一所不住



<   2012年 04月 ( 6 )   > この月の画像一覧


五右衛門風呂

あだ名でもう一つ思い出した。忘れないうちにと、内容に合わせた「ご」から始まるタイトルで「五右衛門風呂」。無理やりという感じがしないでもないが、しりとり遊びだから構わん。

地域限定、期間限定で付いたあだ名に「ジャン」というのもあった。
かれこれ30年以上前になる。夏休み中の小学生を山の中の分校跡を借りて自然体験させるプログラムがあり、友人から誘われてスタッフとして参加した。

なにしろ1ヶ月の合宿である。早く馴染んでもらうため初見のときインパクトを与えたいと、オリエンテーションで胸に大きく「ジャーン!!」とプリントした人喰企画制作のTシャツを着て子どもたちの前に立った。
目論見は大成功、こちらが自己紹介する前に子どもたちがTシャツを見て「ジャーン」「ジャン」「じゃん」「ジャン」「じゃん」と口々に囃し立て、名前が「ジャン」になってしまった。

予想以上に受けたなと気を良くしてたら、当時新発売の焼肉のタレに「ジャン」というのがあってテレビのCMでしょっちゅう流れていたらしい。普段テレビを見ないし、焼肉もあまり食べない小生だけが知らなかったのだ。

「ねぇねぇ、なんで焼肉のタレと同じ名前なん?」と子どもたち。君らが名付けたんやろ、と思いつつ「ジャンはフランスの名前や」「ええっフランス人なんか?」「そうや、ジャンはフランスで生まれたんや」と嘘っぱちを言えば、顔をしみじみと見て「やっぱり外人やったんや」と簡単に信じてしまった。

遠い思い出だ。分校の隣にあった職員住宅の五右衛門風呂を沸かして使わしてもらった。毎日子どもたちと一緒に入って汗を流したのも懐かしい。

ところで、「ジャン」はジャン・リュック・ゴダールのジャンでもジャン・ポール・ベルモンドのジャンでもなく、ジャン・ルノワールのジャンでもジャン・ギャバンのジャンでもない。ましてやジャン・コクトーのジャンは畏れ多くて、自分の中ではジャン・ジオノのジャンとしておきたい。どうでもいいことやけど。
[PR]
by rurou-no | 2012-04-30 15:37

ジオンゴ

「ジオンゴって呼んでええか?」
ケニアのナイロビにある国立劇場のテクニカル・ディレクター(というより「親方」「棟梁」と呼びたい雰囲気があった)から声をかけられたのは、自己紹介が済んだすぐあとだった。

仕事でアフリカまで出かけたはいいが、通訳が同行していないため片言のつたない英語で現場を仕切らなければならない不安でいっぱいだったとき、親方の人懐っこい笑顔に救われた。

小生の名前は発音しにくいから、発音しやすい似た名前で呼びたいという。どうやら日本語では似てないけどキクユ語では似ているらしい。アフリカっぽくてええなぁ、と即答で「ええよ。マイネーム イス ゙ジオンゴや」。その日は何度も「ジオンゴ」と呼びかけられて気分が良かった。

親方は「ジオンゴはなぁ、ケニアの有名な作家の名前やで」(関西弁でなく英語でだが)と教えてくれた。「アフリカを代表する偉大な作家や」「凄い小説を書くんやでぇ」と誇らしげな表情で語っていたのを覚えている。

ウィキペディアには<グギ・ワ・ジオンゴ(1938年1月5日~)は、ケニアの作家。当初は植民言語である英語を使用していたが決別し、現在は母語であるキクユ語を用いる。小説に始まり、戯曲、児童文学、映画、論文、批評まで幅広く手掛ける>とある。真のアフリカ文学はアフリカ諸民族言語で書かれるべきとの信念からキクユ語作家となったとか。「闘う反体制作家」との評価があるとも。

光栄なニックネームをいただいたものだ。ともすれば無愛想でとっつきにくい印象を与えるせいか、あだ名で呼ばれることはあまりなかった。期間限定、地域限定ではあったが、この「ジオンゴ」は自分でも気に入っている。

