一所不住



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森の噴射

この季節に里山から森へ続く道を歩いていると、盛りを迎えた瑞々しいウメの花をここかしこで目にする。花を比べるのは無粋なことかもしれないが、実のところ美しさへの自己主張が過ぎるサクラより遠慮がちに小さな花弁を開くウメの方に肩入れしたい小生には眼福である。

さらにウメの近くにツバキがあれば、赤と白の対比に得も言われぬ風情を感じて思わず足を止めてしまう。しばらく見惚れていると、どこからか ♪コトコトコットンコトコトコットン仕事に励みましょ~♪ と歌が聞こえてきて我に返った。

こんな能天気なことを書いている場合ではない。
春は花粉症キャリアのベテランには耐え難い季節なのだ。こんな時期に仕事とはいえ山道を歩くなんて、わざわざ花粉を浴びに行くようなもの。そして文字通り全身に浴びてしまった。

これまでも、対岸から川向こうの山が花粉を飛ばしているのを見たことはある。
うわーっかなぁんなぁー!と思いながらも、距離が離れていたからまだ余裕があった。
それが、目の前で起きたのである。

26日午前10時半ごろだった。場所は県道城すさみ線、太間川小学校跡地の近く。
2mほど離れたところにあったスギが突然、深呼吸をするかのように大きく上下したかと思うと3度に亘って花粉を噴射した。音まで聞こえそうな勢いだった。
あまりに見事な噴射と遭遇し、その場で固まってしまった小生は花粉のシャワーを存分に浴びる結果となった。

目が痛痒いし、涙が出てくる。鼻もつまり気味だ。くしゃみは連発式で腰に響いて体力を消耗する。
目を開けているのがつらくて本を読めない。車の運転はなんとかやれる。夜もまったく眠れないわけでない。逃げ出せないから開き直るしかないが、どこまで酷くなるのか、恐怖である。

ものは考え様、今年は花粉シャワーを浴びたこのからだをそのまま実験個体として、どんな症状が出てくるか観察する楽しみが出来た、と歓迎することにしよっ。
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by rurou-no | 2012-02-28 14:28 | 病気

閉炉は続くよどこまでも

いま西日本(60ヘルツの地域)では、原発は一基も稼動していない。
20日、関西電力高浜3号機が定期検査のため、発電を停止した。
原発依存度が高かった関電で、原発がなくても今のところ問題は起こっていない。
私たちは間違いなく原発で発電していない電気を使っている。

東日本(50ヘルツの地域)でも、東京電力柏崎刈羽原発が3月下旬に、北海道電力泊原発が4月下旬に、それぞれ停止する。
晴れて国内で発電する原発はなくなるのだ。
あとはこのまま、閉炉から廃炉への道筋を辿るだけでいいのである。

めでたし、メデタシ、と言いたいところだが、ことは簡単に進まない。
去年の3月、私たちは福島第一原発がメルトダウンを起こす事故を目の当たりにした。
そしてまもなく1年になろうとしているのに事故は収束していないばかりか、危なくて手が付けられない状態が続いている。実際のところ熱を水で冷やすことしかできないのだ。

言うまでもなく、その近くで生活するにはリスクが大きくて避難先から帰るに帰れない。
あまりにも大きな犠牲(放射能被害は生きている限り、そして子や孫の代までも)を伴う経験を強いられた。たった一度の地震と津波がそのような事故を起こしたのだ。

まともな人間ならそうした経験から学ぶことは多いはずだ。
ところが、経験から学ぼうとしない強欲ジジイどもが「原発がないと経済活動が成り立たない」とキャンペーンを始めている。欲ボケ頭は思考停止に陥ってしまい、新しいエネルギーへの発想の転換ができないのである。

今こそ私たち一人ひとりがエネルギーのことを考え直すチャンスだ。
この場で繰り返し強調してきたように、原発がなくても電気は賄えるし、リスクもコストも少なくてすむ再生可能エネルギーによる発電のほうがいい、と誰もが気付くことになるだろう。
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by rurou-no | 2012-02-23 14:39

