一所不住



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つげ義春

青林堂が出していた月刊漫画雑誌「ガロ」は、1970年代にあらゆるものに飢えた20代を過ごした私たちにとって、数多ある漫画誌の中でも特別視され大事に扱われていた。バックナンバーを揃えることに喜びを見出した友人の1人が、発売日を待ちかねるように手に入れた雑誌は仲間内で順番に回し読みされ、掲載作品について語り合う場を与えた。

「ガロ」は商業的な雑誌に比べれば異色な作品が多く中でも異彩を放っていたのが、つげ義春。
刹那的で厭世的、エロスとシュールが入り交じった暗いタッチの作風に目が離せなかった。寡作なため、なかなか作品を発表しなかったことが、読者に多くの言葉を費やさせる結果となった。

彼の作品はタイトルを並べるだけでも興味深い。「ねじ式」「紅い花」「李さん一家」「オンドル小屋」「ゲンセン館主人」「ほんやら洞のべんさん」「もっきり屋の少女」「やなぎ屋主人」「峠の犬」「通夜」「長八の宿」「リアリズムの宿」「枯野の宿」「夢の散歩」「退屈な部屋」「庶民御宿」「無能の人」「石を売る」「鳥師」「蒸発」等々。

代表作の「ねじ式」(石井輝男監督、浅野忠信主演)や「ゲンセン館主人」(石井輝男監督、佐野史郎主演)、「無能の人」(竹中直人監督・主演)など映画化された。

作品には「古本と少女」のようなヒューマンな物語もあるが、たいがいは鄙びた温泉宿か安下宿を舞台にしたあまり救いのない、なおかつどことなくユーモアにあふれた内容で、つげ作品の特徴を表している。それらは私小説を思わせる文学性にあふれたもので、キクチサヨコやコバヤシチヨジらヒロインを生み出した。
つげさんは、漫画を描かなくなってから「貧困旅行記」なる随筆集も出している。

つげ作品は今読み返しても色褪せることなく面白い。驚くべきは漫画の中の出来事はリアルな風景として身の回りにあったが、今では大部分が現実感を失いつつある。その一方でより深刻になった若い世代の現実も。
自分自身を考えると、つげ漫画の世界へ戻って行っているような気がして、成長出来ないままジジイになっても変わらない自分をへらへらと笑って誤魔化す体たらくだ。
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by rurou-no | 2010-05-31 14:38

離脱

昨日、米軍普天間飛行場を名護市の辺野古へ移設することを明記した日米共同声明が発表され、これを政府方針とする閣議決定への署名を拒否した社民党の福島さんが、大臣を罷免された。
これで社民党が連立政権を離脱する可能性が高くなった。

現在の民主党、社民党、国民新党による連立政権は、有権者が初めて投票によって首相は自民党からではなく民主党から、と政権交代を選択した画期的な内閣だった。大きな期待を担ってスタートしたはずだったが、蓋を開けたら自民時代と変わらないおぼっちゃま総理の下で迷走を繰り返し支持率は急降下、とうとうにっちもさっちも行かなくなってしまった。

そもそも連立を組む段階で基本政策について曖昧な同意しかしていなかったため、今回の事態は遅かれ早かれ起こりうると予想できた。皮肉なのは同じく昨日、衆議院総務委員会で郵政改革法案が強行採決されたこと。民営化に反対する国民新党の言い分が通ってしまった。一方で社民党が主張する米軍基地の沖縄からの撤退は袖にされた。前者は参院選での郵政票目当てで、後者はアメリカの圧力の結果である。

今さら日米同盟とか抑止力などの言い訳は何の説得力もない。そんなこたぁ誰でも分かっている。問題は狭い沖縄に米軍基地が居座り続け(思いやり予算という経費負担まで強いられて)、市民生活に制限が加えられ常に危険に晒されている異常な状態を良しとするかどうかなのだ。自民政権はアメリカの言いなりになって屈辱的なまでにやりたい放題されていた。民主政権になった今こそ対等な話し合いを始めることが出来たのにと残念でならない。

