一所不住



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1円で逮捕やてか

パソコンを立ち上げてyahooのトピックスを見ていたら、「民家の電気1円分使う 男逮捕」の文字が目に飛び込んできた。
なんやて?!と開いてみると、高知県仁淀川町で民家のコンセントから電気を窃取した疑いで農林業の男性(55)が逮捕されたとのこと。洗濯機をわざわざ持ち込んで自分の衣服を洗濯していたらしい。きれい好きなんやね。

たった1円で逮捕されるとはえらい理不尽なことやと同情していたら、過去に同じように枚方駅前にある自販機の電源でラジカセを使いストリートダンスをした大学生(22)や、名古屋駅構内で清掃用コンセントを利用してパソコンメールを送った会社員(25)などが検挙されているという。どっちも約1円の電気代を窃盗した疑い。

架空の請求書で裏金を作り、それで飲み食いのドンチャン騒ぎをしているポリ公が1円の窃盗犯を逮捕やなんて悪い冗談みたいや。突っ込みをいれたら、役人や政治家はもっとえげつないことやってるで、と開き直るかもしれんが。

この週末に、森絵都『この女』を読んだ。釜ヶ崎で死を目前にした野宿者を自分のアパートへ連れ帰り、最期を看取ることを何年も続けている「松ちゃん」が出てくる。次の病人の介護に使うため遺品を売り捌いている彼は「追いはぎみたいなもんや」と自嘲する。

「次のおっちゃんのためならしゃあないわ」と言われた松ちゃんは「そやない、死んでいく人間自身のためや」「おのれの遺品が誰かのためになる思うたら、人間、なんぼか安心して死んでいける。どないな人生送ってきたかて、最後は人の役に立てた思うて、大手振ってあの世へ行けるんや」。

こんな物買う人いるんか、と思うようなものを路上に並べて売っていた釜ヶ崎の光景を思い出した。
主人公の結子と礼司は、そこから成り上がった女とそこへ居ついてしまった男だ。
神戸淡路大震災と地下鉄サリン事件があった1995年が明けたところで小説は終わる。
当時の世相を背景にした読み応えのある内容で、小生にしては珍しく一気に読んでしまった。
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by rurou-no | 2011-11-28 12:53 | 言葉・本

奢侈禁止令

古今東西問わず為政者たるもの、民衆を管理支配する方途として巧妙に繰り出したのが贅沢を戒める教え、いわゆる「奢侈禁止令」である。
これは道徳教育とセットになっており、身分制度の維持と階級格差を固定化する側面もあった。

近いところでは、戦時中の「ぜいたくは敵だ!」キャンペーン。
この宣伝惹句に「素」の一字を書き加えて「ぜいたくは素敵だ!」に変えてしまったセンスは大拍手を贈りたい。

藤沢周平の『木綿触れ』は、倹約令下の足軽夫婦の思いやりが仇となった悲劇を描いた短編だ。身分制度の最上位にあった武士にもその地位によって厳格な決まり事があり、がんじがらめになっていた。ささやかな背伸びすら咎められる息苦しい時代だった。武士として妻の仇を討ち切腹する結末は、なんともやりきれない読後感が残った。

敗戦後、この国は占領国アメリカの尻を追いかけた。
経済至上主義に則り、「奢侈禁止」とは逆の「消費、使い捨て」を奨励した。そして人びとの欲望は留まるところを知らず、傲岸不遜と厚顔無恥が大手を振って歩き出した。

どこまでいっても満たされぬ欲望を満足させようと突き進んできた結果が、今ある。
自然への畏敬を忘れてしまった。もう、手遅れかもしれない。地球環境がおかしくなってきているのを肌で感じる。私たちは自然からの警鐘を真摯に受け止めなければならない。

人間の手に負えないエネルギーを作り出し、取り返しのつかない原発事故を起こしてしまった事実に、正面から向き合おうとしないで他人事にしてしまっている為政者や企業、その周辺に巣食うゴキブリどもの立ち回り方は、信じられぬ思いだ。ちっとはまともになれよ、と言いたい。

「奢侈禁止」にしろ「奢侈奨励」にしろ、お上が押し付けるものにろくなものはない。それらは極めて戦略的であるからだ。つまり、その反対側に立てば間違いないというこっちゃやな。
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by rurou-no | 2011-11-24 14:36 | 言葉・本

善哉公社

連れ合いから「『月に群雲』はだれがやってたん?」と聞かれたときに、今日のタイトルが出てきた。
落語のネタが続くのはご容赦願いたい。ちょうど『月に群雲』を書きながら「さて、だれのを聞いたんやったかいな?」と思い出したところだった。

