一所不住



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もはや20日が過ぎた

この国に住む人びとの大半が、あの日を境に一変したことがあるはずだ。
それは「生活」だったり、「考え」であったり、変わったものは一人ひとり、さまざまだろう。

21世紀のはじめに生きる私たちの世代はたぶん、2011.3.11以前、以後という確かな境界線をそれぞれの身の中に抱えていくことになる。そして時代の証言者となっていく。
とりわけ東日本太平洋沿岸地方の人には切実な分け目となってあらわれる。
関西を生活圏としていた人に1995.1.17という日があるように。小生もその末席にいる。

3週間が経つにもかかわらず、大方の被災者はいまだに避難所生活が続く。吹雪が舞い、底冷えのする地において十分な暖房がなく風呂や着替えもままならない日常を強いられている人たちのストレスや体の不調など健康面が心配だ。

天災によって失ったものは復旧・復興へ向けて気力を奮い立たせることができる一方で、制御不能になった原発という人災はまだ進行中であり、放射性物質の拡散は悪化の一途でどうしようもない。
想像力の欠乏によって危機管理がおざなりにされ、今回の事態でも初期対応の判断を誤まった結果、もたらされた悲惨な状況は取り返しがつかない。

フクシマはチェルノブイリに限りなく近づいている。
専門家からも地震と津波で危険な状態になる、と具体的に指摘されていたのに、東電は対策をとらなかった。危ないのは国内54基ある原発すべてにいえることだ。
30年ほど前、反原発の運動の中で学習したことがある程度の半可通の小生ですら予測できた、この3週間の流れである。

これを機会にエネルギー政策を見直す機運が高まるとしても、代償はあまりにも大きい。
この小さな島国に原発を作る発想自体が正気の沙汰じゃないことは、世界地図を思い浮かべるだけでも簡単にわかる。
地球という星をもっと大切にしようよ。
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by rurou-no | 2011-03-31 14:03

いつかこの地でも

1週間が経った。
被災の全容はまだ、つかめていない。犠牲者はおそらく数万人単位になるだろう。
地震と津波の恐ろしさを思い知らされた。

南海・東南海地震があったら、この町はこうなる、と想定していた最悪の事態が東北地方の各地で現実となった。
それは、いつかこの地でも、起こりうる可能性が大きい。

3月11日、町の防災無線放送は津波発生の危険を知らせ避難を呼びかけていたらしいが、日ごろから町の放送は小生の耳には聞こえないので知らないままだった。
連れ合いが何度も携帯電話で連絡を取ろうとしてくれたものの、携帯電話は遠方の災害でもつながらなくなり、いざという時には役に立たないことが判明した。

テレビがないのでパソコンと新聞から、毎日心を痛めながら情報を得ている。状況を知ってもなす術がないのに何をやってるのか、と自問しながら。
多くの命が失われた。生き残った人も避難所で寒さに震え、絶望感に耐えている。
95年1月の神戸を思う。歩いて現場へ行くには東北は遠い。

原子力発電の危険性は今さら言うまでもない。
何十年も前から指摘されていたのに聞く耳をもたず、「安全神話」を作り上げた。
生命線である冷却機能が停止し、核の暴走を止められない。
「最悪」を回避するための作業が成果を上げるよう祈るしかない状況になってきている。
ともあれ、この国が危急存亡の瀬戸際にあるのは間違いない。

京都にいたころ、福島県いわき市出身の美大生と知り合った。すっかり音信不通になったままだが大丈夫やろか、心配や。いわき市の情報はあまり伝えられていないのも気がかりだ。
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by rurou-no | 2011-03-18 11:26

暗闇は楽しい

『月刊みんぱく3月号』で研究者の山中由里子さんが、ドイツのフランクフルトにある「ダイアローグ・イン・ザ・ダーク」(DID)ミュージアムを、「暗闇博物館体験記」として紹介していた。
DIDは健常者と障害者の間にある「壁」を崩すためのワークショップで、「視覚を使えない不自由」ではなく「視覚を使わない自由」を体感する場所である。
何も見えない暗闇の中に公園や街並を再現した部屋があり、慣れない晴眼者を視覚障害者が誘導、案内してくれる。ここでは見える、見えない、が逆転する。

山中さんは「音楽の部屋」で、床に寝転んでインド・ポップスを体全体で聞いて「こわばっていたさまざまな感覚が次第に解きほぐされて」いき、「暗闇は怖い」から「暗闇は楽しい」解放感を味わう。そして「このめりはりのきいた空間構成が、視覚以外の感覚を呼び覚ます効果的な仕掛けになっている」と解説していた。

