一所不住



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エッシャー と 国芳

理工系の画家 エッシャー(1898~1972)は徹底して図形を研究し、繰り返し模様で平面
を埋める作品などを作り出した。そして彼の遊び心は、建築不可能な建物 『物見の塔』
右の方へ飛んでいる鳥が実は左の方へも飛んでいる 『昼と夜』 、永遠に流れ続ける 『滝』
などの 「だまし絵」 を完成させる。

エッシャーの絵は一見しただけでは、その不思議な構造を見逃してしまいそうになるくらい
よく出来ていて、自分の観察力のなさを大いに指摘されてしまう。一瞬の間のあと、あれぇ
なんかおかしいなぁ、と感じたらその時にはすでに彼の術中に嵌まっているのだ。

人間とは浅はかなもので、一度騙されるとまた騙されてみたくなるものらしい。世の中に
詐欺師ペテン師が跋扈するはずだ。騙されるのが快感になるのだろうと思う。というわけで
例にもれず私も騙されたくて、エッシャーに取り付かれてしまった。

エッシャーより約100年前、江戸時代末期に 歌川国芳 という浮世絵師がいた。
役者絵、武者絵、美人画から戯画、春画まで多方面に活躍した絵師だったが、中でも面白い
のは 「寄せ絵」 と云われるもの。一見人の顔だが、よくよく見ると裸の男が何人も絡み合って
顔を作っている。これなんかも「だまし絵」のひとつだろう。

国芳は他にも、動物を擬人化した作品や巨大な化け物や骸骨が出てくる作品など、遊び心が
満載の絵を数多く残している。反骨心と洒落っ気に溢れて、楽しませてくれる。

国芳の奔放ともいえる活動は、当時の人気絵師 初代歌川豊国 に弟子入りするも、兄弟子に
国貞 という才能ある絵師がおり、また同時代に 葛飾北斎歌川広重 などのスター絵師が
活躍していたことから、なんとか生き残ろうと必死だったのかも知れない。
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by rurou-no | 2007-06-30 15:19 | 美術

一期一会

一期一会 … 一生に一度の機会。茶道の心得として、茶会に臨む際は一生に一度しかない
         会であるから、心を込めてもてなしなさいとの教え。
人生においても、人と人の出会いは一度しかないものだから、大切にしなさいとの教訓である。

高校生のころ放課後に、幼馴染みがいた茶道部へ遊びに行ってそのまま入部してしまった。
女子ばかりのクラブだったので、いきなり歓迎されて有頂天になったのと、いろいろと教えて
もらうのが嬉しかったもので。もちろん下心だけでなく、お茶に興味があったからでもある。

わざわざ外部から指導に来て下さっていた先生は、いつも着物姿できちんとした方だった。
そのときに、この「一期一会」の意味も教えてもらったのだと思う。

裏千家流の作法や所作を細かく丁寧に教えて下さるのを、ひとつづつ順番に学んでいった。
今ではすっかり忘れてしまっているが、この言葉だけは何故か覚えていた。というよりも、その
後の人生訓として、ことあるごとに頭の中で反芻してきた。

50年以上も人間をやってきた。人との出会いこそが自分の糧となると信じて、知らないところ
へ出かけ、知らない人と会うことを喜びとしてきた。そのたびに呪文のように、「一期一会」を
自身に言い聞かせて、二度と会えないかも知れない、この瞬間は二度とやってこない、の心
で接してきたつもりだ。文字通り一度きりしか会っていない人の、何と多いことか。

まだまだ人生半ば、これからもそうして人との出会いを重ねていくことになるはずだ。
ただ、いかんせんこのところ体力の衰えを如実に感じる。人と新鮮な気持ちで向き合うことは
思いのほか体力が必要なことを知っている。心を常に安定した状態で保つには、〈日々精進〉
しかない。それが一番難しい。この夏、同窓会を企画した。35年ぶりの「一期一会」だ。        
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by rurou-no | 2007-06-29 14:37 | 言葉・本

