一所不住



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鞍馬天狗

「子どものころチャンバラごっこをした!」と、大きな声で言えるのは幸せな世代だ。
今の子どもたちは危ないからと、チャンバラすらできなくなってきているらしい。

とにかく鞍馬天狗は、子どもたちのヒーローだった。大佛次郎 の原作小説は読まなくても、
アラカンこと 嵐寛寿郎 が杉作役の 美空ひばり と出ていた映画は誰もが知っていた。
私が覚えている天狗役は、東千代之介市川雷蔵 である。

風呂敷で鞍馬天狗の宗十郎頭巾(イカ頭巾)を真似て形を作り、腰を紐で結び棒を差す。
皆が鞍馬天狗になりたがるから、鞍馬天狗同士のチャンバラになってしまう。
斬られた方は大袈裟に芝居をしながら倒れるのが約束事だった。

丹下左膳も大好きだった。片目片腕で「しぇいはたんげ、なはさじぇん」と言ってから始める。
知っているのは 大友柳太朗 の左膳なのに、口上の「姓は丹下、名は左膳」を言おうとする
と何故か 大河内傳次郎 風になってしまうのだ。丹下左膳をやる時は、左手しか使えない
うえに片目をつぶっているから距離感が判らず、たいてい負けてしまう。

それに斬られて大袈裟に倒れるのが面白いから、わざと斬られたりもする。いかにギリギリ
まで張り合って、巧く斬られるかが芝居心を試される。倒れたあとは「いまのはみねうちじゃ」
の言葉を待って、すぐに起き上がりチャンバラ再開という手筈だ。

子どもながら真剣勝負で斬り合いをするから、生傷が絶えなかった。たとえ怪我をして血が
出ていても、唾をつけておけばいつの間にか治っていた。傷跡がかさぶたになったらそれを
剥がすのがまた楽しみだった。相手を斬る時は痛くないようにと寸止めの要領も身につけた。

まぁチャンバラを懐かしがっているなんて、時代錯誤も甚だしいとお叱りを受けそうだ。
ヒーロー像が様変わりした今はもう「絶滅遊戯」として語られるしかない運命か。
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by rurou-no | 2007-05-31 15:47 | 子ども時代

モンク

ジャズ・ピアニストで最も気に入っていたのが、セロニアス・モンク
教会のオルガン奏者として出発した彼は、10代の終わり頃にはジャズピアノにのめり込む
ようになる。1940年代初め、ジャズの世界では《ビー・バップ》の時代だった。

ハーレムにあったバップの殿堂ミントンズ・プレイ・ハウスのハウス・ピアニストとして、様々な
ミュージシャンとセッションを繰り返し、次第に頭角を現わすようになる。
名曲 「ラウンド・ミッド・ナイト」 「ストレート・ノー・チェイサー」 もここから生まれた。

1970年代の京都は、ジャズ喫茶全盛のころである。
金はないけど時間はたっぷりあったから、毎日行きつけのジャズ喫茶をハシゴする日々だった。
モンクで思い出すのが、木屋町にあった〔鳥類図鑑〕。真四角の店内は目が慣れるまで動けな
いほど照明が暗くて高いところに小さな窓が一つ、壁に蝶の標本を飾ってあった。

珈琲一杯で何時間でもねばれる有り難い店だった。街の雑踏から逃れるように路地を入り、ビル
の階段を上った先にあったのは、体全体で聴けと言わんばかりの大音量で満杯になった空間に
なっていた。ひとりで静かな!時間を過ごしたい時には、うってつけの店だった。

その大きすぎる音のせいか、或いは音楽が良かったのか、心地良くなって眠ってしまうことしば
しばであった。この店はモンクの他に、 アール・ハインズ アート・テータム バド・パウエル
など何故かピアノの音とともに記憶している。

二十歳を過ぎて間もないころだから、目に入るもの耳に入るもの何もかもが新鮮で刺激的だった。
それらの全てを自分のものにしたくて必死になっていた。貪欲で旺盛な好奇心の塊であった。
いま何の役にも立っていなさそうだから、それで良かったのだと思う。
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by rurou-no | 2007-05-30 14:08 | 音楽