田舎に引っ込んでから活動範囲は狭くなり、新しく出会う人も少なくなった。これから先、あだ名で呼ばれるようなことは多分ないかもしれないし、ましてや彼の地へ行って「ジオンゴ」と呼ばれることは、もうないだろう。
せめて何かの符牒・記号的なもので使えないか、と密かに企んでいる。
[PR]
by rurou-no | 2012-04-28 13:44

リベンジ

「リベンジ」というよりも「リトライ」であるが、近ごろは「リベンジ」が外来語として日本語化しているようなので、こちらを採用したい。

小板橋淳さんによる『熊野中道 古座街道』の続き。
この冊子には「四つの峠越えと石仏を巡る」と副題がついている。古座街道の四つの峠とは「田鶴横手・矢五郎坂(福井谷越え)」、「法師峠越え」、「宇津木坂越え」、そして古座川本流沿いに道がなかったころ平井や西川の人たちが佐田庄から一雨へ出るために通った「栃又峠越え」である。

19日、この栃又峠へトライした。この日は道を間違えること2度、峠まで行き着けなくて散々な目にあう。失敗は早とちりのためで、自業自得というもの。
最初の間違いは「佐田」から山に入ってしまったこと。道らしい道もなく踏み跡を頼りに山を上ること30分、踏み跡すらなくなってしまったので引き返した。
冊子で確かめると「佐田」ではなく「佐田庄」だった。

自らを叱責しつつ仕切り直し、とばかりに「佐田庄」から出発。ちゃんと森の中を行く道があった。小板橋さんのコース概要どおり歩いて「小さな峠」を越え、久留美谷林道へ出る。林道を下って牛鬼の滝や久留美谷集落跡などを見学してから栃又峠への登り口へ。

ここでまた勘違いをしてしまった。「枝谷沿いに遡行する」という記述から、勝手に「沢沿いに行けばいい」と思い込んで、沢を遡行したがとうとう道を見失ってしまった。
というわけで今日、リトライ。気象情報では天気は下り坂だったのに、朝晴れていたからどうしても出かけたくなった。リベンジは早いに越したことはない。

なんのことはない、沢の右岸を遡ったら途中から左へ折れて峠まで道は続いていた(先日は沢の左岸を遡った)。記述どおり、椎の木の下に宝暦十三年と刻まれた地蔵が鎮座して迎えてくれた。やれやれ、何事も早合点の知ったかぶりはいけない、と地蔵さんに諭されたような気がする。
[PR]
by rurou-no | 2012-04-21 15:42

無責任極まれり

よもやそんな馬鹿なことは出来まい、と思っていたのに。
血迷ったか、どじょう!
報道によると政府は13日夜、定期検査で停止中の関電大飯原発3、4号機の安全性を認め、再稼動が妥当だと判断したそうだ。

東電福島第一原発の事故はまだ継続中で、収束の見通しすら立っていない上に、事故の検証も進んでないのが現状である。
放射能汚染の危険性はなくなるどころか、目に見えないところでじわじわと広がっている。
約16万人が土地を追われ、大半が事故から1年以上経った今も家へ帰れないのが現実だ。

福島で失敗した「原子力安全・保安院」が性懲りもなく評価した「安全」なんて、危なっかしくて信じられるわけがないではないか。
拙速な再稼動判断は電力不足とコスト増を理由に挙げているが、これは原子力村と電力会社側の一方的な言い分に過ぎない。
情報隠しとデタラメなデータを示すのが奴等のいつものやり方だ。騙されるな。

無知蒙昧で無為無策なおエラ方が寄り集まって無責任で無理無体な決め事をするなんて愚かなり。どじょう組はいったい何を怖れているのやら。ちゃんと説明せよ、そして反省しなさい。

失敗から真摯に学ぶとすれば、原発を動かすことはできないはず。
北電泊原発が定期検査のため運転を停止する5月5日を粛々と待ち、稼動原発ゼロを実現すべきだ。そして全原発廃炉への道筋を具体化していくのが、まっとうな考えというもの。
ともかく、どうにもできないまま抱え込んでいる膨大な核廃棄物をこれ以上増やさないことだ。

核のゴミ処理はなんとかせなあかんけど、原発がなくても大丈夫なことを知ってほしい。
安全・安心なエネルギーでやっていけるはずやから、早くそうなればいいのにと思う。
[PR]
by rurou-no | 2012-04-14 15:50

