一所不住



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マロンに導かれ

26日の日曜日、久しぶりに映画を観に出かけた。
成島出監督作品「八日目の蝉」。角田光代の同名小説が原作である。
ちなみに小生は話題作にもかかわらず、小説が新聞連載中も単行本発行時もテレビ放映も知らないで文庫本になって初めて読んだ、という世間の流れから取り残されていたことを白状する。

小説と違って映画は誘拐された赤ん坊(恵理菜=薫)の再生の物語として撮られていた。
連れ去られていた4年間の薫と成長した21年後の恵理菜をカットバックでつなぎ、空間を移動することで時間を遡るという複合的なロードムービーであった。同時に恵理菜=薫の心の揺れを丹念に追いかけて、それぞれがシンクロする複雑な重層構造を成していた。と、わけのわからんことを書いているが、ようするに映画の面白さを堪能させてもらった。

この日は遠出のドライブで映画やと舞い上がっていたのか、補聴器を忘れてしまい肝心の科白が聞き取れなかったが、小説を読んでいたから映像だけでも十分に楽しめた。むしろ音がなかった分、丁寧なカメラワークと役者さんの表情や身振りなどから伝わるものを強く感じとった。

雨の坂道、雪の坂道、自転車で疾走する坂道、そして夜空に輝く星、日の光に煌めく海、虫追い行事のシーンなど、映像で表現されたものの饒舌な語りを挙げていくといくらでも出てくる。

この映画では永作博美という女優さんの演技に特筆すべきものがあった。誘拐した子どもをいかに愛し慈しんだか、写真館のシーンに集約されていた。
もうひとり気になったのが、恵理菜=薫の道先案内としてともに道行きするマロン役の小池栄子。猫背の立ち姿や危うい歩き方、ぎこちないしぐさなどで役の性格を見事に表現していた。

原作ではどちらかというと誘拐犯の方に興味をもったが、映画は誘拐された子を中心にドラマが進行した。監督は若手女優を主人公にして映画を撮りたかったのだろう。それにしてもエンゼルホームを単なるカルト集団にしてしまったのはいただけない。小説の設定に合わせて描いた方がリアリティがあったと思うのに。本と映画は違うものだとしても残念だ。

と、つらつら感想を記してみようという気になったのは、小説を読んだあとなんやかやと話が盛り上がったうえ、角田光代の本を片っ端から読み出したわが家。映画のあともまた、あーだこーだと話ができたもんで。
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by rurou-no | 2011-06-29 16:13 | 映画

基地の島

昨日23日は、沖縄戦没者慰霊の日だった。
沖縄出身の戦没者らの名を刻む「平和の礎」には、24万1132人が刻銘されているという。
太平洋戦争末期に日米最後の激戦地となった沖縄戦では、双方合わせて20~24万人の犠牲者が出たそうだ。沖縄出身者に限っても12万人を超え、そのうち94000人が民間人だったと資料にある。

大勢が決してもなお、何ゆえに勝ち目のない戦いを続けたのか。思考停止に陥り客観的な判断ができなくなった大本営は、沖縄を「本土防衛」の捨て石にしてでも守りたいもののために、敗色濃厚な戦いを突き進んだ。
沖縄戦の悲劇は、決して忘れてならない現実である。

戦後66年、「本土」は沖縄を犠牲にして高度経済成長を謳歌してきた。
この間、1972年までは米軍の占領地であったし「返還」された後も米軍基地はそのまま残された。
実際に沖縄本島へ足を運べば、「沖縄に基地がある」のでなく「基地の中に沖縄がある」のを実感する。基地の金網は延々と続き、市街地を米軍機が当たり前のように低空飛行して恐怖心を覚える。否応なく米軍に支配されている実態を目の当たりにするのだ。

米軍は頻繁に事故を起こし、また米兵は何度も事件を起こしてきた。そのたびに沖縄の人びとは悲痛なる抗議の声を叫びこそすれ、日本政府とほとんどの日本人は他人事として捉え、沖縄に米軍基地があるから守られているものに気付かない振りをしてきた。

