一所不住



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てれすこ

「てれすこ」といってもテレスコープ(望遠鏡)のことではなくて、落語の演目から借りた。この噺は笑福亭松枝師匠の高座で聞いたが、爆笑ものの前振りのほうが本ネタより長かったように思う。

長崎の漁村で珍しい魚が揚がったが、だれも名前を知らない。奉行所へ持っていくと「魚の名前を知っている者に褒美を取らす」と高札が出た。ある男が名乗り出て「てれすこ」だと答えた。

だれも知らないから、正しいかどうかもわからないところがミソ。未知のものに名前を付けるという、言葉を生み出す行為に敬意を表して、と強引に今日の本題へ。
というのも、連れ合いがブログで今年読んだ本のことを書いていたのを真似しようと。

単純にベストテン・ランキングを考えたが、どれも甲乙付け難いので、月別ベストにする。
1月・貫井徳郎 『乱反射』 現実が後追いした。裁けぬエゴイズムの連鎖、モラルなき社会。
2月・葉室麟 『蜩の記』 不義密通の冤罪に言い訳もせず切腹の日まで清廉に生きる武士。
3月・木内昇 『漂砂のうたう』 江戸から明治に変わったばかりの根津遊郭が立ち現われる。

4月・梨木香歩 『村田エフェンディ滞土録』 明治初期トルコへ留学した村田の異国暮らし。 
5月・姫野カオルコ 『昭和の犬』 特異な両親と地味な娘の人生が淡々と。時代背景とともに。
6月・桜木紫乃 『ラブレス』 北海道の極貧の開拓村に生を受けた女たち3世代の物語。

7月・池澤夏樹 『アトミック・ボックス』 核兵器開発の秘密に迫るポリティカル・サスペンス。
8月・佐川光晴 『牛を屠る』 作家自身が屠殺場で働いた日々を振り返るリアル小説。
9月・原田マハ 『太陽の棘』 沖縄にあった「ニシムイ美術村」、米軍医と若き画家たちの交流。

10月・三浦しをん 『木暮荘物語』 ぼろアパート木暮荘の住人4人の平凡でささやかな生活。
11月・西加奈子 『サラバ!』 イランで生まれ、エジプトで少年時代を過ごした歩とその家族。
12月・柴崎友香 『わたしがいなかった街で』 かつて誰かが生きた場所を生きているわたし。

ほかに、紀和鏡 『夢熊野』 や、半藤一利 『幕末史』 、北杜夫 『楡家の人びと』 、5冊を一気読みした三上延 『ビブリア古書堂の事件帖』 などは別枠とした。
惜しくもランク外となったのは、米澤穂信 『満願』 、乾緑郎 『海鳥の眠るホテル』 、笹本稜平 『春を背負って』 、岩城けい 『さようなら、オレンジ』 、田口ランディ 『キュア』 、村田喜代子 『屋根屋』 、津村記久子 『エヴリシング・フロウズ』 、など書き出すとどんどん出てくる。
忘れるとこやった、いとうせいこう 『存在しない小説』 。そや、伊坂幸太郎も入れな。
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by rurou-no | 2014-12-25 14:54 | 言葉・本

過ぎし日を超えて

昨日(19日)の新聞のトップは「米・キューバ国交交渉」の見出しが躍っていた。
1962年10月、核戦争と第3次世界大戦の寸前まで緊張関係が危険な状況に陥っていた「キューバ危機」は、その後たびたび引用されるほど歴史に深く刻まれる出来事だった。
フィデル・カストロとチェ・ゲバラが率いる革命軍が親米バティスタ政権を倒し、61年に国交断絶してから53年ぶり、オバマ大統領とラウル・カストロ議長が関係改善へ一歩を踏み出した。

「キューバ危機」は、その頃はまだ小学生だったから詳細を知ったのは後のことだと思う。おそらくチェ・ゲバラが死んだ中学生のときではないか。
それでも、この年に若きケネディが大統領になったのは覚えている。ケネディはベルリンでフルシチョフと対立した「ベルリン危機」は回避したが、ベトナム政策では失敗し泥沼化したベトナム戦争でアメリカは敗北する。

