一所不住



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ゲル

長いこと 「パオ」 という言い方に馴染んでいた。これは中国語 「包」 からきてるらしい。
モンゴル高原に住む遊牧民の、伝統的な移動式住居を 「ゲル」 と呼ぶ。
真柱を中心にして円形に骨組みを作り、羊毛のフェルトで覆ったドーム状の天幕である。

扉や窓がつけられ、煙の抜け道となる天窓が開いている。
正面奥に仏壇。中央には囲炉裏があり、暖をとったり料理をしたりする。
仏壇に向かって左側が男、右側が女の居場所と決まっていて、おのずと家具などの
配置も決まってくる。常に移動を繰り返す為、必要最小限の物しか持たない。

モンゴルは憧れの地の一つであった。チンギス・ハーンへの憧れも含めて。
広大なモンゴル高原を馬で疾走するのが、子どものころからの夢だった。
「兼高かおるの世界の旅」 というテレビ番組だったと思う、ナーダム(草原の祭り)を紹介
していた。モンゴル相撲の鷲の踊り、そして子ども競馬。一緒に馬で走りたかった。

まだ、モンゴルへは行ったことがない。
10年ほど前、民族学博物館であった 「大モンゴル展」 で本物のゲルを展示していた。
中へ入ると羊の匂いがして、少しだけモンゴルの空気に触れた気がした。

「大草原て云うても羊の糞だらけやで」 と聞かされたこともある。それでもそこで大の字
に寝転び、馬頭琴の調べと民話に耳を傾け、満天の星空の下でホーミーが聴けたら
どんな気分かなぁと 夢だけは持ち続けていたい。
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by rurou-no | 2007-01-31 14:05 |

具体

吉原治良氏が 1954年7月に兵庫県の芦屋で組織した 「具体美術協会」 。
白髪一雄 嶋本昭三 村上三郎 元永定正 田中敦子 山崎つる子 木下淑子
吉田稔郎 金山明 正延正俊 思いつくまま名前を挙げたら、あっという間に10人に。
メンバーは、まだまだ大勢の参加があった。

「人の真似をするな」 「人のやらないことをやれ」 という吉原の号令のもと、当時の新進
作家たちは様々な試みに挑戦した。今では当たり前になった、アクションペインティング
(ライブペインティング)などは ここから始まった。ハプニングも盛んに行なわれたようだ。

アートパフォーマンスやインスタレーションは、彼らの作品のあとから定義づけされた。
国際的にみても、世界の現代美術界をリードする勢いすらあったのは事実である。

美術展で、自分が面白いと興味を持った作家の経歴を辿れば「具体」へ行き着くことが
度重なった時期があった。冒頭の作家たちだ。
関西でこんなにオモロイことをしていた人たちの集団があったなんて驚きだった。

「具体」の中で一番好きだったのは、吉原による 円の作品。
ポスターになったその絵は、長い間部屋の壁に貼って 飽きることなく毎日見ていた。

「具体美術協会」は 72年の吉原治良氏の死去とともに解散したが、作家たちの活動は
続いている。そして 「具体」 の精神を受け継いだ作家も新たに現れている。
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by rurou-no | 2007-01-30 10:59 | 美術

づけ

島での暮らしで有難いのは、魚介類が新鮮で美味しいことだ。
いつも近海の定置網で獲れた魚を、その日のうちに食べている。しかも只で。
超ビンボーな我が家には、ちゃんと魚の分け前が届けられるようになっているのである。

ハマチやカツオの刺身は絶品で、獲れたては弾力があり口の中で踊っているかの体。
食べ切れなくて次の日になると、柔らかくなり旨味成分も出て、とろけるような舌触りに。

人間の欲は限りない。生で食べたいし、違った味覚も楽しみたい。
そこで 「づけ」 の登場だ。

醤油と酒と味醂と生姜に浸けて置くだけ。素材がいいと何をしても間違いがない。
そのまま食べるも良し。ご飯の上に乗せて「づけどん」にしても良し。薬味は、青紫蘇と
刻み海苔があればいい。

マグロのづけが一般的であるが、ハマチやカツオもづけにして食べる。これまた絶品。
なにしろ魚が活きている。それだけで幸せな気分を味わう旨さ を知ることになる。

思えば 都会生活では考えられない贅沢な食生活をしている。魚だけでなく、野菜も
分けて貰っているから、食卓の上は貰い物ばかり という日がやたらと多い。
世の中上手くしたもので、貧窮した我が家でも なかなか飢え死に出来ないのだ。
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by rurou-no | 2007-01-29 14:41 |

象のおり

「象のおり」 とは、米軍の電波通信傍受施設の通称。
沖縄の読谷と青森の三沢にある。

読谷村の礎辺通信所のことは、国による強制収用に対して 「戦争するために土地を
使わせない」 と拒否の姿勢を貫いた 知花昌一さんの活動で広く知られている。

一方、三沢基地には礎辺の2倍の大きさの「おり」が造られている。
現代の戦争は、情報戦が重要な位置を占めている。
米軍のアジア戦略に組み込まれたこの情報基地は、日本に居ながらにして戦争をして
いるのである。