宜野湾市の中心部で同市の面積の25%を占める「世界一危険な飛行場」である普天間基地の移設問題は、民主党政権になって混乱させただけで、打開策を探る動きすら見せないまま先送りする体たらくだ。
いつもの手で「地元が反対するから先に進まない」と、責任逃れの魂胆が見え見えである。
まずは「県外」あるいは「国外」と決めて、そこから議論を始めるべきなのは言うまでもない。

私たちも現実を見る目を養い、沖縄の人の思いを受け止める努力をしようではないか。
安全保障で基地が必要とあらば「本土」で引き受けるべきだし、必要なければお引取り願おう。簡単なことだ。
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by rurou-no | 2011-06-24 13:49

慙愧(ざんき)

仏教用語つながりで、タイトルは「慙愧」。
「慙」は自らの過ちを恥じること。「愧」はその気持ちを示すこと。
例によって『新明解』さんをひも解くと、「取り返しのつかない事をしたと強く悔やむと共に、自ら恥じること」とある。

福島第一原発事故について考えていたら、この言葉が出てきた。
事故から100日が過ぎても放射能の拡散は、とめどなく広がる一方である現状を前にして、暗澹たる思いから逃れられないでいる。
こんな取り返しのない事態を引き起こした同時代に生きるわたしは、原発の危険性を知っていたのに止められなかったことを、今の子どもたちと未来の子どもたちに詫びなければならない。

このたびの事故を受けて、ドイツとスイス、イタリアは脱原発へ舵を切った。
ところが当事国の日本では、経産相が原発の再開を要請するなど加害の大きさを認識していないとしか思えない動きに出ている。既得権益者である原子力ムラ(こいつらが一番反省せなあかんのに、反省どころか既得権益を守ろうと必死になっている)と経済界からの圧力があったと想像できるが、与野党が一緒になりメディアが後押しする「菅降ろし」も同じ流れにあるのだろう。どうかポスト菅政権には、脱原発への流れを止めないでほしいと願う。

人間の手に負えない怪物を作り出す、闇の構造を解体するチャンスは今しかない。
「原発がないと電気が足りなくなる」という嘘っぱちの節電キャンペーンに騙されてはいけない。
「自然エネルギーはコストが高い」も出鱈目だ。
電力会社はウソがばれるから関係資料を公開しない。つまり信用するに値しない会社なのだ。
大事故を起こした後ですら、データを隠蔽して公表しない企業体質は犯罪的ですらある。

一つの事故で町が失われ、人びとの暮らしが失われた。わたしたちもいい加減、誰かを犠牲にして楽な生活を求めるのは考え直すべきだ。沖縄の米軍基地問題も同様である。
「苦海浄土」で水俣病を告発した石牟礼道子さんは、「水俣病はふつうの事故ではなく、緩慢なる毒殺です」と本質を突いたが、原発もまた「緩慢なる殺人」を犯していることに変わりはない。
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by rurou-no | 2011-06-20 14:19

只管打坐(しかんたざ)

毎月18日に近くの寺で坐禅させてもらっている。
「只管打坐」とは、道元さんの教え『正法眼蔵』にある言葉で「ただひたすら坐る」こと。何も考えない。何も求めない。

生まれ育った紀伊大島にある3つの寺は臨済宗で、対岸の串本や出雲、西向なども同じ宗派の寺だ。ここ潮岬だけが曹洞宗である。古座にある曹洞宗の寺は、現在無住となっている。
臨済禅は「公案」といわれる問答が行なわれるが、曹洞禅は壁に向かってただひたすら坐る。