ニライカナイ

わたしたち人類は地域や民族が違っても、それぞれの伝承の中に理想郷を持っている。

ケルト神話には伝説の島 アヴァロン があり、ギリシャ神話では エリュシオン、スペイン人
の探検家は黄金の国 エル・ドラード を目指した。チベットのラマ僧が口承で伝えてきたのが
シャンバラを首都とする アガルタ陶淵明桃源郷(シャングリ・ラ)を書き、トマス・モア
ユートピアマルコ・ポーロは黄金郷 ジパングを。他にも アルカディアアトランティス
そして宮沢賢治「注文の多い料理店」イーハトーブ を紹介していた。

琉球列島に伝わる、海の彼方にある ニライカナイ もそうした理想郷のひとつである。
「アマミキヨ伝説」をテーマにした創作ダンスの、取材で沖縄を訪れたときに ニライカナイ の
ことも教えていただいた。その時は沖縄というよりも、「琉球」への旅になっていた。

神が来訪する場所であり、祖先神を祀っている場所である御嶽、中でももっとも重要なところ
斎場御嶽(せーふぁーうたき)は、大きな岩が寄り添うような形になっていた。そこに立って気
を感じる。そして琉球神話でアマミキヨが降臨して国創りを始めたという、久高島を遠くに見る。

久高島は島全体が聖地となっていた。この島では、女性が神となる秘儀 イザイホーが12年
ごとにある。その儀式が初めて途絶えたばかりだった。今では ノロ(神女)となる女性もいなく
なってしまったそうだ。島の中央部に行くと森の中に、男子禁制の聖域 クボー御嶽への道が
あった。もちろんそこから先へ進めない。そのあとニライカナイから穀物が流れ着いたと云われ
ている伊敷浜へ。珊瑚が群生する美しい海へ潜ってみた。

遠くニライカナイへと続く海である。体を波の上に遊ばせてつかの間の午睡をする。一瞬見た
夢はなんだったのか、目覚めた瞬間、ギラギラと照りつける太陽がまともに目に入ったせいで
忘れてしまった。そのままニライカナイまで運んでくれることを期待していたが、現実は強い陽
射しに焼かれていただけだった。
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by rurou-no | 2007-06-28 15:23 |

フェリーニ

不朽の名作 「道」(1954年) を世に送り出した 《映像の魔術師》 フェデリコ・フェリーニ (1920~1993)は、大好きな映画監督の1人だ。そして「道」は私の生涯ベスト10入りする。
この映画で主演したのが彼の夫人 ジュリエッタ・マシーナ。フェリーニと生涯連れ添った。
ニノ・ロータ 奏でる 「ジェルソミーナ」 は映画史上に燦然と輝く名曲である。

ロベルト・ロッセリーニ 監督の 「無防備都市」「戦火のかなた」 への脚本参加から映画人生が始まったため、イタリア・ネオリアリズモの系統に位置するとされているが、寧ろスタジオ・セットの撮影を好んでいたようだ。まぁそんなことはどっちでもいい。

フェリーニの作品は必見だった。年代順に書き出してみると、55「崖」 57「カリビアの夜」 59「甘い生活」 62「ボッカチオ’70」 62「誘惑」 63「81/2」 65「魂のジュリエッタ」 69「サテリコン」 70「フェリーニの道化師」 72「フェリーニのローマ」 74「アマルコルド」 76「カサノバ」 79「オーケストラ・リハーサル」 85「ジンジャーとフレッド」 など。

あぁ、やっぱり〈フェリーニ〉や!と、どの映画を見たあとでも充足感で満たされた。
そのイマジネーションに溢れる映像の世界は、どの映画のどのシーンをみてもちゃんと画面が〈フェリーニ〉になっていた。実際に絵を描くのも巧かったからか、絵作りが見事であった。彼の偉大さは私の駄文では説明しきれない。とにかく見てもらうしかないと思う。

フェリーニの映画には、しばしば巨乳巨尻の女の人が登場する。これは子どものころ太った女の人にペニスを吸われたことによるコンプレックスと説明されているが、与太話としては面白いかも知れない。やっぱりフェリーニは解説するものでなく感じるものではないか。彼自身「映画は理論からは生まれない、映画は愛から生まれる。」と言っているのだから。
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by rurou-no | 2007-06-27 14:56 | 映画