自衛隊も規模は小さいが、北海道の東千歳と鳥取の境港に同じような施設があるそうだ。
ところでここ大島にも、航空自衛隊のレーダー基地がある。
島で一番高い山の上に、ドーム状の建物が二つおっぱいみたいに並んでいる。

戦後すぐ この島にも米軍基地が出来て、反基地運動が盛んに行なわれたことがあった。
資料によると米軍の事情で間もなく撤退し、その跡地に自衛隊が入ったとか。

戦争中は爆撃機B29が 関西方面と中京方面を空爆する際、必ずこの島の上空を通過
してから それぞれの方向へ飛んで行ったと聞いている。

目印になるほどの島にある通信基地は、いったいどれほどの機能を果たしているのやら。
自衛隊員を見る限りは、緊張感もなく重大な任務をしているとは思えないのだが。
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by rurou-no | 2007-01-27 15:56 | 地域

ダリとガラの卵の家

「卵の家、ダリガラが住んでた家の屋根の上に卵が乗ってるのよ。丘の上のホテルのテラス
から中庭が見えてね、天気のええ日にダリとガラが中庭に出てきてお茶を飲まはるって聞いた
からずっと待ってたのよ。そしたらね、ふたりが出てきはってね、・・・」

もともと大きめながらメークで更に大きく見えるようにした目を一段と見開いて、興奮気味に
その時の様子を話してくれた T さん。 
卵の家を見たいと思った。

初めてダリの作品に接したのは 「記憶の固執(柔らかい時計)」 だったか。
それまでは概念的に理解していたシュールレアリズムを 端的に示してくれた。

ダリ美術館のあるフィゲラスから 少しフランス側へ行ったところにカダケスがある。
のどかな田舎町で、人も車も通らない道を歩いて T さんの話に出たホテルまで行った。
もう営業していなかったが、そこから確かに屋根の上の卵が見えた。

坂を下ると ポルト・リガトの海辺へ出る。潮の匂いが懐かしい。そこは生まれ育った樫野に
そっくりな浜だった。古い木造船があり、そして卵の家があった。
もちろん門は堅く閉ざされていて、長い時間を経ている様子がそこかしこで偲ばれる。

潮風で傷んだ壁に手を置いたまま、壁に沿って歩いた。
せめてダリとガラを感じようと 全身で受け止めた。
ふたりが樫野とそっくりな浜辺で暮らしていたことが嬉しかった。
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by rurou-no | 2007-01-26 11:57 |

外骨さん

「予は 危険人物なり」 自らをそう言った 宮武外骨
「過激にして愛嬌あり」 反骨のジャーナリストとして、知る人ぞ知る面白人間 外骨さん。

1886年(明治19年) 『屁茶無苦新聞』 を発刊。
1887年(明治20年) 『頓智協会雑誌』 を発刊。 この中で、大日本憲法発布を揶揄
(パロディー)した挿絵(イラスト)を掲載したかどで 不敬罪となり禁固刑を受ける。
その後、大阪へ追われて
1901年(明治34年) 『滑稽新聞』 を発刊。

大正時代には、『ザックバラン』 『スコブル』 『震災画報』 等々
昭和に入ってからも 『面白半分』 など、次から次と新雑誌を発刊しては その激烈な
権力批判の内容ゆえに 発禁差し止め処分数知れず。

外骨さんのことを調べれば調べるほど、その類稀なる批判精神、打たれても打たれても
怯まない強さと、底抜けのユーモアに富んだ遊び心に 痛快な気分を味わう。

権力におもねて要領よく立ち回ることしか考えない、近ごろのメディアに巣食うゴキブリ
どもへ 外骨さんの爪の垢を煎じて飲ませたいものだ。

これだけの傑出した人物がいたことを知っただけでも 生きていく上での励みになる。
願わくばもう少し早く生まれて、その人に会ってみたかった。
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by rurou-no | 2007-01-25 16:18 | 言葉・本

「ぢ」 は 「じ」 という字に置き換えられるようになって久しいせいか、「ぢ」 から始まる
言葉は思いつかない。「ぢ」 一字だとどうしても 「痔」 を連想してしまう。
少々イタイ話にはなるが、ここは「痔」のことを書くしかないのか。

幸いにして、痔はまだ患っていない。
が、その痛さに苦しんでいる人を何人か知っている。旅行をする時は、携帯洗浄器は
必需品らしい。そう、ウォシュレットこそは 痔持ち人の救いの神なのである。

排泄後の尻の処理の仕方については、様々な方法が用いられてきた。
一般的には「拭く」のが大勢を占めているが、何を使って拭くかといえば、紙だけでなく
葉っぱやロープ、あるいはへら状のものでこそげるところもあるそうだ。

旅の途中インドネシアのバリ島で、「洗う」を初体験した。トイレには水の入ったバケツが
置いてあるだけで、これが話しに聞いていたアレかぁ と意味もなく感動したものだ。
民宿のおばさんに訊ねたら、笑いながらやり方を教えてくれて 使った後は次の人の為に
外の水道で水を汲んでおいて置くようにと注意も忘れなかった。

