一所不住



<   2010年 04月 ( 10 )   > この月の画像一覧


アサンテ サーナ

99年9月に橋が開通したため地続きになった「元」離島の古里で、身を潜めるように暮らしているしがない中年男にも頻繁に外国へ出かけていた時期があった。
中学1年生で出会った英語「ジス・イズ・ア・ペン」が外国人の喋る英語とは大きく違うことを知ってから授業に興味を失くし、そのことがトラウマとなって外国語コンプレックスに取り付かれてしまった。ゆえに何度も異国へ行ったものの、とうとう彼の国の言葉を身につけることができないまま、片言の数少ないボキャブラリーとゼスチャーでしのいできた。

そんな無鉄砲な輩でも出発前には単語集を片手に、多少の勉強はするものだ。
「アサンテ サーナ」はケニアへ行く前に覚えたスワヒリ語で「どうもありがとうございます」と感謝を表す言葉。ちなみに「こんにちわ」は「ハバリ ガニ」か「ハバリ ヤコ」。向こうから先に声をかけられたら「ムズーリ サーナ」と応える。だったと思う。
何年も前のことで記憶もいい加減だし、なにしろ語学のセンスはない。

そのとき現地で覚えた好きな言葉の一つに「ポレポレ」がある。「のんびり、ゆっくり歩く」「散歩する」という意味だったと理解している。知らない町を歩き回るのが好きな性分だからよく「ポレポレしてくるよ」と言って出歩いたものだ。
ちなみに友人が大阪で「ポレポレ」と言う名の飲み屋を開いている。

「ポレポレ」がすっかり気に入り、それからというもの仕事に追い立てられあくせくと余裕がないときなど「ポレポレやればええんや」と自分に言い聞かせるようになった。
もっとも失業中の今は「ポレポレしすぎや」とお叱りの声がどこからか聞こえてきそうだが。
[PR]
by rurou-no | 2010-04-30 13:09 |

山のロザリア

やっと春らしい天気になった昨日は連れ合いと古座川を滝の拝まで上り、ヤマフジを見てきた。
「山笑ふ」の季語にあるとおり、連なる山々は新芽の輝きが眩しいくらいで、迫り来るその生き生きとした表情は芽生えの喜びにあふれて、確かに山全体が笑っているようにも見えた。

どこで覚えたのだったか、子どものころから愛唱していたロシア民謡「山のロザリア」

     山の娘 ロザリア  いつも一人 うたうよ
     青い牧場 日昏れて  星の出るころ
     帰れ帰れ も一度  忘れられぬ あの日よ
     涙ながし 別れた  君の姿よ

     黒い瞳 ロザリア  今日も一人 うたうよ
     風にゆれる 花のよう  笛を鳴らして
     帰れ帰れ も一度  やさしかった あの人
     胸に抱くは 形見の  銀のロケット

     一人娘 ロザリア  山の歌を うたうよ
     歌は甘く 哀しく  星もまたたく
     帰れ帰れ も一度  命かけた あの夢
     移り変わる 世の中  花も散りゆく

     山の娘 ロザリア  いつも一人 うたうよ
     青い牧場 小やぎも  夢を見るころ
     帰れ帰れ も一度  忘れられぬ あの日よ
     涙ながし 別れた  君の姿よ 
         訳詩/丘灯至夫
[PR]
by rurou-no | 2010-04-26 11:53 | 音楽

口入屋

口入屋とは昔の職業紹介所。今ならハローワークに当たる。
先日、求職登録するため久しぶりに口入屋ならぬハローワークを訪ねた。
求職といってもこの不況下で新卒の若者ですら就職が決まらず「求職難民」という言葉まで生まれている時世にあって、ましてや55歳のおっさんが田舎で仕事を探すなんて何を考えてんだか。
もとより無茶な話。どないするつもりや、と自虐的思考に陥ってしまう。
ハローワークでも「自己都合退職の失業給付は3ヶ月後からです」と事務的に処理するだけで、本来の職の斡旋どころではない。おっさんに紹介すべき求人がないからそれも仕方ないことだが。

こういうところで手続きしていると自分がダメ人間の烙印を押されているようで情けなくなってくる。それに、なんとなく職員に見下されている気がして気分が悪い。
55年積み重ねてきたキャリアがまったく必要とされてない現実を前にして、ここでは自分は何の役にも立たない人間だと後ろ向きの考えが頭を支配する。
なんだか人生そのものを否定されたみたいで嫌な感じだ。

