一所不住



カテゴリ:映画( 67 )


千畝(ちうね)さんとセンポ

杉原千畝を題材にした映画が出来たのは知っていたが、タイトルや監督、主演など基本的情報を知らないままだった映画 『杉原千畝』 を観てきた。20年以上も前に観た 『シンドラーのリスト』 みたいな映画なんやろ、と勝手に思いながらスクリーンを見つめる。
結論から言うと、いかにもハリウッド的作品だった『シンドラー』よりも好感が持てる内容だった。

監督はチェリン・グラック、主演は唐沢寿明。恥ずかしながら2人ともよく知らなかった。主演俳優はテレビのCMで見かけたことがある程度で、おかげで斜に構えず作品と向き合えた。
日中戦争から太平洋戦争と、戦時下における外交官の姿を描くには、時代背景が劇的に過ぎて散漫な印象を受けかねない難しさがある。

ましてや諜報活動に長け、情報収集を主とした外交官であった杉原千畝は、本心を捉えにくい人物であったろうと思う。そういう意味では、二枚目俳優が演じた主人公は、陰の部分(裏の顔)を表現できなかった点において物足りなかったものの、好演していた。

映画は、ナチスに追われたユダヤ人難民を助けるために、日本を通過するビザを発行した「センポ」と呼ばれた外交官の人道的行為に焦点を絞っていた。
この映画に好感が持てたのは、単に1人のヒーローを賛美するに止まらず、多くの人の気持ちと行為がバトンタッチされたからこそ、6千人の命が救われた経緯を丁寧に描いていたこと。
そして監督の映画と千畝その人への敬意、真摯な姿勢が伝わってきたことである。

あの時代にリスクを覚悟で、自分の問題として難民救援に動いた大勢の人びとがいた。
翻って今、わが国は難民に門を閉ざしたまま、受け入れようとしない。人道的精神に欠け、全体主義国家へ邁進する政府を支持する国民の姿は、外国の人にはどう映るのやろ。
杉原や根井のように、気骨ある役人が現われる余地もないのか。

世知辛い世の中になったもんや。「いい人」ぶる、篤志家を気取る人が増えた割りに、現実は弱者は切り捨てられ、生死の瀬戸際まで追い詰められている。
杉原さんも「当たり前のことをしただけ」と話したそうだ。この「当たり前」が通じないから危うい。
肝は「人の世話をする、何も求めない」である。
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by rurou-no | 2016-02-25 13:26 | 映画

見てきたような嘘をつき

このあいだまで解読していた古文書は某大名家の興亡の記録だったが、合戦の様子を事細かに書き残しており、どこで見てたんやと突っ込みを入れながら、なかなかに楽しい作業だった。
いわゆる軍記物の類で、声に出して読むと講釈師の気分が味わえるというもの。
「講釈師、見てきたような嘘をつき」やね。

同じように「活動屋、見てきたような嘘をつき」という言い方も成立するのではないか。
歴史的な出来事を題材にしていても、映画はあくまでも作り物であって事実とは違う。
いわば、いかに上手に嘘をつくかが問われるのだ。そこを勘違いされると困ったことになる。

『海難1890』を見てきた。日ごろ映画をよく見る人には、何の驚きもなく平板でつまらん映画やった、というのがおおむね共通した感想であると思う。一方、話題作しか見ない人には、キーワードの「真心」に感動する自分に十分酔えるものだったかもしれない。映画をどう見るかは自由や。

では、ネタにされた側の立場はどうか?他人事として一般論で話せないので直截的な物言いになってしまうが、この映画に侮辱されたような心持ちだ。善意という名の悪意すら感じた。
あくまでも禿頭ジジイの受け取り方であって、樫野の人にも様々な感想があるはず。

映画の中で、トルコの軍艦が樫野の磯で座礁し乗組員を樫野の人たちが助けた、戦時下のイランに取り残された日本人をトルコ航空機が救出した、この2点だけは事実である。

軍艦エルトゥールル号が座礁するまでのシーンはCGとスタジオ撮影のため、ありきたりの描写になってしまったが、ここは退屈でも我慢して見るところ。
樫野編。ふだんから漁師は朝が早いので夜も早い。嵐の夜は雨戸を閉てじっとしている。半農半漁の倹しい暮らしだ。酒を飲んで騒ぐなんて特別な日に限っていた。そんな漁民の生活を愚弄するような描き方はどういう意図があってのことなのか。

