一所不住



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博士の異常な愛情

『博士の異常な愛情または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』という長ったらしい題名の映画は、1964年公開 スタンリー・キューブリック 監督作品。
初めて見た時は、字幕なしの自主上映会でだった。

 米ソ冷戦時代、アメリカ空軍の司令官が突然頭がおかしくなって、核攻撃の命令を発して
 しまう。常に空を飛んでいる核兵器を搭載した爆撃機の機内では、博打をしたりエロ本を
 開いていたりと緊張感がなかった。地上にいる別の司令官は愛人との情事に忙しい。

 国防総省では大統領が「命令を出せるのは自分だけだったのに」と、なんとか呼び戻そうと
 するが既に手遅れだった。大統領はホットラインでソ連の首相に、「間違いがおこったから
 ミサイルで爆撃機を撃ち落してくれ」と電話する。

 ソ連の大使は「我々は攻撃をされたら自動的に反撃する最終兵器を開発した。アメリカも
 同じ装置を持っているからだ」と言うと、大統領はそんな装置は自分は知らないというが
 そばにいたストレンジラブ博士が嬉々として「私がメーカーに依頼して作らせた」と。

 
やがて1つのキノコ雲を合図に次々とキノコ雲が上がる。地球最期の時が来た。 と、深刻な
ストーリーだが実は超ブラックなコメディなのである。たった1人の人間が地球を破滅させる。
軍人の暴走に慌てふためく、政府中枢の権力者たちも頭のおかしなのばかりが出てくる。
とりわけ1人三役と大活躍の ピーター・セラーズ は出色であった。

米ソ冷戦は終わったものの、この映画で笑い飛ばした構造は40年以上経っても変わらない。
いまだに核競争は続いているし、アメリカは相手国を変えながら、ずっと戦争をしている。
まったく懲りない奴等ばかりで、映画のコメディを現実にやっているから救いようがない。
ちなみに 『博士の異常な愛情』 は 『勝手にしやがれ』 に次いで好きな映画だった。 
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by rurou-no | 2007-07-31 15:07 | 映画

プラハ

私たちはチェコスロヴァキアの首都 プラハ と習った。今はチェコの首都。
1968年に起こった改革運動「プラハの春」の苦い経験を教訓にした、1989年からの無血の
「ビロード革命」によって、1993年に〈チェコ〉と〈スロヴァキア〉は連邦を解体し分離する。

ルートヴィヒ4世の後を受け、1346年ボヘミア王カレルが《神聖ローマ帝国》の皇帝となって
カール4世となる。そして首都をプラハへと移した。カール4世は中欧初のプラハ大学の設立
カレル橋の架橋、都市の建設などを行ない、プラハはヨーロッパ最大の都市へと変貌する。
ハプスブルク家の教養人ルドルフ2世の時代には、芸術家が多く集まり文化都市となった。

チェコの中心部を《ヴルタヴァ川(モルダウ)》が流れ、旧市街と新市街を1400年に完成した
現存するヨーロッパ最古の橋《カレル橋》が繋いでいる。と、観光案内よろしくエラそうに紹介
しているが、まだ行ったことはない。下の2つのことから知ったかぶりしているだけ。

チェコ出身の作曲家 べドルジハ・スメタナ の交響詩 『わが祖国』 にある 『モルダウ』
大好きな曲でよく聴いている。窓を開けるとそこにヴルタヴァ川の流れが、突然出現するかの
空想と広がりを感じさせてくれる。気分はプラハの旧市街にあるアパートの部屋の中。
そしてもう1つは、フランツ・カフカ だ。 『変身』 を読んだのは高校生の時だったか。

映画 『KAFKA / 迷宮の悪夢』(1991年)は スティーヴン・ソダーバーグ 監督作品。
カフカ役は ジェレミー・アイアンズ が。冒頭シーンでカレル橋を渡って旧市街へ入って行く。

