともと危ないと定評のあったオスプレイだが、配備4年目にして起きてはならない大事故が発生した。
同じ日の夜、もう一機のオスプレイも普天間飛行場で胴体着陸の事故を起こしている。

海岸の浅瀬へ墜ちた方は、民家から300mの所というから、上空からの認識では「民家の軒先」といっていい。ギリギリのところで大惨事にならなくてよかった。
ちなみに乗組員5人も救助されたそうだ。
そして昨日(19日)から、何事もなかったかのように、オスプレイの飛行が再開した。

この事故で改めて明らかになったことは、駐留米軍が日本政府の上にあるということ。
「日米地位協定」があるがため、重大事故にも拘わらず日本の警察も海上保安庁も事故機に近づけない。むしろ米軍を守るため住民を監視する始末だ。
日本政府も米軍の言いなりで、みっともないほど腰が引けている。政府は体面を保つため、沖縄を踏みつけにして恥じない。

事故について在沖米軍トップ、ニコルソン四軍調整官の「住民に被害を与えなかったから感謝すべき」といった趣旨の発言は占領軍意識丸出しで、少なくとも沖縄はマッカーサーの時代から何も変わっていないことを示す。
東日本大震災時の「トモダチ作戦」も米軍なら、「感謝すべき」と言い放つのも米軍であり、悲しいかな日本はその米軍が占領する植民地であるのが実態なのだ。

15日、ロシアのプーチンが来日。手ぶらでやってきた客を至れり尽くせりでもてなし(カモ料理尽くしで?)、手土産をいっぱい持たせて帰らせた。
北方四島の歯舞、色丹、国後、択捉は先住民アイヌの土地である。ロシア領でも日本領でもない。アイヌに返すべきだし、島民が自由に往来できるようにしなけりゃならん。

18日、サッカーのクラブW杯決勝、レアル・マドリード対鹿島アントラーズの試合は、アントラーズ大健闘で見応えがあった。

[PR]
# by rurou-no | 2016-12-20 10:16

ベロ藍に画狂老人溌剌と

しりとりに加えて、ひょんなことから「十七文字で」という決め事をしてしまった言葉遊びだけに、本文と直接関連しない表題があっても気にしないように。

4日、テレビ「日曜美術館」で、谷川晃一さんが取り上げられていた。
一度しかお会いしていないが、評論やエッセイに親しみ、色や形が奔放に展開する絵のファンでもあったので、珍しく朝からテレビのスイッチを入れチャンネルを合わせる。

80歳近い年齢でありながら、伊豆高原のアトリエで旺盛な創作活動をしている日常を紹介していた。8年前に宮迫千鶴さんを亡くしてから、一人暮らしをしているそうだ。
森を歩き、自然の中から感性を得て、線をひき色をのせていく作業は興味深い。
写生をすると形に捉われるから写生をしない、というのもうなずける。

インタビューに応える声は(役立たずの耳のせいで)聞き取れないのは残念だけど、お元気な姿を見られただけでも良かった。色違いの同じデザインの眼鏡を洋服に合わせて使い分けたり、自分で料理をしたり、背筋がまっすぐに伸び、きちんと生活をしている。恬淡とした生き方は、その年齢を感じさせない。

そこで画狂老人北斎を連想して、表題となった。
若冲の時代にはプロシアの紺青=プロシャンブルー(ベルリンの藍=ベロ藍)は高価で貴重な色だったが、時代が下って北斎の時代になると安価で手に入れることが容易になったため、北斎『富嶽三十六景』や広重『東海道五十三次絵』など、浮世絵の傑作を彩ることとなった。

ともあれ、番組を一緒に見ていた連れ合いが「また描きたくなってきた」ともらすほど、心境の変化を促す効果はあった。
禿頭爺といえば、今週はずっと体調が悪くて、暇を見つけては寝てばかりなり。

[PR]
# by rurou-no | 2016-12-09 11:00 | 美術

擬音ドレ探すミの音皿並べ

このところ三味線、ピアノ、ゴスペルと音楽三昧の連れ合いが、食事のあと2人のご飯茶碗を箸で叩いて、「ドとレの音になってる」と教えてくれた。
確かに「ド」と「レ」に聞こえる。次に「ミ」の音を見つけようと、皿を並べて探し出したのが表題になった。