総出の救助や手当て、貧しい暮らしにあっても食べ物や着る物を惜しみなく与える無私の行為は、海の民としての本能的なものだった。それ以前から難破する船がたびたびあって、ずっとそうしてきた。「当たり前のことをしただけ」と誰もが口を揃えた。たとえ外国人であっても同胞であり、海難は自分の身に起こったことだった。そうでなければ、200余人の遺体を40メートルの断崖を引き揚げて手厚く葬るなんてことはできない。「美談」などの通俗的な言葉で括れないのだ。

そこにありもしなかった遊郭が出てくるのも、了見が理解できない。映画に必要なかった。
当時の記録で樫野は59戸303人の僻辺の地である。「村」ですらない離島の集落だった。
山道を8キロ歩いた大島に遊郭が出来たのは16年後の1906年のこと(前年12月和歌山県議会で公娼制度を設置)。風待ち潮がかりで寄港する商船の商人や船乗り相手の娼家だった。
郷土史家の濵健吾さん(故人)によると、3代目おゆきさんが大島のサンベ(三兵衛)の家へ奉公に来たのは1892年の15歳の時。1890年は2代目と3代目おゆきさんとの空白期に当たる。

串本町内にオープンセットを組んで撮影したと聞くが、この地の風や光、時化の海などスクリーンからまったく伝わってこなくて、全部スタジオで撮ったように見えた。現地ロケはその地の気候風土を映しとらないと意味がない。役者の科白も含めて、どこか別の土地の話みたいだった。

残念だったのはテヘラン空港の救出編。実は、これがこの映画の山場になるやろと思っていた。
空爆下、生死の保障がない中にあって自分を救い出してくれる席を、なぜ譲れたのか?
これは樫野の漁民の、考えるより先にからだが動いていた、とは対極の理知的な行動である。

どのように説得され、論理的な判断ができたのか、その言葉を聞きたかった。
言葉のプロとしての脚本家の腕の見せ所だ。言葉の力に涙腺が緩むかもしれないと思っていたのに、あれっと肩透かしをくらってしまった。納得できる説明がないまま、あの日本人を助けましょう、そうしましょう、ってあんまりや。それじゃ、危険な陸路を脱出してくれたトルコの人たちに失礼やないか。テキトーにもほどがある。

日曜日に見た冗長な映画のことをつらつら書いているうち、いつもの倍の分量になってしもた。
映画は下手な嘘ばかりだったせいで、ご先祖さんの行いまで嘘っぽくされてしまった。
いったい監督は何をしたかったのやら?こんな質の低いものしか作れないなんて恥を知るべし。
やっぱり嘘は上手についてもらわないと。
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by rurou-no | 2015-12-10 12:01 | 映画

眠る男

不思議な映画だった。小栗康平監督作品の1996年に公開された映画 『眠る男』 。
韓国人俳優、安聖基が演じる主人公はずっと眠ったままで、中途に亡くなってしまう。
日本人の役所広司演じる友人やインドネシア人のクリスティン・ハキム演じる出稼ぎ労働者ら、残された人によって男の人生が明らかにされ、山間の小さな村の暮らしや自然豊かな四季の移ろいが、静かに綴られる幻想的な物語である。

小栗康平は、宮本輝原作『泥の河』(81)、李恢成原作『伽耶子のために』(84)、島尾敏雄原作『死の棘』(90)に続く、寡作家本人4作目の映画である。
前3作は小説として完成されたものであり映像化は難しいとされていたが、果敢に取り組み独自の世界観を提出した。信頼できる監督リストに加えたのは言うまでもない。

初めてのオリジナル脚本となった本作は、群馬県が全面出資して前橋市出身の監督に撮らせたものだ。そのせいか、執拗に「人間」を追いかける監督には意外なほど美しい風景が随所に挟み込まれていたのは、スポンサー向けのサービスと解釈してご愛嬌。眠り続ける男の鼻の穴から虫が這い出て飛び去っていくシーンなど、こだわりの本領発揮、面目躍如であった。