黒いオルフェ

リオデジャネイロの丘の斜面に広がるスラム ファベーラ。路地は迷路となり、犯罪者を追う警察
官すらも立ち入れない。年に一度のカルナヴァル(カーニバル)のコンテストで2年続けて優勝
しているのは、ギターの名手オルフェがいるからだった。

ギリシャ神話オルペウスとエウリュディーケの物語。毒蛇に咬まれて死んだエウリュディーケ
を救い出すために、オルペウスは黄泉の国へ行き冥界神ハデスを説得する。 生き返らせる
ための条件として、地上に出て2人一緒に太陽の光を浴びるまで決して後ろを振り向かない
約束を、あと一歩のところで破ってしまったので永遠にエウリュディーケを失うことになった。


この悲劇をカルナヴァルに沸くリオデジャネイロに舞台を移して戯曲を書いたのが、ブラジル
の詩人 ヴィニシウス・デ・モライス。映画化したのがフランス人監督 マルセル・カミュ
「黒いオルフェ」(1959年)は全編に亘って、サンバとボサノヴァが流れる音楽劇でもある。
ボサノヴァの父といわれる アントニオ・カルロス・ジョビン が音楽を担当。
この映画から ルイス・ボンファ が歌う名曲 「カルナヴァルの朝」 が生まれた。

 オルフェはカーニバル見物のためリオにやって来たユーリディスと出会い恋に陥る。
 カーニバル当日、一緒に踊りの輪の中に入ったユーリディスは死神装束の男たちに
 追われて死んでしまう。嘆き悲しむオルフェはユーリディスを抱いて丘の上に立つ。


出演者は全員ムラート(混血児)で、その肌の美しさや衣裳の色彩感覚の素晴らしさ、そして
音楽、ダンスすべて一級品であった。犯罪者たちの巣窟と、サンバのチャンピオン・チームが
同じスラムの中で同居している現実を描く一方で、子どもたちの未来に希望を託している。

何度か繰り返し見たから、スラムの坂道を登っていく路地の道順をすっかり覚えてしまった。
友だちを訪ねて、行った事があるような気になるくらい身近な場所になっている。
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by rurou-no | 2007-06-26 11:32 | 映画

突然炎のごとく

オーソン・ウェルズ をして「世界で最も偉大な女優」と言わしめた ジャンヌ・モロー
(ルイ・マル「死刑台のエレベーター」57 ゴダール「女は女である」61 ブニュエル
「小間使の日記」63 など) が、フランソワ・トリュフォー 監督と組んで出世作となった
「突然炎のごとく」(1961年) は ゴダール「勝手にしやがれ」(1959) と並んで
ヌーベル・ヴァーグを象徴する映画の一つとなった。

トリュフォー(1932~1984)はパリに生まれ、両親の離婚のため素行不良となり感化院を
出たり入ったりの10代を過ごしたそうだ。学業に身を入れず、映画館に居場所を見つけた。
映画批評誌 『カイエ・デュ・シネマ』 の編集長 アンドレ・バザン との出会いが彼の人生
を決定付けることになる。トリュフォーは映画批評から映画人のスタートを切ったのである。

自身の体験をモデルにして作った 「大人は判ってくれない」(1959)の大ヒットにより監督
としての不動の地位をものにする。フランスの映画界に新しい波を起こした。
その後映画祭のあり方について、意見を異にする盟友ゴダールとは袂を分かつことになるが
常に安定した作品を作り、人気監督であり続けた。

山下洋輔がエッセイのタイトルに引用した「ピアニストを撃て」(60)や レイ・ブラッドベリ
原作の「華氏451」(66)をはじめとして 「夜霧の恋人たち」(68) 「暗くなるまでこの
恋を」
(69) 「アメリカの夜」(73) 「トリュフォーの思春期」(76) 「終電車」(80) 等
かつてのフランス映画の王道をいく名作揃いだ。個人的にはゴダールの方が好きだったが
トリュフォーの名前を見るとついつい足を運んでしまうほど、映画的愉悦を例外なく得られた。

一方、ジャンヌ・モローは リュック・ベッソン「ニキータ」(90) テオ・アンゲロプロス「こう
のとり、たちずさんで」
(92) などでその存在感を見せていた。いまだ現役バリバリである。
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by rurou-no | 2007-06-25 15:29 | 映画