ふと小さいころを思い出した。ご飯を待つ間、食卓に並ぶ茶碗や皿を叩いていたら、それぞれ違う音が聞こえてきた。面白くてそこら辺にある物を片っ端に叩いていて、行儀が悪いと叱られたことがある。
もちろん、音階などわかろうはずのないガキである。改めて思うに、この時「音楽」を発見した瞬間だったのかもしれない。少なくとも音の違いの面白さを知った。

ちょうどその頃、中米キューバでカストロとゲバラを中心とした「反バティスタ戦線」が、アメリカの傀儡であるバティスタ軍事独裁政権を倒し、革命政府の樹立に成功したことを知る由もない。
新政府の首相となり、その後国家元首の議長となった「反米帝国主義のカリスマ」フィデル・カストロが、25日(日本時間26日)90歳の長命を閉じたそうだ。

禿頭爺には、カストロよりもチェ・ゲバラがヒーローでありアイドルだった。
同世代であるなら、革命家ゲバラのポスターを部屋に貼っていた向きも多かろう。
ゲバラは禿頭爺中学生の時、南米ボリビアでゲリラ活動中に捕えられ殺されている。

キューバの情報は得にくい日本で、「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」の音楽と映画に出会えたことは、幸運だった。
経済的に貧しくても、大切なものを失わず豊かに生きる人びとの哲学を学んだ。
なんやかやいうても、カストロはんは偉大な爺さんやった。

それに引き換えわが国の政府は、とうに破綻した核燃料サイクルと高速増殖原型炉「もんじゅ」の代りに、新しく実証炉を建設するとかほざいている。
欲にからんで失敗の反省もない無責任さデタラメさに、禿頭が沸騰してきたやないか。

[PR]
# by rurou-no | 2016-12-02 10:53

鈍色の空朝露に地の揺らぎ

19日、早めの昼ごはんを食べ始めた矢先、足下からズンと突き上げられ、続けて小さな横揺れがあった。
数年前から「近い将来」と聞かされてきたのが、いよいよ現実になったのかぁと思っているうちに、連れ合いが「とにかく外へ出よう」と飛び出したので後を追った。

庭で緊張して次の揺れを待ったが何事もなく、まずは情報やとテレビをつけパソコンを立ち上げた。震源地は和歌山県南部、地震の規模はM5.4、最大震度4(ここら辺は3)で、大した被害はなく収まった。

各地で頻発する地震を知らされるにつけ、南海、東南海地震も近づいているとの危機意識が強くなる。津波がやってきたらひとたまりもない町である。
やれやれと安心していたところ22日朝、福島県沖でM7.4、最大震度5弱の地震があった。気象庁は、2011年東北大震災の余震との見解だが、今日も揺れているそうだ。

20日、日曜日に「文化の秋、美術鑑賞ツアー」と名付け(今、思いついて名付けたばかりやけど)、県庁所在地にある近代美術館へ出かけた。
お目当ては『動き出す!絵画 ペール北山の夢 モネ、ゴッホ、ピカソらと大正の若き洋画家たち』という長いタイトルの美術展。

マネやセザンヌ、ゴーギャン、ゴッホ、ルノワールなど、当時先駆的な西洋画を雑誌で紹介し、その影響を受けた若き画家たちの展覧会をプロデュースしたのが、和歌山市出身の元祖アニメクリエイター北山清太郎だった。
好きな画家は勿論、名前を知らなかった画家との出会いもあってそれなりに楽しんだはずやったのに、そのあとにあった信じ難い出来事でせっかくの印象が霞んでしまった。

美術館併設のカフェへ立寄ったところ、ここへいちいち書き出しても「そんなことありえへんやろ」と、まともに聞いてもらえないようなことが立て続けに起きたのだ。
そのショックは、夢にまで現れたほどである。しばらくは近代美術館へ行かないようにしよう、カフェへは絶対に入らないようにしよう、と心に誓った。

[PR]
# by rurou-no | 2016-11-25 11:04 | 地域


一瞬を、永遠に
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30
以前の記事
カテゴリ
メモ帳
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