一所不住



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のし、のぃし、のんし

何年か前、言葉の語尾に「よ」や「よぅ」をつける話し方について書いたが、今一緒に仕事をしている人は語尾に「の」と「のぅ」を多用する。どちらもここら辺の一般的な使い方である。
ちなみに「よぅ」はタメ口っぽいニュアンスで、「のぅ」は少し改まった感じかもしれない。

上記の語尾は、どちらかというと町の中心部へいくほど使用頻度が高いような気がする。
その中心部から海を隔てた島のさらに東端に位置する地では、語尾は「のぅ」も使うが「のし」の方を多く耳にした記憶がある。なにしろ子どものころのことだから、たよりない。

「のし」を丁寧にすると、「のぃし」または「のんし」。
漁師町は言葉が荒いといわれるが、「~やのんし」なんてなんとものんびりした言葉ではないか。
使い方は「~だよね」という風に相手の話に対して肯定的に相槌を打つとき、「~やのんし」となる。
陽の当たる庭先で、手作業しながら世間話をしている姿が目に浮かぶようである。

もっとも「~やのし」なんて言い方をするのは、高齢者だけになってしまった。
言葉は生活とともにあり、変化していくものだ。懐古的になるつもりはないけど、「のし」「のんし」を語尾へつけるようなゆったりとした暮らし方は、もう望めなくなってしまったのか。

「のし」といえば、祝儀袋の右肩にあった「熨斗」も、近ごろあまり見かけない。昔は特別な場合に限らず、普段の付き合いのやりとりでも、印刷して簡略したものを使用するのが礼儀だったように思う。個人的には、さらに簡略化した「のし」とひらがなで書いたのが好きだった。右肩に「のし」と書き添えるだけで縁起物の熨斗鮑の代わりとなるなんて、どんだけ合理的なんやとツッコミを入れたくなる。互いに無理をしないで、なお且つ礼を欠かさない生活の知恵としてアイデアの勝利だ。

まだ都会での時間のほうが圧倒的に長いせいか、田舎の言葉も半端でええかげんにしか使いこなせていないし、「のぅ」や「のんし」も自分では使ったことがない。言葉は生活に根ざしている一方で土地にも根ざしているはずだから、だんだんと時間をかけて染まっていくのやろな。
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by rurou-no | 2012-10-27 11:27 | 地域

如何物

本題へ入る前に「如何物」についておさらいを、と例によって新明解さんを開いてみた。 【いかもの〔どうかと思われる物、の意〕①とんでもないにせもの。②普通の人は見向きもしない、変わった物。】 まぁ、いかがわしくてあまり好まれていない物であることは間違いない。

同じニセモノでもブランド品などは市民権を得ているのかどうか、堂々と市場へ出回り本物と偽物の区別すら曖昧になってきている。消費者はブランドマークさえあれば満足して商品を購入する。
では、美術品ならどうか。真贋の判定は専門家によって下されるが、専門家でないと分からないくらい素晴らしい完成度の贋作は、それなりに価値があるのではないか。

だいぶ前に読んだ本だけど、原田マハ 『楽園のカンヴァス』 は、スイス・バーゼルに住む高名なコレクターがコレクションする、ニューヨーク近代美術館所蔵のアンリ・ルソー作 『夢』 と同じ構図、同じタッチで描かれている 『夢を見た』 は、ルソーの真作か贋作か、キュレーターと研究者が判定に挑むという内容で、今年読んだ中でも指折りの面白さだった。

原田さん自身元キュレーターというだけあって、美術に対する愛情が随所に散りばめられているので、美術好きにはくすぐりどころテンコ盛りの大サービス。物語の中にもうひとつの物語を挿入させる構成やルソーの『夢を見た』の下には、ピカソの「青の時代」の絵が隠されているかもしれない、という設定など裏技も十分に効いていた。

個人的には作中物語に出てくるパリの風景が、実際に触れたパリの下町と重なって一層親しみを覚えた。さらにルソーとピカソやアポリネールらとの交遊、女神ヤドヴィガとの関係など、虚実入り交じったストーリーは先の展開への興味で、読んでいて知らず知らず前のめりにさせられてしまう。まさに「大いなる嘘つき」職業である作家の面目躍如たるところを感じた。

本好きを自認していてもめったに購入しないし、もっぱら連れ合いが図書館で借りてくる本を又借りするふざけた読者であることは否定しない。さらに如何物人間は己やないかと卑屈になったりもする。それでもたまにこのような拾い物の本と出会えるのは、本読みの醍醐味であり喜びである。
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by rurou-no | 2012-10-18 14:34 | 言葉・本