結局、おぼっちゃまは何の方針も示せず何も決められなかった、という印象しか残らなかった。
最後には強きに屈し、弱きを切り捨てる特権階級の冷酷な姿が浮き彫りになった。
政治は魑魅魍魎の世界で一筋縄ではいかないのは理解しているつもりだ。だからこそ、こういうときこそあらゆる策を弄して、事に当たってほしかった。
いつになったら一人歩き出来るようになるのやろか、先が思いやられる。
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by rurou-no | 2010-05-29 14:35

クーラカンリ

ヒマラヤ山系のチベット自治区にある名峰クーラカンリ(標高7538メートル)でカメラマンの中村進さんが雪崩に合い遭難したのは2008年10月1日のこと。中村さんは山岳カメラマンとして活躍し、日本人で初めてチョモランマ山頂、北極点、南極点の3極点に立った人だった。

高名な登山家に及ぶべくもないが、好きで山へ出かけていた時期があった。
もっとも、せいぜい信州の低山を歩くのが関の山、といった初心者のレベルから一歩も進んでない。
それでも1人前に遭難しかけたこともあり、山の怖さや大自然への畏敬の念は多少なりとも身に付けてきたつもりだ。
そして、歩くという行為そのものに惹かれている。

近ごろは高年齢者が山で遭難した、というニュースを耳にする機会がとみに多くなってきたように思う。これは単純に山へ出かけるのは、ほとんどが高年齢層だからである。
すでに20年ほど前、山登りを趣味とする友人が「山で会うのは年寄りばかりや」と言っていた。
若いころに山の素晴らしさを知った世代が引き続き山へ入る一方で、次の世代は時間をかけて達成感や喜びを得ることが出来なくなってしまった。

現代人は金さえ出せば何もかもが安易に手に入ることを知り、時間すらも金で買えると勘違いをしてしまった。
確かに、しんどい思いをしながら何時間もかけて山に登るなんてアホなことだと思う。
逆にアホなことだから面白いとも言える。そして経験した者だけがその魅力を知るのは、どんな事でも同じだ。
ここで一介の失業者として真理を述べよう、「時間の浪費こそが最高の贅沢だ!」と。

左右の足を交互に出せば前に進むことが出来る。それが可能な限り、どこであろうとできるだけ歩きたい。それが出来なくなったら、別のやり方を考えればいい。
つまずいてばかりの人生も、なかなか捨てたもんじゃないし。
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by rurou-no | 2010-05-27 15:09

突然炎のごとく(2)

フランソワ・トリュフォー監督の「突然炎のごとく」(1962年、フランス)
主演はジャンヌ・モロー。
トリュフォーは盟友、ゴダールとともにヌーヴェルヴァーグをリードした。個人的にはゴダールが好きだったが、トリュフォーの映画もよく見た。ゴダールの「気狂いピエロ」はこの映画に触発されて作ったとも聞く。
ジャンヌ・モローが演じたカトリーヌはマリー・ローランサンがモデルだとされ、彼女の恋人だったアポリネールはローランサンに振られたことから代表作「ミラボー橋」を書いた、というのは話が出来すぎのようでもある。20世紀初頭、パリには若い芸術家たちが集まり交遊してお互いを刺戟しあっていたから、さもありなんといったところ。

ゴダールといえば、先日あったカンヌ国際映画祭へ久々に登場した、とニュースで伝えていた。そのニュースの中で一瞬だけ映っていたのは、たぶん老人になっても矍鑠とした姿の彼だったと思う。今年のカンヌは主演女優賞にジュリエット・ビノシュを選んだ。彼女はレオス・カラックス監督の「汚れた血」や「ポンヌフの恋人」で鮮烈な印象を残した。91年公開の「ポンヌフの恋人」は公開直後にパリの映画館で見たのでよけいに覚えている。

この年の12月、スペインではどこの町へ行ってもパトリス・ルコントの「髪結いの亭主」が大ヒット上映中で、映画館の前には足を組んで椅子に座り、挑発しているかのようなアンナ・ガリエナ(マチルド)のセクシーなポスターが貼られていたのを思い出す。
と、ここまで書いて「突然炎のごとく」のタイトルは前にも使ったことを突然、思い出した。

調べてみたら2007年6月25日に投稿していたが、内容が違うので今回も良しとしよう。
こんな時、自分の中にあるボキャブラリーやイメージの貧困さがばれてしまう。
いやいや、ここは「突然炎のごとく」という言葉に魅了されたため、と言い訳しておこう。
原作者のアンリ=ピエール・ロシェをモデルにトリュフォーが撮った「恋愛日記」も面白い。
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by rurou-no | 2010-05-26 11:33 | 映画

Shit!

