一所不住



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移ろうて猫の逢引闇に声

金曜(17日)、日曜(20日)、そして今日(23日)と、3日ごとに春の嵐が吹く。
金曜のが「春一番」やと思ってたら日曜のがそれやったらしい。今日はさしずめ「春二番」となろうか。昨夜からの風は陋居を揺らして、おちおち寝てられないほどである。
気温も「三寒四温」ならぬ「二寒一温」に。季節が移ろう時期になった。

と、ここで表題を思いついた。昨夜、部屋の明かりがぼんやりもれる庭に、黒い猫がやってきたので、また糞をしにきたのかと思い追っ払ったら、植木の陰に隠れてしまった。しばらくして春の夜に盛んになる例の声が(禿頭爺は聞こえないけど連れ合いが教えてくれた)。そうか、ここで待ち合わせしてたのか。
そういえば数日前も歩いている途中、暗がりの道の真ん中で猫二匹が重なっていたのを見かけた。なにも往来でしなくてもいいのに、邪魔したな。

今週のニュースは「正男」暗殺でもちきり。おかげで問題山積の国内ニュースは霞んでしまった。「テロ等準備罪」は、「共謀罪」をテロ対策ならしゃーないと思わせるための姑息な言い換えに過ぎない。

前回の続き。一般に「大逆事件」というと1910年の「幸徳秋水事件」になる。
後に明治政府による捏造であることが明らかになったこの事件は、日露戦争と朝鮮侵略に反対する全国の社会主義者と無政府主義者が一斉に逮捕され、十分な証拠調べもないまま24人に死刑判決(内12人は無期懲役に減刑)が出た。

地元紀州新宮では、大石誠之助と成石平四郎が死刑、高木顕明、峯尾節堂、崎久保誓一、成石勘三郎の4人が無期懲役と、権力によるでっち上げの犠牲になった。
6人とも無実の罪を着せられた。恣意的に犯罪者を作り上げるのは権力の常套手段である。「嘘から出た真」(大石)は、いつの世もついて回る。

訃報(23日朝日)。【「けんかえれじい」「ツィゴイネルワイゼン」など個性的な美学に貫かれた作品で知られる映画監督の鈴木清順(すずき・せいじゅん、本名鈴木清太郎<すずき・せいたろう>)さんが13日午後7時32分、慢性閉塞性肺疾患のため、東京都内の病院で死去した。93歳だった。】

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by rurou-no | 2017-02-23 10:50

流布したるウソとマコトがせめぎ合う

今シーズン最強の寒波がやっと落ち着き、今日は春の陽気になるとか。
記録的な大雪を伝えるニュース映像や写真を目にするにつけ、大いなる自然の力を前にした人間の小ささを思い知る。
試練ともいえる困難な状況に繰り返し遭いながら、そこから離れられずそこで生活していくしかない、人間のしぶとさと逞しさには憐憫の情さえ抱く。

さて、このところ訳が分からなくなっているのが、ウソとマコトが等価値として扱われるようになったことだ。
時代に置き去りにされている感もなくはないが、嘘は方便のときだけ有用であり、あまねく人や社会とのかかわりの中で嘘はつくべきでない、正直をよし、と信じてきた。
ところがどうだ、今はたとえ事実でないことであっても大きな声で相手に伝われば、「もう一つの事実」として世間に通用して、「事実」を超えてしまう。

「事実」かどうかは問題ではなくて、「伝わる」かどうかを問われている。
「メディア・リテラシー」というカタカナ語が市民権を得てきた。世の中に氾濫する情報を読み解き、真偽を見抜き、活用する能力が必要なんやて。
これまで伝える側にあったものが、いつの間にか受け取る側の責任になってきた。
ネット時代の嘘八百情報に慣れて、寛容になるのも甚だしい。

それにしても、妄想による作り話を撒き散らす権力者にメディアが振り回されている、という図はいただけない。
抱えきれぬほどの貢ぎ物を手に忠犬ぶりを発揮したポチに、喜ぶ統領が並ぶ写真は誠に似たもの同士で、両者ともさぞご満悦だろう。見てる方は反吐と嘲笑や。
前大統領とは知性と非知性の対照が際立ったツーショットも、バカップルの2人では面白味に欠ける。「嘘つき合戦」の記念撮影と見ようか。

金子ふみ子『何が私をかうさせたか』 関東大震災の混乱の中で朴烈とともに「予防検束」された文子。治安維持法、共謀罪から大逆事件に発展して死刑判決を受けた。国会審議中の「テロ等準備罪」は、いつでも一般市民を死刑にできる法である。

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by rurou-no | 2017-02-16 10:47

やりきれぬ怒り悲しみ雲を見る

2月に入って少しずつ兆候があったので、「まだやで、まだやで」と穏便にやり過ごそうと目論んでいたが、とうとう昨夜は2時ごろに目が覚め、まんじりともせずそのまま朝を迎えた。
くしゃみ9連発新記録の合図とともに、花粉症の季節はじまり、はじまりぃ~!

