一所不住



カテゴリ:旅( 25 )


ヌー の大移動

星野道夫さんが 「カリブー」 なら、岩合光昭さんは 「ヌー」 であろうと勝手に思っている。
動物写真家としてそれぞれ素晴らしい仕事をして、私たちに未知の自然や動物の生態を知る機会を与えてくれた。一枚の写真が、新しい世界への窓となっているのである。
そして、特にこの2人に注目する取っ掛かりとなったのが、「カリブー」であり「ヌー」であった。

「ヌー」はアフリカ大陸南部、タンザニアの セレンゲティ やケニアの マサイマラ に生息する野生の牛である。草食動物であり、食料となる草を求めて集団で大移動することで知られる。
その規模は半端でなく、数十万頭から百数十万頭の集団というからすごい。
移動距離も3000キロに及び、一年の大半は移動に費やしている。

岩合光昭はこの大移動の写真を撮る為に、夫人の日出子さんと5歳になる娘の薫ちゃんと家族3人で、セレンゲティに滞在した。
この時の記録は、岩合日出子著 「アフリカポレポレ」 に詳しい。

ケニアへ行く飛行機の中でこの本を読んだ。初めてのアフリカへの旅で高揚していた気分が極めて日常的な生活者の視点で書かれた本のおがげで、未知の地への距離が近づいた。
帰りの飛行機の中でも読み返していて、そのまま忘れてきてしまったのが残念だ。何度でも繰り返し読みたい本だったのに。誰かがそれを手にして、そうしてくれていればいいのだが。

ヌーの集団を率いているのはシマウマだ、という面白い説がある。こんな突飛な発想が好きだ。
あまり視力の良くないらしいヌーは、警戒心の強いシマウマと行動を共にすることで外敵からの危険を回避し、シマウマもヌーの集団に守られるという持ちつ持たれつの関係なのだと思う。
〈午年の牛飼い少年〉としてはその親密さは、ほくそ笑みながら納得してしまう。
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by rurou-no | 2007-04-24 10:36 |

礼文島を歩く

20代の終わりごろだったと思う。北海道を1ヶ月かけて、オートバイでツーリングしたことが
あった。キャンプ道具一式を積み込んで、その日の気分でテントを張る場所を決めながらの
気ままな旅だった。

舞鶴港からフェリーに乗り、朝もやに霞む小樽へ着いた。北の大地への第一歩となった。
その時のメモ・記録ノートは、狭くて傾いているこの家へ結局一冊も運び込めなかった本と
一緒に、ダンボール箱の中に入り実家の納屋で積み上げられたままになっているはずだ。

端っこマニア、岬マニア(灯台マニアという言葉は、灯台を見るためだけにスコットランドまで
行った同級生の話を聞いてからは、おいそれとは使えない。)を自負していたその当時のこと
だから、東端の羅臼(知床)と北端の稚内(宗谷岬)へ行くことだけは最初から決めていた。

旅の情報は地元の人か、同じようにバイク・ツーリングをしている連中から仕入れるに限る。
礼文島のことは、後者のツーリング仲間から教えてもらった。ちょうど花が満開の時期である
こと。そして同類の端っこマニアだった彼は、最北端のスコトン岬からさらにその先に見える
トド島へ渡り、文字通り北の端っこまで行ってきたとのことだった。

観光の島としてのイメージがあったからパスするつもりだった礼文だったが、そんな話を聞い
てしまったからには行かずばなるまいと、勢いで船に乗り込んだ。ハプニングこそが旅の本質
である。バックパッカーよろしく一切合切を肩に担いで、礼文島の端から端まで歩いた。

高山植物が咲き乱れる丘陵地を北へ向かい、スコトン岬に辿りつく。あの時岬の突端に立ち
トド島を見たことは、身体がしっかりと記憶している。
周りの景色、風、陽の熱などが今でも忘れられない、若き日の刻印となって残っている。
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by rurou-no | 2007-04-03 13:17 |

スーク (市場)

スーク」 はアラビア語、ペルシャ語では 「バザール」 のこと。
英語ではマーケット、日本語では商店街に相当する。

アフリカ北西部沿岸マグレブ地方にある国 モロッコ も行ってみたい所の一つ。
実は、一度だけチャンスがあった。スペインを歩いていた時、アフリカへの玄関口となっている
最南端の港町 アルへシラスのフェリー乗り場まで行ったことがある。