読者の少なさでは群を抜くブログゆえに品位を旨としたい、と常々気をつけてきたのに今回は「Shit!」なんて言葉で恐縮である。くそったれ!と品性を疑われるようなタイトルになったのには深い、いや痛い事情がある。
「風が吹けば桶屋が儲かる」ということわざは何かにつけ引き合いに出されるが、それとは関係なく「風が吹いても痛い」例のアレがアレして、思わず自分の左足に向かって下品な言葉を発してしまったのが、ことの次第。

昨日、急に「発作」が出た。去年の夏以来のことで、もう大丈夫だろうと安心していた矢先だった。そもそも大阪にいたころから原因不明の足の痛みがあり、骨折をしているわけではないと我慢していた。それが5年ほど前にどうにも我慢が出来なくて病院へ行ったところ、診察した医師はうれしそうに笑みまで浮かべて「痛いでしょう」とのたまうではないか。「痛いから来たんですよ、何とかしてください」と涙目で訴えても、ニヤリとして「痛いのはよく分かります。実は私もなんです」と同好の士を得た喜びを隠そうともせず「痛み止め出しときますね」とのんびりしたもの。脂汗を流して耐えていた痛みは、まさか自分には縁がないと思い込んでいた病名だった。

たとえば音がするだけで、音の波が当たって痛い。それが大きな音なんかだと波の大きさに比例して痛みは倍増する。友人は猫が前を横切っても痛い、と話していた。何も起こらず、じっとしているだけでもズッキン、ズッキンと痛みが襲ってくるから当然だ。昨日はあいにく日曜日だったから「明日まで我慢」と言い聞かせるも、とうとう昨夜は眠れず布団の中で唸っていた。

今日になって病院へ行くのがまた、ひと騒動。愛車ジムニーはミッションだった。痛い左足でクラッチを踏まないとギアが入らない。この時ばかりはミッション車を選んだ自分を呪った。坂やカーブが多い田舎道の上に、今日に限って信号にもよくつかまるのはどういうことだ。左足の痛みは足先だけでなく股のところまで上がってきた。そして帰路はあまりの痛さで気を失いそうに。
こんなんが一生ついてまわるなんてどないしょ。まぁ父親から受け継いだものやからしようないか。
というトホホの顛末。Shit!
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by rurou-no | 2010-05-24 14:40 | 病気

ろくでなし

このところ天野忠さん、豊田勇造さんと京都が近くにやって来たような感じだが、京都ネタを続けたい。
今朝は5時ごろに目が覚めて布団に入ったまま、京都にあったコーヒー屋さんのことを考えていた。
東山三条のカルコは窓の外を路面電車がゆっくりと走って行くのを見るのが好きだった。丸太町通へ上るとインバがあった。百万遍の京大近くにはZACOと彷徨館と進々堂、烏丸今出川の同志社近くは駱駝館、少し戻って寺町今出川にSMスポットと空。府立大の近くにあったのはルオー。
河原町へ出るとコニー・アイランドがあり、有名どころの六曜社と堺町イノダ。むいやミューズもよく行った。白川通の黙示録、近衛の風雅堂、烏丸三条のモンローウォークなども行ったなぁ。
ジャズ喫茶では蝶類図鑑。そしてZABOは特別な位置を占めていた。
名前は忘れてしまったけど、おいしいコーヒーを出してくれる行きつけの喫茶店も何軒かあった。
思いつくまま書き出しているときりがない。なにしろ「名前のない喫茶店」という名前の店まであったのだから。もうなくなってしまった店の方が多いのではないだろうか。