初めて坐禅の会へ参加したとき、『坐禅のすすめ』と題した小さなリーフレットをいただいた。
合掌から始まる坐禅の作法が説明されている。坐る両隣の人へ挨拶する「隣位問訊」→向かいの人へ挨拶する「対坐問訊」→「結跏趺坐」か「半跏趺坐」→「上体の作法」→「手の作法」(法界定印)→「目の作法」閉じてはいけない→呼吸「欠気一息」→「口の作法」舌の位置→「左右揺振」上体を左右に揺する→「思いをはなつ」→「止静鐘」合図で始める。そして鐘の合図で終わると堂内をゆるやかに、静かに歩行する「経行」。

曹洞宗の大本山「永平寺」は修行の厳しさで知られている。野々村馨『食う寝る坐る永平寺修行記』は著者による1年間の修行体験を記したものだが、住職に聞いた修行時代の話は本の内容そのままだったので、その超時代、超世俗の修行が本当らしいと唸るしかなかった。
小生も若い頃は永平寺の修行に興味を持ち、体験してみようかと思ったこともあったが行かなくてよかった。ひ弱な心と体では、せいぜいが足の痺れと格闘する一般向けの坐禅の会で十分だ。

このたびの大震災では、地域の寺が避難所の役割を果たしたところもあったそうだ。死者・行方不明者が23000人を超える事態を前にして、宗教者のあり方もまた問われていると思う。亡くなった人の弔いはもちろんのこと、生き残った人の心のケアが重要な仕事の一つになるだろう。

こんな時、ただひたすら坐るだけでいいのか、との迷いに囚われることもある。そやけどやっぱりできることをひとつひとつやっていくしかないのや。
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by rurou-no | 2011-06-15 16:14

弱法師(よろぼし)

そんなつもりはなかったのに、近ごろの文章にはとげとげしくて攻撃的な言い回しが目に付く。
3.11後、無力で不甲斐ない自分に苛立っているのだ。それに、こんな時のために楽な仕事と高待遇が保障されているにも拘らず、動きが鈍い公的機関に対する歯痒さがある。

本来なら、芝居や落語を愛好する好々爺然としていたかったのが、いつの間にやら知ったかぶりのうるさいオッサンになってしまっていた。

「よ」で初めに思いついたタイトルは「夜のピクニック」。再開した夜の散歩のことでも書こうか、と思っていた。ところが書き出しに、と考えた恩田陸の同名小説は期待はずれの内容だったので、悪口を書いてしまいそうだから却下。

次に浮かんだ言葉が「弱法師」。
『弱法師』は「俊徳丸」伝説を下敷きにした観世元雅(世阿弥の長男)作の能。
伝説では、継母の呪いで俊徳丸は失明させられライ病に侵されて家を追放される。四天王寺で物乞いとなったが、許婚と再会して観音菩薩へ祈願することにより病は癒えるという筋。

能では、讒言で父によって家から追い出された俊徳丸は悲しみのあまり盲目となる。四天王寺で乞食坊主となって、落日を拝むと極楽浄土へ行けると信じられている「日想観」を行う。祈りが通じ目が見えたと思ったら錯覚だった、と救われない。よろよろとした姿から「よろ法師」と呼ばれた。

ちなみに俊徳丸が河内国高安から四天王寺へと歩いたのが「俊徳道」で、生駒へ向かうと「十三峠道」となる。十三峠越えは在原業平の「高安通い」で知られた同じ道だ。

人形浄瑠璃と歌舞伎では『摂州合邦辻』となって、継母の玉手御前が主役。
説経節には『安護若』と『信徳丸』がある。
『身毒丸』(しんとくまる)は、寺山修司が演劇実験室「天井桟敷」で舞台化した。最近では寺山と共同台本だった岸田理生が改訂して蜷川幸雄演出、白石加代子主演の舞台が話題になっている。

胃がんで早世した桂吉朝が、最後の高座で演じたのが上方落語『弱法師』だった。
これは文楽劇場で聴く機会を得た。
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by rurou-no | 2011-06-10 14:20

理念なき利権屋の跋扈に注意せよ

権力争いにしか興味を示さない無知蒙昧な政治家連中の破廉恥ぶりには、開いた口が塞がらない。いざというとき何の役にも立たない能無しであれば、せめてベラボーな議員歳費と政党助成金を返上して復興資金へ回さんかい!