遠くへ行きたい

昔(今もやってるかどうか知らない)、「遠くへ行きたい」というテレビ番組があった。
      知らない街を歩いてみたい  どこか遠くへ行きたい
      知らない海をながめていたい  どこか遠くへ行きたい
      遠い街 遠い海  夢はるか 一人旅
                         永六輔 作詞   中村八大 作曲

旅番組のはしりといえよう。それほど番組を見ていたわけではないが、テーマソングは覚えやすくて忘れられない名曲だと思う。確か国鉄がスポンサーだったはずだ。

川本三郎 『小説を、映画を、鉄道が走る』 は、本が好きで、映画が好きで、汽車の旅が好きな者には極上の内容である。つまり、小生のような本と映画と旅を好む風来坊には、ページをめくるたび涎が出てくるご馳走づくし、といった按配になっている。

川本さん自身、鉄道の旅が無性に好きな「乗り鉄」であることを白状しているように、小説や映画に登場する列車へ乗り、小さな駅で降りてその舞台の現場に立つ。彼のどこへでも出かけていく行動力は取材のレベルをはるかに超えたもので半端でない。

比ぶべくもないが各駅停車の汽車へ乗るのが好きで、田舎の小さな駅舎を旅の宿としてよく利用させてもらった「乗り鉄」の過去を持つ男にとって、廃線廃駅が増えていく時代の流れは寂しい。

この本を読んで驚くべき事実を知った。戦争末期に繰り返された東京大空襲の翌朝も列車は動いていたそうだ。そして8月15日の玉音放送中にも当たり前のように列車は走っていたという。
何があっても時間になれば列車を出発させる、というのは鉄道員の使命感だろうか。世界一時刻に忠実な日本の鉄道は戦時下でも変わらなかったのだ。

鉄道のことを書くのにテレビ番組から入ったせいでもなかろうが、先ほどNHKの集金人がやってきた。「テレビがない」と話して帰ってもらったけどNHK氏は最後まで不信そうな表情のままだった。
テレビを見ない人間もいるんやど!無礼な奴め。新幹線より各駅停車が好きな人間もいるんやで。戦争中でも鉄道はちゃんと機能していたんや。常識を疑え。
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by rurou-no | 2012-10-13 15:50 | 言葉・本

無視されること

身内や親戚の不幸などで離れていたが、昨夜ひさしぶりに樫野へ「ハシリマイ」見物に出かけた。
地元の若い衆らがニガ竹を束にした3mほどの松明を手に、夜の闇を走って宮参りをする、雷公神社秋祭り宵宮のハイライトである。一説には900年続く伝統行事だといわれている。

白装束(1971年の和歌山国体への特別参加から白の半パンと白の半袖Tシャツに統一されたと聞く。それ以前はパッチと長袖シャツ)に白足袋、白い鼻緒の草鞋履き(これも近ごろはランニングシューズも見かける)で松明を右へ左へと回しながら疾走する集団は、闇の中に浮かぶ火の流れとともに蠱惑的である。それでも、やっぱり祭りは見物するより参加する方が断然面白い。走りたい、と思った。

前日の日曜日は潮岬の祭りがあり、親戚の家でも獅子舞を呼んだので宴に同席した。そこで高校3年のときの担任だった T 先生と偶然再会した。T 先生は獅子舞は見なかったくせに、同じ敷地内にある連れ合いのアトリエへ入って、そこにあった絵を批評し始めた。連れ合いには耳の痛い、的を得た評をしばらく述べて、帰り際に「無視されるより批判されるほうがええやろ」とニヤッとして帰った。極めて個性的な先生だったが、相変わらずでうれしかった。

この「無視」というは、とても見逃しにできない重要なキーワードである。
子どもたちはいじめる相手をそこにいないかのように無視する。
大人たちは抱えきれない問題を忘れたふりをして無視する。

大震災の復興費用を被災地へ回さず、官庁の改修費に横流しして平気でいる破廉恥極まりない中央官僚。原発事故で16万人の生活や広大な農林漁業の生産地が奪われたにも拘らず、国境の無人島のことにしか関心がない右翼政治家ども。そのお先棒を担ぐマスメディア。沖縄でオスプレイが訓練を始めたぞ。無視するな!忘れたふりするな!とジジイの血圧はますます高くなってくる。

暦の上では「寒露」を過ぎたのに昼間は30度を超える気温が続いて、まだ秋のとば口にある南の地である。ボケて忘れることはあるかもしれないけど、無視することなかれ、や。
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by rurou-no | 2012-10-09 14:31

