一所不住



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眠る男

不思議な映画だった。小栗康平監督作品の1996年に公開された映画 『眠る男』 。
韓国人俳優、安聖基が演じる主人公はずっと眠ったままで、中途に亡くなってしまう。
日本人の役所広司演じる友人やインドネシア人のクリスティン・ハキム演じる出稼ぎ労働者ら、残された人によって男の人生が明らかにされ、山間の小さな村の暮らしや自然豊かな四季の移ろいが、静かに綴られる幻想的な物語である。

小栗康平は、宮本輝原作『泥の河』(81)、李恢成原作『伽耶子のために』(84)、島尾敏雄原作『死の棘』(90)に続く、寡作家本人4作目の映画である。
前3作は小説として完成されたものであり映像化は難しいとされていたが、果敢に取り組み独自の世界観を提出した。信頼できる監督リストに加えたのは言うまでもない。

初めてのオリジナル脚本となった本作は、群馬県が全面出資して前橋市出身の監督に撮らせたものだ。そのせいか、執拗に「人間」を追いかける監督には意外なほど美しい風景が随所に挟み込まれていたのは、スポンサー向けのサービスと解釈してご愛嬌。眠り続ける男の鼻の穴から虫が這い出て飛び去っていくシーンなど、こだわりの本領発揮、面目躍如であった。

と、20年前に観たきりの映画を断片的とはいえ、こうして語れるのは映画の力だと思う。
映画館の暗闇でスクリーンに投影される光の中に広がる夢の世界、想像力を喚起し感情を豊かに育むのが映画をはじめとして、文学、音楽、演劇、絵画など芸術作品の役割である。
また外国人が羨むほど質の高さを誇る技術製品や生活用品、アニメなどが異文化の理解を深める助けになるし親しみを覚える効果を発揮する。ミサイルを凌ぐ抑止力となるのである。

昨日28日は、52年サンフランシスコ講和条約によって日本の主権回復と引き換えにアメリカへ差し出された沖縄の「屈辱の日」だった。この屈辱は62年後も続いているとしか思えない。
折りしもこの国の首相はアメリカのいいなりに、米軍の先兵となって戦争をする約束を米大統領と交わした。国と国民の命を引き換えにする見返りは、いったい何なんや。

眠ったふりで余生をやり過ごすには不穏な空気がそれを許さない。ジジイのボヤキの種だ。
25日にはネパールで大地震が発生した。地球に大変動期がやってきている。
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by rurou-no | 2015-04-29 12:05 | 映画

楽は苦の種、苦は楽の種

適当なタイトルを思いつかないときは、許容範囲も広くなり物分りのいいジジイと化す。
今回も故事の意味するところと、内容とは多少のズレが生じるのは勘弁ということで。
「楽は苦の種、苦は楽の種」は、「楽あれば苦あり」「禍福はあざなえる縄の如し」、ようするに「上り坂あれば下り坂あり」で、何事も表裏一体背中合わせにあるとの教え。

前にも取り上げたことのあるアフロ稲垣記者によるコラムが面白い。16日付の記事は「アンプラグド 冷蔵庫が導く仏の境地」と題した節電生活の報告だ。
彼女は原発事故後、節電に励むため「様々な家電製品を手放してきた」が、「ついに冷蔵庫の電源を抜いた」そうだ。「人生観が、あっというまに崩れてしまった」ほどの打撃だったという。

「自炊派」を自認し「毎日弁当を持参」している生活から冷蔵庫を遠ざけるなんて、どれだけ不便なものか簡単に想像がつく。そんな中で「おひつ」を再発見したり買い物を減らしたりと悪戦苦闘する様は、読者には痛快ですらある。それは真面目に大変な状況と向き合っているからだろう。

そこで、彼女は「冷蔵庫とは、時を止める装置であった」との思いに至る。「今は使わないが、いつか使う(かも)。冷蔵庫には将来の可能性がいっぱい詰まっている」。その可能性を捨てると「残ったのは、ちっぽけな自分だった」。「いつか着る服。いつか読む本。いつか行きたい場所」「夢や欲望は際限なく広がり、今度は何もかもが足りなく思えてくる」。

