一所不住



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ヒツジサルにて年越し

大晦日。「ヒツジサル」は「未」と「申」で十二支。十干と合わせて「乙未(きのとひつじ)」「丙申(ひのえさる)」になる。古文書では、日付に「寛政三辛亥年五月六日」などと、十干十二支入りで表記されている場合が多い。

さて、年末恒例の(といっても去年やっただけ)読書で振り返る1年。
今年はとうとう本屋へ足を踏み入れることもなく、つまり一冊も本を買うことなく過ぎてしまった。
読む本といえば、連れ合いが図書館で借りてくる本と、時おり購入する本、そして本棚に並んでいる本の再読、に限られる。
それでも、活字が詰め込まれた紙の重なりは、渇いた喉を潤してくれる美味なる水だった。

1年前に倣って月別ベスト本を挙げるつもりだったが、収穫のなかった月も出てきたので、面白かった本を任意に選んでみようと思う。
1月・又吉直樹 『火花』 文芸誌『文学界』で読む。芸人世界を普遍的なテーマと真摯な筆致で。
   西加奈子 『さくら』 『サラバ!』を世に出した作家は、初期から興味深い作品を書いてた。
2月・黒川博行 『後妻業』 ほぼ同じ内容の後妻業事件が明るみに。事実も小説も奇なり。
   津島佑子 『黄金の夢の歌』 記憶の底にある歌を求めて中央アジアを旅する壮大な物語。
   後藤正治 『清冽 詩人茨木のり子の肖像』 詩人の人物像が清々しく鮮明に立ち現われる。
   池澤夏樹 『池澤夏樹の旅地図』 移動の旅と思索の旅。好奇心と知性が世界を魅力的に。

3月・多和田葉子 『献灯使』 ベルリン在住の著者が描く近未来は、現実にある一面を捉える。
   沢木耕太郎 『世界は”使われなかった人生”で溢れてる』 もう一つの人生はどうだったか。
4月・なし
5月・日本文学全集『中上健次』 唯一無二の作家として中上健次の大きさを再認識した。
   岩瀬成子 『きみは知らないほうがいい』 もっと読まれていい児童文学作家である。
6月・中島京子 『かたづの!』 江戸時代の女大名が戦を避けて領民のために孤軍奮闘する。

7月・柴崎友香 『パノララ』 パノラマ写真に生じる空間の歪み、ズレているのはどっちなんや?
   米澤穂信 『リカーシブル』 ミステリーはあまり読まないのに、この作家はよく読んでいる。
8月・原田マハ 『モダン』 『楽園のカンヴァス』と対をなすような短編集。MoMAが舞台に。
   吉田修一 『森は知っている』 産業スパイ小説。指令に翻弄される少年たちが切ない。
   宮本輝 『田園発港行き自転車』 富山の田園風景の中を自転車で走る爽快感が秀逸。
9月・宮本輝 『水のかたち』 骨董屋で手に入れた手文庫の中にあった壮絶な引き揚げの手記。

10月・乃南アサ 『水曜日の凱歌』 戦中戦後の「女子挺身隊」は国家プロジェクトだった。
11月・内田洋子 『ミラノの太陽、シチリアの月』 珠玉の短編集として読んだ秀麗で上質な随筆。
    津村記久子 『この世にたやすい仕事はない』 ありそうでない真面目仕事小説が笑える。
    長野まゆみ 『冥土あり』 昭和の時代を背景に実直な職人だった亡父の生涯を辿って。
12月・宮下奈都 『羊と鋼の森』 調律師を主人公とした深遠なる音楽の森への誘い。音楽愛。
    森博嗣 『喜嶋先生の静かな世界』 大学院生と研究者の好ましく羨ましい師弟関係。
    
今年最後に読んだのは、梨木香歩 『海うそ』 。豊穣なる物語にどっぷりはまってしまった。
昭和のはじめ、かつて修験道の霊場と大寺院群があった南九州にある離島を調査する地理学者。平家落人伝説があり、明治の廃仏毀釈で打ち壊された痕跡を山の中に見る。
50年後再び訪れた島には橋が架かり、観光地へ作り変えられていく風景を目の当たりにした。
そこで、「喪失とは、私のなかに降り積もる時間が、増えていくことなのだった」との思いに至る。