浮き雲

「浮雲」成瀬巳喜男 監督、「浮き雲」(1996年) は アキ・カウリスマキ 監督作品。
北欧フィンランドが生んだ映画監督アキ・カウリスマキ(1957年生まれ)は、映画ファンの間で
話題の的となっている。アキ・カウリスマキを見た?というのが挨拶代わりだ。

寒い国の人は概ね無口である。北欧ともなれば尚更だ。顔も強張ってしまう。
カウリスマキ作品に出てくる人は、無口で無表情な人が多い。それなのに表現が豊かである。
映画的表現が豊か、と言った方がいいかも知れない。無声映画を見ているかのような錯覚に
おちいるほど、言葉以上に映像が語っている。(実際にサイレント映画も撮っている)

人生が巧く行っていない人が主人公になる設定が多いのも特徴である。華やかさが微塵もない
みすぼらしい女や、情けないほどさえない男が、ヒロインでありヒーローなのだ。
カティ・オウティネンマッティ・ペロンパー が、カウリスマキ映画の顔となっている。

「浮き雲」は、2人とも失業してしまった夫婦のお話である。導入部で何の会話もなく2人の信頼
関係を描いていたのが見事だった。起死回生の一発を当てようとバクチに手を出すが、クジ運のない亭主が勝てるはずがない。スッカラカンとなって2人で寄り添いながら帰っていく。

カウリスマキ映画は絶望的で救いようがないみたいだが、実は逆で、ダメ女ダメ男ぶりが笑えて
くるのだ。彼らも常に前向きで希望を失わない。見終わったあとの痛快感がたまらなく愛しい。
「マッチ工場の少女」(1990) 「愛しのタチアナ」(1994) 悲惨な喜劇と寡黙な恋愛。
「レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ」 「レニングラード・カウボーイズ、モーゼに
会う」
の2本は出色である。その大真面目さに腹をかかえて笑ってしまった。

カウリスマキは映画評論から、映画監督の兄に誘われて映画界入りしたそうだ。彼は映画が
大好きな映画マニアだと思う。映画のツボを心得ていて、その仕掛けが絶妙なのだ。
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by rurou-no | 2007-05-29 14:52 | 映画

スケアクロウ

「メトロポリス」 の次は 「スコルピオ・ライジング」 にしようと決めていたが、マヤ・デレン ~
フリッツ・ラング ~ ケネス・アンガー と続いたら、あまりにもマニアックな方向に偏り過ぎて
しまい戻れなくなりそうだから、《サバト》の宴はまたのお楽しみで、流れを変えることにする。

「スケアクロウ」(1973年) 映画が続くのはご愛嬌ということで大目に。
10代の終わりころに見た。アル・パチーノジーン・ハックマンが出演していた。
まだ監督名で見る映画を選ぶ以前のことなので、誰が撮ったのか知らなかったが調べてみる
ジェリー・シャッツバーグ 監督作品だった。この監督の作品は他には見ていない。

実は内容もあまり覚えていない。スケアクロウとは〈案山子〉のことで、2人の男の友情の物語
だったと思う。1人は刑務所から出たばかり、もう1人は遠洋航海から帰ったばかりの船乗り。
ひょんなことで知り合い、意気投合した2人は共に旅を続ける。それぞれには会いたい女性が
いた。そして会えた男と、会えなかった男は・・・・。


《スケアクロウ》という言葉が気に入ってずっと頭の片隅に残っていた。その音の響きがいい。
カタカナの並びも申し分ない。そして意味するところの案山子のイメージ。

田舎の田圃に寂しそうに立っていた案山子には、愛着と郷愁の思い入れを強く持っている。
田植えが済むと田の真ん中に案山子を立てた。稲穂が実るころにそれを啄ばみにやってくる
鳥を追い払うための守り番なのだが、稲が大きく育つと目立たなくなるからあまり役に立って
いるとは思えない。結局子どもたちが田の番をさせられることになる。