当時、政治や社会問題に関心のある若者にとって、革命に身を捧げたチェ・ゲバラはアイドルであり、燦然と輝くスターであった。誰もが部屋の壁にゲバラのポスターを貼っていた。
キューバは、神格化されていたゲバラが、同志カストロとともに革命を成し遂げた国であった。
20代のはじめごろ、キューバへ行ってきたという同世代の者に何人か会ったことがある。たしかサトウキビを刈りに行ったとか聞いた。共通言語としてキューバは、革命を成功させた憧れの国になっていた。

そんなキューバと再会?したのは、CDショップで偶然見つけた『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』のCDである。ソン、ダンソン、ボレロといった形式のファンキーな音楽を奏でるのは60代、70代、80代(中には90代も)の老ミュージシャンたち。
後に同タイトルの映画(ヴィム・ヴェンダース監督)も観たのは言うまでもない。映像になると音楽の良さもさることながら、演奏する姿が最高に恰好いい、じいさんばあさんたちであった。
逃げ出す国民がいるほど経済的に貧しい国ではあるけれど、魂の豊かさを失っていない人たちがそこにいた。「美しい」と形容したくなるひとが。

アメリカとキューバ、双方の利害が一致した。互いに反目しあうより仲良くしたほうが利益を生むのは当たり前のこと。考える力のある指導者同士だから為し得たのだろう。
翻って、アホな2代目、3代目が権力を握り、無知を丸出しで罵り合うことしか知らない東アジアの国々は、あまりにもお粗末過ぎる。なんとかならないものかと嘆息が辺りを包んでいく。
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by rurou-no | 2014-12-20 14:00

附子(ぶす)

狂言の 『附子』 は、初心者にもわかりやすいので上演の機会が多い演目である。
それもそのはず、元ネタは鎌倉時代の仏教説話で、各地方の民話にも類型が見られるそうだ。

用事で出かけることになった主人は、使用人の太郎冠者と次郎冠者に留守番を命じるにあたって、桶の中には猛毒が入っているから近づいてはないけない、桶の中の風に当たっても毒にやられるから気をつけるように、と言い残していく。
そういわれると余計に気になるのが人の常、太郎冠者と次郎冠者の二人は桶の風に当たらぬよう「あおげぇ、あおげっ」と扇子であおぎながら桶の蓋を取ってみると、中には砂糖が入っていた。甘い物の誘惑に勝てない二人は桶の中の砂糖を夢中で平らげてしまう。(この時代、砂糖は貴重品で、舞台の所作から水あめ状の黒糖が入っていたと思われる)。
われに返った二人は叱られると一計を案じ、主人が大事にしていた掛け軸を破り茶碗を割ってしまう。帰って来た主人に、相撲をとっていて掛け軸と茶碗を壊してしまったので、死んで詫びようと思い毒だという附子を食べたが死ねない、とウソ泣きしながら言い訳する。

砂糖を食べられまいとウソをついた主人を逆手にとって、仕返しをする太郎冠者と次郎冠者。
おかげで主人は大切な掛け軸と茶碗を失うことになる。
この痛快で滑稽な挿話は、一休さんの頓智話にも似たようなのがあった。

こうした説話や民話、物語の中でこそウソは自分に返ってくるが、現実はもっとシビアだ。
大風呂敷を広げウソをつきまくる奴ほど喝采を浴びて支持される、という結果が昨日投開票のあった衆院選で表れた(但し投票率は52.66%)。正直者はいつまでも少数派に甘んじるしかないのか。魑魅魍魎が跳梁跋扈する政治の世界ならでは、ともいえる。
痛みを知る沖縄の人たちだけは、共、社、生、無、という賢明な選択をした。エライ!

ともあれ、国民が選んだのは弱者を切り捨て強者だけが生き残る、つまり大企業や一部金満家が喜ぶ政策を進める政党で、原発は年明けにも再稼動、すでに特定秘密保護法は施行されたし集団的自衛権の行使で自衛隊はアメリカの先兵となって戦争を始めるだろう。憲法9条は破棄され、民主主義は死語となり表現の自由も奪われる、そんな社会の到来を覚悟せなあかんで。
わが家は「非国民家族」決定や。
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by rurou-no | 2014-12-15 15:12