離島で生まれ育った不肖ジジイには、あまりにも身近な森の中の道行きだった。土や植物、花、木、鳥、獣、小動物、木々の間から差し込む光、獣道を抜けた先に広がる風景、海うそ。
森の匂いまでリアルに嗅ぎ分けられるほど、物語世界を同伴者として一緒に歩いた。
島の生活、民話、民間信仰、風習、地名、ことば等々、民俗誌小説の傑作に出会った充足感に浸っている。
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by rurou-no | 2015-12-31 11:58 | 言葉・本

兎走烏飛

「兎走烏飛」とは、歳月が慌ただしく過ぎ去る意。「冬至」(22日)は暦の始まりとされるが、目の前のカレンダーを見れば、24日「納めの地蔵」、25日「終い天神」と納めの行事が続く。
ウサギとカラスは月と日(太陽)を表す。前に蕪村の句から借りた「月は東に日は西に」のタイトル時、「東兎西烏」で記したとおり。
旧12月25日は「蕪村忌」。文人画家・蕪村は来年、生誕300年を迎える。

テレビがないのに地上波で試合中継があると必ず見るサッカー、今年は応援するサンフレッチェ広島が優勝した。それも最多得点、最少失点、最少ファール数という記録を残した。さらにクラブ・ワールドカップで3位になった。有望な若手選手も育っており、来シーズン以降も期待大である。このところ文章が長くなって書けなかったので、今回は唐突でも先に書いておく。

もう一つ書いていなかったことに触れておきたい。映画の題材にされた遭難者救助について、海の民として当たり前の行為だったし、ことさら大仰に騒ぐほどでもないという例を挙げたい。

1609年、鎖国前の江戸時代2代将軍秀忠の頃である。フィリピンからメキシコへ向かっていたスペイン船「サン・フランシスコ号」が千葉県岩和田村で座礁し田尻海岸へ漂着した。この時、漁民たちの救助活動によって乗組員373人中317人の命が助かったそうだ。とりわけ海女を生業としていた女たちは、裸になって冷えた遭難者のからだを温めたと伝えられている。

小さな漁村でどれだけ大変だったか、想像して欲しい。それでも、同じ海の民として反射的にからだが動いたのだ。こうした例は調べればいくらでも出てくるだろう。
中には、漂着物は天からの恵みとして、物資の方に興味をもった漁村もあったようだが。

トルコ軍艦の座礁と島民の献身的な救助は、日本人がトルコ航空機で救出されたことで意味を持った。映画は本質的なところで、それらに関わった人びとの気持ちを裏切っている。
冷えたからだを温めるのは、そのまま島民に演じさせたほうが誠実な態度だった。それをそこにいるはずもない遊女にさせるのは、遊女への偏見と差別意識が根底にあって卑劣である。

またまた1回分の分量を超えてしまうが、高橋源一郎さんの『論壇時評』(朝日24日付)で見つけた言葉を引用して残しておきたい。ドイツ在住の作家・多和田葉子さんが、日本語で小説を書くアメリカ人作家・リービ英雄さんとの対談で、こんな風に言ったそうだ。「わたしはドイツで幸せに生活していますが、文化に対する違和感は消えません。違和感を幸せととらえる感覚の持ち主だから幸せなのかもしれませんが」
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by rurou-no | 2015-12-24 22:27

聴こえてきたのは森の音

たまたま Secret Garden を聴きながら、宮下奈都 『羊と鋼の森』 を読んでいたら、森の生き物たちの生命が躍動するざわめきが、からだの内部から湧き出てくるような思いにとらわれ、感極まる体験をした。

本はピアノの調律師になった青年の成長物語で、全編にわたって音楽愛溢れる内容となっている。調律師はこの禿頭ジジイも若い頃(があった)に憧れた仕事だっただけに、いつもとは違った小説の読み方になったかもしれない。音の聞き分けはともかく、チューニングハンマーの微妙なさじ加減で一つずつ音を作っていく職人的な作業は好きだし、自分に向いていたとも思う。耳のコンプレックスさえなければ。

主人公の外村に「どんな音を目指していますか?」と聞かれ、調律師の板鳥は原民喜をひいて「明るく静かに澄んで懐かしい文体、少しは甘えているようでありながら、きびしく深いものを湛えている文体、夢のように美しいが、現実のようにたしかな文体」と応えた。
まさに、羊と鋼の深い森の世界である。

紙に綴られた文字が、CDに刻まれた音の連なりが、濁りのない澄んだ水のように真っ直ぐ体の内へ入り込んできて、胸を震わす。たとえ老いた目や安価な再生装置であっても、心に響いた。
では、少し前に見た映画はなんであんなに不快な気持ちを味わったのやろ。