さて、上方落語の「口入屋」は船場の商家が舞台。
店の中は番頭、手代、丁稚と男所帯。紅一点は女ごしさん。新しい女ごしさんが入ってくる日ともなると男どもは落ち着かない。新入女性社員を迎える男性社員たちである。丁稚の定吉が口入屋へ女ごしさんを迎えに行ったところから噺が始まる。
御寮人さんは男ばかりのところへ別嬪さんが来ては問題が起こりかねないからと、定吉にはなるだけ不細工な子をと言い含める。一方、下心のある番頭は定吉に小遣いを渡して器量良しの女ごしさんを連れて帰るようにそそのかす。きれいな女ごしが来たのを喜んだ番頭は店を早仕舞いさせ、皆をすぐに寝かせようとする。
誰しも考えることは同じで、男どもは2階に寝間をとる女ごしさんの布団になんとか潜り込もうと、てんやわんやの大騒ぎ。

[PR]
by rurou-no | 2010-04-24 14:51

むずかしいことをやさしく

              むずかしいことをやさしく
              やさしいことをふかく
              ふかいことをゆかいに
              ゆかいなことをまじめに


今月9日に亡くなった作家で劇作家の井上ひさしさんの座右の銘だったという。
極めて示唆に富んだ言葉として忘れることなく大事にしたいと思っている。

文章を書いて口を糊する業界では、地方紙の記者といえば端っこの末端に位置していると認識しているが、書くときの心構えは変わらない。
新聞記事は中学生でも理解できる内容に、と常々自らに言い聞かせながら何度も読み返し噛み砕いて分かりやすく書いてきたつもりだ。

「難しいことをやさしく、やさいいことを深く」書くためには、まず自身がそのことを充分に理解していなければならない。生半可な知識ではとうてい分かりやすい表現なんてできっこない。
半可通に陥らないよう、日頃から深い探究心を怠らないことが大切である。
「深いことを愉快に」書く作業はさらに上級編であり、練達への道ははるかに遠い。
もっとも記者稼業は早々に引き揚げてしまって、何の説得力もないが。

文章の達人として井上ひさしの名は大きな存在だった。
テレビ人形劇「ひょっこりひょうたん島」の洗礼を受け、「父と暮らせば」まで小説や舞台、映画など数多くの仕事を目の当たりにしてきた。
彼の偉業は誰もが認めるところであり、その作品はいつまでも生き続ける。
[PR]
by rurou-no | 2010-04-21 16:59

ラグタイム

19世紀末から20世紀初頭にかけてアメリカで流行したピアノ音楽、ラグタイム。
スコット・ジョップリンの「ジ・エンターテイナー」が代表する。
久しぶりに聴いてみたくなりLPレコードを探したが見つからない。あれぇ、20代のころから好きでよく聴いていたのに。
少し前にもこんなことがあった。「シャコンヌ」だ。
以前ならLPだったら右から何枚目とか、CDだったら何段目の引き出しの前から何列目、と迷うことなく取り出せたはずだ。
それというのも聴覚に問題がおきてからあまり音楽を聴かなくなったせいである。

当初は音楽がない生活なんて考えられない、とステレオを大音量で聴いていた。一緒に暮らす連れ合いは大変だったと思うが、隣接する家がなかったから安心して大きな音が出せた。ただ大きな音ばかり聴いていると体がとても疲れるのだ。
その後、住宅街の中へ引越ししてからは近所に気を遣ってだんだんと音楽から遠ざかった。
今はステレオを鳴らすことは殆んどない。

聴覚は言葉がピンボケの映像のようにクリアではなく、さらに物体が歪んで見えているような状態で、その上に四六時中雑音がしている。「耳の中を砂嵐が吹いている」とか「耳の中で蝉を飼っている」なんて表現をしていたが、頭蓋骨全体で響くノイズはそんな悠長なものではない。
やかましくて眠れない日も多い。止むことのない音で気持ちが悪くなることもしばしばである。
夜中に起きて水を飲み、体の違和感が収まるのを待つ。
音さえ止んでくれたらと気にすればするほど、大きな塊になって襲い掛かってくるからたまらない。
そんな時は本を開いてその世界へ身を置く。集中するとたとえひとときでもうるさい音から逃れられ、本が絶望的な状況から救い出してくれる。
[PR]
by rurou-no | 2010-04-17 15:23 | 音楽

ぬけがら

毎日、何をすることもなく無為に過ごしている。
他人が見たらまるで「脱け殻」やろな、と思う。
朝起きて、夜寝るの繰り返し。食べて排泄し、新聞と本を読んで、昼寝にまどろむ。これだけだ。
「引き籠もり」状態とも言える。
仕事を辞めて1週間はあっという間に経った。いったい何をしていたのかと振り返っても、特に何もしていない。かといって家事を手伝うわけでもなく、忙しくしている連れ合いには申し訳ない。
我儘を許してもらって感謝している。

