一所不住



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私の上に降る雪は


幼年時  私の上に降る雪は/真綿のやうでありました
少年時  私の上に降る雪は/霙(みぞれ)のやうでありました
十七-十九  私の上に降る雪は/霰(あられ)のやうに散りました
二十-二十二  私の上に降る雪は/雹(ひょう)であるかと思はれた
二十三  私の上に降る雪は/ひどい吹雪とみえました
二十四  私の上に降る雪は/いとしめやかになりました・・・・・・

私の上に降る雪は/花びらのやうに降ってきます/薪の燃える音もして/凍るみ空の黝む頃
私の上に降る雪は/いとなよびかになつかしく/手を差伸べて降りました
私の上に降る雪は/熱い額に落ちもくる/涙のやうでありました
私の上に降る雪に/いとねんごろに感謝して、神様に/長生きしたいと祈りました
私の上に降る雪は/いと貞潔でありました
                            中原中也 「生ひ立ちの歌」

次は「わ」からやな、と思う間もなくこの詩が降ってきて頭から離れなくなってしまった。
本棚から 『中原中也詩集』 河上徹太郎編(角川文庫)¥180 を取り出す。すっかり変色してしまった本は、奥付を見ると昭和48年8月30日改版13版とあるから42年前のだ。
自分で稼いだバイト代を手にして本屋へ向かった日を思い出す。

こんな詩を暗誦していたのは、雪の降らない南の島の中学校でだった。
「私の上に降る」のは、肌を焼く日差しであり、突き刺さるような雨であり、稲妻と轟く雷鳴であり、何もかも吹き飛ばしてしまう暴風であり、そして暗闇にうなる海鳴りであった。

 太郎をねむらせ、太郎の屋根に雪ふりつむ/次郎をねむらせ、次郎の屋根に雪ふりつむ
                                    三好達治 「雪」
大雪のニュースを聞くと、ふと口をついて出る。

カネ降り積む一郎太郎の屋根の上(愛媛県 藤田昭作) 2014年12月28日朝日川柳より
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by rurou-no | 2015-01-30 13:35 | 言葉・本

立田川

大相撲初場所は大方の予想通り、横綱白鵬の独走で今日にでも優勝が決まりそうな流れである。他の力士の奮起を促したいところだが、実力差はいかんともしがたくなすすべがない。
連日「満員御礼」の垂れ幕が下がる盛況ぶりを横目に、テレビ桟敷はいま一つ力が入らない。
それもそのはず、贔屓の豊真将が6日目の16日に引退を発表したからだ。

好角家なら誰しも納得する土俵上の所作の美しさ、礼儀正しさは、単なる勝負事の格闘スポーツと一線を画す大相撲の一面を体現していた。併せて、猛烈な稽古で鍛えた足腰の強さで相手の攻撃を耐え、相手が攻め疲れた隙をついて押し出すという真っ正直な相撲に魅せられたファンも多かったと思う。

三役格の実力があり、大関を狙える力士であったが、たび重なる怪我のため番付の上下は甚だしかった。逆境に遭ってもめげずに這い上がってくる不屈の精神は、往年の魁傑や琴風(この2人も贔屓にしていた)を思い出させるものがあり、番付が落ちても勇姿の復活を疑わなかった。
残念だが、もう土俵に上がれる状態ではないのだろう。

引退後は年寄立田川を襲名し、後進の指導に当たるという。
願わくば相撲教習所で、所作の指導をしてもらいたい。

関取全般にいえることだが、力士としての所作の乱れが目に付くのはいただけない。
取り組みまでの手順を疎かにしていては大相撲の大相撲たる所以がなくなってしまう。
頭の上に大銀杏をのせて尻丸出しの締め込み姿なのは何のためか、水で浄め塩を撒くのは、拍手を打ち四股を踏むのは、敗者にも敬意を表して礼を尽くすのは。

一時期目立った「無気力相撲」はほとんどなくなったものの、勝てばいいだけの相撲では面白さは半減する。大入りに胡坐をかいていないで、継承するべきことと改革していくべきことを、常に見極めながらやっていかなければならない、なんてちょっとエラそうな物言いやな。
以上、豊真将の引退に思った。

さて、次からは誰を贔屓にしようか。
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by rurou-no | 2015-01-23 14:16