黒テント

1960年代後半から始まった演劇の革命とも言うべき大きなうねりは、70年代に入ったころ
には「小劇場」「アングラ劇」という形容詞も定着して、地方都市へも波及していった。
「テント芝居」というもう一つの呼び名とともに、旅公演をする劇団が増えていったからである。

唐十郎 の 〔状況劇場〕=紅テント と、佐藤信 の 〔演劇センター68/71〕=黒テント
その代表的なものとして双璧をなしていた。《特権的肉体論》の体育会系と、《革命的演劇》の
文化系に分けることが出来る両者は、劇団の組織論から演劇の表現論に到るまで対極をなす
存在であった。観客の方もそれぞれテントの色である「あか」と「くろ」に色分けされていた。

初めて黒テントの芝居を見たのはテントではなく、京都・西陣にある上七軒歌舞練場でだった。
〈喜劇昭和の世界三部作〉と銘打った第一作 「阿部定の犬」
状況劇場は円山公園に張った紅いテントで既に見たあとで、噂どおりの高揚感とカタルシスを
味わっていたから、黒テントへの期待は膨らむ一方で待ちに待った公演であった。

 舞台には大きな三日月、電信柱、そして幻灯機が映し出す「〈戒厳令〉施行中であったにも
 かかわらず、帝都では女たちが次から次へと妊娠していた」の文字。街頭写真師の老人。
 そこは「日本晴れ区安全剃刀町オペラ通り1丁目」。ヒロイン新井純 扮する「あたし」が歌い
 ながら花道から登場する。♪~あたしはあたしぃ ひとりぼっちのふたりづれ~♪


とにかく、カッコよかった。政治的メッセージが何層にも重なり、多少難解なところもあったが
音楽とともに進行する舞台は洗練され、役者さんたちが生き生きとしていた。斉藤晴彦
歌の巧さにも驚いた。状況劇場とはまた違う強力なパンチで、おもいきりノックアウトされた。
このあと 「キネマと怪人」 「ブランキ殺し上海の春」 と続いていく。
芝居三昧の日々が始まる最初のころである。
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by rurou-no | 2007-06-24 15:19 | 演劇・ダンス

蕭白

曾我蕭白 は1730年(享保15年)~1781年(天明元年)京都に生きた画家である。
「享保」といえば、紀州藩主から8代将軍となった徳川吉宗が行なった「享保の改革」がある。
「天明」は云わずと知れた「天明大飢饉」。異常気象で農作物が育たず、餓死者が続出した。

同時代の画家には、伊藤若冲 長澤芦雪 与謝蕪村 など好みの名前を挙げることができ
る。それぞれ特徴ある画風を確立しているが、蕭白の場合はアウトロー的な匂いを発する異能
の画家といえよう。絶えず何かに挑んでいるような絵ばかりが目に付く。

破天荒で奇妙奇天烈と言ったら言い過ぎか、上品な絵なんぞ糞喰らえと言わんばかりである。
語り伝えられている「不遜な奴」との人物評すら納得してしまう。それでもなお目離せない深い
味わいは何処から来るのか。この愛着心はどこか自分に近いものを感じるからかも知れない。

京の商家に生まれたそうだが、10代の頃には両親と死に別れて天涯孤独な人生だったとか。
青年期は京を離れて、伊勢や播州で絵を描いていたこともあったようだ。

有名な 「群仙図屏風」 の仙人たちの異形ぶり、「寒山拾得図」 の豊かな表情はどうだ、
「達磨図」 の達者な筆使いを見よ、「唐獅子図」「蝦蟇・鉄拐図」 の愛嬌がたまらん。
見るほどにその魅力を発見して惹かれていく。

想像するに、蕭白は已むに已まれぬ思いで絵を描き、それを売って口を糊していたのではない
か。人付き合いもあまりせず、数少ない贔屓のおかげで生きながらえていたのかも知れない。
絵を学びこそすれ技巧に走ることを良しとせず、その勢いで筆を走らせていた姿が目に浮かぶ。

案外と真面目で堅物な人物であった、との個人的な見立ては考えるほどに愉快になってくる。
今でも、とんでもない奇妙な作品を作ったりしている作家は、押しなべて地味な人が多いから。
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by rurou-no | 2007-06-22 13:05 | 美術