ちょうど連れ合いの本棚で見つけた、三宮麻由子さんの『鳥が教えてくれた空』を読んだところだった。連れ合いはこんなのもあるよ、と同じ著者の『そっと耳を澄ませば』も貸してくれた。
三宮さんは4歳で視力を失ったそうだが、彼女の視野の広さと空間の捉え方には鋭い感性がみなぎっている。

彼女は耳がいい。聴き方がうまい。鳥の声を聞き分け、森の深さや樹種、山の広さなど晴眼者以上に観察して、自然を楽しむことができる。
「私はアオキの実の赤さよりも、そこにヒヨドリが種を落とし、その種が芽吹いて苗となり、葉が繁って実が生える、というプロセスがすごいと思う。しかもヒヨドリが落とした種は、これまた、どこか知らない場所で食べた実なのだ」と、生態系の循環に触れる。そして「花の美しさより、花が咲くという事実に感動する」と、ポーズだけの環境派が尻尾を巻いて逃げ出すような箴言を述べていた。

小生は耳が聞こえにくいから、外に出ると無口になってしまう。1対1なら聞こえるまで何度も聞き返せるが、何人かで話している場では流れを止めるわけにいかないという気持ちが先立って、話の中に入っていけないのだ。もっとも嫌なことは聞こえなかったり、聞こえない振りをしたりできる利点もあるのだが。半ば諦め、もっぱら連れ合いの前だけで雄弁な、内弁慶をやっている。
さらに目のほうもあやしくなってきているのは加齢のせいやからしゃあないか。
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by rurou-no | 2011-03-08 14:09

反博

「は」の次は音の「わ」とするか、字の「は」とするか迷ったが、ブログは書く行為だから字そのままの「は」からはじまる言葉で継いでいくことにした。

今月号の「芸術新潮」は、岡本太郎を特集していた。
岡本太郎といえば、行方不明となっていたメキシコで制作(68~69年)した巨大壁画「明日の神話」が2003年に発見されたことが記憶に新しい。
壁画は、アメリカの水爆実験で被爆した第五福竜丸の事件に触発された作品「燃える人」のテーマを引き継いだ縦5・5m×横30mの大作である。
現在、渋谷駅JR線と京王線の連絡通路に設置されているそうだ。

岡本太郎の代表作は何といっても、万博の「太陽の塔」。
科学技術の進歩を展示する博覧会は70年、大阪で開かれた。「月の石」が目玉だったように思う。というのも小生は万博へは行っていないから詳しくは知らない。国を挙げてのお祭り騒ぎにだれもかれもが出かけた(離れ島の鄙びた村からも万博行きのバスが出た)。だから、行かなかった。すでにそのころからへそは曲がっていたのだ。

こっちなら行ってみたいと注目していたのが、「反博」。万博に反対するから反博。反戦の博覧会だから反博。位置付けも曖昧なまま、大阪城公園に反芸術家や反戦活動家らが集まった。
残念ながら田舎のビンボーな高校生には、大阪は遠かった。

「太陽の塔」を初めて見たのは、民族学博物館友の会へ入会してから博物館がある万博公園へ出かけたときだった。その奇妙な構造物と対面した小生は、岡本太郎の凄まじさを思い知り、「万博会場でも見たかった」と曲がったへそをかいたのを覚えている。

さらに驚いたのは、太陽の塔の内部を再現して展示したのを以前は公園内にあった国際美術館で見たときだ。
そこには「生命の樹」があって、原生動物から人類に至る生命の進化の過程が表現されていた。個人的にもっとも興味を惹いたのは、薄暗い地下空間に浮かぶ世界中から集められた原初を思わせる仮面の数々(民博ができる前、民族学者らが調査地で蒐集したもの)。霊的な気が満ちていて異次元へ迷い込んだ、と感じた。ずいぶん長い時間そこから動けなかった。

近代思想に真っ向から闘いを挑んで、人間の根源を問いかけた「太陽の塔」とその内部の展示は、岡本太郎という存在そのものだった。
よくもまぁあんなものが作れたもんや。おそらく走り出した彼を誰も止められなかったんやろな。
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by rurou-no | 2011-03-04 12:02

死んだ男の残したものは

しりとり歌合戦をするつもりやないけど、昨日「くそくらえ節」を口ずさんでいたら、続けて ♪死んだ男の残したものは~♪ と口について出てきた。そんなわけで今日も歌のタイトルで。