プラハは戦禍を逃れたため、旧市街には何百年も経つ古い建物が数多く残っている。
さながら迷宮のごとく街路が入り組んでいて、カフカの作品もさもありなんといった趣きである。
一度その迷路に足を踏み入れて迷子になってみたいものだ。
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by rurou-no | 2007-07-30 16:54

リンゼイ・ケンプ

かれこれ20年も前のこと、リンゼイ・ケンプ・カンパニー が来日して 「真夏の夜の夢」「フラワーズ」 の公演をした。当時は京都に住んでいたから、京都会館で見ている。

リンゼイ・ケンプ は、1938年スコットランド北西にあるルイス島で生まれた。
《魔術師》の異名をとる演出家・振付家、そしてダンサーである。
コンテンポラリー・ダンスの世界では、第一人者としてよく知られた存在だ。

デヴィッド・ボウイケイト・ブッシュ が、リンゼイ・ケンプにマイムの手ほどきを受けていて、彼らの舞台上でのパフォーマンスに強く影響を及ぼしている。

シェイクスピアの作品は我が国でも盛んに上演されるが、中でも「真夏の夜の夢」は比較的解釈が自由に出来るので上演機会が多い。
リンゼイ・ケンプ版「真夏の夜の夢」は、とてもファンタジーな作品に仕上がっていた。

森の中で妖精たちが繰り広げる夢物語。幕が開いた瞬間から彼の魔術の罠に絡められて、我を忘れて夢中になっていた。トリップして体がフワフワと空中を漂っている感じであった。

リンゼイ・ケンプは ジャン・ジュネ を敬愛していたそうだ。そして オスカー・ワイルド も。
デレク・ジャーマン 監督 「セバスチャン」(1976年)では振付と出演もしている。ちなみに音楽は ブライアン・イーノ

そのデレク・ジャーマンは、ケン・ラッセル 監督 「肉体の悪魔」(1971年)で美術監督をしていた。こうしてみるとかつての大英帝国、偉大なる連合王国の美学は同性愛者の芸術家たちによって、綿々と引き継がれてきたのだなぁという思いがする。
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by rurou-no | 2007-07-28 14:48 | 演劇・ダンス

メメント・モリ

 《メメント・モリ~死を想え》
「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ。」
インドで犬に食べられている死体の写真とそこに添えられた言葉。

まだ20代だったと思う、ストンとこの言葉が体に入ってきた。
そうか、人間はそんなに自由な存在やったのか。犬に食べられてもええんや。
「願わくば路傍にて野垂れ死なん」と、漠然とながら自らの最期の時を想像していた。

そういえば「鳥葬」というのもある。
自分の体が他の生き物に食べられて、その生のエネルギーとなるのもええかも知れん。
若いということ、未熟であるということは、同時に無鉄砲で頭が柔らかいということ。
インドの人たちの自由な死に際が羨ましくなった。

藤原新也 の写真と言葉は、それまでもずっと気になる存在だった。まだ見たことがない、誰も
撮っていない(広く紹介してこなかった)アジア各地域の人と風景とその姿がそこにあった。
連載されていた雑誌を、お金のない時は本屋で立ち読みし、ある時は買って帰り家でつぶさに
見た。何度繰り返し見ても、感情が高ぶって体が熱くなった。

大方のインドの人々は、最期は聖なるガンガー(ガンジス河)へ流されたいと願っているだろう。
私たちも、海へ投げ込まれて魚の餌となるか、山の頂で鳥に啄ばまれるか、或いは路傍にて
野犬に食べられるか、もっと自由に死を想ってもいいのではないか。

骨の欠片を花火の玉の中に詰めてもらい、花火の星となって夜空に散った友人がいた。
彼を知る皆の思いが二尺玉の大輪の花となって開いた。
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by rurou-no | 2007-07-26 15:43 | 言葉・本

兎の眼

『兎の眼』 は、昨年11月に亡くなった児童文学者 灰谷健次郎 のデビュー作。
灰谷さんは元小学校教師で、徹底して子どもを信じる姿勢は一貫している。その眼差し
たるや尋常ならざるものがあり、何が起ころうとも揺るぎがない。

