一所不住



襟ありて役割一つ知る寒さ

先月のこと、急に寒くなった朝、「歳とると冷やくいの、こたえるなぁ」とぼやいてたら、連れ合いが「襟のある服着た方が温いで」と教えてくれた。その時身に着けていたのは首筋が出ているトレーナーで、ポロシャツに着替えたら慥かに暖かかった。
人のいう事は素直に聞くものだ、と思い出して今日の表題に。

暑い時は首筋を冷やしたら涼しくなるし、寒い時はマフラーを巻けば暖かくなるのはわかっていたけど、ついつい横着してしまう。からだに老いを感じるのは、暑さ寒さに弱くなったことで、若いころ平気だった薄着が出来なくなっているのだ。あまり重ね着はしたくない方だが、そうも言ってられないからだの衰えに直面する日々である。

衰えは身体だけでなく頭もで、楽しみは専らテレビのスポーツ観戦になっている。
4日、プロ野球日本シリーズは、ホークスがベイスターズを4勝2敗で下した。
ホークスの日本一は既定のこととして何の疑いも持っていなかったが、ベイスターズが思っていたより粘り強さを発揮して、ハラハラさせられた。

同じ日、サッカーのルヴァン杯でセレッソがフロンターレを2対0で破り、初優勝を成し遂げた。開始直後と終了寸前の得点以外は終始押され気味の試合だったものの、最後まで先取点を守り切った。
野球もサッカーも応援していた方が勝ったので、めでたしめでたし。

5日、全日本大学駅伝は、学生最強ランナー鈴木健吾選手を擁する神奈川大学が優勝した。出雲優勝の東海大が2位、2連覇を狙った青学大が3位だった。
駅伝は長時間のため、1区と8区だけをテレビで。

同じ5日、トランプ米大統領が来日、日本側の過剰接待とアメリカから言いなりのまま戦闘機やミサイルを購入するという首相のポチぶりは、おぞましくてニュースを見る気にもならない。あまつさえ、娘(が立ち上げた世銀の基金)にまで57億円もの金を貢ぐのだとさ。税金やで!トランプにしたら、こんな楽な商談はあるまい。

国を滅ぼそうとする首相が選挙で支持を集めるのだから、あほらしいてやってられん。政府に都合のいい報道ばかりするマスコミの罪は重いで。
まあ、国民ももっと賢くならんとあかんのやけどな。

[PR]
# by rurou-no | 2017-11-09 10:18

語られぬ思いとどけよ虫の声

先週は午前も午後も所用があって、投稿は休みにした。
この2週間は、週末ごと台風21号、22号がやってきて散々だった。それでなくても風が強い岬の台地では、雨戸を閉め切ってじっとしているしか手立てはない。
21号の時は2時間の停電、22号では断続的に7回も停電になった。「備えあれば患いなし」とはいかないもので、前触れもなくいきなり真っ暗になるとやっぱり慌てる。

秋台風が去った31日、季節は冬になった。といっても日が差すと暑い南紀では、長袖のダウンと半袖Tシャツ姿が同居することになる。それぞれの体感温度の違いもあろう。若いころ薄着をたしなめてくれた大人の心遣いがわかるようになってきた。

先月、熊谷達也『希望の海 仙河海叙景』を読んだ。9編からなる連作短編集で、読み始めてすぐ、これは 佐藤泰志『海炭市叙景』へのオマージュやな、と感じた。だんだん読み進めていくと、井上光晴『明日ー1945年8月8日・長崎』、映画では黒木和雄監督『TOMORROW 明日』へのオマージュにもなっていることに気が付いた。

「その日、その時」まで、確かにあったどこにでもある暮らしが突然断ち切られる。さまざまな事情を抱えながらもなんとか折り合いをつけながら市井に生きる、なにげない日常を切り取って、一人ひとりの人物を丁寧に描く手法は三つの作品に共通している。

