一所不住



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気宇壮大なる愚直

明治のはじめ来日した紀行作家、イザベラ・バードも、その地図を頼りに旅行したはずだ。
維新前、幕府の要請で地図作成にあたっていたイギリスの測量技師は、自分たちより正確な忠敬の地図を見て帰ってしまったらしい。

井上ひさし「四千万歩の男 忠敬の生き方」を読んだとき、頭に浮かんだのが「気宇壮大なる愚直」という言葉だった。
「気宇壮大」と「愚直」は、並べると意味がおかしくなるかもしれないが、伊能忠敬という人のイメージはこんな感じだ。
江戸時代に日本地図を完成させた、あの人である。

年表によると忠敬は49才で家督を息子に譲り隠居、50歳で江戸へ出て高橋至時の弟子となって天文学の勉強を始めた。
1800(寛政12)年、55歳のときに蝦夷地(北海道)を測量してから、71歳まで17年間路上の人だった。毎年のように各地へ測量にでかけ、詳細な全国地図を作成した。

その方法は「2歩で1間」の歩幅で海岸線を歩く、どこまでも歩いていく途方もない事業だった。歩いた距離は約3万5千キロ、歩数にすると4千万歩にもなるというから凄い。
一歩一歩積み重ねていくしかない作業は、「愚直」としか言いようがなく、米の仲買いなどで大儲けする商魂のたくましさは、「気宇壮大」とは言い難いところもあるが、成した事業の大きさは計り知れない。

子どものころから地図を見るのが好きだった。今でもよく見る方だと思う。
地図上の記号や文字を読み取ることで風景が立ち上がる瞬間のなんともいえない爽快感は、地図好きならではの特権だろう。
地図の上だけでも旅を楽しめるし、地図があれば実際にどんなところへだって行ける。
知らない町へ行くと、わざと地図を見ないで迷子になる遊びをよくやった。
それもこれも忠敬先生という先人がいたればこそ、と感謝せなあかんな。
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by rurou-no | 2011-02-28 14:25 | 言葉・本

英国女性の旅行記

明治時代のはじめ、イギリスの紀行作家が日本を訪れて東北地方から北海道を旅行した。
鎖国が長かったせいもあり、開国間もない神秘の国へやってきた外国人は多かったはずだ。
そのうちの一人がイザベラ・バードという女性だった。彼女は帰国後、「日本奥地紀行」を著した。
来日したのは1878(明治11)年。6月から9月にかけて東北・北海道をめぐり、10月には関西方面へも足を延ばしている。

彼女のことを知ったのはいつだったか思い出せないが、ひとりで日本にやってきて北海道まで行った行動力に驚き、この勇敢な女性に興味を抱いたのを覚えている。
と同時に彼女を案内した日本人通訳にも関心を持った。いったい何者なのか、どういう気持ちで外国人女性を連れて歩いたのか、調べてみたいものだと思っていたが「奥地紀行」すら読まないまま、うっちゃっていた。

中島京子「イトウの恋」は、青年ガイド伊藤鶴吉(小説では亀吉)が残した手記という形をとって、英国女性(小説では「I・B」)と2人きりの旅行を振り返っている。
面白いのはお互いに相手を「表情に乏しい」と思っている異文化への誤解(解説で鴻巣友季子さんも触れている)。そして秘境を見て回るつもりだった旅行者は、どこへ行っても初めて見る外国人として珍しがられ、見られる立場にあったことだ。

手記を発見した中学校の新米教師と生徒、イトウの孫の娘にあたる劇画原作者の3人が迷探偵ぶりを発揮して「イトウ探し」へ、最後まで退屈させない。母親ほど年の離れた女性に惹かれていくイトウの心情、小説ならではの設定(実際はどうだったのか)が読み物として効果的である。

この小説が成功したのは、「奥地紀行」をイザベラ・バードの視点ではなく、伊藤鶴吉の視点で再現したことにある。
鴻巣さんも「人物の数だけ視点がある。『人の数だけ物語がある』というのは、そういう意味だ」と書いていた。まったく同感だ。
とかくへそ曲がりの小生は昔から物事を素直に見ないで、斜に構えて見る癖がある。正面からだけでなく、横から、斜めから、後ろから、上から、下から、陰から覗き見、といろんな角度から見たら、同じものでも違って見えるからね。
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by rurou-no | 2011-02-25 13:52 | 言葉・本