子どもの可能性を信じ、そのタカラモノを見つけてやること、子どもと出会い発見していくこと
こそが大切であると言い続けた。

「神戸連続児童殺傷事件」の加害少年であろうともその存在は当然保護されるべきであると、
写真を掲載した「フォーカス」の発行元である新潮社に抗議をして、自らの著作の版権を全て
引き揚げた。『天の瞳』 は朝日新聞社へ版権が移ることになる。

私が好きな 『太陽の子』(てだのふぁ)は新潮文庫から角川文庫へ移った。ふうちゃんの
成長に合わせて自分自身も少しだけ成長したような気になった。この本で〈沖縄〉というもの
〈キジムナー〉や〈ガジュマル〉を知った。浦山桐郎 監督で1980年に映画化されている。

灰谷さんはアジア~中近東~ヨーロッパなどを放浪し、作家となってからも淡路島、そして
渡嘉敷島と定住地が変わる。何かを追っているのか、或いは追われているのか?

「子どもたちから人間として生きることの意味を教えてもろた」 「子どもたちのやさしさに助け
られて現在の自分がある」
と言い切る強さ。それが子どもへの目線として作品に反映される。
「生きている人の中に死んだ人もいっしょに生きている」

子どもをどこまでも肯定するという意味では、私も灰谷さんと同じ立場だ。そして子どもの
可能性を摘み取ろうとするかのごとくの、今の流れには断固として異議を唱えたい。
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by rurou-no | 2007-07-25 15:04 | 言葉・本

たちぎれ線香

上方落語の純愛物語 『たちぎれ線香』 は、涙なくして聞かれないしっとりとした噺である。
そのサゲの絶妙さに、思わず涙を拭いていたハンカチで「ウマイ!」と膝を打ってしまう。
お茶屋では芸者さんの花代の時間を計るのに、線香を用いていたそうだ。

 若旦那のお茶屋遊びが過ぎるのを心配した番頭が、若旦那に100日間の蔵住まいを科す。
 馴染みの小糸は、若旦那との芝居見物の約束を信じて待ち続ける。そして現れない若旦那
 に手紙を書く。次の日も、またその次の日も、手紙は1日に10通、20通、30通と増えていく。
 その手紙もとうとう80日目を最後に、プツリと途絶えた。

 100日経って蔵から出た若旦那は、番頭から最後に届いた手紙を見せられて急いで小糸に
 会いに行く。小糸は小さな白木の位牌になっていた。
 ご飯も食べないで毎日若旦那へ手紙ばかり書いていた小糸は、若旦那が拵えてくれた三味
 線が出来上がった日、その三味線にひと撥入れてこときれた。

 三味線を仏壇に供えたら、小糸が演奏する地歌 『ゆき』 が聞こえてくる。
 ♪ 花も雪もはらへば清き袂かな ほんに昔の昔の事よ 我待つ人も吾を待ちけん ~


御簾内の下座から聞こえてくる『ゆき』の歌とともに、深い余韻を残してくれるラブ・ストーリー。
一途に思い続ける小糸さんの可愛らしさ、いたいけなさが胸を詰まらせる。
私は幸運にも、近年亡くなった 桂文枝さん 桂吉朝さん それぞれの高座を聞くことができた。

地歌舞『ゆき』を稽古したことがある。愛しい人を待つ女性の気持ちになるのが難しいところ。
落語『たちきれ線香』が大ネタであるように、地歌舞『ゆき』も大作でなかなか手が出ない。
男を翻弄するナジャ、一途な小糸、どちらも素敵な女性である。
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by rurou-no | 2007-07-24 13:52 |

ロートレアモン 「マルドロールの歌」

19世紀半ばのフランスに於いて、『マルドロールの歌』『ポエジー』 を遺し弱冠24歳で
この世を去った ロートレアモン伯爵 こと イジドール・リュシアン・デュカス
生前は見向きもされなかったその過激な内容が、20世紀に入ってからシュルレアリストたちの
注目の的となり、必読書と崇められるようになった。