とにかく毎日、何杯もコーヒーを飲んだ。コーヒーが好きだったこともあるが、それ以上にコーヒー屋さんへ行くのが好きだった。人に会いたいとき、一人になりたいとき、考え事をしたいとき、本を読みたいとき、音楽を聞きたいとき、ただボーッとしたいとき、用もなく暇をつぶしたいときなど、気分に合わせて足が向く。1日のうちでコロコロ気分が変わるものだから、結果的に何軒もハシゴをするはめになった。
中でも毎晩、家へ帰る前に必ず立ち寄っていたのが「ろくでなし」。カウンターとボックス席が1つだけのジャズ・バーで、マスターとは店を開く前にいた「アルマジロ」からの馴染みだった。このマスターの顔を見ないことには1日が終わらない、という愛すべきろくでなしどもが集まっていた。

古いこの酒場で たくさん飲んだから 古い思い出は ボヤケてきたらしい 私は恋人に捨てられてしまった 人がこの私をふだつきと云うから ろくでなし ろくでなし なんてひどい オーウィ! 云いかた       
       「ろくでなし」       岩谷時子/作詞     越路吹雪/歌
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by rurou-no | 2010-05-22 11:59

堪忍袋

毎度お馴染みの上方落語から「堪忍袋」
日に何回も喧嘩が絶えない長屋住まいの留とお咲さん夫婦。
この日も大きな声で怒鳴りあいの喧嘩をしているところへ仲裁に入った平兵衛さんは、腹の中に溜まっていることを相手の顔を思い浮かべながら袋に向かって言うと、袋が全部吸い取ってくれて気分がすっきりとする「堪忍袋」というのを教えて、作ることを勧める。
お互いの不満を袋に吐き出してうまくいった留とお咲さんは、この袋を長屋の連中にも貸し出したため袋がパンパンに膨れてしまった。


江戸落語にも同じ噺があって、最後には袋の中で喧嘩が始まって滅茶苦茶になるオチだったと覚えているが、上方の方はサゲにも関西人らしいくすぐりを入れて洒落っ気を感じさせる。
大きな壺に悪口雑言のありたけを吐き出す噺は別のネタだったか?
この堪忍袋は夫婦円満や対人関係のアドバイスに引用されることが多いと聞く。

今、堪忍袋の緒が切れているのは、敗戦後ずっと米軍基地の島として日本の犠牲を一身に受けてきた沖縄の人々だろう。戦後65年、「返還」されてから38年経ってもその実態は変わらないままだ。日米安保の人質、或いは人身御供として、土地を奪われ基地に囲まれて危険と隣り合わせで生活をしている。彼らの怒りは政府のみならず、日本人全体に向けられていると考えた方がいい。

懸案の普天間基地移設問題は、米軍基地が日本に必要だと思うのなら全国各県が持ち回りで引き受けるぐらいのことをしてもいいくらいだ。身近に米軍基地があるとはどういうことなのか、少しなりとも沖縄の人の気持ちが分かるかも知れない。そしてこのままアメリカの植民地であっていいのかどうか、もっと真剣な議論ができるはずだ。

ところで我が家でもたくさんの袋が目に付くが、あの中に堪忍袋もあるのやろか?
もしやお咲さんが言っていたのと同じのが入っていたりして。「毎日仕事もせんとダラダラダラダラ暮らしやがって、もっと一生懸命仕事せぇ、このド甲斐性なしぃっ!」。
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by rurou-no | 2010-05-20 11:42

ジャマイカじゃないか

昨日は三重県の紀宝町まで足を延ばし(といっても3月限りで店を閉めた新宮市熊野川町のハチドリよりもずっと近い)、熊野大橋を渡ってすぐのところにあるミュージックカフェ・フォークスであった「豊田勇造ライブ」へ行ってきた。
勇造さんは京都で舞台照明の仕事をしていた時に何度もスタッフをさせてもらっていたが、私の方がダンスや芝居の仕事が忙しくなるにつれだんだんと疎遠になり、20数年ぶりの再会だった。

60歳になった勇造さんのステージは昔と変わらず、始めから全力疾走で最後まで走り抜くスタイルは健在だった。変わらないところと変わったところ、どちらもいい感じでうれしい時間を過ごせた。
あんな元気な姿を見せられたら、こっちもうかうかしていられない。怠惰な日々を消費するだけの自分が恥ずかしい。「2019年7月7日、70歳のコンサートを円山音楽堂で開く」と語るその日、京都へ行けるようになっていたいと思う。

