一所不住



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沖縄・奄美・小笠原が切り捨てられた

よもや、と思っていたことが、恥も外聞もなく白日の下に堂々と曝される不穏な世の中になってきた、ということだ。これは序章に過ぎず、これからますます、反吐がでそうになるくらい醜悪で破廉恥で横暴な振るまいが、増長していくのは間違いない。気は重くなれど、けっして警戒を怠ることなかれ。昨日、政府主催の「主権回復記念式典」なるものが開かれたという。

1952年4月28日から61年後、沖縄・奄美・小笠原が再び、国の政府によって切り捨てられた。
当時、引き続き米国の統治下に置かれた島々は、条約の取り引きの中で本国から見捨てられたのだ。その強いられた犠牲は「屈辱」であり「痛恨」であるのは、想像に難くない。

沖縄本島はまるまる米国へ献上され、今に到るも「主権」は回復されていないのが現実だ。
敗戦濃厚な45年には本土の盾となる凄惨な「沖縄戦」があり、基地の島として占領状態が続く現在は、米軍の最前線の役割を与えられている。
「復帰」したはずの沖縄は「日米地位協定」というもので、主権を奪われたままなのである。

講和条約によって切り捨てられたのは、沖縄・奄美・小笠原の人びとだけでなく、無理やり日本人にされていた旧植民地出身の人びとも同じ。本国へ帰れなかった人たちは一方的に市民権を取り上げられ、国籍を失ったまま放り出された。彼らも見捨てられたのだ。
また、連合国への賠償請求権を放棄したため、非人道的な新型爆弾の実験台にされた、広島と長崎の被爆者もまた見捨てられた。

どれだけ甘言を弄しても、「ない」を「ある」と取り繕うのは詐欺師・ペテン師の類いでしかなく、被害者の気持ちを踏みにじる犯罪行為なのは明らか。近ごろこうした行いが、とみに多くなってきているような気がしてならない。
わずか2年前の原発事故被災者でさえ、意図的な力によって忘れられ見捨てられていく。

意識操作が功を奏したのか、弱者が切り捨てられることに、その弱者ですら鈍感になっている。
国家権力から切り捨てられる側にいる一人を自覚し、気を緩めることはできない。
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by rurou-no | 2013-04-29 16:36

メジロは出世魚

メジロって鳥やないか、と言われればその通りなのだが、今回は食べながら思いついた魚の話。
漁師をしている弟から、メジロの差し入れがあった。もちろん獲れ立てだから刺身でいただいた。
翌日は残った分をづけにして丼で。あまりの美味さに、日ごろご飯はちゃわんに一杯しか食べない小生が、丼飯ニ杯も食べてしまった。

そこで今回のタイトルを「メジロのづけ」にするつもりだったけど「づけ」は前にも使ったので、「メジロ」だけのタイトルでもよかったが、「ろ」のしりとりは最近あったばかりだから、苦し紛れに「出世魚」を後へ付けた。と、しょうもないところで右往左往してしまった。
ちなみにメジロは、ツバス→ハマチ→メジロ→ブリの順番に成長する。

成長とともに名前を変えていくのは、われわれ人間も日本では明治時代初期までそうだった。
現代も芸能の世界にその慣習が受け継がれている。芸の上達とともに師匠の名や親の名を継ぐ「襲名」がそれだ。「名は体を表す」といわれるように、襲名によって芸が一段と伸びる人がいるくらいだから、たかが名前でも疎かに出来ない。周りの見方や態度も変わるしね。

一般人なら、社会的な地位や会社での肩書きが、それに相当するのか。ある種の役割を自覚することで、人は成長していくものなのだろう。地位や肩書きに見合ったものが自然と身に付いてくるようだ。もっとも名刺を肩書きで埋め尽くすような手合いは、中身のなさを肩書きに頼っているだけで本人の人格とは何ら関係がない。本末転倒というものだ。

メジロに戻ろう。づけを食べながら、「最後の晩餐」というのを思っていた。死ぬ前の最後の食事は何を食べたいか?との問いかけ。「メジロのづけ」でもいいなぁと。
はぎのなます(イシダイの刺身)を酢味噌で、とか、特上の鰻丼とか、おいしい手打ち蕎麦とか、チラシ寿司がええなぁとか、小豆を入れた玄米ごはんだけで十分とか、こんなことを考えていると食い意地が張っている本性がバレてしまいそうでみっともない。