4日土曜日、映画『この世界の片隅に』を観てきた。
昔ファンだった(田舎では新聞の4コマぐらいしか漫画を見る機会がない)こうの史代さんの漫画がアニメーション映画になると知ったとき、これは是非観てみたいと、近くの映画館情報をチェックしていた。
先月下旬に思いがけず、原作本3冊がわが家へやってきたので、それを読んだあと上映中の映画館へ。結論から言うと、先に映画を観た方がよかった。

映画は原作漫画ほぼそのまんま、内容を踏襲して誠実で丁寧に作られていた。絵に色が付き、絵が動き、絵が喋っているからわかりやすくてええんやけど、読者に想像力を与えてくれる漫画の情報量の方が圧倒的に大きい。
もっとも、この漫画が漫画雑誌の中だけで収まらず、評判のいいアニメとなって広く知られることは、喜ばしい限りである。

表題は、映画の中で突然流れてきた『悲しくてやりきれない』の歌から。
昨年5月広島で、オバマ米大統領は「71年前、明るく雲一つない晴れ渡った朝、死が空から降り、世界が変わってしまいました」(朝日)と、まるで他人事の挨拶で、聊か失望させられた。

その返礼かどうか、日本首相も年末のどさくさに紛れてハワイの真珠湾へ行ったらしい。新聞の見出しに「謝罪」がどうのこうのとあったのを目にしただけであったが、真珠湾へ行くのなら、日本国民に向けて戦争の総括と反省が先やないのか。
それもなしに、何しに行ったんな。こんな国民を裏切るような奴に好き勝手させといてええのんかい、と禿頭が沸騰したど。

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by rurou-no | 2017-02-09 10:42

節分ける風はアメトラかしましや

ひやくい冬真っ只中や、と思うてたら明日3日はもう「節分」やて。明後日には「春が立つ」。暦が実際の気候に先走り、体感は気候の変化を後からやっとこさ追いかけているような按配で、着ぶくれたからだを丸めながらも思わず力が入る。

節分といえば、この地域では道の辻で小銭をばら撒く風習があると聞いた。
お金を撒いて「邪」を祓う、子どもたちは「福」を拾う。手から離れることで「邪」が「福」に転換する。場所は道路の角っこでなければならない。
どこで、どういう経緯で、だれが始めたのか、不勉強で分からないまま(これを教えてくれた人も「昔からやっていた」と)。昔の子どもたちにとって、小遣いを手に入れる数少ない機会やったんやろな。

異風習の面白さでええやないか、と済ませてたままだったその意味をおしはかると、仏教文化の「施し」に通じるのかもしれない。
持てる者が持たざる者に「施し」をするのは、当然の行為であるという考え。
所有したままでは「邪」を抱え込んだ状態で、手放したときに「邪」が「福」となり、必要な人がそれを手に入れる。お互いに「福」がもたらされるのである。

こうした「お互い様」の考えとは真逆の動きが、今世界中を掻き回している突風(アメリカのトランプ略してアメトラ)である。ここら辺では「あがばっかし」という。
異なる意見には耳を貸さず、根拠のない思い込みだけの作り話をもとに非難や中傷を繰り返す。その下品さには反吐が出そうになる。慣れてしまうのが怖ろしい。

こんなトンデモ野郎は、コイズミイシハラハシモトアベプーチンキムジョンウンシーチーピンら同類が連なった。大衆は免疫を付けられ、とうとうこんなんが最高権力者となってしまった。現象は事実かどうかが問題でなく、いかに騙すかが問われる。騙される方が悪いのだ。さらに何事も自分中心であらねばならず、違う者や事は徹底的にやっつけなければならない。人類破滅の日が近づいてきたな。

今週は連れ合いの本棚から、伊坂幸太郎『仙台暮らし』、宮下奈都『たった、それだけ』、イヴ・シモン『感情漂流』。

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by rurou-no | 2017-02-02 11:12


一瞬を、永遠に
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