東北大震災に遭って、積極的に発信した人や沈黙を貫いた人など、それぞれの立場でそれぞれの振舞いがあった。『希望の海』も、気仙沼市と思われる地方都市が舞台となっている現代小説ゆえに、震災は避けて通れない。
9編のうち最後の2編は「その後」の話で、『ラッツォクの灯』は出色だった。

震災の情報はおもに新聞記事から入手していたが、その新聞以上に、また他の震災関連の小説とも違って、この小説はそこに住む人びとの息遣いが生々しく伝わってきた。おそらく作家自身がその街と人を、肌感覚で知っているからではないか。
さらに『海炭市叙景』への敬意を忘れず、同じ位置と目線を持っていることだ。

そんなこんなで、今回の表題となった。
現実の出来事を報道する新聞記事やテレビの映像からは伝わらないものが、小説という形で伝わることもある。事実と真実あるいは本質の違い、見えている現象とその裏側にある見えないもの、主張する声と発せられない声、そしてとどかぬ思い、なんてことをつらつら考えさせられた。

[PR]
# by rurou-no | 2017-11-02 11:00

凄まじき音に抗い夢の中

いつだったか、聴覚障碍者の症状の一つとして、頭の上を飛行機が飛んでいる漫画を見たことがあった。その絵を覚えているのは、まさに今の自分そのものであったから。
健聴者には理解し難いと思うが、聴覚障害にも症状は人によってさまざまであり、難聴だからといって聞こえないわけではない。

禿頭爺の場合は、頭の中で常に騒音ノイズがしている状態で、人の声が届かないのだ。
テレビの砂嵐のノイズが始終している、頭の中に蝉を飼っている、機械音がやかましい工場の中にいる、工事現場の騒音が四六時中している等々、言葉で説明は難しい。
一番近いのが件の絵だった。頭のすぐ上すれすれにジェット機が飛んでいる、又は頭の中でジェット機が飛び回っている。

人の声は言葉の輪郭を成さず、別の騒音となって襲ってくる。ゼリー状の物がからだにまとわりついてくるようで息苦しくなってくる。気持ちが悪くて倒れそうになる時もあるので、できるだけ人が集まるところを避けてはいるが、そうとばかり言ってられないから色々と大変な思いもする。
とりあえず1対1で向かい合って、大きな声ではっきりと話してもらえば会話はできる。連れ合いとの会話でも何度も聞き直し、時に声を荒げることがある。

耳に入ってくる音が小さくて聞こえないと誤解されがちだが、人の声は聞こえても輪郭がぼやけてわからないのだ。視力の弱い人と同じだと思う。
たとえば何かが当たる音は必要以上に突き刺さってきて、ちょっとした音でも驚いて可笑しくなることがある。

本日の表題について。頭の中のジェット機がうるさく眠れないことがしばしばで、毎夜2~3時間は騒音に耐えられず目を覚ます。そんな日々でも起床前1~2時間はよく眠れて、夢をみることが多い。
今朝はまんじりともせず朝を迎えたが、その前の日は森の中を延々と歩いていた。畑に出て畑の中を歩いていると蜘蛛の巣がからだに絡みついて困った。そしてやっと民家のある場所へ出たところで、目が覚めた。

一昨日、自衛隊ヘリの墜落事故が発生し、昨日は戦闘機が火災を起こした。このあたりでもドクターヘリや、海に落ちた釣り人を捜すヘリがしょっちゅう飛んでいて、ホバリングの音がすごい。
集落を米軍のヘリパットに囲まれた東村高江の人たちのことを思う。11日に高江で墜落事故を起こした米軍は、事故原因の説明もなく昨日同型ヘリの飛行訓練を再開したという。米軍の前で尻尾を振ることしか知らない日本政府とはいったいなんや。

[PR]
# by rurou-no | 2017-10-19 11:04

てんでにとわかっていても君探す

東北の大地震をきっかけに、「てんでんこ」ということばがキーワードとして広まるようになった。災害のときは、めいめいが自分の身を守るために素早い行動を促す意味で使われる。この辺りでいう「てんで」とほぼ同じだと理解している。