洗ったあとで濡れたままの尻にパンツを穿くのは なんとなく落ち着かなかったが、すぐ
乾いてしまった。これこそが、ウォシュレットのプロトタイプに相当するものである。

因みに水洗式のプロトタイプは、川の上に作った厠。我が家の便所は そのどちらにも
属さない、昔ながらの汲み取り式。今の季節は、冷たい風が下から吹き上げてきて体が
硬直してしまう。出るものもなかなか出ないから、ぢっと我慢するしかない。
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by rurou-no | 2007-01-24 13:35 |

どですかでん

「どですかでん」は、山本周五郎 の 「季節のない街」 を原作とした、黒澤明 監督
による初めてのカラー撮影作品。

頭師佳孝 演ずる主人公の六ちゃんは、電車が大好きで毎日電車ごっこをしている。
「どですかでん、どですかでん」と声に出しながら、運転手になったり車掌になったり
忙しい。彼の電車が通る町内には、一風変わった人ばかりが住んでいた。

極貧の暮らしであっても 精一杯生きている人々への真っ直ぐな眼差しは、社会派と
云われる黒澤の面目躍如たるものがある。その姿が滑稽にすら見えるリアリズムは
敗戦後の混乱時には、何処ででも見られた風景かも知れない。

黒澤映画はモノクロで撮った作品に比べ、この1970年以降のカラー作品の評価は
必ずしも良いとは云えない。その考えには同意するが、「どですかでん」 と次の作品
「デルス・ウザーラ」 はまだまだ見応えがある。

随分前に観た映画にも拘らず、六ちゃんのキャラクターがはまり役だった 頭師佳孝
の表情や声がまざまざと思い浮かぶ。それに随所でカラー映画ならではの色使いの
遊びがあって楽しませてくれた。音楽は武満徹だった。

黒澤の我儘で妥協を許さない姿勢には、学ぶべきところは多い。それには周りに迷惑
をかけても平気な強い精神力と、それを周りに認めさせる力量がなければならない。
さすれば何の取り柄もない小心者はどうしたものか、はてさて。
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by rurou-no | 2007-01-23 14:09 | 映画

ペシャワール

まだ行ったことがない、パキスタンのペシャワール。
ハイバル峠の麓、アフガニスタンとの国境にある町。

   この街の朝は祈りで始まる   朝日に向かってじいさんが立つ
   この街の朝はチャイで始まる   ヤギのミルク沸かすにおいがする
   昔この国へ攻めてきた時   仏像の首を切り取った人の 
   血が流れてるとは思えない   やわらかいパキスタニが歩いてくる
   花の都ペシャワール   荒野に咲く街
   生き急ぐことはない   死に急ぐこともない
   やわらかいパキスタニが歩いてくる
                          豊田勇造 「花の都ペシャワール」 より


国境の町の常として幾度も戦渦に巻き込まれて、そのつど帰属する国が変わったりした。
そうした町だからこそ交易が盛んとなって、バザールができ人々が行き交うようになる。
様々な民族や宗教が入り乱れて、活気のある町が作られていった。

前々から行きたいと思っていた ペシャワール。ガンダーラの中心都市として栄えた。
あのタリバンを養成した神学校がある町。この学校はもともと、アフガニスタン難民の
子どもたちへの教育の機会を保障する 宗教的喜捨の精神から始められたものという。

行ってみたいところは、まだまだいっぱいある。中央アジアもそのひとつ。
ペシャワールからは 〈桃源郷〉フンザも そう遠くはない。けど、フンザは観光客が多い
というから イメージの世界だけの方がいいのかも知れぬ。
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by rurou-no | 2007-01-22 11:40 |

ポルトガル

ポルトガルへ行ったのは、二つの理由による。

一つは、イベリア半島の最西端へ立って 大西洋を見ること。
水平線が丸く見える 太平洋を眺めて成長し、同じように大西洋を見てみたいと
子どものころから思い続けていた。

地図を開いて、最も海へ突き出ているところを探して そこまで歩いていく。
断崖の端っこに立ち、目の前に広がる大海原へ漕ぎ出した先人に思いを馳せた。
飽きもせず長い時間そうしていた。海、空、波の音、風の音、全てを独り占めする。

今一つは、ファド。
ポルトガルの民族歌謡。「宿命」 という名の叙情歌。
アマリア・ロドリゲス という存在を知ったばかりに、ファドの虜となってしまった。

リスボンの下町の裏通りにあるレストランで、ギターラとヴィオーラを伴奏にファドの
ライブをしていた。食事をするだけのお金を持っていなかった私は、ドリンクだけで
今は名前も覚えていない女性歌手のファドを聴いた。マイクを通さない生の声で。

ファドは日本でいえば演歌のようなもの と例えられることがある。明らかに違うのは
ファドは何時間でも聴いていられるが、演歌はすぐに頭が痛くなってくることだ。
それでも 美空ひばり を聴いて、日本の流行歌のファンになった 外国人を思い
自嘲しないこともないが。
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by rurou-no | 2007-01-20 14:09 | 音楽


一瞬を、永遠に
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