「シュルレアリストの聖書みたいな本やから読んでみたらええわ。すごい、おもしろいから。」と
Y さんから勧められて読んだのが、ちょうどイジドールが亡くなったのと同じ歳だったか?
そこにある言葉を消化するのに手間取るほど難儀をした覚えがある。

挑発的で暴力的、隠喩や比喩が散りばめられていて難解な部分が多く、何度も躓きながら
読み進んだ。途中で投げ出したくなるほど気持ち悪くなったりもした。
苦労して読んだのに、改めて思い出そうとしたら殆んど覚えていないのはどういうことだ。

手元に本がないから読み直すことは出来ないが、中身はともかくとしてその本のことは、以来
瞬時も頭から離れることはなかった。 《ロートレアモンの 『マルドロールの歌』 》 という言葉は
呪文のごとく、どうやら私の脳髄の片隅に棲み付いてしまったようだ。

この『マルドロールの歌』と比べれば、シュルレアリストの親方 アンドレ・ブルトン『ナジャ』
なんかは、ただの甘い恋愛小説に思えてくる。もっとも〈ナジャ〉は私にとっても魅力的で理想の
女性、憧れのパリジェンヌであるからそれでいい。自動記述(オートマティスム)の手法による
からなのか、ナジャが生き生きと描かれていて今にも目の前に現われそうな感じがした。

おそらく誰しも20代の頃はそうかも知れない。随分と背伸びをしてできるだけ多くのものを見よう
とするものの、小さな器に入りきらなくて四苦八苦していたように思う。
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by rurou-no | 2007-07-23 14:39 | 言葉・本

歌麿

江戸時代の浮世絵師として誰もが最初に思い浮かべるのは 喜多川歌麿 だろう。
蔦屋重三郎 のプロデュースで出した〈大首絵〉の美人画が大ヒットして一躍人気画家となる。
美人画といえば全身を描くのが通例であった当時、顔をクローズアップした絵は江戸の人々の
度肝を抜き、飛ぶように売れたという。いわばブロマイドのはしりのようなもの。

モデルとなったのは吉原の花魁や岡場所の遊女、そして茶屋の娘などであった。
絵に描かれた娘の姿をひと目見ようと、男たちが押しかけて茶屋は大繁盛したそうだ。
それを知った他の茶屋の娘から売り込みが凄かったというから、商売人はしたたかである。

また歌麿は〈春画〉でも才を発揮し、その代名詞となるほど数多くの傑出した作品を描いた。
「吉原細見」 というガイドブックを出す弱小書店・出版社に過ぎなかった蔦屋は、歌麿を売り
出すために仕掛けたアイデアが大当たりしたことに気を良くして、〈雲母刷り〉の美人画を出す
などだんだんと華美になっていった。時は〈寛政〉である。

いつの世でも急激に成長した新興勢力・ベンチャー・ビジネスは、既得権益を持つ他の商人
たちの嫉妬の対象となり、足を引っ張られる。出る杭は打たれるのだ。

保守派クーデターによって失脚した田沼意次のバブル時代、その後を受けた松平定信による
《寛政の改革》の風俗取締りに引っ掛かった。山東京伝 の〈黄表紙・洒落本〉が目を付けられ、
出版元である蔦屋が京伝とともに処罰されたのである。

一方、売れっ子となった歌麿は世話になった蔦重から離れ、好条件を提示する他の出版社に
鞍替えしてしまった。歌麿に逃げられた蔦重は、超大型新人絵師を発掘して再起を図る。
〈役者絵〉の 写楽 の登場である。僅か10ヶ月で137点の錦絵を残して姿を消した謎の絵師。
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by rurou-no | 2007-07-21 15:50 | 美術

時刻表

近ごろの鉄道マニアたちは「てっちゃん」と呼ばれて、密かに注目を浴びているらしい。
「てっちゃん」といえばホルモンを連想するからマニアにはほど遠い私だが、時刻表を見るのは
昔から好きだった。