朝日新聞の連載企画記事「てんでんこ」は、あの地震のとき、地震のあと、そこで何があったのか、その後どう行動したのか、何がどう変わったのか等々、住民に寄り添った記事は注目に値する。中でも、すこし前に掲載された「音楽の力」が心を打った。

音楽は、隙間風に震えて風邪をひきそうになった心の隙間を埋め、冷えて弱った心を温める蒲団の役割も果たしてくれる。それまで聴いてきた音楽がその人の個人史と重なり、また新しく聴いた音楽は、新たに書き加えられる。人びとの心が荒んでいるときほど音楽は力を発揮するし、趣味嗜好を超えたところで人の心を救う力を秘めている。

前回触れた映画でも、印象に残ったのは映画そのものよりも音楽の方だった。ミュージシャン志望の青年が雑貨店の前で吹くハーモニカのメロディが胸に染み入ってきた。その音楽が物語の核の一つとなるのだが、女性歌手が歌い出すと禿頭爺は太鼓の革になって感情を乱打された(ちょうど祭りの時期、獅子舞が荒獅子を舞うときの太鼓や)。

さらに、彼女のダンスにも魅せられた。確かな表現力に支えられたダンスだったからこそ、シルエットでもいいから身体の線の動きをもっと見たかった(監督は風になびくドレスを見せたかったのだろうが)。

あれっ、音楽から離れてしまった。要は表現されたものこそが人の感情を揺さぶり、心の栄養になるのだということ。からだの栄養となる食べ物と同じで、人間にとって必要不可欠のものなのだ。それは例えば絵でもいいし、文章でもいい。

月に1回だけ新聞で読める、石牟礼道子さんの『魂の秘境から』は、なんて美しい文章なんや、と心が洗われる思いで読んでいる。一部抜き書きさせてもらうと、「海が汚染されるということは、環境問題にとどまるものではない。それは太古からの命が連なるところ、数限りない生類と同化したご先祖さまの魂のよりどころが破壊されるということであり、わたしたちの魂が還りゆくところを失うということである。」

こうしたものに包まれて歳を重ねてきた。

[PR]
# by rurou-no | 2017-10-12 10:11

寝首搔く魑魅魍魎が跋扈して

近ごろテレビのニュースを見るのが気持ち悪い。悪事の言い逃れが出来なくなった首相が自分の困難を「国難」と言い換えて、憲法に違反する国会冒頭での解散を強行した。選挙の告示まで空白の2週間にあたり、慌ただしく動き回る魑魅魍魎がニュースで頻繁に報道されている。各党の党首が画面に映るたび、気持ち悪くて顔を背けるかテレビを消すのが習いとなった。

野党第一党が解体され新党へ合流したが、ここは海外から客観的に見れば「極右ポピュリズム政党」だ。大阪の差別排外主義政党と同じや、と思ってたら案の定、手を組んだ。
おいおい、中道リベラルはどうすんねん、戦前の翼賛体制になってしまうのか、と危機感を抱いていたところ、なんとか受け皿となる政党も現れた。

今や、戦争を是とするのか、非とするのか分岐点に立たされてしまった。平和ボケしたバカどもがゲーム感覚で戦争を始めようとする。そこには戦争とはどういうものか、想像力が欠落しているのだ。「正しい戦争」なんてあろうはずはないし、始まってしまえば醜い殺し合いが悪化するのを止められなくなる。

単細胞脳の連中が北朝鮮の危機を煽ろうと躍起になっているが、冷静に考えてみれば戦前の日本とよく似た体制である。ちゃんと戦争の総括をしていれば、どう対応すればいいのか処方箋はできていたはず。愚かな戦争を始めて300万同胞の命を奪い、国土を荒廃させたことについて反省しないまま曖昧に済ませているから、また戦争をしたがるバカが大きな顔をして恥ずかしげもなく出てくるのだ。

