一所不住



カテゴリ:旅( 25 )


のたりゆくひねもすのたりなつのまち

週末の土日は約1年ぶりに電車へ乗って、紀伊半島南端の町を出た。
濃厚な時間を過ごした顛末は、与謝蕪村風に五七五、17文字のタイトルとなった。

真夏の京都へ出かけるなど、分別ある大人なら慎み深く避けるはず、という考えに異論はないだろう。その禁をあえて犯してまで出かけることになったのは、「踊り続けて三十余年、奇想のダンス集団」とキャッチコピーした「唖撫駆」の公演案内が届いたから。

「えーっ、今年もやるのー?」と周囲の心配をよそに<アラ還ダンサーズ>は会場となった、120年の歴史ある立誠小学校跡に物の怪となって現れた。会場が「自彊室」って、明治時代の小学校にはこういう部屋が必ずあったのかしらん。物の怪たちとの取り合わせの妙は意味ありげだ。
 
ともあれ、他に類を見ないためどんなに言葉を尽くしても説明しきれない舞台は、万難を排して見るべし。出演者たちそれぞれの芸風は完成されつつあり、いつも同じようでいて違うところなどは伝統芸能に近いものを感じる。新しいアイデアにあふれ、さまざまな想像を喚起させる見せ方、揺るぎない美的センスは、常に新鮮な驚きに満ちて瞬きするのも勿体ないほどだ。

翌日は、1933年築のモダニズム建築、御影公会堂全館を使用した「おまゆみソロ」。彼女はインスタレーションなど、空間とのかかわりの中で身体を動かす、パフォーマンスともダンスとも演劇ともいえないジャンルを超えた表現をする。今回はレトロモダンな建物全体を自分のからだの一部とした、スケールの大きな作品だった。

この2日間は京都と神戸の街をよく歩いた。「ひねもすのたり」という言葉がふさわしい歩き方をした。あいにくの雨模様のおかげで、それほど暑さにへばることなく歩けたのはむしろ幸運だった。

そして極め付きは帰りの電車。「集中豪雨のため倒木があり架線が切断されてきのくに線は運転を取り止めています」と車内放送があり、和歌山の手前で電車が止まってしまった。
一時は電車での夜明かしも覚悟したが1時間後に復旧、運転再開となったものの前に電車がつかえ徐行運転。挙句の果ては鹿をはねて(3度も)、そのたび停車して、を繰り返しながら駅に着いたのが3時間遅れの深夜1時25分。いつもより倍の時間を電車に乗せてもらえたのはありがたいことだ。それにJRから水とカロリーメイトまで頂戴した。ひねもすのたりのたりかな(蕪村)。
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by rurou-no | 2011-08-22 15:52 |

アサンテ サーナ

99年9月に橋が開通したため地続きになった「元」離島の古里で、身を潜めるように暮らしているしがない中年男にも頻繁に外国へ出かけていた時期があった。
中学1年生で出会った英語「ジス・イズ・ア・ペン」が外国人の喋る英語とは大きく違うことを知ってから授業に興味を失くし、そのことがトラウマとなって外国語コンプレックスに取り付かれてしまった。ゆえに何度も異国へ行ったものの、とうとう彼の国の言葉を身につけることができないまま、片言の数少ないボキャブラリーとゼスチャーでしのいできた。

そんな無鉄砲な輩でも出発前には単語集を片手に、多少の勉強はするものだ。
「アサンテ サーナ」はケニアへ行く前に覚えたスワヒリ語で「どうもありがとうございます」と感謝を表す言葉。ちなみに「こんにちわ」は「ハバリ ガニ」か「ハバリ ヤコ」。向こうから先に声をかけられたら「ムズーリ サーナ」と応える。だったと思う。
何年も前のことで記憶もいい加減だし、なにしろ語学のセンスはない。

そのとき現地で覚えた好きな言葉の一つに「ポレポレ」がある。「のんびり、ゆっくり歩く」「散歩する」という意味だったと理解している。知らない町を歩き回るのが好きな性分だからよく「ポレポレしてくるよ」と言って出歩いたものだ。
ちなみに友人が大阪で「ポレポレ」と言う名の飲み屋を開いている。