今日のタイトルは前に勇造さんが「憧れのジャマイカ」や「ジャナイカジャマイカ」を歌っていたなぁと思い出したので。昨日のライブではアンコールで一番好きな「花の都ペシャワール」も聴けた。私のへたれの耳では補聴器の力を借りても、歌の歌詞や曲間の喋りの内容は聞き取りにくかったが、そんなことには関係なく音楽への熱い思いは十分に伝わってきた。

前座で演奏した川端さんをはじめ松原さんや井上さんら地元のミュージシャンも好かったし、初めて行ったフォークスの雰囲気(マスターの音楽好きが分かる)も好くて、なんだか羨ましかった。

昨晩は久しぶりに興奮したせいか、頭が興奮状態から冷めず布団に入ってもなかなか眠れなかった。
こんな風になるのも久しぶりである。
頭を冷やそうと外に出ると、夜空に満天の星が煌めいていた。
星がきれいに見えるところで良かった。
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by rurou-no | 2010-05-17 10:14 | 音楽

わらしべ長者

とにかく物をもらってくるのがウマイ。
お世話になったお礼にと粗品を携えて訪ねた先で、持って行った物以上の品物をいただいて帰るのは、いつものこと。
顔を見たら、何かをあげなきゃと思ってもらえる人って本当にいるらしい。
「顔に欲しいと書いたある」

「わらしべ長者」は物々交換を繰り返して、貧乏人が最後には大金持ちになったおとぎ話。
彼には欲得というさもしい考えがなく、ただ交換に応じただけだった。
ひたすら相手の申し出を受け入れる等価交換の結果である。
あなたの欲しいものと、わたしの欲しいもの。そこには金銭に換算するそろばんの出番はない。

この話の面白いところは、貧乏な男は一所懸命に何かをしたわけではなく観音様に願を掛けただけ。旅に出て人と出会い持ち物を交換するだけで裕福になるという内容で、教訓めいたメッセージをあまり強調していない。物の価値は人によって、また状況によって変わることを教えてくれる。
もちろん「お金」が人の心を支配する以前の話ではあるが、物の価値に限れば今でも「お金」とは別に考えたい場合がままある。

さて、件の「現代わらしべ長者」は、貧乏なところはおとぎ話と同じだが、お金持ちになったという話は聞かないし、これからなりそうな気配もない。
ただ貧乏している割には、もらい物が多くて食生活は豊かである。
おそらく欲がないから、周りの人が何かで補ってあげたくなるのかも知れない。

もう一度おとぎ話に戻ると、貧乏な男は観音様への願掛けのあと石につまづいて転んで、わらをつかんだ。件の現代さんなら多分、つまづいた石を拾うだろう。そうしたら結末はどうなる?
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by rurou-no | 2010-05-14 16:40

右がわ

右側は、いつも遠くにいる。
まるで望遠鏡を逆の方から覗いたとき、のようなものだ。
物体はほとんど確認できないため、用を成さない。
初めからそうだったので、そんなもんだと思っていた。
仕事はもっぱら左側が引き受けてきた。
けなげにも片側だけで粉骨砕身する姿は、とてもまともではなく嘲笑を誘った。
事情が分からぬ者には、変な奴にしか見えないから無理もない。
その左側もある日、とうとう役に立たなくなった。
それは突然、やってきた。
目の前が真っ黒に、この場合は真っ白になったという方が近いかも知れない。
最初は「無」だった。
少し経って、懐かしい思い出に包まれた瞬間もあった。
次に大量の「有」が一挙に押し寄せてきた。
ありとあらゆるものすべてだ。
許容量を超えた器は破裂。
間断なく繰り返される暴力的なまでの「有」は、間断ないからこそダメージが大きい。
終わりなき行為は、いとも簡単に精神のバランスを壊してしまう。

あらら、もう壊れてしもたんかいな。と思うような危ない文章になってしもた。
そんなつもりはなく、選挙を前にして政策抜きの利害だけで動く政治家を、家人が「イデオロギーはないのか!」と怒ったので、「み」から始まる言葉として「右がわ」が浮かんだだけ。なんぞ気の利いたことを書こうと思っていたのに、自分でも訳が分からないお粗末な内容でご勘弁を。
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by rurou-no | 2010-05-12 14:09 | 病気


一瞬を、永遠に
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