先週末、久しぶりに映画へ出かけた。前に(2012年6月)読んだ東野圭吾の小説で、雑貨店のシャッターにある郵便受けを通して手紙が過去と現代を繋ぐ、という設定が面白かったのを覚えていた『ナミヤ雑貨店の奇蹟』が映画化された。山下達郎作詞・作曲、門脇麦が歌う「REBORN」が秀逸だった。

昨夜は十五夜、今夜は十六夜、そして明日は満月の立待月。暦のずれもそれはそれで、よしとしよう。

[PR]
# by rurou-no | 2017-10-05 10:35

八雲立つ天地(あめつち)のこえアキアカネ

「八雲立つ」は「出雲」にかかる枕詞と中学校で習った。枕詞は特に意味を成さないが、「八雲」には雲が重なっているという意が含まれている。
今日の表題に困ってふと見上げた空に、幾重もの雲が重なっていたのを目に留め「八雲立つ」のことばが出てきた。

このところ続く前例のない極端な気象や地震など、さまざまな理由が後付けで説明されるものの、やはり天地のこえに耳を傾けることが必要とされているのではないかと思う。雲を見て、風を感じ、虫や草花などを愛でて、小さな変化を見逃さず気付くことで、私たちの活動を謙虚に見直すべきなのだ。

「頭の悪い犬ほど吠える」「弱い犬ほど吠える」とよく言われるが、その両方を兼ね備えた2匹の犬が相変わらず吠え合いしている。そうこうしているうちに、大型犬に隠れるようにして子犬がキャンキャン吠え出したのにはたまげた。恥ずかしくて見てられない。周りから嘲笑が聞こえてきそうである。

そんなどさくさに紛れて、政府は陸上に配備する迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」を、2ヶ所に配備することになったという。1基約800億円もする役に立つかどうかわからないものを2基も買うのだと。
オスプレイしかり、アメリカの不良品の在庫を高値で買い取る従属国やあわれ。

99年ぶりの異常事態となったのは、大相撲秋場所。3横綱2大関が休場して、それぞれ1人ずつしかいなくなった。なんとかその2人で優勝決定戦までしてくれたが、11勝4敗で優勝(金星4つの大盤振舞い)では、いささか物足りない。

それでも優勝した横綱日馬富士は責められない。満身創痍なのに、3人が休んだから休めなくなってしまい、千秋楽まで責任を果たした。
若くて活きがいいガチンコ力士が幕内上位に揃って、大相撲にも世代交代の波が押し寄せてきている。ただ、力尽くの大味な相撲が増え、技の攻防が少なくなったのはいただけない。業師の登場を切に願う。

[PR]
# by rurou-no | 2017-09-28 10:56

愚者たるを我に知らしむ半生や

近ごろ髪の毛は伸びない(というよりも、ない)くせに、髭と爪がやけに早く伸びると感じる。実際はそれだけ日が経っているのに、時間感覚が追い付いていないせいなのだが。これも老化現象のひとつか。あくまで退化でなく進化としたい。

前にこの欄で、人生を一字で示せば「恥」になると書いた覚えがある。その時点ではわからなかったことが、客観的に振り返ってみると恥ずかしいことばかりを繰り返してきたような気がするからだ。若気の至りっていうやつ。中年になってもやっていた。
そこで今回の表題、人生は愚か者なる自分を知るための時間だった、と気が付いた。

唐突にこんな展開になったのも深い意味はない。「ぐ」から「愚」の字が浮かび、愚図、愚劣、愚昧、愚案、愚者と言葉を連ね、十七文字に収めただけなので。

この1週間は、列島が台風18号に翻弄された。各地で暴風と豪雨が猛威をふるい、その爪痕を残した。当たり前のように川の氾濫や山崩れが生活圏を襲って、大量の雨に街全体が浸水している光景がテレビの画面へ映る。
この地は進路から離れていたとはいえ、突風が家を揺さぶり、風の音がやかましくて眠れない夜、停電で真っ暗となった。