「ポレポレ」がすっかり気に入り、それからというもの仕事に追い立てられあくせくと余裕がないときなど「ポレポレやればええんや」と自分に言い聞かせるようになった。
もっとも失業中の今は「ポレポレしすぎや」とお叱りの声がどこからか聞こえてきそうだが。
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by rurou-no | 2010-04-30 13:09 |

チンチン電車

近ごろはやりの「鉄ちゃん」ほどではないが、鉄道が好きだった。最近は乗る機会が少ないので過去形になってしまったが。
いわゆる「乗り鉄」プラス「食べ鉄」。あと時刻表を調べるのは何というのか、「読み鉄」?
ローカル線の各駅停車で辺鄙なところへ出かけるのを好む傾向があり、同好の士は少なからずいるだろう。その先に温泉でもあれば言うことなし。
もっぱら「青春18きっぷ」や「周遊券」を愛用して、鉄道の旅を楽しんだ時期もあった。旅回りの仕事をしていたころは、目的地までわざわざ遠回りをして各駅停車へ乗り、できるだけ時間をかけて行くことばかり考えていた。

誰かのネタだったと思うが、まだ「汽車」と呼ばれていたころ「特急は乗っている時間が短いくせに料金は高くなるのはどういうことか」と怒り出した乗客がいたという笑い話は、あながち外れていないと思う。実際、早く移動したいと考える時、移動の時間は限りなく無駄なものになってしまう。ところがゆっくりと移動すれば、その時間こそが有意義なものであることが分かる。スローなスピードが身体感覚に合うのか、時間そのものが生き生きと立ち上がり楽しめるようになるのだ。のんびりと車窓の風景を眺めながら駅弁を食べるなんて贅沢この上ない。

チンチン電車は都会にあって「乗り鉄」の気持ちを満足させてくれる乗り物だ。
長く京都に住んでいたことから、よく市電を利用していた。旅先で路面電車を見つけると必ず乗らないと気が済まない方だった。
特に用はなくても乗っているだけで嬉しくなる。ガタゴトと揺られて、乗り降りする人やゆったりと過ぎていく風景を見ているだけでいい。

まだまだ全国20ヶ所ほど現役で頑張っている。世界へ目を向けると50ヶ所400都市で路面電車が走っているそうだ。
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by rurou-no | 2010-04-05 12:16 |

時刻表

近ごろの鉄道マニアたちは「てっちゃん」と呼ばれて、密かに注目を浴びているらしい。
「てっちゃん」といえばホルモンを連想するからマニアにはほど遠い私だが、時刻表を見るのは
昔から好きだった。

架空の旅を楽しめるのは勿論のこと、仕事でも遊びでも旅が多かったから、もっぱら実用として
時刻表を開いた。読者サービスで写真やイラストが載っているわけでなく、ただ数字が並んで
いるだけの雑誌にどうして夢中になれるのか、そこにはその数字の通りに列車が走っている
前提があって初めて、単なる数字が生き生きと踊り出すというものである。

よく周遊券というのを利用した。指定された地域内であればどこでも自由に乗り降りが出来る。
あらかじめ計画を立てるのでなく、行き当たりばったりの旅ばかりで各駅停車のローカル線に
乗るのを楽しみにしていたから、思いついたら何処ででもふらっと降りられるのが便利だった。
目的地まで、どれだけ遠回りして時間をかけて行けるかが楽しみでもあった。

もう一つ〈青春18キップ〉も重宝した。1日1枚で何処まで行っても構わない。一度、京都から
各駅停車を乗り継いで何処まで行けるのか試したことがあった。始発に乗って時刻表を片手に
1日中乗り続けた結果、山形駅まで行ってしまった。日にちが変わるギリギリに到着したのは
いいが深夜である。そのあとのことなんて考えていなかった。駅のホームで呆然とするばかり。