よく通ったのは、ワッハ上方で開かれていた寄席や各地の地域寄席。
中でも贔屓にしていたのは、笑福亭松喬一門の「おそばと落語の会」と桂文太さんの「田辺寄席」。
どちらかだった、との迷いは、古道具屋の合言葉「花に、風」のくだりで、松喬師筆頭弟子の三喬さんと判明した。

今日の『善哉公社』は文太さん。聞いたのは「田辺寄席」ではなく、日本橋にあるビルの4階で開かれた独演会でだった。
持ちネタの多さでは群を抜く文太さん、ここでは時に珍しいネタを披露していた。
社会ネタだから新作だと思っていたが、古典をアレンジしたものらしい。

酒、煙草からだけ税金を取るのは不公平だからと甘いものからも税金を取ることになり、ぜんざい屋を国が経営するところから噺が始まる。名付けて「ぜんざい公社」。

ぜんざいを食べようとすると、身分証明書やら本人証明などの提出を求められ、書類に住所、名前、年齢、職業など書き込んだら証明証が発行されて手数料を請求された。別の窓口へ行って支払ったら、次に銀行の出張窓口でぜんざい代金を支払うよう指示される。あまりに高いので食べずに帰ろうとしたら、契約違反だと脅される。泣く泣く支払って元の窓口へ。

これで食べられると思ったら、餅は焼いたのか?生のんか?と問われ、焼いたのを注文したら消防署の出張所で「出火届」をもらって来いと言われ、面倒だから生のままでというと、医務室で健康診断を受けてから診断書の提出を要求される。

ややこしい手続きを済ませて、やっとぜんざいにありついたところが甘い汁が入っていなかった。
あまりにも的を射た内容で、役所は相変わらず同じことを当たり前にしているから怖ろしい。
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by rurou-no | 2011-11-21 13:29 |

月に叢雲花に風

「月にむら雲花に風」
月が出れば群雲がこれをおおい、花が咲けば風がこれを散らすように、とかく浮世はままならぬ。「好事魔多し」。
物事はうまくいかないほうが多い。この歳になると、つくづくそう思う。

これでも怖いもの知らずの若いころは、何事も強く思い続ければ叶う。念ずれば花開く。念力岩をも通す。と信じて疑わなかった。確かに大概のことは望み通りになっていた時期もあった。
だれにでもやってくる一時的な盛りに、有頂天になっていたのだろう。さぞや無鉄砲で危なっかしかったのでは、と今さらながら恥ずかしい。

50歳を過ぎてから動きが鈍くなったのは、昔のツケを払っているからなのか?それとも恵まれた環境でバランスをとっているのか。周りの人に世話になっているばかりで、何も返せていない自分の不甲斐なさに忸怩たる思いだ。

そういえば上方落語に「月に群雲」というネタがあったな、と思い出したのが今日のタイトルになった。小佐田貞雄さんの新作落語だった。

盗品専門の古道具屋で、合言葉を言えば盗品を買い取ってくれるというもの。その合言葉が「月に群雲」「花に風」であった。
ことわざ好きのアホな奴がアニキと一緒に盗品を売りに行って、そのやりとりを聞かせるだけのネタなのに、爆笑ものの一席に仕上がっている。

小佐田さんと弟子のくまざわあかねさんの2人は秀逸な新作落語の作り手であり、上方落語の伝統をへ受け継ぐべく奮闘している。やがて古典になっていくだろう作品もいくつかあるはずだ。

「月に群雲」とはいえ、月には少しばかりの雲がかかっていた方が風情があってよろしい、と「枕草子」だかにあったように思う。失意の日々をくよくよ考えずに、この際は風情へ肩入れしたい。そして落語の登場人物みたいに素っ頓狂でも笑えたら、それでええやないかと思うことにしよう。
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by rurou-no | 2011-11-17 14:43 |

芦雪

昨日は「串本応挙芦雪館50周年記念」として、美術史家の山下裕二さんが串本の無量寺本堂で講演会を開いたので出かけた。題して「芦雪は楽し!」。

応挙芦雪館は1961年11月に開館した。
建設費用は地域住民の寄付であり、工事中は大勢の人が勤労奉仕に駆けつけたと伝えられる。
地域の文化財を大切にしよう、との熱意が結実した日本一小さな美術館であった。

せっかく半世紀を祝うイベントなのだから、案内パンフレットなり当日の主催者挨拶なりで建設当時の経緯に触れて、50年前の篤志ある人たちに感謝と敬意を表してほしかった。
礼節をわきまえるべし。