目の前に碇泊している船に乗り込み、ジブラタル海峡を渡りさえすれば、そこがモロッコだった。
チケット売り場で随分迷った。その時は、ユーレイルパスを利用しての旅で使用期限が迫って
いた。それに一旦モロッコへ入ってしまうと、その魔力で帰れなくなるような気がした。

モロッコの首都はラバトだが、フェズマラケシュカサブランカ の方が知られている。
言うまでもなく、メディナ(旧市街)に広がるスークの エキゾチックな魅力である。

際限なく続くかと思わせるほど、日干し煉瓦に囲まれた奥深い路地。食料品、衣料品は勿論の
こと、陶磁器製品、織物製品、金属製品、とにかくありとあらゆるものが揃っている。
商店だけでなく、鍛冶屋や染物屋、皮なめし場、といった作業場まであって、写真や映像だけ
からでも、喧騒、人いきれ、暑さ、匂い、エネルギーなどの混沌とした様子が伝わってくる。

私はどこかへ出かけると、必ずそこの土地にある市場へ足を運ぶ。これは外国でも国内でも
変わらない。なぜなら一番その土地の暮らしを実感できるからだ。そこで買い物をし、食べて
人と交わり、その地を疑似体験する。そうしたやり方が好きだ。だからスークなのだ。

ついでながら映画好きとしては触れずにいられない作品 
ハンフリー・ボガードイングリッド・バーグマン「カサブランカ」 
そして ゲイリー・クーパーマレーネ・ディートリヒ「モロッコ」 は必見である。
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by rurou-no | 2007-03-02 11:10 |

ピナクルス・デザート

「木の化石があるらしいから 見に行ってこようか」
そう声をかけてくれた S さんと私は、H 氏の展覧会の制作を手伝うため オーストラリアの
パースに滞在していた。なんとかオープニングに間に合って、まる1日空いたので せっかく
だからどこかへ遊びに行こうと相談していたら、美術館の人が教えてくれたのだったか。

次の日、レンタカーを借りて いざ出発。驚いたことに延々と真っ直ぐな道路が続いていて、
ハンドルから手を離していても心配ない。いくらでもぶっ飛ばせる。その地の広さを実感した。

ピナクルスは、砂漠の中に奇妙な形の岩が にょきにょきと生えて連なっていた。
かつては原生林だったところ。木の根が岩に侵食し、枯れ、そのまま風化、石灰岩層が残り
化石化したものらしい。まさに木の化石である。

海辺で育ったので 奇岩の類は見慣れていたものの、砂漠に立つ岩はまた違った趣だった。
ひとつひとつの岩に表情があり、生きているかのように見える。いや、まだ生きているのだ。
長い年月をかけて侵食と風化を繰り返し、また形を変えていくのである。

この初めての南半球の旅では、二つの確認と一つの発見をした。
まず、南十字星が見える。当たり前のことでも感動する。星の数も圧倒的だった。
そして、水流(渦巻き)が逆回りになる。これはどうしても確かめたかった。

楽しい発見は、南極が上で北極が下になった世界地図を見つけたこと。どこの国でも自国を
中心にして世界地図を作っているが、天地を逆転してしまう発想は 目から鱗が落ちた。
日本は、大陸に辛うじてしがみついている 雫のごとき存在でしかなかったのだ。
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by rurou-no | 2007-02-16 13:28 |

ゲル

長いこと 「パオ」 という言い方に馴染んでいた。これは中国語 「包」 からきてるらしい。
モンゴル高原に住む遊牧民の、伝統的な移動式住居を 「ゲル」 と呼ぶ。
真柱を中心にして円形に骨組みを作り、羊毛のフェルトで覆ったドーム状の天幕である。

扉や窓がつけられ、煙の抜け道となる天窓が開いている。
正面奥に仏壇。中央には囲炉裏があり、暖をとったり料理をしたりする。
仏壇に向かって左側が男、右側が女の居場所と決まっていて、おのずと家具などの
配置も決まってくる。常に移動を繰り返す為、必要最小限の物しか持たない。

モンゴルは憧れの地の一つであった。チンギス・ハーンへの憧れも含めて。
広大なモンゴル高原を馬で疾走するのが、子どものころからの夢だった。
「兼高かおるの世界の旅」 というテレビ番組だったと思う、ナーダム(草原の祭り)を紹介
していた。モンゴル相撲の鷲の踊り、そして子ども競馬。一緒に馬で走りたかった。