と、20年前に観たきりの映画を断片的とはいえ、こうして語れるのは映画の力だと思う。
映画館の暗闇でスクリーンに投影される光の中に広がる夢の世界、想像力を喚起し感情を豊かに育むのが映画をはじめとして、文学、音楽、演劇、絵画など芸術作品の役割である。
また外国人が羨むほど質の高さを誇る技術製品や生活用品、アニメなどが異文化の理解を深める助けになるし親しみを覚える効果を発揮する。ミサイルを凌ぐ抑止力となるのである。

昨日28日は、52年サンフランシスコ講和条約によって日本の主権回復と引き換えにアメリカへ差し出された沖縄の「屈辱の日」だった。この屈辱は62年後も続いているとしか思えない。
折りしもこの国の首相はアメリカのいいなりに、米軍の先兵となって戦争をする約束を米大統領と交わした。国と国民の命を引き換えにする見返りは、いったい何なんや。

眠ったふりで余生をやり過ごすには不穏な空気がそれを許さない。ジジイのボヤキの種だ。
25日にはネパールで大地震が発生した。地球に大変動期がやってきている。
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by rurou-no | 2015-04-29 12:05 | 映画

「怪優」と呼ばれた人

三国連太郎さんが亡くなったそうだ。
16日付新聞によると <「飢餓海峡」から「釣りバカ日誌」まで幅広く味わいのある演技を見せた俳優の三国連太郎(みくに・れんたろう、本名佐藤政雄〈さとう・まさお〉さんが14日午前9時18分、急性呼吸不全のため死去した。90歳だった。>

映画は監督名で観ていた小生にとって、俳優名で映画館へ足を運んだ数少ない中に三国連太郎がいた。その役作りへの姿勢が常軌を逸するほどであることから、「怪優」「奇人」といわれた。
スクリーンを通してさえそのただならぬ雰囲気は感じられ、役を演じているというよりも、役を生きていると思わせるほど真に迫った芝居を見せていた。

引き続き引用 <1951年、木下恵介監督の「善魔」で三国連太郎という新聞記者役でデビュー。役名をそのまま芸名にした。二枚目として売り出されたが、まもなく強い個性を生かした性格俳優に転じ、内田吐夢監督の「飢餓海峡」では冷徹な殺人犯、今村昌平監督の「神々の深き欲望」では南の小島で生きる男を演じるなど、社会派映画や文芸作品、コメディーなどに幅広く出演。テレビや舞台でも活躍した。>

養父が被差別部落出身という複雑な実人生から、差別や不条理が存在する社会への怒り、自らの体験による戦争に対するすさまじい憎悪があったという。社会派作品とされる映画への積極的な出演も、そうしたものが根底にあったからだろう。

前出作品のほかに印象に残る映画を挙げると、『荷車の歌』(59、山本薩夫)、『飼育』(61、大島渚)、『破戒』(62、市川崑)、『越後つついし親不知』(64、今井正)、『にっぽん泥棒物語』(65、山本薩夫)、『怪談』(65、小林正樹)、『襤褸の旗』(74、吉村公三郎)、『金環蝕』(75、山本薩夫)、『復讐するは我にあり』(79、今村昌平)、『ひかりごけ』(92、熊井啓)など。

『警察日記』(55、久松静児)は、「二枚目俳優」当時に出演した古きよき時代の喜劇だ。森繁久弥、十朱久雄、東野英治郎、左卜全、三木のり平、伊藤雄之助、宍戸錠(新人)、沢村貞子、杉村春子、飯田蝶子ら錚々たる共演者に囲まれて、美青年の警察官役が似合っていた。
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by rurou-no | 2013-04-18 15:09 | 映画

スワロウテイル

前回久しぶりに映画のことを書いていたら、いったいいつの時代や!と自分にツッコミを入れたくなるほど、むかしばなしになってしまっているのに気が付いた。
しょうがない。映画館が1軒もない田舎の町で暮らしていると、必然的にこうなるのだ。
思い出の中で生きているように受け取られるのは不本意である。決してそんなつもりやない。

と、引き続き映画のタイトルをしりとりして『スケアクロウ』。
1973年、ジェリー・シャッツバーグ監督作品。主演はジーン・ハックマンとアル・パチーノ。
数年ぶりに刑務所を出所した男と、長い航海から帰った男が偶然出会って意気投合し、それぞれの目的地へともに向かうロード・ムービー。金沢市の香林坊にあった映画館で観た。