架空の旅を楽しめるのは勿論のこと、仕事でも遊びでも旅が多かったから、もっぱら実用として
時刻表を開いた。読者サービスで写真やイラストが載っているわけでなく、ただ数字が並んで
いるだけの雑誌にどうして夢中になれるのか、そこにはその数字の通りに列車が走っている
前提があって初めて、単なる数字が生き生きと踊り出すというものである。

よく周遊券というのを利用した。指定された地域内であればどこでも自由に乗り降りが出来る。
あらかじめ計画を立てるのでなく、行き当たりばったりの旅ばかりで各駅停車のローカル線に
乗るのを楽しみにしていたから、思いついたら何処ででもふらっと降りられるのが便利だった。
目的地まで、どれだけ遠回りして時間をかけて行けるかが楽しみでもあった。

もう一つ〈青春18キップ〉も重宝した。1日1枚で何処まで行っても構わない。一度、京都から
各駅停車を乗り継いで何処まで行けるのか試したことがあった。始発に乗って時刻表を片手に
1日中乗り続けた結果、山形駅まで行ってしまった。日にちが変わるギリギリに到着したのは
いいが深夜である。そのあとのことなんて考えていなかった。駅のホームで呆然とするばかり。

この地方に住むようになってからは、たまに大阪へ出る時は特急電車になる。だがやはり旅は
のんびり各駅停車でしたい。駅に止まるたび乗り降りする人の表情やしぐさ、言葉遣いなどが
少しずつ変わっていく。駅ごとに匂いが違っていたりもする。気に入ったところで降りて、歩いて
みる。これまでもそうしていたが、これからもそんな旅をしていきたい。
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by rurou-no | 2007-07-20 13:29 |

厩火事(うまやかじ)

ちょっと息抜きのつもりで、上方落語を。但し、実際に聞かないと面白くない。
『厩火事』 は、髪結い稼業のお咲さんが夫婦喧嘩の愚痴を云うため兄さん(亭主の兄貴分)を
訪ねたところから噺が始まる。お咲さん(女)と兄さん(男)の演じ分けに技量が問われるネタだ。

 仕事で帰りが遅くなっても、「おつかれさん」の一言もなく帰りが遅いのを怒る亭主に愛想が
 つき別れたいと云うお咲さんに、兄さんは唐の孔子さん(物干しの小牛さん)の話をする。
 留守中に厩が火事になり可愛がっていた馬が焼け死んだにも拘らず、馬のことは咎めずに
 弟子の体を心配したから、弟子はより一層孔子さんを尊敬するようになった。

 さる大家の旦那は焼物を趣味にしていた(猿の大将の焼き芋)。大切な焼物を片付けようと
 奥さんが二階から降りる途中で足を滑らせて下まで落ちた。旦那は焼物が割れなかったか
 心配したが、奥さんの体のことは言わなかったため奥さんは実家へ帰ってしまった。
 亭主の本心が知りたかったら、大事にしているお椀を割ってみろと知恵を授ける。
 

いわゆる「髪結いの亭主」である。女房が働いている昼日中から、上等の刺身を肴に銚子を
5~6本もかたむけている。極道亭主、羨ましい限りだ。根っから生活力のない小生も憧れた
暮らし。現実は、人見知りする上に商売っ気がない名前だけの商店主と連れ合いになった。
「髪結いの亭主」への道は厳しい。

パトリス・ルコント 監督の 『髪結いの亭主』(1990年)は、フランス映画らしい官能性に
満ちた作品だった。客の髪を切る女、それを見つめる男、それが終わるとセックスをする毎日
が繰り返される。2人の間には究極の愛だけがあり、他には何もいらない。
ジャン・ロシュフォールアンナ・ガリエナ が主演。マイケル・ナイマン が音楽をしていた。
「愛してるふりは絶対しないで」と女が言う。そして愛が消える前に女が消えた。
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by rurou-no | 2007-07-19 14:49 |


一瞬を、永遠に
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