そこで気がついた。最後の食事は何を食べるかより、だれと食べるかのほうが重要なことに。
もともと粗食を旨とするをよしとしてきた小生である。ごはんとつけもんだけで何ら不足はない。
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by rurou-no | 2013-04-25 13:54 |

鳥の目

梨木香歩 『エストニア紀行 森の苔・庭の木漏れ日・海の葦』 の最後が良かったので、長くなるけど引用させてもらう。

のんびりと離陸した小さな飛行機は、それほど高度を上げることなく、遊覧飛行のようにタリンの街の上空を飛んだ。やがて大地が切れ、島が見えてきた。(中略)車が通っているのも分かる。工事現場も、催し物も。人々の日常が、今、眼下で繰り広げられている。思わず目を凝らして見入る。そして気づく。
ああ、これは、あの、アフリカへ渡ったコウノトリたちの視点ではないか。
深々とした森、沼沢地、葦原。車、船、人の営み。そしてきらめく海の向こう、微かに弧を描く水平線。国境などという「線」は、どこにも引かれていない。
彼らには世界がこういう風に見えていたのだ。永遠に連続する海と大地。
祖国は地球。
渡り途中の鳥たちに、もしも出自を訊いたなら、彼らはきっとそう答えるに違いない。


本の帯に「端正な街並み。緑深い森。」とエストニアのことを紹介していたが、梨木さんの文章そのものが(他の小説作品を含めて)「端正」で「深い森」を感じさせる。
異国を旅して出会う街並みや森、そこに暮らす人びとと素直に、真摯に向き合う彼女の姿勢が如実に表れた紀行文を読んでいると、思わず背筋を伸ばして居住まいを正してしまう。

エストニアは繰り返し他国の支配を受け、ソ連時代は西側諸国とのボーダーにあったからこそ、手つかずの自然が残され、生態系が保持されてきたという。
驚きと同時にさもありなんと納得させられたのは、ヨーロッパ最大の野生動植物の聖地は「チェルノブイリ放射能汚染地帯、立ち入り制限区域である」と明らかにする。そして「ヒトが生活する、ただそれだけで、多くの種が絶滅に追いやられている。放射能汚染より遥かにシビアに」と、人間の経済活動が及ぼす影響を、愕然としながらも率直に述べている。

引用ばかりになったが、もう1ヶ所。  こういう光景を確かに自分はかつて観た。
数百年変わらないようなエストニアの地方の光景を目にするたび、幾度となくそういう感慨を得た。肉体は現在にあるが、人の精神は、現在にコミットしているのはほんの一部分で、ほんとうは各自、他者の窺い知ることのできない遠い時代と密接に結びつきながら生きているのだろう。

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by rurou-no | 2013-04-22 13:32 | 言葉・本

「怪優」と呼ばれた人

三国連太郎さんが亡くなったそうだ。
16日付新聞によると <「飢餓海峡」から「釣りバカ日誌」まで幅広く味わいのある演技を見せた俳優の三国連太郎(みくに・れんたろう、本名佐藤政雄〈さとう・まさお〉さんが14日午前9時18分、急性呼吸不全のため死去した。90歳だった。>

映画は監督名で観ていた小生にとって、俳優名で映画館へ足を運んだ数少ない中に三国連太郎がいた。その役作りへの姿勢が常軌を逸するほどであることから、「怪優」「奇人」といわれた。
スクリーンを通してさえそのただならぬ雰囲気は感じられ、役を演じているというよりも、役を生きていると思わせるほど真に迫った芝居を見せていた。

引き続き引用 <1951年、木下恵介監督の「善魔」で三国連太郎という新聞記者役でデビュー。役名をそのまま芸名にした。二枚目として売り出されたが、まもなく強い個性を生かした性格俳優に転じ、内田吐夢監督の「飢餓海峡」では冷徹な殺人犯、今村昌平監督の「神々の深き欲望」では南の小島で生きる男を演じるなど、社会派映画や文芸作品、コメディーなどに幅広く出演。テレビや舞台でも活躍した。>