ルーシー・ショー

この国に住む中高年と云われる年齢の人々の大部分が、この共通した言葉を持っている。
「テレビが我が家へやって来たのは、東京オリンピックの年だった。」
一部の裕福な家庭を例外として、一般庶民の家へテレビが普及するきっかけとなったのが
スポーツ・イベントのオリンピックだった。国を挙げてのお祭り騒ぎだったのである。

もう真っ暗な道を懐中電灯の明かりを頼りに、怖々と歩いて力道山を見に行くことをしなくても
よくなった。街灯なんて気の利いたものはなく、民家も建っていない夜の田舎道は月明かりと
星明りがあれば周りもぼんやりと見えるが、新月の時は真の闇となって何も見えないのだ。

四本足の小さな四角い魔法の箱は、知らない世界を次から次へと惜しげもなく映し出していた。
歩いて行ける範囲の限られた世界で生活し、たまに船に乗って島から町へ出るだけでも大事件
だったころだ。その箱の中の出来事に夢中になったのは云うまでもない。

最初に興味を持ったのは、まさに知らない異国を教えてくれたアメリカのテレビドラマである。
「名犬ラッシー」 「ララミー牧場」 「逃亡者」 「ラット・パトロール」 「ベン・ケーシ」 等々
そしてドタバタ喜劇の 「ルーシー・ショー」 も毎週欠かさず見ていた。

主演の ルシル・ボウル は、ハリウッドの女優として成功を収めてから、テレビ界へ転進した。
バスター・キートンハーポ・マルクス らとも付き合いのあったコメディエンヌである。
この番組は、お客さんの笑い声を入れるハシリだったそうな。

戦争で日本を負かしたアメリカという国はすごい国なんや、と無条件にアメリカを受け入れて
いた。テレビに映るアメリカ人とその生活スタイル、街並や風俗など何もかもがすごかった。
コンプレックスの裏返しで、憧れの気持ちが大きく膨らんでいったのだった。
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by rurou-no | 2007-06-21 14:23 | 子ども時代

グレート・ブルー(グラン・ブルー)

この映画はタイトルが二通りあってややこしい。
先に公開(1988年)されたのが、ディレクターズ・カット版の 「グレート・ブルー」
その後数年経ってからオリジナル完全版として上映されたのが 「グラン・ブルー」 という
認識でいいのか。何しろ「グレート・ブルー」しか見ていないから。確か同じ映画のはずだ。

監督は リュック・ベッソン 。彼はこのあとドキュメンタリー 「アトランティス」(1991年) を
撮ったから、ますますややこしくなってくる。どちらも海中を撮影した映画で、前者は海を題材
にした人間ドラマ。後者は多様な環境に生きる生物の生態と自然の物語。

「グレート・ブルー」 は、フリー・ダイビング(素潜り)で100メートルの世界記録を持っている
ジャック・マイヨール がモデルとなっている。彼は子どものころ佐賀県・唐津の七つ釜で遊
んだことがあるくらい日本と馴染みが深く、度々来日しては唐津の海で潜っていたそうだ。

映画は素潜りの深度を競い合う幼なじみのライバルと、ダイバーに恋する女性のストーリー。
陸の上はともかくとして、海の中のシーンが印象的であった。敬愛するジャック・マイヨールと
その友人の実話に基づいて作られた、と勝手に思い込んで見たものだから、自分も一緒に
潜っているかの気分で、苦しくなったり高揚したりと、その世界の住人として海の中にいた。

夏になると海に潜って、流れ子などの貝を獲って遊んだことを思い出していた。2~3メートル
も潜ればいいほうで、すぐに息が上がったものだ。島の子としてはあかんたれやった。

ジャック・マイヨールは 「地球交響曲」(ガイアシンフォニー)の二番に出演していて、彼の
自然観や宇宙観を語っていた。偉業を成し遂げた人は自然に対してはどこまでも謙虚である。
「自然や宇宙には、我々には及びもつかない深い英知が秘められています。・・・・」
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by rurou-no | 2007-06-20 15:06 | 映画


一瞬を、永遠に
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