静こころなく花の散るらむ

前々から気になっていた「古座街道」の本来のルートを、郷土史家の小板橋淳さんがこのほど出版した『熊野中道 古座街道』で教えてもらった。

司馬遼太郎『街道をゆく』に出てくる「古座街道」は、すさみ町佐本から古座川町佐田を経由する今の県道を通っていたが遠回りになるので、もっと近い道があるはずだと思っていた。
そして先月の県道調査の仕事で長追から佐本根倉へ抜ける峠道を歩いたとき、これが「古座街道」やったんやと発見の喜びに納得していたが、それも違っていた。

小板橋さん作成の古座から上富田町朝来までつながった地図を目にして「これは歩かないかんな」と思い立ったが吉日、さっそく4日に長追から福井谷集落跡を経由して田鶴横手の峠越え、7日は県道調査時に途中で引き返した法師峠越えを歩いた。

これらの道は、道端に立つ地蔵に刻まれた年号から推察するに江戸時代から利用されていたようだ。また長い間、山から町へ炭を運び出して都会のエネルギーを支えた道であり、生活用品や食料品などを手に入れて帰った生活道路だった。

古道を歩く醍醐味は、数百年前の人が歩いた同じ道を歩いているという感覚、想像力の広がりである。私たちが生きる時間は、大いなる時間のほんの一瞬に過ぎないことを知る。

法師峠の帰路は司馬遼太郎に倣って佐田を経由した。折りしも「日本さくら名所100選」の3000本のソメイヨシノが満開で、普段は人の姿を見かけないダム湖畔では、花見の人が遊んで時ならぬ賑わいだった。
その光景を横目に見て頭に浮かんだのが

     久方の光のどけき春の日に静こころなく花の散るらむ  紀友則

     世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし  在原業平
[PR]
by rurou-no | 2012-04-09 10:29 | 地域

見晴らしよし

古座川町観光協会が発行した「古座川町の山歩き」地図を手に入れたので、順番に歩いてみようと2日に「国王山」へ、そして昨日(5日)は「嶽の森」へ登った。

国王山(318m)は初めに200mを一気に上ったあとは、なだらかな道になる「初級~中級」レベル。照葉樹林に囲まれた中を行く気持ちのいい山歩きを味わえる。もちろん花粉症患者には大敵のスギ、ヒノキの人工林もあるから注意しないといけない。
最高所の「国皇大神跡地」という祠があった場所からは、大島や太平洋の眺望がよい。

モデルコースではここで折り返しとなっていたが脚が物足りなさを訴えたため、その先にある「国皇大神」を目指した。「こんな山の中へどうして神さんを祀ったんやろ?」「元あった所もたいがい不便やのにもっと山深い所へ移したのは何でやろ?」「祭礼のときは皆で山を歩くんやろか?」などと考えながら踏み跡を頼りに辿り着くと、何のことはない移転先は祠の前まで林道が通っていた。

神聖なものとして恭しく崇めていた神さんでも、歩くことを厭うようになった人間の都合で簡単に引っ越しされてしまうもんなんや、と可笑しくなってきた。まぁ、ええかげんでええんやろ。

嶽の森(376m)は、古座川を挟んで「一枚岩」と向かい合う。「難易度:中級~上級」とあったのに、油断してた。気楽な気分で歩き始めたはいいが、比較的角度の急な坂が延々と続く道にすぐに息が上がってしまった。それでも粘りが身上の我輩とばかりに老骨に鞭を打って足を運ぶ。

頂上の手前は急峻な岩場になっていた。足場を確かめつつ上りながら「三点確保」なる言葉を懐かしく思い出す。途中、鎖があるところで一服し見晴らしの良い景色を眺めようとしたら突風が吹いて飛ばされそうになった。思わず鎖にしがみつき、下を見ると崖の向こうに古座川が見えた。途端に恐怖が襲ってきて、高所恐怖症になっていることを自覚した。

鎖から手を離すと風にあおられて飛ばされる、頂上まで自力では無理かもしれない、引き返すべきか、と逡巡しているうちに風がおさまり、なんとか雄岳頂上に立った。まったく恥ずかしくも情けない、わずか376mのヘタレ登山の顛末である。
[PR]
by rurou-no | 2012-04-06 10:37 | 地域


一瞬を、永遠に
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30
以前の記事
カテゴリ
メモ帳
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