山下さんは確か、路上観察学会で赤瀬川さんや藤森さんらと街歩きをしていた、と記憶している。錚々たるメンバーの中では三下扱いだったはず、といっても20年以上も前のことだけど。
ところが近ごろではテレビや雑誌で売れっ子になっているらしい(見ないから知らない)。

この日は山下さんの師である辻惟雄さんも来場して最前列に陣取っていた。
日本美術のコレクター、ジョー・プライスが「一番好きなのは芦雪の『虎図』です」と本人から直接聞いた話から始めて、象の背にカラスや牛の足元に子犬が描かれている屏風の写真を見せながら、「最初はなんだろう、と思わせて開いていくにつれて全体が見えてくるように意図して描いている」。

掛け軸では、牛の正面図や岩の上のカエルなど大胆な構図で本領を発揮している。また虎図障壁画が虎の絵としては最大なら、一寸四方に500体の羅漢を描いた絵が発見されるなど、「芦雪は人を驚かせるのが好きな人だった」と嬉しそうに話す。『虎図』は襖の裏には猫に睨まれている魚の絵があり、その魚の目線で描かれているといわれている。

話の区切りごとに「だから芦雪は楽し!なんです」と何度も繰り返していた。
講演の後半部は「応挙あっての芦雪」として、兵庫県香美町の大乗寺にある応挙の絵を解説。「2年後、名古屋で大々的な応挙展を開く準備中です」と宣伝も忘れなかった。
1時間あまりの短い時間だったが、分かりやすくて聴きやすい講演だった。
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by rurou-no | 2011-11-13 16:06 | 美術

たなごころ

少し前に読んだ本に、堀江敏幸さんの『なずな』がある。
例によって連れ合いが図書館から借りてきたのを拝借した。
フランス文学者の著者が育児小説を書いている意外性に驚いたが、何よりも440ページという本の分量に圧倒された。

個人的に文庫本好きなのは、安い、軽い、小さい、の手軽さを支持しているわけで、こんな分厚い単行本は敬遠したかったが、連れ合いが「面白いよ」と勧めてくれたのと、仏文学者による育児小説のミスマッチに惹かれて読み出した。

地域新聞の独身記者が突然、弟夫婦の2ヶ月になる赤ん坊を預かるはめになったことから、周りの人に助けてもらいながら不慣れな育児に追われる日々を丹念に記録している。赤ん坊の成長を、記者らしい観察眼を駆使して克明に書いていたのがことのほか面白かった。

本の中で、赤ん坊のからだをきれいに拭いてやるとき、「ひかがみ」(膝の裏)、「おとがい」(顎の下)などの表現があった。
今日のタイトル「たなごころ」(掌、手のひら)もそうだが、日常的に使うことが少なくなった言葉を大事にしているところは、外国語を専門にしている学者だからか。

言葉は時代とともに変わっていくものであるという考えは否定しないが、今風の若者語で眉をひそめたくなる言葉があるのも事実だ。
昔ながらのたおやかな表現を、次世代へ教え伝えていくことを忘れてはならないと思う。

そして方言も。田舎では山を一つ越せば言葉が違ってくる。
その表現の多様性こそが豊かな文化を生み出す基になっているから、だんだん失われていくのはしのびない。
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by rurou-no | 2011-11-11 13:46 | 言葉・本

秋のソナタ

暦の上で「小春日和」に当たり、暖かで穏やかな一日である。と、いうよりも暑過ぎないか?
11月だというのに温度計は28度を示していて、小生は半袖のTシャツ姿やど。
アナログからデジタルの時代になったせいなのか、気候にも按配の良さがなくなって角が立つ。
節度をわきまえず、加減もしないでやりたい放題なのは困ったもんや。

ふと、『秋のソナタ』という映画のタイトルが頭に浮かんだ。
田舎暮らしを始めてから、日常的に映画館へ足を運ぶことがなくなったため、このブログにも映画の話題はあまり出てこなくなった。
ご飯を食べるのと同じように映画を観たり音楽を聴いたりして、生きていくのに欠かせないものだったはずが、いつの間にかなくても過ごせるように。多少の禁断症状はあっても、慣れてしまった。

『秋のソナタ』は、名匠イングマール・ベルイマン監督1978年の作品。
主演は銀幕美女列伝に燦然と輝くイングリッド・バーグマン(スウェーデン)と、公私ともにベルイマンのパートナーとして重要な役割を果たしてきたリヴ・ウルマン(ノルウェー)の2人。
北欧実力派美人女優が母と娘に扮し、正面からぶつかり合うシリアスな内容だった。