とりあえず始めたのが2年半止まっていたブログの更新。それも気の向くまま。
記者生活で書くことには慣れたはずなのに、いざパソコンの前へ座ると頭が働かない。
どうやら取材した内容をまとめる作業が身についてしまって、ネタがないとキーボードを打つ指も動かないらしい。
新聞記者の仕事は誰かが動いているのを追いかけてるだけで、それに振り回されていたように思う。自分から発信する機会もあるにはあったのだが(その部分に限ると手放したのは勿体ないことだった)。もっとも退職の要因なんて瑣末なことだったから何の未練もない。

問題は現実に起きたことばかり見ていたせいで、物事を即物的に考える癖がついてはいないかということだ。
映画、音楽、演劇、ダンス、美術など様々なムーブメントの渦の中に生活があったころから時間が経ち過ぎたせいか、柔らかだった脳みそがだんだん硬くなっているのを感じる。
柔軟な思考を取り戻さないと。
もっとも今の状態ではろくなことを考えないというか、何も考えが浮かばない。
まあ、あせることなくぼちぼちやろう。
[PR]
by rurou-no | 2010-04-07 10:23

シャコンヌ

1994年フランス映画「シャコンヌ」 シャルリー・ヴァン・ダム監督作品
世界的なヴァイオリン奏者、ギドン・クレーメルが音楽と演奏で参加していた。
今日、ギドン・クレーメルのCDを聴いてみようと探したが見当たらない。どこへ行ってしまった?
音楽を聴くと映画のシーンが甦るはずなのに、どうしたものか。15年も前に見た映画だ。

華々しく活躍するヴァイオリニストの主人公が自身の音楽に疑問を感じ出したころ、同じヴァイオリニストの友人が自死した。
そのことがきっかけとなり彼はコンサートホールから離れ、メトロの地下道で自ら欲するまま演奏をするようになる。自分が求めていた真の音楽とは?と答えのない問いかけを続ける。
オペラ歌手だった昔の恋人との思い出を支えにして。
彼の演奏は初めのうち誰も関心を示さなかったが、だんだんと足を止めて聞き入る人が増えていった。
ある日、メトロの工事で地下道からの立ち退きを無視したため、警官に彼のヴァイオリンは壊されてしまう。自分の分身とも言える楽器を壊され悲嘆にくれる彼に、一流の演奏家だった昔の姿を知る仲間が自分のヴァイオリンを差し出した。
彼がヴァイオリンを手にして演奏するのはバッハの「シャコンヌ」。渾身の演奏により見つけた真の音楽。取り囲む人々の前で、求め続けた芸術家としてあるべきものを発見した。


映画を見てからしばらくは、ギドン・クレーメルのヴァイオリンが頭の中で響いて離れなかった。
音楽に限らず、表現者として真剣に考えれば考えるほど深くなる悩みが主題となっていた。
世間の評価と自分の評価は必ずしも一致せず、やりたいことと求められることが違ってくるからやっかいな問題となる。自分に正直であろうとする人ほどドツボにはまってしまいかねない。
映画はいささか理想的かも知れないが、コンサートホールではなく地下道で真の音楽を発見するストーリーになっていて救いがあった。
[PR]
by rurou-no | 2010-04-06 16:48 | 映画

チンチン電車

近ごろはやりの「鉄ちゃん」ほどではないが、鉄道が好きだった。最近は乗る機会が少ないので過去形になってしまったが。
いわゆる「乗り鉄」プラス「食べ鉄」。あと時刻表を調べるのは何というのか、「読み鉄」?
ローカル線の各駅停車で辺鄙なところへ出かけるのを好む傾向があり、同好の士は少なからずいるだろう。その先に温泉でもあれば言うことなし。
もっぱら「青春18きっぷ」や「周遊券」を愛用して、鉄道の旅を楽しんだ時期もあった。旅回りの仕事をしていたころは、目的地までわざわざ遠回りをして各駅停車へ乗り、できるだけ時間をかけて行くことばかり考えていた。

誰かのネタだったと思うが、まだ「汽車」と呼ばれていたころ「特急は乗っている時間が短いくせに料金は高くなるのはどういうことか」と怒り出した乗客がいたという笑い話は、あながち外れていないと思う。実際、早く移動したいと考える時、移動の時間は限りなく無駄なものになってしまう。ところがゆっくりと移動すれば、その時間こそが有意義なものであることが分かる。スローなスピードが身体感覚に合うのか、時間そのものが生き生きと立ち上がり楽しめるようになるのだ。のんびりと車窓の風景を眺めながら駅弁を食べるなんて贅沢この上ない。