養父が被差別部落出身という複雑な実人生から、差別や不条理が存在する社会への怒り、自らの体験による戦争に対するすさまじい憎悪があったという。社会派作品とされる映画への積極的な出演も、そうしたものが根底にあったからだろう。

前出作品のほかに印象に残る映画を挙げると、『荷車の歌』(59、山本薩夫)、『飼育』(61、大島渚)、『破戒』(62、市川崑)、『越後つついし親不知』(64、今井正)、『にっぽん泥棒物語』(65、山本薩夫)、『怪談』(65、小林正樹)、『襤褸の旗』(74、吉村公三郎)、『金環蝕』(75、山本薩夫)、『復讐するは我にあり』(79、今村昌平)、『ひかりごけ』(92、熊井啓)など。

『警察日記』(55、久松静児)は、「二枚目俳優」当時に出演した古きよき時代の喜劇だ。森繁久弥、十朱久雄、東野英治郎、左卜全、三木のり平、伊藤雄之助、宍戸錠(新人)、沢村貞子、杉村春子、飯田蝶子ら錚々たる共演者に囲まれて、美青年の警察官役が似合っていた。
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by rurou-no | 2013-04-18 15:09 | 映画

くさめ争い選挙結果

タイトル(「く」から)は別の語にするつもりだったが、昨日(14日)投開票が行なわれた串本町の議会選挙に意外な結果が出たので、それを取り上げることにした。ちなみに投票率は76%だった。

世の中には選挙になると俄然元気が出たり、急に愛想が良くなったりする手合いが多いのは何やろか?とわかってはいても、相容れない違和感がある。
小生の場合は、社会的な問題に強い関心を持ってはいても、選挙で投票した候補が当選したためしがめったにないから、お祭り騒ぎを横目にますます白けていくのだ。

国政選挙、県知事選、県会議員選では、意中の候補者はいないため、「もっとも嫌じゃないのはだれか」を選ぶしかない。それが町レベルになると、日ごろ接することがあったり、同級生が出たりと、知らないわけではない連中が雁首を並べるゆえ、選挙結果もそれなりに気になる。

さて、今回の選挙、まず町長選は当初立候補を表明していた町議は病気で倒れ、前町長も告示直前に病気入院で断念した。泡沫候補と目されていたもう1人も、現町長の関係者に呼び出されたあと(又聞きなので真偽は不明)立候補を取り下げた。結果、現職が無投票で当選。
町長陣営の謀略説が流布するのは、流れからして無責任な町の噂として当然ありうるだろう。

一方、町議選は定数が3減で、15席に22人が立候補して乱立状態だった。
昨夜の開票時間中は激しい雷雨が続き、これは結果が荒れるな、と面白がってたらその通りになって、驚きと落胆が待っていた。当選したのは新人4人(1位、2位、6位、7位)と現職11人。

冒頭で「意外な結果」としたのは、落選した現職4人は、押しなべて「真面目に議員活動をしていた」と一定の評価をしていた人ばかりだったこと。逆に当選した中には、議会で一度も質問に立つことがなかったり、資質に問題があったりする議員がいる。こんな議員に票を入れる人がいるなんて、と思う議員も余裕で当選している。田舎の選挙は親戚の数が当落を左右するのか。

さらに仕事が出来ない役立たず(あちこちで聞いたから町民の一般的な認識だろう)、と有名だった新人が退職して間もないのに議員先生になった。やっぱり親戚が多いのか。
面識はないが、26歳の若者は残念ながら落選。そして今回も女性は立候補すらなかった。
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by rurou-no | 2013-04-15 13:51 | 地域

老練な新機軸

こんなのが流行り出すと困ったことになる。
文字・活字をめぐる周辺の事情に関しては、いささか保守的な(古臭いともいえる)傾向がある。
こんなところで能書きを書き散らしながらでは説得力に欠けるものの、横書きの文章にはあまり馴染めない。読んでいても内容が頭に入ってこないのだ。