子ども心に、せっかく案山子を立てたのに遊びに行かれんやないかとふくれながら、鳥が来る
たび「ホゥー!、ホゥー!」と声を出したり、音を鳴らしたりして追い払っていた。
それでもポツンと立っている案山子は、何故かいとおしくて自分に近いものを感じていた。
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by rurou-no | 2007-05-28 14:14 | 映画

メトロポリス

「カリガリ博士」 のところでも触れたが、多くの芸術家たちが新しいメディアである「映画」で
その野心とともに実験的な試みを繰り返し、数々の素晴らしい作品が生まれた1920年代。

ワイマール共和国のドイツにおいて、フリッツ・ラング の手によって20世紀を代表する傑作
映画が誕生した。21世紀を迎えた今日まで、その映画を模倣した作品は数多あれどそれを
凌ぐものは未だに出てきていない。その映画とは 「メトロポリス」(1926年)。

 100年後(つまり2026年)の未来都市が舞台である。高度な科学文明が発達し、超高層
 ビルが建ち並ぶ都市メトロポリスでは少数の資本家・支配者階級が全てを牛耳り、地上に
 楽園を築いている。労働者階級は地下へと追いやられ、機械の一部のような扱いで過酷な
 労働を強いられていた。そこは徹底した管理社会である。

 地上と地下の間には全体をコントロールする機械室の層があり、両者が交わることはない。
 ヒロインのマリアは労働者たちに階級社会の矛盾を説き、ストライキを煽動する。
 危機を感じた支配者はマリアを捕らえ、科学者に彼女そっくりなロボット(人造人間)を作ら
 せた。そのロボットを地下へ派遣し、労働者たちを意のままに操ろうと謀るが・・・・・。


2026年といえば今から20年後の世界。フリッツ・ラングは、ほぼ完璧に現代社会を予言して
いた。階級の二極化、管理社会、コンピューターに支配される人間、ロボットの出現、等々。
摩天楼の高層ビル群は、建築デザインの観点から見ても見事な美しさであった。

「ブレードランナー」 の《未来都市》、「スター・ウォーズ」 の《ロボット》も 「メトロポリス」 が
お手本となった。1902年 ジョルジュ・メリエス 「月世界旅行」 で初めてSF映画が作られて
「メトロポリス」 で頂点に達した。科学の力は月への旅行を可能にし未来都市も現実となった。
そして悪い方の予言もその通りになってきている。人類の行く末や如何に? 
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by rurou-no | 2007-05-26 13:42 | 映画

午後の網目

個人的にはアメリカという国は嫌いだ。エラソーに力で世界を支配しようとする、その根性が
気に入らない。日本を植民地としか見ていない(実際それに近い状況だが)から余計に腹が
立つ。なんでも自分が正しいと思い込んでいる横柄さと頭の悪さは救いようがない。

戦争に負けてからの我が国は、何事もアメリカの真似をし、そのあとを追いかけてきた。
TVという媒体を通してアメリカの生活や文化のイメージが刷り込まれ、それが豊かさの基準
となった。この国には、無条件にアメリカ的なるものが浸透して行ったのである。

臍が曲がっている者としてはそうしたものに反発を覚えながらも、刺激的な文化には目を奪わ
れていく。まずブルースやジャズの音楽に夢中になった。この分野はアフリカ系アメリカ人の
独壇場であった。次に現代美術。これは前にも記したように商業資本に取り込まれていく。

そしてアヴァンギャルド映画。ハリウッドの対極に位置する個人映画、実験映画である。
マヤ・デレン「午後の網目」(1943年) は、その象徴的な作品だ。彼女の夢のイメージ
が断片的に現れては消えていく。短編ではあるが余韻は長く続いた。
ジョナス・メカス もそうだったように、ナチスから逃れてアメリカへ渡った芸術家が多かった。

16ミリ映写機による自主上映会。アンダーグランド・シネマに相応しい古い建物の会場。
ケネス・アンガー の一連のスキャンダラスな作品は、それこそ秘密結社の集会に紛れ込んだ
かの気持ちになりながら、ある種の興奮を隠せなかった。