この地方に住むようになってからは、たまに大阪へ出る時は特急電車になる。だがやはり旅は
のんびり各駅停車でしたい。駅に止まるたび乗り降りする人の表情やしぐさ、言葉遣いなどが
少しずつ変わっていく。駅ごとに匂いが違っていたりもする。気に入ったところで降りて、歩いて
みる。これまでもそうしていたが、これからもそんな旅をしていきたい。
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by rurou-no | 2007-07-20 13:29 |

ローマ の コロッセウム

永年の謎が解けた! というほど大袈裟なものではないが、多分そうだろうと思っていたが
その確信がないまま、ずっと ? だったものが明らかになった。

ローマの〔コロッセウム〕(古代闘技場)に行った時、そのあまりにも大きい廃墟を見て「あれっ
アリーナがないのに、どこで競技をしたんやろ?」と、素朴な疑問を持った。すり鉢状になった
廃墟の底に当たる部分にも壁が立ち上がり、いくつもの小さな部屋に区切られていたからだ。

新聞日曜版に連載されている『奇想遺産』7月8日付けの記事が、まさにこの「コロッセウム」。
サブタイトルに「闘技場の下に猛獣のおり」とあった。やっぱり、そうやった。
掲載されていた写真では、アリーナがあったはずのところに一部分だけ床が作られている。
これはおそらく観光客向けの設備だろう。前はこんなのはなかったはずだが。
 
ライオンや虎などの猛獣と、命がけの闘いを強いられた奴隷或いは罪人だった闘士たち。
ローマ市民は喝采を送りながら、猛獣と人間による死闘に熱狂したそうだ。
リドリー・スコット 監督の映画 『グラディエーター』 は、その様子を再現しているそうだが
残念ながら見ていない。数万人が一堂に会したというから驚きである。

数万人規模というと、大阪ドームで野球観戦をしたことがあるくらい。スポーツ・ゲームなら
ともかくとして、血を見るような格闘技は気の弱い私には耐えられない。

それにしても美しい廃墟であった。もともと建築物の廃墟に限らず廃村でもそうだが、廃れた
ものに強く惹かれている。残されたものにある刻み込まれた時間・歴史から、人々が生きた
証し・痕跡が甦ってくる瞬間がたまらない。耳を澄ますと息遣いすら感じられる気がしてくる。
想像力を駆使してその場に身を置いてみる。そうした作業が面白いのだ。
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by rurou-no | 2007-07-10 11:58 |

ニライカナイ

わたしたち人類は地域や民族が違っても、それぞれの伝承の中に理想郷を持っている。

ケルト神話には伝説の島 アヴァロン があり、ギリシャ神話では エリュシオン、スペイン人
の探検家は黄金の国 エル・ドラード を目指した。チベットのラマ僧が口承で伝えてきたのが
シャンバラを首都とする アガルタ陶淵明桃源郷(シャングリ・ラ)を書き、トマス・モア
ユートピアマルコ・ポーロは黄金郷 ジパングを。他にも アルカディアアトランティス
そして宮沢賢治「注文の多い料理店」イーハトーブ を紹介していた。

琉球列島に伝わる、海の彼方にある ニライカナイ もそうした理想郷のひとつである。
「アマミキヨ伝説」をテーマにした創作ダンスの、取材で沖縄を訪れたときに ニライカナイ の
ことも教えていただいた。その時は沖縄というよりも、「琉球」への旅になっていた。

神が来訪する場所であり、祖先神を祀っている場所である御嶽、中でももっとも重要なところ
斎場御嶽(せーふぁーうたき)は、大きな岩が寄り添うような形になっていた。そこに立って気
を感じる。そして琉球神話でアマミキヨが降臨して国創りを始めたという、久高島を遠くに見る。

久高島は島全体が聖地となっていた。この島では、女性が神となる秘儀 イザイホーが12年
ごとにある。その儀式が初めて途絶えたばかりだった。今では ノロ(神女)となる女性もいなく
なってしまったそうだ。島の中央部に行くと森の中に、男子禁制の聖域 クボー御嶽への道が
あった。もちろんそこから先へ進めない。そのあとニライカナイから穀物が流れ着いたと云われ
ている伊敷浜へ。珊瑚が群生する美しい海へ潜ってみた。