原子力から原始力へ

朝日新聞紙上で連載中の『プロメテウスの罠』は、近年では特出のの調査報道記事だと思う。
福島第一原発事故を受けて、その時だれがどのように動いたのか、渾身のレポートは日ごろから記者クラブの発表(デタラメが多い)を垂れ流すだけの大メディアらしからぬ所業で、丹念な取材で事実を掘り下げることにより核心に迫ろうという姿勢がうかがえる。

ここで明らかになったのは緊急事態を目の前にしても、そのことの認識すらなく肝心の仕事をしないで責任逃れの言い訳するしか能のないバカ官僚どもと、人の命よりも会社の利益しか頭にないゴロツキ企業人、そして危機管理が欠如していた政府中枢の右往左往ぶりだった。
これは大犯罪である。常識的に考えて罪に問われないのが不思議だ。

と、いきなり興奮してしまったが、今日は数日前の記事からタイトルをいただいた。
『プロメテウスの罠』の現シリーズは、元原発技術者で原子力発電所の最前線で働いていた人物を追っている。彼は原発のあり方に疑問を持ち、東電を辞めて地元の福島県で自給自足を目指した生き方をしていた矢先に原発事故に遭い、避難した高知県で生活の場を得たそうだ。

彼が影響を受けたのが、「獏原人村」だったそうだ。久しぶりに懐かしい名前を目にした。
別に知り合いでもなんでもないけど、70年代のヒッピームーブメントのあと各地でコミューンが生まれた。その中に「獏原人村」もあった。
当時、そうした動きの情報センターのようなものをやっていたので覚えていた。

取材中、薪ストーブと薪の風呂を指して「原始力です」と話したという。
そういえば子どものころは、そんな暮らしだった。かまどでご飯を炊いて、風呂も薪で沸かした。熾き炭を櫓炬燵に入れて暖をとった。台所の屋根には煙を逃す天窓もあった。
火を使っていたから冬でも暖かかったのか、と今さらながら思い出す。

米を作り、畑の野菜と放し飼いの鶏の卵と肉、そして新鮮な魚が毎日の食卓に上がった。
自給自足のそんな生活をしていたんや。
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by rurou-no | 2012-02-20 16:58

チゲ

チゲとは韓国の鍋料理のこと。入れる具材によって〇〇チゲと呼び名が変わると聞いた。
だいたいは唐辛子がたっぷり入った辛い料理で、冬が極端に寒い韓国ならではのもの。
日本人にはキムチ鍋という言い方が一般的で、分かりやすいと思う。

ここには何度か書いているが、小生は国内外を問わず旅先で食べる物が合わなくて困った経験はあまりない。「味覚は保守的」なんてとんでもない。
新しい味覚を味わう楽しみこそ旅の醍醐味であり、至福の時なのだ。

たとえば、外国から帰るとすぐに和食なんてことにはならず、数日前までいた国の料理を食べるためレストランを探して出かける口だ。幸い大阪では外国料理のレストランを見つけるのはたやすい。
旅をするたびに味覚の幅が広がるから、こんないいことはないのである。

韓国へ初めて行ったのは80年代初頭。
それまでもキムチは食べていたが、ソウルで食べたキムチが旨くて大好物になった。
チゲはプサンでだったか。とにかく美味しかった。辛いものはそれほど好みではなかったのに、味覚が変わってしまったようだ。ちなみに焼肉もほっぺたを落としそうになった(これはソウルで)。

さて、寒くなるとわが家でもチゲ風の鍋が定番料理として、しばしば食卓に上がる。
からだが温まって暖房費の節約にもなるから一石二鳥というわけだ。
近ごろは、(最後でなく)初めからご飯を入れるという反則ぎりぎりの食べ方が小さなブームで、これがまた旨いから癖になってやめられない。

最近はほとんど外食しなくなったが、食材はあちこちからいろんな物をいただけるし、その気になれば大概の物は手に入れることができる(金さえ出せば)。
ビンボーしててもなんとか生きていけるのはありがたいことや、と今日は殊勝にまとめとこ。
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by rurou-no | 2012-02-13 19:50 |

