一所不住



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剣呑なる空気

先週は大家さんにトラブルがあったらしく、アパートの共有出入り口が封鎖された店子は、自分の部屋にも入れない状態で、1週間の空白が出来てしまった。
もっともこのところの体調不良は、それどころじゃなかったともいえる。

永六輔さんを追うように12日、大橋巨泉さんも亡くなった。
戦時中を知る発言力のある長老が、ひとりふたりといなくなる。
世間を広く知り、的確な助言を与えてくれていた彼らの不在は、剣呑なる時代の空気から酸素が奪われていくようで、息苦しさがますます強まっていく予感に竦んでしまう。

新聞報道によると、文科省が学校教育における「政治的中立」を求める通達を全国の教育委員会へ出したそうだ。偏った考えの大臣がいう「中立」って、いったいなんや?「中立」という「偏向」を押し付けているだけやないか。
さらに、新学習指導要領で「道徳」を教科にするという。ただでさえ世間の常識に疎い学校現場で、ましてや政治的介入による偏った価値観を強制しようとたくらむ権力と一体となった動きは、子どもたちにとって不幸この上ない。

前回の「猿後家」は、本文とタイトルの関連がわかりにくかったかもしれない。
要はメディアのタブーが、私たちの「知る権利」すら保障されなくなってきているということ。何を知らされていないのか、知ることもできない。権力に都合のいい情報だけで意識操作されている自覚がないままである。笑えない「禁句」は不気味だ。
【剣呑】危険な感じ、不安をおぼえる状態。

26日未明に相模原市の障害者福祉施設で元職員が起こした大量殺人事件は、19人が死亡、26人が重軽傷を負う、凶悪で悲惨なものだった。
メディアでは加害者の異常性ばかりが報じられているが、一方でこの国の障碍者ケアのあり方も問い直すべきだ。隔離と薬漬けの実態から目を背けてはならない。と、同時に加害者の考えに同調するバカが増えないかと危惧する。

外国では「テロ」が頻発している。決して対岸の火事ではない。根底には共通する問題を孕んでいるのだから。
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by rurou-no | 2016-07-29 15:36

猿後家

鬱陶しい日和続きで、からだも頭も重ぉーくなってしまい、へたれの年寄りに今更何か書くことなどどだい無理なこって。九州では大雨だというのに、ここら辺は梅雨の一休みなのか、朝から突き刺すような日差しが容赦ない。週末はまた雨になるそうな。

7日、永六輔さんが亡くなったそうだ。
10日、参院選の投開票があり、自公の与党が大勝するとともに、改憲勢力が3分の2を超えた。って、そんなに中国みたいな国になるのを望んでいる人が多いのか。

そもそも、憲法が何たるかを知らない連中が、憲法を変えたがっているのや。
国民主権がなくなって、国家主権やなんて、もはや憲法ではない。
権利が剥奪され義務ばかりを強要される、全体主義国家になってええんやろか。
自由と民主主義がなくなるんやでぇ。

自民党の憲法草案を、いっぺん党員だけでやってみたらええ。どんなアホなことを決めようとしてるのかよくわかるはずや。とてもまともな大人の考えることやないで。
まあ、選挙になると「経済、経済」と目先の金のことばかりで、失敗した政策すら「道半ば」なんて詭弁に、安易に騙される我々選挙民にも責任の一端がある。

沖縄の米軍基地問題や、福島の原発事故後の無責任なやり方をみても明らかなように、政府は「国民の命と安全を守る」と言いながら、国民をいとも簡単に棄民化する。
先日、バングラデシュで犠牲になった日本人も、去年1月の首相のエジプト・カイロ演説が遠因であることは、疑うまでもない。

と、なかなかタイトルに行きつかないぞ。「猿後家」は上方落語からいただいた。
猿に似た顔の、お家はん(女主人)の前で「さる」は禁句。べんちゃら上手の太兵衛さんが「大津絵の藤娘に生き写し」とべんちゃら言って、酒と鰻にありつく。ところが奈良の説明をしていて思わず「猿沢の池」と口にし、しくじってしまう。そのあともべんちゃらとしくじりを繰り返し、べんちゃらで「お家はんを昔の美人にたとえましたら」と、小野小町、照手の姫、衣通姫(そとおりひめ)の名をあげ、最後に楊貴妃のところ「楊妃妃」(ようひひ)でサゲとなる。
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by rurou-no | 2016-07-14 14:45

テグサ

今年は6月になっても例年になく涼しい日が続き、おてんとさまは夏になるのを忘れたんやろ、と冗談口をたたいていたものだが、カレンダーを1枚めくって7月になったとたん、夏のど真ん中へ突入した。

そがい急に変わらいでも、と文句のひとつも出てくるほど夏真っ盛りである。部屋の温度は34度。エアコンも扇風機も苦手な禿頭爺は、自然の風だけが涼を感じる唯一の手段で、風が止む時間は「心頭を滅却すれば火もまた涼し」を地でいく態勢になる。

「小暑」日あしは徐々に短くなるが本格的な暑さが始まる。ってもう十分に暑いでぇ。
「七夕」連れ合いが朝、「七夕の日に晴れるなんて珍しいね」と話してたように、このところ七夕は雨と相場が決まっていた。今夜は久しぶりに牽牛と織女の逢瀬が成る。「2人とも長いこと会ってなかったから、お互いの変わりようにびっくりするんとちゃうか」とは禿頭爺。さて、久方ぶりの邂逅や如何に。

前置きが長くなったが、「テグサ」とは寒天や心太の材料となるテングサのこと。
数日前農協系のスーパーへ立ち寄ったところ、地元の農家が名前入りで農産物を並べているコーナーの一角に、海産物のテグサが紛れ込んでいるのを見つけた。

子どものころ、テグサの口開けになると、早朝から総出で浜辺へ出かけた。小さな子どもでも、浅い岩場にあるテグサを引くことができるほど、海藻類が豊かな時代だった。
もっともガキどもの楽しみは、ひと仕事終えたあと浜で食べる弁当にあった。

朝が早いから、おかずは梅干しとコンコ(沢庵漬け)、そして前夜の残り物であるが、残り物といっても新鮮な魚を煮たり焼いたりしたものに、イソモン(連れ合いの地元ではマギ)やらサザエなどが加わる。今から振り返ると贅沢なものだった。
禿頭爺は梅酒に浸かっていた梅が大好きで、その味が磯の記憶と結びついている。

バットに出来上がった寒天を、水羊羹と勘違いしてつまみ食いしたものの、食感は似ていても期待していた甘さはなく、裏切られたような気持ちになったのも、食の記憶。
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by rurou-no | 2016-07-07 13:57


一瞬を、永遠に
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