それは作り手の立ち位置、姿勢にあるのではないか。遭難者を助けた行為、異国に取り残された人を救い出した行為に対する敬意がなく、単なる映画の材料として娯楽的に消費してしまうあり方。ある事象から展開する創造力に欠け、ひたすら消費するにまかせている。
結果的に現実の出来事まで底の浅い作り物と同じレベルに貶められた。

前回長くなりすぎたので省略した、医師について考えてみる。映画の主人公だ。
主人公を際立たせるためか、もう1人の医師が出てきて、当時その地にありもしなかった遊郭で遊び呆けている。善玉に対する悪玉としての設定はあまりにも安易で、思わず目を背けてしまった。想像力の貧困さは表現者として致命的である。

医師の名誉のため『沖日記』など当時の記録で確認すると、樫野の小林健斎はまだ夜が明けやらぬうちから怪我人の手当てに奔走し、知らせを受けた大島の松下秀、伊達一郎、川口三十郎の3人はその日の午前中に樫野へ駆けつけ治療に当たった。山越え8キロの道である。松下、伊達両医師は沖周大島村長とともに取るものも取りあえず急行した。川口医師はあまりの怪我人の多さに、第2陣として追いかけた。4人とも不休の治療行為だった。

後日、治療費の照会に大島の医師3人は連名で「元々それを請求する気持ちはなく、ただ痛ましい遭難者を心から気の毒に思い、ひたすら救助一途の人道主義的精神の発露に過ぎず、薬価および治療代は義捐致したく存じます」と寄付を申し出ている。
樫野の小林医師も斉藤半之右衛門樫野区長を通じ沖村長へ、治療代の寄付を申し出た。
遭難者の救助や看護、食べ物や着物など惜しみなく提供した島の人びとと同じように、医師たちもそれぞれ篤志の人物だった。
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by rurou-no | 2015-12-17 17:25 | 言葉・本

見てきたような嘘をつき

このあいだまで解読していた古文書は某大名家の興亡の記録だったが、合戦の様子を事細かに書き残しており、どこで見てたんやと突っ込みを入れながら、なかなかに楽しい作業だった。
いわゆる軍記物の類で、声に出して読むと講釈師の気分が味わえるというもの。
「講釈師、見てきたような嘘をつき」やね。

同じように「活動屋、見てきたような嘘をつき」という言い方も成立するのではないか。
歴史的な出来事を題材にしていても、映画はあくまでも作り物であって事実とは違う。
いわば、いかに上手に嘘をつくかが問われるのだ。そこを勘違いされると困ったことになる。

『海難1890』を見てきた。日ごろ映画をよく見る人には、何の驚きもなく平板でつまらん映画やった、というのがおおむね共通した感想であると思う。一方、話題作しか見ない人には、キーワードの「真心」に感動する自分に十分酔えるものだったかもしれない。映画をどう見るかは自由や。

では、ネタにされた側の立場はどうか?他人事として一般論で話せないので直截的な物言いになってしまうが、この映画に侮辱されたような心持ちだ。善意という名の悪意すら感じた。
あくまでも禿頭ジジイの受け取り方であって、樫野の人にも様々な感想があるはず。

映画の中で、トルコの軍艦が樫野の磯で座礁し乗組員を樫野の人たちが助けた、戦時下のイランに取り残された日本人をトルコ航空機が救出した、この2点だけは事実である。

軍艦エルトゥールル号が座礁するまでのシーンはCGとスタジオ撮影のため、ありきたりの描写になってしまったが、ここは退屈でも我慢して見るところ。
樫野編。ふだんから漁師は朝が早いので夜も早い。嵐の夜は雨戸を閉てじっとしている。半農半漁の倹しい暮らしだ。酒を飲んで騒ぐなんて特別な日に限っていた。そんな漁民の生活を愚弄するような描き方はどういう意図があってのことなのか。

総出の救助や手当て、貧しい暮らしにあっても食べ物や着る物を惜しみなく与える無私の行為は、海の民としての本能的なものだった。それ以前から難破する船がたびたびあって、ずっとそうしてきた。「当たり前のことをしただけ」と誰もが口を揃えた。たとえ外国人であっても同胞であり、海難は自分の身に起こったことだった。そうでなければ、200余人の遺体を40メートルの断崖を引き揚げて手厚く葬るなんてことはできない。「美談」などの通俗的な言葉で括れないのだ。