    死んだ男の残したものは ひとりの妻とひとりの子ども
           他には何も残さなかった 墓石ひとつ残さなかった
    死んだ女の残したものは しおれた花とひとりの子ども
           他には何も残さなかった 着物一枚残さなかった
    死んだ子どもの残したものは ねじれた脚と乾いた涙
           他には何も残さなかった 思い出ひとつ残さなかった
    死んだ兵士の残したものは こわれた銃とゆがんだ地球
           他には何も残せなかった 平和ひとつ残せなかった
    死んだ彼らの残したものは 生きてる私生きてるあなた
           他には誰も残っていない 他には誰も残っていない
    死んだ歴史の残したものは 輝く今日とまた来る明日
           他には何も残っていない 他には何も残っていない


作詞:谷川俊太郎/作曲:武満徹
1965年4月、「ベトナム平和を願う市民の集会」で発表されたという。
もちろん、そのころはまだ小学生で知らなかった。

この年、アメリカ軍が北ベトナムへの無差別爆撃を開始、多くの一般市民に犠牲者が出た。
60年に始まった第2次インドシナ戦争で、南ベトナム解放民族戦線をマスコミは「ベトコン」と呼び、テロ組織扱いしたが、時間の経過とともにことの本質が明らかになった。結果、米軍は敗北する。

戦争をすることで経済を成り立たせているアメリカは、性懲りもなく世界中で戦争をしかけて大国の力を誇示してきた。イラクへそしてアフガニスタンへと、50年前からやってることは変わっていない。

谷川俊太郎と武満徹は、ともにわが国を代表する詩人と作曲家で世界的に知られ評価が高い。
この2人が組んだ反戦の歌は、永遠に歌い継がれていく。
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by rurou-no | 2011-03-03 10:52 | 音楽

くそくらえ節

 ある日学校の先生が 生徒の前で説教した テストで100点取らへんと 立派な人にはなれまへん
  くそくらえったら死んじまえ くそくらえったら死んじまえ この世で一番えらいのは 電子計算機
 ある日まじめな労働者 息子を呼んでこう言った 仕事のことだけ考えて 毎日せっせと働いてチョーダイヨ
  くそくらえったら死んじまえ くそくらえったら死んじまえ 文句も言わずにせっせと働く 機械の部分品
 ある日会社の社長はん 社員を集めて訓示した 君達わたスを離れては マンズ生きてはゆけぬ身の上さ
  くそくらえったら死んじまえ くそくらえったら死んじまえ 金で買われた奴隷だけれど 心は俺のもの
 ある日政治家シェンシェイが デッカイ面してこう言った 君達まじめに勉強して ワタスのようになるんだよ
  くそくらえったら死んじまえ くそくらえったら死んじまえ 税金チョロマカシテ2号をもつなど おいらもやりたいナ 
                       税金チョロマカシテ2号をもつなど おいらはまっぴらサ
 ある日聖なる宗教家 信者の前でお説教 この世でがまんしていれば きっと天国行けまっせ
  ウソこくなこの野郎 こきゃあがったなこの野郎 見てきたようなウソをこくなよ 聖なる神の使者
 ある日政府のおエラ方 新聞記者に発表した 正義と自由を守るため 戦争せにゃあきまへんのやワ
  ウソこくなこの野郎 こきゃあがったなこの野郎 おまはんらが儲けるために ワテらを殺すのけ
 ある日しわくちゃじいちゃんが 若者呼んでこう言った 天皇陛下は神様じゃ お前ら態度がなっちょらん
  ウソこくなこの野郎 こきゃあがったなこの野郎 天皇様もトイレに入れば 紙にたよってる 
    
                                                 詞/曲 岡林信康

長々と引用してしまったが、まだ他にも歌詞がある。
1969年、「反戦フォーク」とか「プロテストソング」という言葉があった時代だ。
この歌は部落差別をテーマにした「手紙」や「チューリップのアップリケ」とともに放送禁止(自粛)歌になっていた。ぼくらは放送禁止歌が大好きで、みんなでよく歌った。

近ごろではサッカースタジアムでサポーターが「友よ」を合唱することがあるらしい。
スポーツ試合が生み出す興奮とカタルシスは、しばしば民衆の不満のハケ口として利用されてきた側面は否定できない。難いこと言わずに楽しめばええんやけどね。だからこそや。
「友よ」を贔屓チームを励ますために歌うのはかまわないが、時にはその歌ができた社会的背景や歌詞の意味について考えをめぐらせることもあってほしいと願う。

「山谷ブルース」は今でも焼酎をあおりながら口ずさむ人がいるのやろか。
音楽も消費されるモノでしかなくなってしまった。しかしその影響力には計り知れないものがある。
気骨のあるミュージシャン諸君、たのんまっせ。
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by rurou-no | 2011-03-02 10:59 | 音楽


一瞬を、永遠に
S M T W T F S
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