気分を変えてプロ野球、16日にホークスが、18日はカープがリーグ優勝を決めた。
今シーズンはこれまでになくテレビ観戦をした(といってもホークスは数回だけ、カープは関西では中継がある対タイガース戦)し、優勝の瞬間を見られたので共に喜べた。

20日(現地19日午後)、メキシコでまたM7・1の大地震があったそうだ。都市圏直撃でビルの倒壊が凄まじい。少なくとも217人の死亡を確認したというから、その被災の衝撃と広がりは計り知れないものがある。なんとか1人でも多く助かって、と願う。

朝食時、連れ合いが「夏は今日までやて」、禿頭爺は「ほな明日から秋かいな、どっかに線引いてるのか」とあほな会話を交わす。確かに明後日は「秋分」。秋支度を始めないと。愚図愚図してると冬支度になってしまう。

[PR]
# by rurou-no | 2017-09-21 10:27

きらめいて陸上テニスカーリング

この欄はタイトルを記入をしないと送信できないし、突然消えてしまうこともあるので、前回はあせった。苦し紛れに、「中秋」にはひと月早いが、見事な月が出ていた前夜を思い出して表題とした。あわてていて、「月の舞」「秋の月」と「月」が続いたのにも気が付かなかった。まあ、よろし。

今年はどういうわけだか、暦が9月になるに合わせて秋の風を肌に感じるようになった。もっとも昼間は、「残暑厳しき折」となるのは避けられない。そんな季節の移ろいについて書こうと思っていたのに、サッカーのことから書き始めたら、すっかり忘れていた。もともとこの画面を開いてから思いつくまま、ダラダラと文字を打っている個人的な雑文だからそんなもんや。で、今回は表題を安易に済ませた。

9日、陸上100mで桐生祥秀選手が初めて10秒の壁を破る9秒98の記録を出した。
10日、カーリング女子代表決定戦でLS北見がオリンピック出場を決めた。
12日、引退を表明していたテニスの伊達公子選手が最後の試合を終えた。

それぞれスポーツニュースで結果を知ったに過ぎないが、失意から甦って9秒という新しい世界へ踏み出した桐生選手。地元でクラブチームを立ち上げ8年で悲願を達成した本橋麻里選手。1ゲームも取れずに24歳の選手に引導を渡された46歳の伊達選手。

たまたまこの1週間にあった試合だが、その結果に至るまで様々な物語が背景にある。外野席で見ているだけの者にもそれなりの感慨があり、選ばれし才能をそこまで高めていった選手たちへ、掛け値なしの賛辞とエールを送りたい。

8日(現地時間7日深夜)、メキシコでマグニチュード8・1の巨大地震が発生したそうだ。建物の崩壊が夥しいニュース映像からも規模の大きさがうかがい知れる。12日、ペニャニエト大統領は地震による死者が98人になったと明らかにした。まだ増えそうで心配だ。被災者は200万人を超える甚大な災害となっている。

このところ国内にあっても、日常を奪われる大災害が立て続けに起こっている。ニュースで知るたびに被災者を思って心が痛むが、この老爺には何もできないので、ますます憂慮に耐えられなくなる。こんな年寄りにしかなれなかったのは情けない。

ミサイルの避難訓練など戦時中の妄想を国民に強いるのでなく、稼働中の原発を止めるという現実的な判断ができない政府のバカどもがもどかしい。
心が沈んだり、怒ったりと、忙しい残暑の日である。

[PR]
# by rurou-no | 2017-09-14 10:31

急ぎ足追いつ追われつ秋の月

8月31日、サッカーワールドカップアジア予選で、日本代表はオーストラリアに2対0で勝利し、本大会出場を決めた。
得点者はサンフレッチェ広島時代から応援していた浅野選手と、ガンバ大阪で名手遠藤選手の後継者としてチームを率いる井手口選手。22歳と21歳の若手である。

この試合で目を引いたのは、元セレッソ大阪の乾選手の献身的なプレー。相手の攻撃の芽を摘む術に長ける現セレッソの山口選手や前出の2人とともに馴染みのある選手が躍動する姿は喜ばしい。とりわけ井手口選手の活躍は際立っていた。
5日のサウジアラビア戦は見なかったが、0対1で負けたそうだ。