知者は他人の過ちによって学ぶ

アフロ稲垣記者のコラム(6日付)で知った、皇后美智子さんの歌に心を動かされた。

      知らずしてわれも撃ちしや春闌(た)くるバーミヤンの野にみ仏在(ま)さず

      初夏の光の中に苗木植うるこの子どもらに戦あらすな

石仏を破壊したのは、戦争を始めたのは、自分の問題であるかもしれない、と問いかける。

柴崎友香 『わたしがいなかった街で』 の中で、主人公の砂羽は戦場ドキュメンタリーの映像に写る死体を見て、「なぜ、この人はわたしではないのか」と思う。
ユーゴスラビアで、アフガニスタンで、ソマリアで、戦いは止むことなく続く。
戦争終結が決まっていた8月14日夜の空襲で亡くなった人のことを考える。
自分が住む町について書かれている65年前の日記を繰り返し読む。
その場所に、その時間に、なぜわたしはいなかったのか。

「自分の問題であるかもしれない」「なぜわたしではないのか」、この二つは表裏をなしている。
凡人は愚行をなじるだけで、もしかしたら自分の問題であるかもしれないとまで考えが及ばず、災厄に遭ったのは自分だったかもしれないと、なかなか思い至れない。
足りないのは他者への想像力であると思う。

反知性集団が牛耳る政治の世界で絶対的に欠けているのは、この想像力であろう。
マルチ商法の勧誘かと見まがう演説に集団催眠をかけられている、という図式が目に浮かぶ。
この国もあの国も、こうして破滅への道を突き進んだと歴史が教えてくれる。

今日、特定秘密保護法が施行された。知る権利が奪われてしまうのだ。
こんな大変な問題が、知性なき愚か者共の独善で決められた。知性無きがゆえに過ちに学ぶことすら知らない奴らによって。

後世の人に「無力で何もできなかった」と言い訳は許されまい。「知らずしてわれも撃ちしや」を肝に銘じて、「子どもらに戦あらすな」と訴え続けるしかない。
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by rurou-no | 2014-12-10 14:19

粋な男たち

エンゲル係数は家計の支出に占める食費の割合で、この値が高いほど生活水準が低いとされる。わが家がこれに当たる。ってほっといてくれ!と自分にツッコミ入れるのはいかがなものか。

では、家計の支出に占める衣服費の割合は何ていうのやろか?
昨夜見たテレビで、アフリカ中央部にあるコンゴの粋な兄ちゃんたちが、収入の大半をつぎ込んだブランド物のスーツなどでキメて、往来を闊歩する様子をレポートしていた。
黒い肌が美しく、なんともはやシャレたカブキ者ぶりである。

この洒落男たちは「サプール」、または「サップ」と呼ばれ街の人気者であり、身を飾ることが彼らの表現活動になっていた。そして、ひとつの文化として定着しているみたいだ。
おそらく長く続いた植民地時代に西洋風の着こなしを覚え、もともと備わっていた色彩感覚と合わせてセンスを磨いていったのだろう。(ここら辺はナレーションで説明していたかも知れないが、何しろ聞き取れないもので画面を追いかけているだけである)

ナショナル ジオグラフィック9月号で「貧しく混沌としたコンゴ民主共和国の首都では生きることへの渇望が独創的なアートを生み出している」として、首都キンシャサで活動するアーティストたちを取り上げていた。ここで登場した画家ダリオもサプールだ。ほかに造形作家、ミュージシャン、部族の舞踊集団などが紹介されている。
コンゴは250以上もの民族集団で成り立っており、公用語はフランス語だが、多言語国家である。そのせいかどうか、著名なアーティストを数多く輩出してきた。

テレビ番組にもどろう。サプールは自分がサプールであることに誇りを持って生きている。語る内容は哲学的ですらあった。印象に残った一言「サプールは争いをしない」。

先月28日亡くなった菅原文太さんは、有機農業や反戦平和の活動などを通じて、積極的に社会的な発言をしていた。敬服するところである。
その最後となったのは11月1日、沖縄知事選の応援演説だった。

「沖縄の風土も、本土の風土も、海も山も風も、すべて国家のものではありません。そこに住んでいる人たちのものです。辺野古もしかり!勝手に他国へ売り飛ばさないでくれ!まぁそうは言ってもアメリカにも良心厚い人びとはいます。中国にもいる。韓国にもいる。その良心ある人びとは、国は違えど同じ人間だ。みな、手を結び合おうよ」
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by rurou-no | 2014-12-05 14:59


一瞬を、永遠に
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