暮れなずむ

季節外れで申し訳ない。「暮れ泥む」は春の空。秋は「釣瓶落とし」となる。
連れ合いのブログ4日付タイトルの「わびしき思い」を見たときに浮かんだ言葉だからいいのだ。

昨日、干刈あがた『しずかにわたすこがねのゆびわ』を読んだ(これも連れ合いが例によって県立図書館で借りた本)。60年代後半から70年代にかけて、当時の社会状況(変わらぬものと変わったものがある)と関わりを余儀なくされて20歳代前半から30歳代を生きた女性たちの物語である。

小生より少し上の「全共闘世代」になる。おっとり刀で駆けつけたはいいが、すっかり遅れてしまった体のある「谷間の世代」からすると、いつまでも追いつけない鬱陶しい人たちやね。
読みながら、小説の内容から離れて自分の20代前半のころを思い出していた。

暮れなずむ古都の川べりを、ベルボトムのジーンズに下駄履きで川の流れとは逆の北へ向かってとぼとぼ歩く長髪の後ろ姿がある。
過剰な自意識と劣等感で潰れてしまいそうになる気持ちを奮い立たせて、諦観の境地を装いながらも何事であれ貪欲に吸収しようともがいていた、ややこしい若造だ。

振り返ってみると未熟で恥ずかしいことばかり。できることならその時代へ行って、さまざまな局面に立つ自分へアドバイスしたい。こうした思いはこの先もずっと続いていくやろな。
「老成」なんて縁がなく、いつまでもあかんたれでどうしようもない自分はどうにもならない。
過ぎた日を思うと赤面することばかり。もっとちゃんとできなかったのかとぐずぐず考えてしまう。

時代と切り結ぶ作家の本は、あの時代は何だったのかと客観的に考える材料を与えてくれる。
数十年を経た今、「心の豊かさ」という面で怖ろしいほど後退しているのを実感する。いったい私たちは何を目指して社会を作ってきたのか、その一員としての責任を問われている気がする。
干刈さんの本、もう一冊『ウォーク in チャコールグレイ』が手元にあるので、今日読んでみよう。
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by rurou-no | 2012-10-06 10:40 | 言葉・本

離散のちピクニック

明治時代より、仕事を求めて海外へ移住し成功を収めたこの地方出身者が多くいた。町内でもハワイへ漁法を伝えた人、あるいはオーストラリアの木曜島で潜水作業に従事した人、そしてアメリカ大陸へ渡った人など、移民史として伝えられている。

おととい(1日)の夜、田原山村交流センターでドキュメンタリー映画の上映があった。
デビット・メッツェラー監督作品「古里:失われた村、ターミナル島」(2007年)は、戦前まで約3千人が暮らす日系人コミュニティーを形成していたが、日本軍による真珠湾攻撃の直後、漁業をしていた男たちはスパイの疑いでFBIに連行され、缶詰工場で働いていた女たちと残された子どもたちは強制収容所へ送られて、建物はすべて破壊されそこに町があった痕跡すら跡形もなくなってしまったターミナル島の歴史を掘り起こしたものだ。

アメリカ生まれの二世の証言を中心に、「ターミナル島は楽園だった」(浜崎さん談)「何でも揃っていた」島の生活を偲ばせる当時の写真やコンテナヤードとなっている現在のターミナル島、さらに旧島民の会「ターミナル・アイランダーズ」の年中行事であるピクニックの様子など伝えている。
上映の前に、田原へ里帰り中の二世、チャーリー浜崎さんが軽妙な話で盛り上げてくれた。

ターミナル島はカリフォルニア州ロングビーチの西、ロサンゼルス港の入口付近にあるという。
カリフォルニアへ移民した人たちは漁業を生計にして成功した、というのはここのことだったのだ。

そういえば記者時代に取材した、田原小学校の「大鈴(おおりん)」は、在米田原人会会長の谷下清蔵氏が1929年(昭和4年)に寄贈したものだと聞いた。昭和5年にターミナル島の小学校長ワリザー氏が田原小学校を訪問し子どもたちと一緒に記念撮影している。この子らはターミナル島生まれの二世で小学校へ通うために一時帰国し、卒業後再渡米したという。

太地町歴史資料室が日本語字幕版を制作してくれたので、貴重な映像を見る機会を得た。
二世の浜崎さんも90歳になるそうだ。映画に登場してインタビューに答えた人もすでに亡くなった人が何人かいるという。歴史を記録する作業は常に時間制限があるのだ。
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by rurou-no | 2012-10-03 10:59 | 映画


一瞬を、永遠に
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