つながる民の声

大方の予想通り、チュニジアの民衆革命は北アフリカから西アジア各国に波及した。
まずエジプトのムラバク政権が倒れたのに続き、バーレーン、リビア、イエメン、イランなどで反政府デモが大きなうねりとなってきている。
ドミノ現象を恐れる権力者はこれを力で封じ込めようと治安部隊を出動させ、各地で衝突が繰り返されて死傷者が相次いでいるそうだ。

昨日はアジアの大国、全体主義国家の中国でも、ネットの呼びかけに応えた市民が、北京市内中心部に千人以上集まって通りを埋め尽くした、と新聞は伝えている。
ここはノーベル平和賞受賞者すら、自由を奪われ人権が抑圧されている国だ。

世界には独裁体制の国が多い。
これまでの権力者は、テレビと新聞の2大メディアを利用することで国民の支配に成功してきた。
情報は常に上からの一方通行で、民の声は届くことはなかった。
ところがここにきてインターネットという新しいメディアを手に入れた人びとは、自ら情報を発信すると同時にリアルタイムの情報を受信できるようになった。

本当のことを知られては困る体制側は、ネット回線をシャットアウトするなど防戦に追われているが、つながりだした民衆の声は途切れることなないだろう。そうあってほしい。

決してよその国の話ではなく、この日本もこれらの国と大差ない。テレビや新聞が世論を作り出し、意識的に操作しているのは同じこと。自由が保障され情報は正しいと信じ込んでいる国民はますます鈍感となって、目の前の危機すら他人事にしてしまう。
せめてあふれる情報の中から、大切なものを見分ける目を養ってほしいと願わずにいられない。

とまぁ、オチのないことをつらつら書いているのは、デモも起こらない国に半ば絶望しているせいでもある。長く続いた自民党一党独裁政権が民主党に変わっても中身は変わらないから白けてしまうのも無理ないけど、こんなんじゃあかんやろ。といっても生活に手一杯てか。
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by rurou-no | 2011-02-21 13:59

自殺率

昨日の午後、友人が住む大阪狭山市で高校生の双子姉妹が自殺したとニュースで伝えていた。
統計によると、年間自殺者が13年連続で3万人を超えたそうだ。
この国で1年間に3万人以上が、自ら死を選んでいる現実に驚く。こんなに多くの人が生きていけなくなった社会とは、いったい何なのか。

調べてみると、世界保健機関(WHO)が国別の自殺率(10万人あたり)を発表している。
日本はリトアニア、ロシア、ベラルーシ、カザフスタンに次いで世界第5位(25.8)だ。7位のウクライナ(6位は南米ガイアナ)も含めて旧ソビエト連邦に集中しているのは、社会主義体制の崩壊と国家の独立という激動の中で、うまく波に乗れず生きるためのよすがを見失ってしまったのか。

これらの国と肩を並べる日本とは、いったいどう考えればいいのだろう。
旧ソ連の国々と共通するのは、官僚が特権階級にあって市民社会の現状に目を向けないこと。そして貧富(大多数の貧者と一部の富者)の差が拡大していること。

明らかに違うのはわが国は経済至上主義を旗印に先進国の仲間入りを果たし、大企業のための国造りに勤しんできたことだ。
外国から見れば、豊かな日本、富める日本である。統計の数字をどう説明するのか。

NGO熱帯森林保護団体の代表を務める南研子さんの「アマゾン、インディオからの伝言」は、ブラジル・シングー川流域の熱帯林で自然の法則に従い、自然と共生して暮らす先住民には自殺者はいないと教えてくれる。一方で西洋文明とキリスト教が入り込んだ先住民部落では、自殺者が続出しているそうだ。

ひとつの例に過ぎないが、私たちにとって大事なもの、こと、は何なのか今一度考えてみたい。
いくら国が栄えても、その国の人びとが豊かで幸せでなければ意味がない。彼の地では「幸せ」「寂しい」という言葉すら存在しないという。いじめも差別もなく、人間も動物も植物も対等な社会だ。
文明は何をもたらしたのか、そろそろ気づいてもいいころだと思う。
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by rurou-no | 2011-02-15 11:12