チンチン電車は都会にあって「乗り鉄」の気持ちを満足させてくれる乗り物だ。
長く京都に住んでいたことから、よく市電を利用していた。旅先で路面電車を見つけると必ず乗らないと気が済まない方だった。
特に用はなくても乗っているだけで嬉しくなる。ガタゴトと揺られて、乗り降りする人やゆったりと過ぎていく風景を見ているだけでいい。

まだまだ全国20ヶ所ほど現役で頑張っている。世界へ目を向けると50ヶ所400都市で路面電車が走っているそうだ。
[PR]
by rurou-no | 2010-04-05 12:16 |

沖縄の米軍基地

民主党が政権につき、戦争に負けたのを別にすれば、明治維新以来の変革をリアルタイムで生きることになるだろうと少なからず期待していた。正確にはそうあってほしいと願望していた。
なにしろ大企業と官僚、そして私欲だけの政治で国を滅茶苦茶にした自民党出身者が半分の党だから、と冷ややかに見ていた面もあった。もとよりすぐに成果を上げられないのは織り込み済みで、少しずつでも良い方へ向かってくれれば、という願いも空しく悪い予測ばかり当たっているのが目につく。
今や政権の迷走は首相のリーダーシップと決断力のなさに集約され、衆目の一致するところとなっている。

その首相が文字通り進退をかけた決断を迫られている最大の懸案として、宜野湾市にある米軍海兵隊の普天間飛行場移設問題がある。
この市の中心部分を占拠する世界一危険な飛行場は過去に何度も事故を起こしてきた。
96年に日米首脳会談で07年までに全面返還するという合意が得られたが、沖縄県内への移設の条件付であった。候補として挙がったのが名護市辺野古のキャンプ・シュワブ沿岸域。
ところが昨年の衆議院選で「県外移設」を主張した民主党が政権を握った。連立を組む社民党は「国外移設」を主張している。

日米の安全保障条約を根本から問い直す重要な問題である。
今回の「混迷」とも言うべき事態は、むしろ良かったのではないか。沖縄県民だけが敗戦国としての犠牲を強いられてきたことが、改めて全国民の知るところとなった。そこで私たちはどうするのか、一人一人が真剣に考えなければならない。
そもそも、米軍でも海兵隊が沖縄に駐留する必要性がなくなったとも聞く。

もうすぐ政府の方針が明らかになり、難問はさらに増えるだろう。
いずれにせよ、そろそろ植民地から脱する時が来ていると思うのだが。
[PR]
by rurou-no | 2010-04-03 14:19 | 地域

ラジオ

もちろん今でもラジオの深夜放送はあるが、40年前の自分には特別なものだった。
まだパソコンもケータイも普及していなかった当時、情報は僻地の離島へは新聞かテレビを通してもたらされ、当然のことながら新しい音楽に触れる機会はほとんどなかった。
そうした欲求を満たしてくれる唯一の手段としてラジオの深夜番組があった。
それは、あたかも真夏の炎天下に何時間も歩き回り、やっと見つけた水場で喉の渇きを潤すかのようだった。
聴き始めたのは中学生のころからで、フォーク・ソング全盛期の懐かしい時代だ。そんな中、ラジオから流れてきたザ・フォーク・クルセダーズの「帰ってきたヨッパライ」でぶっ飛んでしまった。

高校生になり、親類の空き家で暮らすようになってからは誰に気兼ねすることもなく思う存分、ラジオの世界へのめりこんだ。
広い家の2階の一室を自室と決めて、深夜にラジオと向かい合った。
そこからは最新の音楽が次々とあふれ出てきて、未知の世界への憧れを強く抱いた。それは田舎の高校生を夢中にさせるに充分な力があった。

もっとも印象的に残っているのはアンドレ・カンドレの「カンドレ・マンドレ」。パーソナリティーが「次はアンドレカンドレのカンドレマンドレ!」と紹介した時の様子はしっかり覚えている。そう、井上陽水の歌声が初めて電波に乗った瞬間だった、と思う。不思議な響きの歌手名と歌のタイトルはなぜが耳にこびりついて離れなかった。そして曲もヒットすると確信したが、しなかった。
いつしかアンドレ・カンドレはラジオから消えてしまった。

その後、井上陽水として再デビューし「人生が二度あれば」がヒット。続く「傘がない」は新しい音楽が登場したと個人的には衝撃だった。 都会では自殺する若者が増えている 今朝来た新聞の片隅に書いていた だけども問題は今日の雨 傘がない
ラジオの思い出だ。
[PR]
by rurou-no | 2010-04-02 14:03 | 子ども時代


一瞬を、永遠に
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
以前の記事
カテゴリ
メモ帳
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