新聞によると、総額2514億円寄せられた義援金もまだ、15%しか被災者に届いていないそうだ。被災からまもなく3ヶ月になろうとしているこの時期に信じられない数字だ。
被害認定に時間がかかるため支給が遅れているというが、そもそも住宅の被害で全壊と半壊で支給額に差をつけて、なんてノンキなことをやっているからこうなるのだ。

大震災と大津波、そして原発事故が重なり、その地にいたすべての人びとがあまねく塗炭の苦難を強いられている事態を直視すれば、住宅がどうのこうの言っている場合ではないことくらいわかりそうなもんだ。
あの時間は、赤ん坊から年寄りまでひとりひとりが等しく体験した。そして不安と失意の中でなんとか立ち直ろうとしている。義援金はそうした人を応援したいという気持ちが集まったものだと思う。そこにいた人みんなに配るのが筋ではないか。さっさとしろよ。なんでこんなに時間がかかるのか。

政局にしても既得権益を守りたい勢力が、性懲りもなく動き回っているに過ぎない。この期に及んでなお原発を推し進めたい奴等は、原発がなければ産業が成り立たない、原発はコストが安い、などと盛んに喧伝している。
そのウソを暴くには現状の地域独占体制を改めることと送電網の開放を一刻も早く実現させなければならない。公正な競争があればおのずと答えは出てくる。

原発推進派には事故(3ヶ月近く経ってもまだ進行中!)を起こした原発内で体を張って決死の作業をしている人や日常を奪われて避難している人らのリスクはコストに入っていないし、放射性廃棄物を処理できず末代まで放射能の危険に晒すことも頭にない。冷静に考えればおかしなことも、欲が絡めば見えなくなるから怖ろしい。

役人天国で官僚が支配する国は、仕事の効率が悪くて遅い上に責任の所在を曖昧にし誰も責任をとらない。こんなのが当たり前になって、いざという時も変わらないのはなんという不条理か。
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by rurou-no | 2011-06-07 14:08

国破れて山河在り

   国破山河在     国破れて山河在り
   城春草木深     城春にして草木深し
   感時花濺泪     時に感じては花にも泪を濺ぎ
   恨別鳥驚心     別れを恨んでは鳥にも心を驚かす
   烽火連三月     烽火三月に連なり
   家書抵万金     家書万金に抵る
   白頭掻更短     白頭掻けば更に短く
   渾欲不勝簪     渾べて簪に勝えざらんと欲す

唐の詩人、杜甫による五言律詩『春望』。
中学校の漢文の授業で「くにやぶれてさんがあり・・・」と暗記させられたのをまだ覚えている。
もちろん覚えていたのは日本語読み下しの方だけで、漢文の部分は調べて写してみた。

この国の現状と安易に結びつけるつもりはないが、「く」から始まるタイトルを探そうとしたとき頭に浮かんだのがこの詩だった。まさにこの3ヶ月というもの「くにやぶれてさんがあり、しろはるにしてそうもくふかし」と詠みたくなる風景をいやというほど目にしてきた。

そして今ちょうどこの時間に国会では、菅内閣不信任決議案の採決が行なわれているはずだ。
もともと政治家には多くを期待していないから批判するのもアホらしいところだが、どこまでもテメエの欲得や利益しか考えていない性根に呆れてしまう。

そんなことしてる場合か、政治家としてやるべきことがほかにあるやろ。
どっちにしても茶番劇や。こんなお目出度い連中に政治を任せている我々も反省せなあかん。

今は、政府が頼りないからと足を引っ張り合う時ではない。あらゆる知恵と力を持ち寄って、協力して難局に立ち向かう時なのだ。目の前で困っている人を早くなんとかしろよ、と言いたい。
今さらながら、貧困なる政治状況へ自責の念とともに忸怩たる思いだ。
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by rurou-no | 2011-06-02 14:40


一瞬を、永遠に
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