「最高齢75歳の受賞者」という宣伝惹句には、出版社もなりふり構っていられないほど本が売れなくなってきたのか、と憐憫の情さえ抱いたほどだ。
これまでも「若い」「美人」「新時代」等々数多のキーワードを駆使して、営業戦略丸出しの文学賞イベント花盛りであったが、とうとう「高齢」の語まで売り出しへ貢献するようになるとは。

年齢とともに伝えられた「全編横組み」「固有名詞や人称代名詞を使用しない文体」とはどんなものか、話題性に惹かれて(うまく釣られた)『文藝春秋』を本屋で立ち読みしてみた。
横組みの上にほとんど平仮名の文章は、案の定内容を掴めずすぐにお手上げギブアップ。

そんなことを知ってか知らずか、連れ合いが図書館で件の 黒田夏子 『ab さんご』 を借りてきた。
活字が大きくなっていたので、これならと再挑戦。
こんどは頭の中で平仮名を漢字へ変換する作業を止めて、行きつ戻りつしながら平仮名をそのまま読み進んでいるうち、ことばのリズムが心地良くなり内容も自然と入ってきたのだ。

年齢でなく、この不思議で新鮮な読後感が評価されたのだな、と今さらながら当たり前のことに気づいた。同じ本に所収されていた著者50年前の作品より、いい意味で若々しい感じさえした。また同じ日に読んだ最近の若手作家の本よりもなお。
新機軸は定着するのか、それとも打ち上げ花火に終わるのか。彼女はこれから先、この路線を継続していくのかどうか興味深い。

それにしても、こんなのが流行り出すと困ったことになる。
本の活字は縦組みであってほしいし、本はネットでなく本屋さんで購入したい。そして液晶画面でなく紙に印刷されたものを読みたい。小生はあくまでも保守派である。
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by rurou-no | 2013-04-11 14:15 | 言葉・本

すんでのところ

いつもと趣を異にした前回の投稿は極めて不評であった。もっとも、これまでのが好評というわけでもないので、反応なんてどっちでもいいんだけど。
主婦Aさん失踪事案は、すんでのところ、というほど事件にもならずあっけなく終結を迎えた。

5週間ぶりに姿を現わしたAさんは、空白期間などなかったかのように、以前と変わらぬ様子だったそうだ。久方ぶりの出動に、嬉々として腕まくりで捜査中だった私立探偵ナンタン・ホームズ氏は、活躍の場を見失い失意のまま帰路に就いた。その猫背気味で哀愁漂う背中には、「ナンタン・ホームズって、どっかの不動産屋の名前みたいや」という心無い言葉まで追い討ちで投げられていた。哀れなるかな、気の毒なホームズ氏よ。

ところで、前々回に「ブログも今日限り」と書いたのを真に受けた人がいた。わざわざ「エイプリルフール」とタイトルして、分かりやすくてベタな嘘を一言添えてみただけやのに、疑うことを知らない絶滅危惧種のような人が生息していたとは驚きだった。こんな嘘と虚飾にまみれた現代社会をよく生きてこれたなぁ、と感慨深いものがある。さぞかし、傷つくことも多かったと思うが、どうか希少なる心根をいつまでも持ち続けていってもらいたい。

春の嵐で大荒れだった週末、昨日(7日)は潮岬で最大瞬間風速27.6メートルを観測した、と新聞にあった。雨を伴う強風で空気中の塵が吹き飛ばされたのか、対岸の大島や古座川町の山が近くに迫って見えた。山には新芽が芽吹き始めていて、瑞々しい黄緑色が目に潤いを与えてくれる。

風が温んだ「雨水」からこの2ヶ月は、「三寒四温」なんて悠長な気分でいられないほど寒暖が極端に上下し、老いへ向かう身には辛い日々だった。今朝の部屋の温度は12度、外は木枯しのような冷たい風、これから冬になりそうで思わず身を竦ませた。

今日から新学期。登校する子どもたちの姿も戻ってきた。
気分を新たに、としたいところだが、このところ沈みっぱなしで不調な禿頭ジジイに、浮かぶ瀬はやってくるやろかと、身を捨て潜ってばかりの深海から水面を見上げる今日この頃である。
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by rurou-no | 2013-04-08 13:34