最後に「きょう必要なものだけを買う暮らしは、実のところかなりつまらない」と率直に述べ、仏陀の<今、ここを生きよ>を引用する。そして「人はたえず過去を後悔し、未来に心を悩ませる。だが、過去も未来もしょせんコントロールできないものだ。そんなことに悩んでいるから人生は苦しい。そんなヒマがあったら、今を真剣に生きよ」とまとめている。

わが家も大概節電しているほうだと思うが、冷蔵庫を手放すまでは考えたことはない。せいぜい、ほとんどムダな電力のためにしかならない「いつかの夢」を詰め込まないよう、小型の冷蔵庫にしている(といっても、実はビンボーで大型の冷蔵庫を買えないのが真相である)くらい。

稲垣さんも指摘するように、人間の欲望は限りがなく、常にもの足りなさを伴うものだ。
人が生きていくのに必要なものは、高が知れている。それを見つけるのはなかなか容易でない。
もっともビンボー暮らしをしていると、結果としてだんだんそうなってくるけど。
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by rurou-no | 2015-04-22 10:04

想像してみたら

「菜種梅雨」という風情を感じさせる言葉からはほど遠い、強烈な雨や風による嵐の1週間を過ごしている。今朝方やっと雨は上がったが風は相変わらずで、家の周りにある物なにもかもを吹き飛ばして荒らし放題である。気温も4月中旬とは思えない寒さが続き、身が固まったままだ。

昨14日福井地裁は、関電高浜原発3.4号機の運転を禁じる仮処分決定を出した。地裁の樋口裁判長は、原子力規制委員会が作った新規制基準を「合理性を欠く」と不備を指摘した。
政府が「世界で最も厳しい」と嘘っぱちの宣伝をする新基準は、重大事故は起こらないという前提の新たな「神話」に過ぎず、実は国際標準のレベルにすら達していないゆるい規制であると、司法の場であからさまにし戒めた。
だいたい福島第一原発の事故の検証や総括もなしに、「新基準」もへったくれもないやないか。

デタラメな政府の二枚舌は、沖縄でも「負担を減らす」といいながら、新しい巨大な米軍基地の建設を「粛々」と問答無用でゴリ押ししようとしている。それも美ら海を埋め立てしてまで。
戦後70年にわたって、強制的に土地を奪い「基地の島」としての負担を強いてきてなお、沖縄の地を米軍に献上する政府は「売国奴」と呼んで差し支えないだろう。

想像してみよう。例えばこの紀伊半島の南端を埋め立てて米軍基地を作る計画があるとする。
潮岬の台地は基地施設敷地に当たるため強制収用されて、住人は引越しを余儀なくされる。
海岸近くまで迫る熊野の森は戦闘訓練用地として、一般人は立ち入り禁止となる。
山間の村にヘリパットが作られ、オスプレイが四六時中飛び回る。
訓練中は地域の住民は仮想敵の標的とされて、実戦ではリアルに敵の標的となる。

戦後の一時期大島に米軍基地があったことや、災害訓練の名目で最初にオスプレイを迎え入れた地であることからして、可能性は低くてもありえないと言い切れないぞ。
そして沖縄では70年間続き、今でも現実に起きている事態である。
沖縄の人たちの怒りは至極まっとうなものだ。理不尽を許してなるものか。

『ブリキの太鼓』の作家、ギュンター・グラスが13日、亡くなったそうだ。87歳だった。
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by rurou-no | 2015-04-15 14:08

9条があればこそ

4月も1週間が過ぎたというのに、冷たい雨が降る寒い日となった。気象情報には「真冬並み」「都心で雪」の文字も。おてんとさまの気まぐれには、もうお手上げや。

さて、今年は何かにつけ「戦後70年」の括りが目立つ。1945年8月15日正午の玉音放送によって、アメリカ、イギリス、中国、ソ連の4カ国に対して、ポツダム共同宣言(日本の無条件降伏)を受け入れることを発表した。
要するに負けを認めて降参(敗戦)してから70年になる。銃後を守る「神国人民」には「負けた」というより「やっと戦争が終わった」という感慨のほうが強かったのではないかと思う。