スタン・ブラッケージ 「ドッグ・スター・マン」(61)  マイケル・スノウ 「波長」(67) ・・・・
とりわけてストーリーがあるわけでもないのに、何故か印象が強くて映像が甦ってくる。映画の
もう一つの見方、映像を感じる行為または体験と言えよう。まさに見る快楽そのものであった。
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by rurou-no | 2007-05-25 14:40 | 映画

野いちご

映画史上に燦然と輝く、最も偉大な監督の1人 イングマール・ベルイマン の作品で初めて
観たのが、「野いちご」(1957年) と 「処女の泉」(1959年) の2本立てだった。

スウェーデン映画を見るのが初めてなら、こんなに深刻なのに面白い映画、密度の濃い映画
を見たのも初めてだった。ポスターになっていた「処女の泉」の馬に乗った少女の写真は、今
でも目に焼きついたままで忘れることはできない。

「野いちご」は、社会的評価の高い老教授が身内からはエゴイストで冷酷な人として疎んじら
れている。夢の暗示により自らの死を予感して過去を振り返る。離れていった恋人、裏切った
妻、奔放な若者たち、確かなはずの業績・知識すらも怪しい。夢と現実、過去と現在、生と死、
それぞれが交錯して老教授の人生を焙り出して行く。


「処女の泉」は北欧の神話に題を得ているのか。少女は森の中で男に犯されて殺されてしまう。
父親は復讐をするため男を殺す。少女が倒れていたところに泉が湧いてくる。神の存在、神秘
主義など重いテーマを美しい映像で描き出す。


30年くらい前になる。それからというもの、ベルイマンこそが最高の映画監督だと信じるままに
見続けた。 「不良少女モニカ」(52) 「第七の封印」(56) 「鏡の中にある如く」(61)
「冬の光」(62) 「沈黙」(63) 「仮面/ペルソナ」(66) 「叫びとささやき」(73)
「ある結婚の風景」(76) 「秋のソナタ」(78) などなど主な作品だけでも十指に余る。

ベルイマンは人間という存在に真正面から対峙し、その偽善性までを暴き出してしまう。それは
人間の滑稽な部分でもあることが明らかにされる。寓意と象徴、哲学的思考、精神性、生と死、
そして性、それぞれのことを徹底的に突き詰めて映像化していた。
考えながら、感覚的にも楽しめるベルイマンの映画は至福をもたらしてくれるのである。
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by rurou-no | 2007-05-24 14:12 | 映画

着物

世界中にどれだけの民族があるのか数えたことはないが、それぞれの民族固有の文化を伝え
るものとして、民族衣装には深い興味を持っている。

もともとは、なめした毛皮の真ん中に穴を開けて頭からかぶったり植物の繊維を加工した簡単
なものだったのが、その環境に応じて独自の形、意匠、文様、染織技術などが工夫され発達し
てきたため、民族服こそがその民族を象徴する商標としての役割を担ってきた。

日本の着物は、原始時代の貫頭衣スタイルから古墳時代には着物の原型が表れているとか。
そして飛鳥時代に入り、中国の唐から入ってきた様々な文化の影響のもと改良を重ね、江戸時
代にはほぼ今の形が出来上がったそうだ。

同じように中国の影響を受けて変化した、ベトナムのアオザイと比べるとその違いが面白い。
個人的には、真っ白なアオザイ姿が清潔感とエロスを感じさせて好みである。
多民族国家中国では、身に着けている物でどの民族に属しているかが解るようになっている。
朝鮮半島のチマチョゴリ、インドのサリーは、日常的にも目にする機会が多くなった。

東南アジアやアフリカなどの暑い国になると、派手な色合いでカラフルなデサインがプリント
された一枚の布を巻きつけただけの人に多く出会った。暑いところでは原色がよく似合う。
着物と共通するのは、体に布が合わせてくれることか。

一般的な洋服は、動きやすさという点で合理的にできている。それでも身に着けるときは体を
その形に合わせて潜り込ませることが必要である。形態に規定されたままになる。

地歌舞をしているおかげで着物との距離が近くなった。普段でも着物姿で過ごせるような生活
をしてみたいものだが、まだそんな余裕がないから難しい。
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by rurou-no | 2007-05-23 15:32 | 言葉・本