そこにありもしなかった遊郭が出てくるのも、了見が理解できない。映画に必要なかった。
当時の記録で樫野は59戸303人の僻辺の地である。「村」ですらない離島の集落だった。
山道を8キロ歩いた大島に遊郭が出来たのは16年後の1906年のこと(前年12月和歌山県議会で公娼制度を設置)。風待ち潮がかりで寄港する商船の商人や船乗り相手の娼家だった。
郷土史家の濵健吾さん(故人)によると、3代目おゆきさんが大島のサンベ(三兵衛)の家へ奉公に来たのは1892年の15歳の時。1890年は2代目と3代目おゆきさんとの空白期に当たる。

串本町内にオープンセットを組んで撮影したと聞くが、この地の風や光、時化の海などスクリーンからまったく伝わってこなくて、全部スタジオで撮ったように見えた。現地ロケはその地の気候風土を映しとらないと意味がない。役者の科白も含めて、どこか別の土地の話みたいだった。

残念だったのはテヘラン空港の救出編。実は、これがこの映画の山場になるやろと思っていた。
空爆下、生死の保障がない中にあって自分を救い出してくれる席を、なぜ譲れたのか?
これは樫野の漁民の、考えるより先にからだが動いていた、とは対極の理知的な行動である。

どのように説得され、論理的な判断ができたのか、その言葉を聞きたかった。
言葉のプロとしての脚本家の腕の見せ所だ。言葉の力に涙腺が緩むかもしれないと思っていたのに、あれっと肩透かしをくらってしまった。納得できる説明がないまま、あの日本人を助けましょう、そうしましょう、ってあんまりや。それじゃ、危険な陸路を脱出してくれたトルコの人たちに失礼やないか。テキトーにもほどがある。

日曜日に見た冗長な映画のことをつらつら書いているうち、いつもの倍の分量になってしもた。
映画は下手な嘘ばかりだったせいで、ご先祖さんの行いまで嘘っぽくされてしまった。
いったい監督は何をしたかったのやら?こんな質の低いものしか作れないなんて恥を知るべし。
やっぱり嘘は上手についてもらわないと。
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by rurou-no | 2015-12-10 12:01 | 映画

むかしからムラカミ

「(小説を書くことは)1人カキフライに似ている」と、郡山市で開かれた文学イベントで語ったそうだ。今や世界的な小説家となった村上春樹による、そのまんまムラカミ語録である。

先日、村上本としては『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』以来久々に連れ合いが図書館から借りてきてくれたのが、『職業としての小説家』。これは講演形式の随筆集だった。
その中でデビュー作の『風の歌を聴け』について、はじめに英語で創作してそれを翻訳したというようなことが書かれていたので、改めて本棚から件の本を出して読んでみた。

確かに、アメリカ文学の影響を強く感じたのが、その英語での創作もひとつの要因だったのかもしれない。今読み返して、初読のときと同じスノッブな内容が鼻につくイヤァな感じは変わらないのには笑えた。ただ新しいスタイルの小説であることが気になっていて、『1973年のピンボール』 『羊をめぐる冒険』と追いかけてみたけど、ムラカミ的なものへの興味は持続しなかった。

いつからまた読み出したんやろか。中年のオッサンともなれば許容量も少しばかり増え、若いころは辟易していたスノッブさにも「はいはい、それで?」と余裕で対応できるようになったせいでもある。そうなるとなかなかに読みやすく読み応えもあってとなるのだが、『多崎』くんは「若書き」に戻ったみたいで共感できなかった。

比喩や隠喩、アナロジーに富んだ文章こそ村上さんの真骨頂だと思うが、どやろか。
今日ある成功は、戦略的なニューヨーク進出と外国語に翻訳しやすい文体という側面もあった。
良きにつけ悪しきにつけ村上はムラカミで変わらないし、それを受け入れるかどうかは読者や。
今回は「む」から始まる語句に困って、無理やり御大ムラカミに登場願った次第であった。

水木しげるさんが亡くなった。
《「ゲゲゲの鬼太郎」などの作品でしられる漫画家の水木しげる(みずき・しげる、本名武良茂=むら・しげる)さんが、30日午前7時18分、多臓器不全のため東京都内の病院で死去した。93歳だった。》(朝日一面カタより)
水木しげるの漫画は、主に『ガロ』で親しんだ。また、妖怪世界の面白さを教えてもらった。
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by rurou-no | 2015-12-03 12:03 | 言葉・本


一瞬を、永遠に
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