20年が経った

1995年1月17日午前5時46分、大地が揺れたときは京都に住んでいた。
明け方早くに目が覚めてその瞬間を迎えた。はじめに11階建ての高層アパートごと突き上げられたかと思う強烈な衝撃がズンと下からきた。一瞬の間があって横揺れが始まった。海のそばで育った者の実感として、船上で高波を受けたときに近い揺れ方だった(住居は10階)。

あれから20年、約6500人の犠牲者にとっては生き続けるはずだった20年である。
想像を絶する街の崩壊を目の当たりにして、生き残ったことに悩んだ時期もあった。
形あるものはいとも簡単に壊れるのだと知った。無常観を強く意識するようになった。
今年も1.17その日がやってくる。明日の朝はまた、その時間に目覚めるのやろか。

キューバの歌姫、オマーラ・ポルトゥオンドは「ベインテ・アニョス」(20年)で
           今の私は歴史になって
              変化と向き合うことができない
と繰り返し歌う。

20年、その半分の10年はUターンして田舎で暮らした時間だ。
40代、50代という人間としてもっとも脂の乗った年齢は、自分にとってどういう時間だったのか。
オマーラの歌声を借りると、変化と向き合うことができないままウロウロしていただけだったともいえる。その前、20代、30代はあまりにも向こう見ずで無鉄砲で世間知らずでわがままで怖いもの知らずにやりたい放題だったものだから、20年前のあの日に何か忘れ物をしたままのような気がしてならない。

まぁ、いつまでもその日を引きずってるというのんは、気持ちが弱いんやろなと思う。
3.11もそうやけど、そんな「あの日」として語られる日は、弱い人間たちが逃げ込める場所として存在しているのかもしれない。それでええんや。
還暦を過ぎた今、現在地は「社会的弱者」(早い話がビンボー人)という立ち位置にあるからこそ、弱者は無条件で肯定し受け入れ、いつでもともに分かち合う用意がある。

今日はいつになく沈んだ感じになってしまったが、明日の朝はやっぱりいつものとおり、鎮魂の日の朝として静かに迎えたい。
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by rurou-no | 2015-01-16 14:41

混沌のままに

困窮なるままにその日暮らし PCに向かひて心に移りゆくよしなし事を そこはかとなく書きつくれと思へども 懐中は「あはれ冬風よ」にて いたわしきことはなはだしきなり

ありゃりゃぁ、呆けてしまった頭の中は混沌のままに「あやしうこそものぐるほしけれ」で、何を書いているのか訳が分からないではないか。

前回は「てれすこ」だったから、「こ」から出てきたのは「混沌」ということば。不肖、この禿頭の中に入っている脳味噌は、ごく一部しか使っていないくせに混沌としてまとまりがない。そんなあれこれを書くつもりではなくて、世の中が混沌としているなぁと漠然と思いついたままに、さて何を書くのか今から考えようというふてぶてしさゆえ、こうして無駄に活字を埋めている次第である。

今シーズンは早くから厳冬が到来し、師走の声を聞くなり列島全体が凍結してしまうかの寒気に襲われ、北の地方では猛吹雪と積雪が尋常でなくなっている。
こうした極端な気象は温暖化の影響と説明されているが、雪下ろし中の事故や車のスリップ事故が多発するほど荒れなくても、と取り成したくもなろうというもの。

目を外国に向けると、アメリカで娯楽映画のパロディーがサイバー攻撃に曝され、フランスではイスラムの風刺画を掲載した週刊新聞「シャルリー・エブド」が7日、テロリストに襲撃されて編集者や風刺画家ら12人が犠牲になった。どちらも自由な表現を暴力で封じ込めようとするものだ。冗談を解さない硬直した思考と料簡の狭さが、平穏な生活を破壊していく。

わが国でも1987年に朝日新聞阪神支局が襲われ、記者1人が亡くなり1人が重傷を負った事件があった。犯人はいまだに捕まっていない。
自由な言論こそが民主社会の根幹であるにも拘らず、この国のメディアはすでに権力の圧力に屈してしまっている。どこもかしこも御用メディアに成り下がって、ジャーナリズム精神はどこかへ忘れてきたようだ。「気概」や「矜持」がないんやろな。

年明けから混沌のまま、不穏なる空気がひたひたと押し寄せてくるのを感ずる。ほんとうに大切なものは失われて初めて気がつくものだから厄介である。のほほんとしていられない。
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by rurou-no | 2015-01-09 13:18


一瞬を、永遠に
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