スポーツのテレビ中継は映像だけ見ていればいいから、主屋で過ごす時間が増えるにつれ、チャンネルを合わせる機会が多くなった。
プロ野球はパ・リーグのソフトバンクホークスとセ・リーグの広島カープが優勝マジック10で並んだ。我が家のそれぞれが応援しているチームなので、機嫌よろしく家庭内平和が保たれている。

8月29日朝6時ごろ、北朝鮮が事前通告なしにミサイルを発射し、北海道上空を通過して襟裳岬東方沖約1,180キロの太平洋上に落下したという。
このとき、全国瞬時警報システム(Jアラート)が作動して、12道県にサイレンが鳴り響き、携帯電話に緊急速報が配信されたそうだ。

首相は「発射直後から動きは完全に把握していた」と言うが、ならば何故これほど大袈裟に騒ぎ立てるのか。「国民の保護」を言うなら、やり方があるだろう。
鉄道は止まり、テレビは緊急番組に切り替わったとか。早朝に大騒ぎをして、何を狙っているのやら。

サイレンや携帯のアラーム音に驚いて、実際に交通事故が起こったそうだ。
それにもし落ちてくる可能性があったとしても、逃げ場所なんてないのが現実だ。サイレンが鳴ろうが、ミサイルにはひとたまりもないぞ。竹槍ではあかんで。
どうもこの国の政府は、戦争の準備を着々と進めているように思えて仕方がない。

と、ここまで書いて、まだ表題を思いつかないままや。どないしょ。

[PR]
# by rurou-no | 2017-09-07 10:44

ぬばたまの宵に遊びし月の舞

26日、5年ぶりに夏の京都へ出かけた。例によって例の件で、やっと行けた。
電車に乗るのも久しぶりなら、人混みの中を歩くのも同様。人いきれに酔うなんて、すっかり田舎のジジイである。

さて、伝統芸能の世界では、高齢になっても現役を続ける人が多い。歳を経るほどに芸を深め、進化していくのが当たり前のように行われている。
それが、現代芸術の舞台となると、体力の衰えを表現力で補うことがままならない場面を目にする機会が、比較的多くなる。

ところが、60代半ばの年齢である彼らは、同時代芸術で明らかに進化を続けていた。
公演のたびに面白い場所を探し(今回は大正モダン建築の洋館ビル)、その場の空気を感じながら想像をふくらませていく中で、踊りを見つけ、組み立てていくような作り方をしているのではないか、と思われる舞台は、常にうれしい発見をもたらしてくれる。

随所に新しい着想や工夫が見られ、見せ方を心得た演出は、練達者ならではのもの。
また、無理を強いていた時期もあった身体は、無駄な動きが少なくなり、自分で統制がとれてきているように見えた。今のからだと真摯に向き合っている気がする。

とまあ、抽象的な言葉ばかり並べているが、まさにそうした抽象の寄せ木細工が、彼らの舞台である。「舞踏」とか「ダンス」とか、一般的な言葉で括れないのだ。
見る方は、提出されたものから何を感じるか、ということだから。

もっとも印象に残ったのは、黒ずくめの男4人が首から下げた小さな明かりで顔だけ照らし、窓の外に立っていたシーン。何よりも、黄昏時から宵闇が深まる外の時間が、常に見えている設定が良かった。正面奥のオブジェへの期待も高まった。

確かに、光の美しさ、音楽の選曲、造形物や衣装と小道具の面白さ、空間の使い方、あるいは振り付け、演出、構成などなど、挙げればいくらでもあるが、禿頭爺の少ない語彙では伝えきれないから、見るしかないのである。

ともあれ、カーテンコールの拍手をしながら、こんなかっこいい人たちが身近にいた幸せをかみしめていた。

[PR]
# by rurou-no | 2017-08-31 11:03


一瞬を、永遠に
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28
以前の記事
カテゴリ
メモ帳
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