留守

これは友人某君から聞いた話である。
彼の自宅向かいに住む、専業主婦Aさんが2月下旬ごろから姿を見せないらしい。
Aさんの愛車も同じく見かけないので、どこかへドライブにでも行ったのだろうと、初めのうちは気にも留めなかった。ところが、1週間経ち、2週間が経っても帰ってこない。とうとう、いなくなってから1ヶ月以上になったそうだ。

何があったのか?何かが起こっているのではないか?疑問は膨らむばかり。
真相を突き止めようと某君は、私立探偵のナンタン・ホームズ氏に調査を依頼した。
早速駆けつけたホームズ氏は、近隣への聞き込みを行った結果、いくつかの仮説を立てた。

証言①・・・主婦Aさんの夫B氏は、毎日早朝に仕事へ出て深夜に帰宅するという生活パターンは、Aさん行方不明後も変わらない。ただB氏の車が駐車場にあるのを未明に確認するだけで、本人の姿は誰も見ていないという。
証言②・・・Aさんが行方不明になる前、深夜帰宅したB氏が大声で何かを言っているのを、近所のCさんが何度も聞いている。

仮説Ⅰ・・・B氏に愛想をつかしたAさんが、実家へ帰ってしまった。
証言③・・・休みの日に一緒にいるところを見たD氏によると、夫婦仲は良さそうだったという。D氏はさらに、他所へ行っている子どもがしょっちゅう帰ってきて、家から一歩も出ないくらい親子関係が濃密であったと証言した。

仮説Ⅱ・・・証言③から子どものところへ行っていると推測される。ただ、夫婦仲は悪くないのにAさんだけ子どものところへ行きっぱなしというのは不自然である。
仮説Ⅲ・・・留守宅にはAさんの〇〇、とホームズ氏は右側の頬だけでニヤリと笑った。

果たして事件性はあるのか、専業主婦失踪事案は混迷を帯びてきた。迷探偵ナンタン・ホームズ氏の薄ら笑いとともに動きは慌ただしくなってきている。真相は如何に。いったい何が?
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by rurou-no | 2013-04-04 13:19

エイプリルフール

1年に一度、この日だけ嘘が許されるとして、どこの国でも4月1日は「エイプリルフール」になっているらしい。起源は16世紀のフランス説が有力とされるが、定説はないそうだ。
つまり輸入もの、舶来の風習である。

フランス人的なエスプリを持ち合わせているわけでなく、ウイットやユーモア、機知、諧謔、軽妙洒脱には程遠い小生であるからして、エイプリルフールだからといって気の利いた嘘をつけるような、粋な大人にはとうとうなれなかった。

子どものころはともかく、この日を楽しんだという記憶はあまりない。20~30代くらいまで、仲間内で罪のない嘘をつき合っていただろうか。
うまく嘘をついて相手が信じたとしても、そのままにしておけなくてすぐにばらしてしまうから、せいぜい「かつぐ」程度の嘘しかつけない。

ここら辺は、不器用な田舎者の世渡り術としての、「正直に生きる」という固定観念から抜け出せない弱点かもしれない。馬鹿正直で糞真面目で融通が利かないともいえる。
と、まぁいかにも謹厳実直を装っているものの、実は腹に一物、背に荷物、表の顔と裏の顔を使い分け、世の中をたばかって生きてきたのが、本来の姿かも知れぬぞ。

ところで「嘘をつく」のと「騙す」のは、どう違うのか、と今ふと思ったが、うまく説明ができない。
近ごろ世間が狭くなって事情に疎いけど、今でもこのエイプリルフールは盛り上がってるのやろか。
それとも嘘が氾濫する社会で、この日だけは本当のことを言わなければならなくなっているのか?

ともあれ、騙されたほうが悪い、と弱者が責められる風潮だけはなんとかならないものか。
何かにつけ、競争に勝ち残った者だけが甘い蜜にありつける、強い者だけが賞賛を浴び報われる、そんな社会のあり方は危険だ。ここで勝者は、嘘で固めた鎧で身を守るようになる。

と、長年に亘って能書きを垂れ続けたこのブログも今日限り。もう、あほらし、やめや。
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by rurou-no | 2013-04-01 15:47


一瞬を、永遠に
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