遠くニライカナイへと続く海である。体を波の上に遊ばせてつかの間の午睡をする。一瞬見た
夢はなんだったのか、目覚めた瞬間、ギラギラと照りつける太陽がまともに目に入ったせいで
忘れてしまった。そのままニライカナイまで運んでくれることを期待していたが、現実は強い陽
射しに焼かれていただけだった。
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by rurou-no | 2007-06-28 15:23 |

知床

「知床旅情」という歌があった。森繁久弥 自作・自唱によるものだが、加藤登紀子 が唄う方
に馴染みがある。今日のタイトルとは関係がないので悪しからず。

北海道をバイク・ツーリングした時の、知床の思い出を書いてみたい。
今や〔世界自然遺産〕となっている知床半島である。当時はまだ羅臼から先へは地元の人
以外は立ち入れなかった。羅臼から斜里へ半島を横断する道路でさえ、冬場は通行止めに
なっていた。

北海道の最東端(つまり日本の最東端)だから、というよりも上記の歌のおかげか当時から
人気の観光エリアであった。そこへ到る道程は、物寂しく遠くへと来た気分にさせてくれた。

例によって旅の途中で仕入れた情報に基づき、羅臼のキャンプ場にテントを張り、ほとんど
地元の人しか知らない「熊の湯」へ入る。鬱蒼とした原生林の中にポツンと露天風呂だけが
あった。海辺にある「セセキ温泉」は、行った時あいにく満潮で波の下。

気を取り直して羅臼町内にある高砂食堂でトド肉(そのころはここでしか食べられなかった)
を食す。臭みはあるものの、あっさりとした食味だった。こういう珍味は食べることに意義が
あるといった感じで、まぁ話のタネになるからと。

3日間滞在したキャンプ場は、毎年のようにテントを熊が襲って怪我人が出ていたところ。
恐る恐るで仲間意識が出たわけではないものの、毎晩メンバーが変われども持ち寄りの
食材でキャンパー同士一緒に食事をした。そこでまた情報交換をする。

ルートが整備されてすっかり観光スポットになっているらしいが、30年近く前は沢登りをしな
いと行けなかった「カムイワッカの滝」の湯にも、もちろん素っ裸で入った。
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by rurou-no | 2007-06-11 16:19 |

薬研(やげん)の湯

本州最北端下北半島へ行ったのは何年前だったろうか。
目的地は半島の最東端にある尻屋崎と最北端にある大間崎、そして霊場恐山。

尻屋崎は、風が吹き抜ける最果ての地というイメージが強い。一面の草原で辺りには何も
建物はない。ただ馬が草を食んでいただけであった。先端に尻屋崎灯台が立つ。
この灯台は東北最初の灯台として、1876年(明治9年)にイギリス人の設計で建てられた。
日本で初めての自家発電による電気式灯台として知られている。

大間崎には灯台はなく、その先にある弁天島に大間崎灯台がある。白と黒の横縞模様が
印象的だ。ちなみに弁天島は弁天神社があるだけの無人島。灯台マニアの同級生 J 君は
島へ渡ったのか、今度聞いてみよう。大間漁港はマグロ一本釣りで話題のところだ。大間は
そこへ辿り着くまでの寂寞とした津軽半島の光景が、地の果てへ向かっている気分にさせる。

霊場恐山はイタコの口寄せで有名である。恐山菩提寺は、高野山 比叡山と並ぶ三大霊場。
恐山へは車でも行けるが、私は山道を歩いて登ることにした。そこで不思議な体感をした。
結界というものがあるのかどうか、ある地点を過ぎた途端に空気が変わった。歩いていたから
こそ感じたのだと思う。身体を包む何かが変わったのである。冷たい風が肌を舐めた。

三途の川を渡ると宇曾利湖があり、極楽浜、賽の河原、血の池地獄、と自然の舞台装置が
出来上がっている。湖の青緑に澄んだ色と硫黄の強い匂い。河原のここかしこに石が積まれ
色鮮やかな赤い風車が回っていた。現実感がなくなってしまいそうになる。寺山修司の映画
「田園に死す」 のシーンがそのままそこにあった。んっ?!映画の中へ入ったのか?