『カサブランカ』のイングリッド・バーグマンは、ハリウッドで花開いた。
初めてスクリーンで見た時、その美貌に打ちのめされ、北欧こそが美人の産地であると勝手に断定したほどだ。
またベルイマンの映画で確かな演技により深いテーマを体現させたリヴ・ウルマンからは、「知的美女」という新しいカテゴリーを教えてもらい、美人の定義が広がった。

どちらにせよ、まだ20代。新しい情報を貪欲に仕入れようと躍起になっていたころだ。
毎日が新鮮で常に更新を繰り返していた。誰にでもそんな時期はあるのだろう。
それから倍の年齢を数えて、随分と様変わりした。今は今で、よき日々ではあるが。
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by rurou-no | 2011-11-07 14:26 | 映画

リタイア

年寄りの冷や水!と嘲われているかもしれないと思いながら、9月は古座川町、10月は那智勝浦町と約2ヶ月間、台風12号の被災地でボランティアをした。
やっぱり年寄りの冷や水だったのか11月に入ってから、からだの疲れが取れず肉やら骨やら関節やらが軋んで悲鳴を上げだした。

現場で仕事をしているときは平気なのに、家に帰るとからだ全体が鉛のスーツで包まれているように重くなり、翌日になっても鉛は剥がれないままになってきた。
こりゃアカン。鉛を身に着けたままでは現場仕事はできん。ギブアップや。
というわけで、リタイアすることにした。
ボランティアのニーズも少なくなってきたとこやし、ここら辺でよしとしよう。

この9月、10月はラグビーのワールドカップがニュージーランドであった。
日本代表は予選リーグで敗退したせいもあったのか、あまり盛り上がらなかったようだ。
ちなみに優勝したのは、開催国のニュージーランド代表、オールブラックスだった。

そのオールブラックス出身のジョン・カーワンヘッドコーチに率いられた、チェリーブロッサムズは1勝もできなかった。
2大会連続で代表ヘッドコーチを務めたカーワン氏は、結果を出せないまま退任することになった。

一方でリーグ連覇という結果を出した、プロ野球中日ドラゴンズの落合監督も退任する。
彼のファンではないが、有言実行の職人肌的勝負師として評価していた。
類い稀な野球センスの持ち主だけに、球界を離れることになるのはもったいない。

風が冷たくなると花園ラグビー場のスタンドを懐かしく思い出す。ラグビーの季節だ。
当時、地元の近鉄ライナーズはいつも負けていた。今シーズンの調子や如何に?
人が少なくてガラガラのスタンドで、寒風に震えながら応援するのは妙に爽快な気分だった。
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by rurou-no | 2011-11-05 16:24 | 地域

鳥なき里の蝙蝠

小役人どもの振る舞いには、つくづく呆れてしまう。
福島原発の事故以来、放射能汚染の予測と実測データが手元にありながら、東電とグルになって公表しなかったのは経産省や文科省の小役人どもだ。
おかげで何も知らされず被曝してしまった住民が大勢いた。これは明らかに犯罪である。

だれも責任をとらないで責任の所在を曖昧にしたまま、同じ過ちをずっと繰り返してきた。
全国的に蔓延する公務員の事なかれ主義、仕事をしない習慣を定着させたのも、元はといえば中央の官僚がリードしたからに他ならない。
日ごろからそうだから、イザという時に役に立たないのだ。

そして重大な災害や事故が発生し人の生死にかかわる場合、この小役人どもの振る舞いは殺人罪、あるいは殺人未遂に相当する。残念なことに連中にはその自覚が無い。
鳥を知らないまま、蝙蝠を鳥と思わされ続けてきた国民のなんと不幸なことよ。

真実をきちんと伝えてこなかったマスメディアの責任は大きい。
大きな権力に飼いならされ、弱者に向かったときだけ偉そうにする姿はさしずめ「虎の威をかる狐」である。矜持はないのか、恥ずかしくないのか、と問いたい。

レベルが低いアホな政治家は論外として、こと原発問題になると思考停止状態な経済界はどうしたのか。儲けに聡く小賢しいはずではなかったのか。
ごく一部の企業家だけにしか動きがないなんて信じられない。

ともあれ、ベトナムへ原発を輸出することになった。
そして九州電力の玄海原発が1日深夜、運転を再開したという。
福島の事故は継続中だ。2日未明、2号機で核分裂反応が起き臨界状態になっているらしい。

わたしたちは本物の鳥を見つける努力をしなければ、えらいことになってしまうぞ。
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by rurou-no | 2011-11-03 13:43


一瞬を、永遠に
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