ジーン・ハックマンは英国系アメリカ人で、『俺たちに明日はない』(67)、『フレンチ・コネクション』(71)、『ポセイドン・アドベンチャー』(72)などに出演。
アル・パチーノはイタリア系アメリカ人で、『ゴッド・ファーザー』(72)、『セルピコ』(73』、『狼たちの午後』(75)などに出演していた。

『俺たちに明日はない』=原題『ボニーとクライド』(アーサー・ペン監督)は、アメリカン・ニューシネマの嚆矢をなす作品であり、『卒業』(67、マイク・ニコルズ)、『ワイルドバンチ』(68、サム・ペキンパー)、『イージー・ライダー』(69、デニス・ホッパー)、『明日に向かって撃て』(69、ジョージ・ロイ・ヒル)、『真夜中のカウボーイ』(69、ジョン・シュレシンジャー)など、新しい米映画の潮流を示した。

ここまできたところで、『スケアクロウ』は前にも取り上げたかもしれぬと調べたら案の定あった。
急遽タイトル変更で『スワロウテイル』。これは岩井俊二監督、96年の作品。移民たちを主人公にした無国籍風な映画でなかなか面白っかた。岩井監督は『Undo』(94)、『Love Letter』(95)、『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』(95)、など観た。

やっと最近の若手監督やと安心したら、もう20年近く前になるやないか。
やっぱり古いけど、こんなジジイやさかいにしゃぁないってことで。
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by rurou-no | 2013-03-04 11:17 | 映画

パリ、テキサス

最初、映画のタイトルが 『パリ、テキサス』 とあるのを見て、フランスのパリとアメリカのテキサスが舞台になっているのかと勘違いしていた。内容はともかく、ヴィム・ヴェンダースの作品だから見逃せないと映画館へ足を運んだところ、ヴェンダースの映像とライ・クーダーの音楽がクールで(かっこよくて)ぶっ飛んでしまった。

ヴィム・ヴェンダースはドイツ・デュッセルドルフ出身の映画監督で、ニュー・ジャーマン・シネマ(ファスビンダー、ヘルツォーク、シュレンドルフ、ら)の旗手として知られる。
『ことの次第』(82) 『東京画』(85) 『ベルリン・天使の詩』(87) 『リスボン物語』(94) 『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』(99) など撮っている。『パリ、テキサス』は1984年作品。

砂漠を彷徨する主人公トラヴィス(ハリー・ディーン・スタントン)が向かっていたのは、フランスではなくテキサス州にあるパリ。途中のガソリンスタンドで水を飲んで倒れてしまう。
男と女は強すぎる愛ゆえに生じた行き違いから、男は出奔する。数年ぶりの再会は女が働く「のぞき部屋」の客としてだった。マジックミラー越しに互いの思いを語り合う。

ストーリーを追うより、乾いた映像と音楽に感覚のすべてを預けてしまいたい、目と耳を集中させ全身でまるごと受け入れると至福の時間を過ごせる、そんな映画だった。

トラヴィスの妻ジェーン役が 『テス』(79) のナスターシャ・キンスキー。父のクラウス・キンスキー、娘のソーニャ・キンスキーと3代にわたっての映画人である。このソーニャは村上春樹の小説を映画化した 『神の子どもたちはみな踊る』 に出演していた(これは観ていない)。

ほかにも、イチオシのアメリカ人監督ジム・ジャーッムッシュの 『パーマネント・バケーション』(80) 『ストレンジャー・ザン・パラダイス』(84) 『ダウン・バイ・ロー』(86) 3本ともに出演し、役者としても抜群のセンスを見せたジョン・ルーリーが顔を出していたはずだ。

映画音楽不朽の名曲、ライ・クーダーの音楽は時を超えて記憶に残る。
四半世紀以上前に観た映画だけど、強烈な印象で忘れられない。
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by rurou-no | 2013-02-28 15:38 | 映画

瞼を濡らして

こんな映画で泣くなんて。感動させようとする魂胆が見え見えの製作者の企みにまんまと乗せられてしまい、瞼どころか頬まで濡らす羽目となった。
正月の3日、2ヶ月遅れで『北のカナリアたち』を観た。やっぱり大スター吉永小百合のための映画だった。驚いたのは回想シーン(40歳)を演じても違和感なく若々しかったこと。
ほんま化け物(いい意味で)や。