まだ、モンゴルへは行ったことがない。
10年ほど前、民族学博物館であった 「大モンゴル展」 で本物のゲルを展示していた。
中へ入ると羊の匂いがして、少しだけモンゴルの空気に触れた気がした。

「大草原て云うても羊の糞だらけやで」 と聞かされたこともある。それでもそこで大の字
に寝転び、馬頭琴の調べと民話に耳を傾け、満天の星空の下でホーミーが聴けたら
どんな気分かなぁと 夢だけは持ち続けていたい。
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by rurou-no | 2007-01-31 14:05 |

ダリとガラの卵の家

「卵の家、ダリガラが住んでた家の屋根の上に卵が乗ってるのよ。丘の上のホテルのテラス
から中庭が見えてね、天気のええ日にダリとガラが中庭に出てきてお茶を飲まはるって聞いた
からずっと待ってたのよ。そしたらね、ふたりが出てきはってね、・・・」

もともと大きめながらメークで更に大きく見えるようにした目を一段と見開いて、興奮気味に
その時の様子を話してくれた T さん。 
卵の家を見たいと思った。

初めてダリの作品に接したのは 「記憶の固執(柔らかい時計)」 だったか。
それまでは概念的に理解していたシュールレアリズムを 端的に示してくれた。

ダリ美術館のあるフィゲラスから 少しフランス側へ行ったところにカダケスがある。
のどかな田舎町で、人も車も通らない道を歩いて T さんの話に出たホテルまで行った。
もう営業していなかったが、そこから確かに屋根の上の卵が見えた。

坂を下ると ポルト・リガトの海辺へ出る。潮の匂いが懐かしい。そこは生まれ育った樫野に
そっくりな浜だった。古い木造船があり、そして卵の家があった。
もちろん門は堅く閉ざされていて、長い時間を経ている様子がそこかしこで偲ばれる。

潮風で傷んだ壁に手を置いたまま、壁に沿って歩いた。
せめてダリとガラを感じようと 全身で受け止めた。
ふたりが樫野とそっくりな浜辺で暮らしていたことが嬉しかった。
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by rurou-no | 2007-01-26 11:57 |

「ぢ」 は 「じ」 という字に置き換えられるようになって久しいせいか、「ぢ」 から始まる
言葉は思いつかない。「ぢ」 一字だとどうしても 「痔」 を連想してしまう。
少々イタイ話にはなるが、ここは「痔」のことを書くしかないのか。

幸いにして、痔はまだ患っていない。
が、その痛さに苦しんでいる人を何人か知っている。旅行をする時は、携帯洗浄器は
必需品らしい。そう、ウォシュレットこそは 痔持ち人の救いの神なのである。

排泄後の尻の処理の仕方については、様々な方法が用いられてきた。
一般的には「拭く」のが大勢を占めているが、何を使って拭くかといえば、紙だけでなく
葉っぱやロープ、あるいはへら状のものでこそげるところもあるそうだ。

旅の途中インドネシアのバリ島で、「洗う」を初体験した。トイレには水の入ったバケツが
置いてあるだけで、これが話しに聞いていたアレかぁ と意味もなく感動したものだ。
民宿のおばさんに訊ねたら、笑いながらやり方を教えてくれて 使った後は次の人の為に
外の水道で水を汲んでおいて置くようにと注意も忘れなかった。

洗ったあとで濡れたままの尻にパンツを穿くのは なんとなく落ち着かなかったが、すぐ
乾いてしまった。これこそが、ウォシュレットのプロトタイプに相当するものである。

因みに水洗式のプロトタイプは、川の上に作った厠。我が家の便所は そのどちらにも
属さない、昔ながらの汲み取り式。今の季節は、冷たい風が下から吹き上げてきて体が
硬直してしまう。出るものもなかなか出ないから、ぢっと我慢するしかない。
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by rurou-no | 2007-01-24 13:35 |

ペシャワール

まだ行ったことがない、パキスタンのペシャワール。
ハイバル峠の麓、アフガニスタンとの国境にある町。

   この街の朝は祈りで始まる   朝日に向かってじいさんが立つ
   この街の朝はチャイで始まる   ヤギのミルク沸かすにおいがする
   昔この国へ攻めてきた時   仏像の首を切り取った人の 
   血が流れてるとは思えない   やわらかいパキスタニが歩いてくる
   花の都ペシャワール   荒野に咲く街
   生き急ぐことはない   死に急ぐこともない
   やわらかいパキスタニが歩いてくる
                          豊田勇造 「花の都ペシャワール」 より