恐山を下りてから、薬研温泉~奥薬研温泉へと向かった。今回は行数が尽きたからこれまで。
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by rurou-no | 2007-06-09 15:49 |

グエル公園

バルセロナ市街を見下ろす丘の中腹にある グエル公園(パルケ・グエル) は、毎日でもそこへ
出かけてのんびりと時間を過ごしたいところである。

アントニ・ガウディ がパトロンのグエル氏から依頼されて、田園都市分譲住宅を建設するため
に1900年から14年もかけて開発・建造されたそうだ。
この広大なる計画の完成をみる前に依頼主グエル氏の死去で、未完のまま22年にバルセロナ
市へ寄贈され公園となった。

奇想の建築家 ガウディの素晴らしさについては、今更言うまでもない。どれだけの言葉を駆使
しても言い表せないほど偉大な足跡を残しているのは、万人が認めるところだろう。
バルセロナへ行った時、まる1日「ガウディの日」と決めて市内に点在するガウディの建築群を
バスに乗って見て回った。最初に訪ねたのがグエル公園だった。

この夢のような公園のことは何から書いていいのか分からないくらい、歩を進めるごとに驚きと
感動の連続でそこから離れられなくなりそうで困ってしまった。
破砕ガラスやモザイクタイルで装飾された波打つ広場のベンチ、植物をモチーフにした柱廊、
壁も柱も斜めに傾いている回廊、絵本に出てくるような建物、そこかしこにあるオブジェ、等々。

その日はその後、サグラダ・ファミリア グエル別邸 カサ・ミラ カサ・バトリョ カサ・カルベット
などを見学したが、時間が経つのも忘れて気が付いたら日が暮れていた。
写真では良く知っているものでも、実際にその場に立ったときの感覚は想像を超えるものがあ
る。そのときのメモや写真が手元にあれば、もっと違った言葉で伝えられたかも知れない。

あの公園の、あのベンチに座って、ひねもす過ごせたらどんなにか幸せだろう。
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by rurou-no | 2007-06-01 11:43 |

谷地頭(やちがしら)

函館にはオートバイで行ったのが先か、電車で行ったのが先か、どちらにしろ20~30年も
前のことになる。青森から青函連絡船に乗り、津軽海峡を越えた。

       函館の青柳町こそかなしけれ
            友の恋歌  矢ぐるまの花


北海道へ近づくにつれ、啄木 の歌が頭の中から離れなくなった。
船の上で、函館に着いたらまず朝市でイカソーメンを食べて腹ごしらえ、そのあとは青柳町へ
行ってみよう と、その日のスケジュールが決まった。

路面電車の谷地頭行きに乗ると、終点の一つ手前が青柳町電停。啄木が函館に住んだのは
僅か4ヶ月余り。この青柳町に「啄木居住地跡」の看板が残されている。
そこから立待岬へ行く途中にあるのが、「石川啄木一族の墓」。歌碑が潮風に吹かれていた。

       東海の  小島の磯の  白砂に
            われ泣きぬれて  蟹とたわむる


立待岬は、風の岬である。津軽海峡の風と波と色と匂いが自然の厳しさを教えてくれる。
太平洋とも日本海とも違う海がそこで波頭を立てていた。

さて、いよいよ今日の本題 「谷地頭」 だ。この変わった地名もいまだに忘れられない。
谷地頭には温泉が湧いていた。市営の谷地頭温泉、ナトリウム・塩化物泉。
湯は茶褐色で、タオルを濡らしたらたちまち薄茶色に変色してしまったので驚いた。

ずっと行きたいと思っていた青柳町は、何の変哲もないどこにでもある住宅地であった。
それでいい。その地に立って、その町の空気を吸えたらそれでいいのだ。
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by rurou-no | 2007-05-17 14:11 |


一瞬を、永遠に
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