釈 居士

50代も半ばを過ぎる年齢ともなると、身内や親類縁者、知人などの葬儀に出る機会が否応なく増えてくる。
田舎のこの町でも、かつては菩提寺を中心にして、故人に所縁のある人びとが総出で執り行っていた葬儀も、近ごろでは葬祭センターへ僧侶を呼んで行なう形が一般的になってきた。
人の死と別れの儀式は、手間とお金を秤にかけた結果、ビジネスが成立した。

特に帰依する宗教を持たない小生だが、平均的な日本人の例にもれず、盆になると墓参りをし、正月には神社へ詣でる習慣を受け入れてきた。そして葬儀へは数珠を手に出かけることになる。
神職にある友人が手にした数珠を見たとき、深く考えず形式を受容すればいいのだと納得した。

一昨年は実父、昨年は義父と2年続けての遺族の立場から見えてきたのは、煩雑な仕来たりと多くの決め事にとまどい、いささかうんざりしている我が身のしどけなさ。
法事は繰り返し行なわなければならず、死んでも(死んだら)離さない仏教教団恐るべしである。

死者にはお釈迦さんの弟子として戒名が付けられる。
実家の菩提寺は臨済宗東福寺派で、戒名は「〇〇〇〇居士(女性は大姉)」となる。
ところが浄土真宗では法名「釈(釈尼)〇〇」と簡単らしい。死者に穢れはないから、と清めの塩も用いないという。

これまであまり意識してこなかったが、葬式仏教と揶揄される仏教界も金儲けに走っているばかりではない。教義の違いによって宗派は13宗約140派を数え、死者の弔いの仕方も変わるそうだ。

さて、自分が死んだらどないしてほしいやろ。
山の上で鳥に食われるか、海の中で魚に食われるか、どちらにせよ人の手を煩わすことになるから、路傍で犬に食われてもいい。藤原新也は「人間は犬に食われるほど自由だ」と書いていた。
葬式はいらない。その死を知った時、一瞬だけ思い出してくれるならそれで十分だ。
ややこしいことは一切なしや。
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by rurou-no | 2011-02-05 12:44 | 地域

落伍者

前回書いてから数日間は、パソコンを立ち上げては消す動作を繰り返していた。
それというのも、「ら」から始まる言葉として今の自分を表す「落伍者」の文字が頭の中を渦巻いて、思考はますます負のスパイラルに陥ってしまったから。

不況下でましてや50代のおっさんとなると仕事がないのは、はなから予想していたこと。
そして自分のキャリアは、田舎では何の役にも立たないことも。
それでも、これまでの経験を活かせる場はどこかにあるはず、と考えたのは甘かった。

残りの人生は生まれ育った町に奉仕できる仕事をしながら暮らせたら、とノンキな考えもあり公的な求人は片っ端から当たってみた。公的な仕事ならアイデア次第でどこまでも幅を広げることができる、町の活性化の仕掛けなんてなんぼでもやってやる、と思い上がっていた。

まったくお呼びでなかった。ここでは中高年失業者の一人でしかない。
つまり、役立たずのろくでもない奴という定義の該当者である。
まともな人間であれば50代で職探しなんてしていないもの。誰も相手にしてくれないのは当然だ。
人生の落伍者以外の何者でもない。

思えば自分の人生は50歳までだから、と気ままにやってきた。若いころは考えたこともなかった50代を今、生きている。どうしようもない自分をもてあまして落ち込んでいる50代だ。
はてさて事業を始める才覚や能力はないし、体力もないのないないづくしでどないしたらええんや。
「ビンボーヒマアリ」じゃ洒落にもなれやしねぇ。

弱音は吐きたくないし、書いているとだんだん暗い気分になりそうで避けたかった。
「落伍者」であることを認めたくない気持ちもどこかにあったと思う。
今日は如月1日、明日2日は大安、3日は節分で旧暦1月1日、4日は立春、そして5日は東風解凍(春風に氷が解け始めるころ)と暦は教えてくれる。一陽来復。前向きに、前向きに。
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by rurou-no | 2011-02-01 13:57


一瞬を、永遠に
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