原案となった湊かなえの短編はそれほどの作品ではなかったが、舞台を北海道の離島に設定して脚本の那須真知子が大胆に書き換えた。そして花々が一斉に咲き乱れる初夏と、猛吹雪に凍てつく真冬の風景を撮影の木村大作が写し撮った。あとは阪本順治監督の腕の見せ所だったが。

阪本監督作品は『どついたるねん』をはじめとする初期の勢い、『KT』の鋭い切れ味などいい線をいっていたのに、『大鹿村騒動記』では病身の原田芳雄に遠慮していたのか、未消化な印象が拭えなかった。今回にしても、これぞ阪本映画と思わせるところをあまり感じられず、スクリーンでは木村カメラマンの「絵」がドラマを際立たせていたように思う。

さて、どこで泣いたかというと、始まって間もなく子どもたちが『カリンカ』を歌うシーン。その歌声に思わず落涙してしまった。あとはもう何度ウルウルしたことか。子どもたちが良かった。大人になった元子どもたちも良かった。はる先生のシーン(旦那や恋人)をカットして、もっと6人の子どもたちをじっくり描いて欲しかった。タイトルどおり、北のカナリアたち6人の映画にするべきだった。

そうすれば、若手俳優たちの代表作になったかもしれない。それほど、それぞれがしっかりと芝居をしていた。特に、森山未来と満島ひかり、初見の2人に目を奪われた。

と、ここまで書いて、この映画は「吉永小百合の映画」を撮るために作られた映画だったことを思い出した。そういう意味では過不足なく、カナリアたちのおかげでいい作品に仕上がっていた。
年齢とともに涙腺が緩くなってきているとはいえ、こんなに泣かせられるとは想定外だった。
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by rurou-no | 2013-01-07 13:00 | 映画

離散のちピクニック

明治時代より、仕事を求めて海外へ移住し成功を収めたこの地方出身者が多くいた。町内でもハワイへ漁法を伝えた人、あるいはオーストラリアの木曜島で潜水作業に従事した人、そしてアメリカ大陸へ渡った人など、移民史として伝えられている。

おととい(1日)の夜、田原山村交流センターでドキュメンタリー映画の上映があった。
デビット・メッツェラー監督作品「古里:失われた村、ターミナル島」(2007年)は、戦前まで約3千人が暮らす日系人コミュニティーを形成していたが、日本軍による真珠湾攻撃の直後、漁業をしていた男たちはスパイの疑いでFBIに連行され、缶詰工場で働いていた女たちと残された子どもたちは強制収容所へ送られて、建物はすべて破壊されそこに町があった痕跡すら跡形もなくなってしまったターミナル島の歴史を掘り起こしたものだ。

アメリカ生まれの二世の証言を中心に、「ターミナル島は楽園だった」(浜崎さん談)「何でも揃っていた」島の生活を偲ばせる当時の写真やコンテナヤードとなっている現在のターミナル島、さらに旧島民の会「ターミナル・アイランダーズ」の年中行事であるピクニックの様子など伝えている。
上映の前に、田原へ里帰り中の二世、チャーリー浜崎さんが軽妙な話で盛り上げてくれた。

ターミナル島はカリフォルニア州ロングビーチの西、ロサンゼルス港の入口付近にあるという。
カリフォルニアへ移民した人たちは漁業を生計にして成功した、というのはここのことだったのだ。

そういえば記者時代に取材した、田原小学校の「大鈴(おおりん)」は、在米田原人会会長の谷下清蔵氏が1929年(昭和4年)に寄贈したものだと聞いた。昭和5年にターミナル島の小学校長ワリザー氏が田原小学校を訪問し子どもたちと一緒に記念撮影している。この子らはターミナル島生まれの二世で小学校へ通うために一時帰国し、卒業後再渡米したという。

太地町歴史資料室が日本語字幕版を制作してくれたので、貴重な映像を見る機会を得た。
二世の浜崎さんも90歳になるそうだ。映画に登場してインタビューに答えた人もすでに亡くなった人が何人かいるという。歴史を記録する作業は常に時間制限があるのだ。
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by rurou-no | 2012-10-03 10:59 | 映画