喜六清八

落語のネタついでというわけでもないが、「き」ときたから喜六と清八について。
上方落語の登場人物でお馴染み「きぃやん」と「せぇやん」の2人。
ちょっと頼んなくてボケ役のきぃやんに対し、しっかり者のせぇやんはツッコミ役。

落語の中で2人の会話は、そのまま漫才のやりとりになっている。
もっとも「漫才」が「萬歳」であったころは、現代の漫才とは随分違ったものだったようだが、今日は漫才でなく落語の話なので深く立ち入らず素通りする。

子どものころにテレビを通して知った落語は「くまさん(熊五郎)」「はっつぁん(八五郎)」、それにボケ役の与太郎などが出てくる江戸落語だった。
ところが大阪の寄席では「喜六」と「清八」になっていたから、あれっ?と思ったのが生の上方落語との出会いである。

上方ではとかく人間国宝の米朝師匠ばかり褒められるが、小生はどちらかというと春団治師匠や文枝師匠(当時は小文枝)の方を贔屓にしていた。松鶴師匠は残念ながらテレビでしか知らない。

高座は世代交代の過渡期にあるものの、やっぱり上方落語の面白さは健在だ。
寄席へ行く機会がなくなっても、出るとこへ出れば「上方落語の味方やで」と公言したい。

「きぃやん」と「せぇやん」やった。
今日書くつもりにしていたのは「大阪では2人の人間が話し出すと漫才になる」という都市伝説のこと。確かにそうした傾向はある。だけど小生のように会話に笑いのセンスがない者もいるのだ。
そのことについて書こうと思っていたのに、本題へ入る前に行数が尽きてしまった。

「黒人は足が速いというのは偏見です」「ヒップホップが嫌いで、ダンスが苦手な黒人もいるのです」と、三浦しをん『風が強く吹いている』の中で黒人留学生が話していた。
イメージというのは曲者である。捉われてはいけない。
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by rurou-no | 2012-02-11 17:03

転失気(てんしき)

少し前、平安寿子『こっちへお入り』を連れ合いから借りて読んだ。
33歳の独身OLが落語教室の発表会を覘いたことから落語の面白さにはまり、自ら発表会の高座へ上がるようになる顛末がストーリーとなっていた。

取り上げているのが江戸落語なので、上方落語ファンとしてはいささか物足りなさは否めないものの、子どものころテレビで馴染んでいたから江戸っ子の粋を認めるにやぶさかでない。

本の中に「転失気」が出ていた。手元に件の本がないのでどんな風に出ていたのか前後関係はあやふやだが、東京でもこの噺をやるんやなぁ、とそのとき思った。

どこで聴いたのか、だれが演っていたのかも忘れたけど、寄席でたった1回聴いただけやのに「転失気」は覚えていた。

ある寺の和尚がからだの具合が悪くて往診を頼んだところ、診察を済ませた医者が「下腹が張っているようですが転失気はございますかな?」と訊ねた。和尚は「てんしき」の意味を知らなかったが知らないとも言えず、なんとかその場を誤魔化した。

気になって仕方がない和尚は、小坊主の珍念に「てんしき」とは何か、聞いて借りてくるように言い付ける。珍念は花屋で尋ねると「床の間に置いてあったのを土産に持たせた」とか「棚の上に乗せてあったのを落として割ってしもた」という。次の豆腐屋では「味噌汁に入れて食べてしもた」と。

訳がわからなくなって直接医者に聞いたところ、「中国の古い医学書『傷寒論』に出ている」と教えてくれた。和尚も知らないことに気付いた珍念は、「てんしきとは盃のことでございます」と嘘をつく。和尚はもっともらしく「酒を呑む器すなわち呑酒器(てんしき)じゃ」と諭す。

次の日、和尚は医者の前で「テンシキをお見せします」と自慢の盃を並べた。医者は「はて、寺ではテンシキは盃のことでございますか。さぞかし古い時代からテンシキと呼んでおられたのでございましょうな?」「えぇ、そらぁもぉ、奈良・平安時代から」
 でサゲとなる。
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by rurou-no | 2012-02-04 15:22 |


一瞬を、永遠に
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