国境の町の常として幾度も戦渦に巻き込まれて、そのつど帰属する国が変わったりした。
そうした町だからこそ交易が盛んとなって、バザールができ人々が行き交うようになる。
様々な民族や宗教が入り乱れて、活気のある町が作られていった。

前々から行きたいと思っていた ペシャワール。ガンダーラの中心都市として栄えた。
あのタリバンを養成した神学校がある町。この学校はもともと、アフガニスタン難民の
子どもたちへの教育の機会を保障する 宗教的喜捨の精神から始められたものという。

行ってみたいところは、まだまだいっぱいある。中央アジアもそのひとつ。
ペシャワールからは 〈桃源郷〉フンザも そう遠くはない。けど、フンザは観光客が多い
というから イメージの世界だけの方がいいのかも知れぬ。
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by rurou-no | 2007-01-22 11:40 |

モンマルトルの丘

モンパルナスが キキならば、モンマルトルは 洗濯船
あくまでも個人的な嗜好による。

若き日の ピカソ や モディリアーニ がアトリエにしていた 洗濯船。
ここで描かれた 「アヴィニョンの娘たち」は、タブローの概念を変える作品となった。
この洗濯船には、マティス コクトー アポリネール らが連日出入りしていたという。
以前に訪ねた時は 改装工事中で、地階のスペースだけを見せてもらった。
今はギャラリーとなっているはずだ。

モンマルトルを根城にしていたのは、モンパルナスへ移る前の ユトリロ を始めとして
ルノワール ドガ ゴッホ そしてムーランルージュとともに記憶される ロートレック 等。

モンマルトルの丘の上には サクレ・クール寺院が建っており、そこからはパリの街並が
一望できる。寺院へと続く階段に腰をかけて、ひねもす眺めて過ごしたくなるくらい見事な
都市景観である。ただしここは観光客が来るところでもあるので、落ち着いていてられない。

付近の広場では 大勢の画家たちが、イーゼルを立て キャンバスに向かって競うかの
ごとく絵を描いていた。ユトリロやルノワールを気取っているのか、はたまたそこで描いた
絵を売って かつての貧乏画家たちのようにパンに変えるのか。
いずれにしても、パリだから彼らもまた 絵になる光景を演じている風に見えてくる。
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by rurou-no | 2007-01-13 18:09 |

ゆりの山温泉

随分と前のことだが、マニアを自称したいくらい 温泉巡りを盛んにしていた時期が
あった。そしてそこには、自分なりのルールが存在していた。
  *出来るだけ鄙びた場所にあること。 *露天(野天)風呂があること。
  *泊まるのは山の中の一軒宿であること。 *湯治場であればなお良い。
  *知る人ぞ知る穴場であること。 *地元の人の利用が多いこと。 等々

おかげで、様々な体験をさせてもらった。
山道を延々と歩いた先にあったのは、湯船だけが残った宿の跡で、猟師が時々利用
するのみになった 北海道の温泉。
猿が入りに来ると聞いて出かけた 信州の温泉。早朝、本当に猿と混浴した。

ある寂れた温泉地でのこと。一番安い宿を求めて泊まったのは、廃墟のような旅館で
部屋の中は長い間掃除をしたことがない風情の汚れよう、置いてあった雑誌は数年前
のもの。 湯船には湯垢と黴がこびり付いたまま。 シーツに至っては暫らく洗濯をした
様子はなく 汚れてシミだらけであった。 あまりのトホホさに 現実感を失ってしまい、
どこか違う世界へワープしてしまったかのようであった。これは東北地方の温泉。

というわけで、今でも休みの日には 温泉へ出かけることがある。
近くの温泉をひと通り回って、気に入ったのが「ゆりの山温泉」。ぬるめの湯にゆっくりと
入るスタイル。湯量が豊富で蛇口から流しっぱなしになっている。ところが今年の正月に
初風呂を入りに行ったら、蛇口に栓が付けられてあった。あれっ!??
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by rurou-no | 2007-01-07 15:21 |


一瞬を、永遠に
S M T W T F S
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