手紙

本来なら「絵手紙」となるところだが、しりとりは「て」からなのでそのまま「手紙」となった。
2日の日曜日、健さんの映画『あなたへ』を観に連れ合いと新宮まで出かけた。
亡き妻が遺した2通の手紙。1通には「故郷の海へ散骨してほしい」とあり、もう1通はその地の郵便局で受け取ってほしいとの言づてがあった。

富山県から長崎県まで、亡妻と一緒にドライブするはずだった手作りのキャンピングカーを運転して、約9000キロを旅するロードムービー。
大スター、高倉健のための映画だった。監督は降旗康男。

てっきり森沢明夫の原作小説を映画化したものだと思っていたから、観終わったあと「原作に沿って映画を撮ると、どうしても原作の方が面白いな」と感想を口にした。
ところが小説を再読していた連れ合いが、「映画の脚本を元に小説を書いたんだって」と、文庫本を開いてその記述部分を見せてくれた。

小説を読みながら、主人公が健さんのイメージと重なるので「よっぽど健さんのファンなんやなぁ」と思ってたのは勘違いで、先に映画があったのだ。となると、映画の小説化は成功したということか。

「やっぱり健さんってカッコイイ」と思いたくて見に行ったのに、少し違和感があったのは年齢設定だ。実際に会うとそのオーラで分からなくなるのかもしれないが、客観的にみて健さんは70歳くらいに見える(それでも実年齢より10歳若い)。映画での設定もそれくらいにすればよかった。

回想シーンはカメラを健さんの目線に置いて、妻役の田中裕子だけを登場させる方法もあったと思う。彼女の清らかな笑顔はこの映画を説得力あるものにしていた。
脇役でいい味出してたのは濱崎食堂のおかみさん、余貴美子。『上海バンスキング』以来のファンがここにいますよぅ。そして、大滝秀治の存在感。どちらも舞台出身で芝居がうまい。

それにしても、ロビーのエアコンが寒すぎて、待ち時間は外へ逃げた。客席はロビーよりましだったが、映画を観ている間にからだが冷えてしまい具合が悪くなった。節電の余地はまだある。
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by rurou-no | 2012-09-05 11:29 | 映画

秋のソナタ

暦の上で「小春日和」に当たり、暖かで穏やかな一日である。と、いうよりも暑過ぎないか?
11月だというのに温度計は28度を示していて、小生は半袖のTシャツ姿やど。
アナログからデジタルの時代になったせいなのか、気候にも按配の良さがなくなって角が立つ。
節度をわきまえず、加減もしないでやりたい放題なのは困ったもんや。

ふと、『秋のソナタ』という映画のタイトルが頭に浮かんだ。
田舎暮らしを始めてから、日常的に映画館へ足を運ぶことがなくなったため、このブログにも映画の話題はあまり出てこなくなった。
ご飯を食べるのと同じように映画を観たり音楽を聴いたりして、生きていくのに欠かせないものだったはずが、いつの間にかなくても過ごせるように。多少の禁断症状はあっても、慣れてしまった。

『秋のソナタ』は、名匠イングマール・ベルイマン監督1978年の作品。
主演は銀幕美女列伝に燦然と輝くイングリッド・バーグマン(スウェーデン)と、公私ともにベルイマンのパートナーとして重要な役割を果たしてきたリヴ・ウルマン(ノルウェー)の2人。
北欧実力派美人女優が母と娘に扮し、正面からぶつかり合うシリアスな内容だった。

『カサブランカ』のイングリッド・バーグマンは、ハリウッドで花開いた。
初めてスクリーンで見た時、その美貌に打ちのめされ、北欧こそが美人の産地であると勝手に断定したほどだ。
またベルイマンの映画で確かな演技により深いテーマを体現させたリヴ・ウルマンからは、「知的美女」という新しいカテゴリーを教えてもらい、美人の定義が広がった。

どちらにせよ、まだ20代。新しい情報を貪欲に仕入れようと躍起になっていたころだ。
毎日が新鮮で常に更新を繰り返していた。誰にでもそんな時期はあるのだろう。
それから倍の年齢を数えて、随分と様変わりした。今は今で、よき日々ではあるが。
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by rurou-no | 2011-11-07 14:26 | 映画


一瞬を、永遠に
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