地図にない地名「釜ヶ崎」

大阪市西成区萩之茶屋一帯、行政用語で「あいりん地区」。通称「釜ヶ崎」。
明治期には《西成郡今宮村釜ヶ崎》という地名だったそうだ。

近年の市町村合併などの影響で、歴史や伝統ある名前、また地域の暮らしに根差した名前が失われていっていることに危惧を抱いている。名前はある意味で記号に過ぎないかも知れないが、また一方で文化としてその土地を表現するものであることも確かな事実である。

行政の都合で出鱈目な名前を付けられたり、単に数字だけで表記されたりしている名称を知るたび憤りとともに悲しい気持ちを覚える。
全国各地で地図から消えてしまったものの、古くから土地の人に親しまれ呼ばれてきた名前がそのまま通称として残っているところがあるのは、いささかの救いか。

この「釜ヶ崎」はその名前を先に知ったため、どういう経緯で地名が決められ、通称が定着したのかは知らない。山谷、寿町と並ぶ三大寄せ場のひとつで、それぞれ「ヤマ」「コトブキ」「カマ」と親しみを込めて呼ばれてきた。日雇い労働者が集まるドヤ(簡易宿泊所)街がある。

かつて友人や知人がそこに住んでいたため、よく遊びに行った時期があった。恒例の夏祭り、越冬の炊き出しなどにも出かけた。そこでは私服警察、機動隊が常に監視していた。
そして監視カメラがあちこちに設置されていた。

この監視カメラは今では日常の風景として、どこでも当たり前のようにある。犯罪防止のためという理由で、いつの間にか監視社会になってしまった。私たちは知らない間に監視・管理されているのである。誰もが犯罪者予備軍としての資格を与えられている。

新しい形のドヤと言うべきネット・カフェには定職のない若者が溢れ、公園や河原には定住者の青いテントが張られている。これが豊かな国、お金持ちの国の現実だ。
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by rurou-no | 2007-05-22 15:29 | 言葉・本

戦争を知らない子供たち

   戦争が終わって僕等は生まれた   戦争を知らずに僕等は育った
   おとなになって歩きはじめる      平和の歌をくちずさみながら
   僕等の名前を覚えてほしい       戦争を知らない子どもたち
 
         「戦争を知らない子供たち」  北山修 作詞  杉田二郎 作曲

   野に咲く花の名前は知らない    だけども野に咲く花が好き
      ぼうしにいっぱいつみゆけば    なぜか涙が涙が出るの
   戦争の日を何も知らない       だけど私に父はいない
      父を想えばああ荒野に        赤い夕陽が夕陽が沈む
 
         「戦争は知らない」        寺山修司 作詩  加藤ヒロシ 作曲

高校生のころに流行り、皆で声を合わせて歌った歌は忘れていない。敗戦後、四半世紀が
経っていた。あれから35年、戦後60年以上が過ぎた現在、その「戦後」という言葉が怪しく
なってきている。事もあろうに「戦争放棄」をした我が国の政府が、「戦後」体制を脱却して、
「戦前」体制を構築すべし、と声高に言い出したからである。

原案は日本人が考え、占領軍であった連合国の認可を得た憲法を、押し付けられたものだと
喧伝している輩こそが、宗主国アメリカの圧力の意のままに動き回って国を売ろうとしているの
が真実だ。聞こえのいい言葉を弄して、より大きな権力に尻尾を振る小賢しい小犬(権)力者め。

日本が加担したイラク戦争で約65万人超のイラクの人々が殺されている。アメリカの石油資本
と軍需産業の「正義」のためにだ。1人の死者の後ろにはその何倍もの悲しみにくれる人たちが
いることを思ってほしい。そして命令だからと殺人を犯す軍人が一方にいることも。

いかなる理由があろうとも、人と人が殺しあってはいけない。死者を増やすことが何の解決にも
ならないからだ。「戦争をする国」になるなどもってのほかである。
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by rurou-no | 2007-05-21 13:49 | 音楽


一瞬を、永遠に
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