この戦争によって300万人超!もの同胞の命を犠牲にした。その3分の1は民間人であり、軍人もほとんどは飢えと病気で亡くなったといわれる。
同時に、「帝国軍人」はいったいどれだけの他国民を殺戮したのか。人と人が殺しあう、まったく不毛な行為が戦争の本質である。

戦争体験者が少なくなった70年後、また戦争の準備を始めようとする愚か者が現われた。
「国の存立を全うし、国民の命と平和な暮らしを守るため」に、戦争が出来る国にするのだとぬかす。大義のない戦争のせいで国民の命と平和が奪われ、連合国に占領されたのはほんの70年前の出来事やで。沖縄は今もってそれに近い状態が続いているのを知らんとは言わせない。

戦争をしたがっているバカどもは「平和ボケ」しているとしか思えない。戦争への想像力が欠落しているのだ。憲法を踏み外して、国の存立を危うくし国民の命と平和な暮らしを危険に曝そうとするのは、「反日右翼政権」と規定しよう。こいつらは「占領軍に押し付けられた憲法」と批判する一方で、米軍に押し付けられた安保法制をまとめようとしている。

わが国は憲法9条のおかげで敗戦の焦土から立ち直り、戦後70年にわたる平和を謳歌して経済発展を遂げ、諸外国から信頼を得る国になったことを忘れてはならない。戦争が出来る「普通の国」なんて、もっての外や。
「非戦」と人的交流による相互理解こそが、他国からの攻撃を回避する最大の抑止力であると声を大にしたい。
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by rurou-no | 2015-04-08 12:12

ヤナーチェク

2ヶ月近く前のことを取り上げるのもなんだが、やっと「や」が巡ってきたので、チェコ東部モラヴィア出身の作曲家レオシュ・ヤナーチェクの出番となった。
2月8日の日曜日、隣町にあるカフェで「音楽と写真でつづるヨーロッパ冬紀行」と題した、ピアノコンサートがあった。こんなこともあろうかと、プログラムを残しておいてよかった。

日ごろ連れ合いが飢えを嘆いているように、半島の突端にある田舎町では文化・芸術に触れる機会はほとんどなく、あったとしてもせいぜい行政が主導する「生涯学習」の域を超えない程度のものに限られる。
そんな文化果つるところ、辺境の地でオアシスのような役目を果たしているのが、件のカフェ。

今回のコンサートは、ピアニスト自身がこの冬にチェコを旅行して撮影した写真を、スライドで紹介しながら演奏するというスタイルで、写真は相当な腕前とみえる。

ショパンの『ノクターン』、ドヴォルザークの『ユーモレスク』から始まった演奏は、正直なところ「乱暴」との印象を受けたが、ベートーベンのピアノソナタ『悲愴』でやっと落ち着いてきた。
休憩後は、ヤナーチェクの『草かげの小径にて』。これがなんとも味わい深い演奏だった。私たちにヤナーチェクの音楽を聴いてほしい、という気持ちがストレートに伝わってきた。

ヤナーチェクといえば、村上春樹の『1Q84』で主人公の青豆が、『シンフォニエッタ』を繰り返し聴いているシーンを思い浮かべる。音楽が小説の中で重要な位置を占めるのは村上の特徴であり、読んでいるうちに音楽が聞こえてくるのは村上ならではのウマさといえよう。『1Q84』における『シンフォニエッタ』も、例の如くであった。

ピアニストはヤナーチェク愛を存分に発揮していたし、プラハからフクヴァルディやブルノを含むチェコ各地の写真も、村上の『ノルウェイの森』とシンクロする部分を感じたのは儲けものだった。
こうしてたまには喉の渇きを潤しに出かけないと、年齢とともに感受性が鈍くなってきていることもあわせて、遠からず干からびてしまうのは目に見えている。心しておかねばならぬ。
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by rurou-no | 2015-04-01 14:52 | 音楽


一瞬を、永遠に
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