一所不住



カテゴリ:芸( 44 )


けんげしゃ茶屋

前回告知どおり冬になった。この週末からまた夏になるそうだ。「三寒四温」「花冷え」なんて季節を表す言葉も、傍若無人の気象に追い払われて居場所を失ったのかもしれない。

上方落語の、というよりも上方芸能を象徴する存在であった桂米朝さんが、19日に亡くなったそうだ。89歳だった。今日、告別式が行われているはずである。

上方落語を愛好し、一時期は米朝一門が出演する落語会へ頻繁に出かけていた禿頭ジジイとして、ここはやはり落語の葬儀ネタ?で追悼したい。
2回続けて葬儀ネタやなんて縁起でもない、と思われるのはごもっとも。
ところが米朝噺の一席は、茶屋遊びに飽きた旦那が趣向を変えて楽しもうと、正月に馴染みの茶屋で葬礼のいたずらを仕掛けるというもの。

「けんげしゃ」とはゲンをかつぐ人のこと。マクラで語句の解説があってからネタに入る。
旦那がけんげしゃの茶屋へ出かけ新年のお祝いを聞く間もなく、茶屋の母娘が死んだ夢を見たと話し出す。そしてことごとくをゲンの悪いほうへもっていこうとする。

屠蘇を土葬、おせちの黒豆は苦労豆、数の子は貧乏の子沢山、昆布巻きは棺巻き、「棺巻きてなんでんねん」「棺桶を布で巻くやろ、中から死人(しにん)が顔を出してる」「ニシンでんがな、嫌やわぁ」・・・
「初詣で天満の天神さんへ行きたいなぁて」「菅原道真公、あの人は無実の罪を着て大宰府へ流されて1人寂しゅぅ死んだ」「木津の大黒さんへ行きまひょか」「大黒さんは大きに黒ぅ(くろう)すると書くなぁ」「戎っさんにするわ」「戎っさんは耳が遠ぉて目が近い」

そこへ前日の打ち合わせどおり葬礼の行列がやってくる。「冥土から死人(めぇどからしぶと)が迎えに来ました」「京都の御影堂(めぇど)に住む渋谷藤兵衛、略して渋藤(しぶと)や」
ミナミの芸妓衆、一竜と芝竜へは「生霊と死霊かいな」、絹松と小伝は「死ぬ松に香典か?」

徹底して縁起の悪い言葉遊びに終始する一席である。
最後は幇間が「あー、めでたいっ」としくじって、サゲとなる。
米朝さんといえば 『地獄八景亡者戯』 。あの世でも亡者たちを笑わしてるやろな。
[PR]
by rurou-no | 2015-03-25 14:27 |

やるまいぞやるまいぞ

「狂言は室町時代の吉本新喜劇です」とは、茂山家の面々が「狂言」をわかりやすく説明するときに使う常套句だ。わかりやす過ぎて、初心者でも簡単に垣根を越えて入っていける。

室町時代は外国との交易も盛んになり、公家中心だった文化に対して、新しい町衆文化の台頭があった。権力者となった新興の武家も文化を嗜むようになり、さまざまな芸術・芸能が勃興した。
それは「室町ルネッサンス」と呼ばれ、普遍的な美意識が形成され花開いた時代であった。

7世紀ごろ中国大陸から伝わったとされる「伎楽」や奈良時代の「散楽」が平安時代に「猿楽」となり、室町時代には足利義満に庇護された観阿弥、世阿弥親子が今日ある能楽を完成させた。
そして「猿楽」の道化部分、お笑い担当の台詞劇が「狂言」となった。

と、まぁ歴史の勉強みたいになってしまったのは、タイトルを書いてから本文の内容がなかなか思いつかなかったので、苦し紛れの仕儀である。こんな日もあろう。

最近読んだ 安部龍太郎 『等伯』 は、この「室町文化」に続く「桃山文化」の華、長谷川等伯が主人公で、少し前に読んだ 山本兼一 『利休にたずねよ』 もこの時代。どちらも興味深い小説だった。

さて、今回のタイトルは、狂言の約束事の一つ。芝居が終わって橋掛かりから揚幕へ引っ込むときに(「追いたて」とも「追い込み」ともいう)、「やるまいぞやるまいぞ」と言いながらハケるのだ。
「終わったで」と合図しているようなものと考えてよい。

芝居を始めるときは、「これはこのあたりにすまいいたすものでござる」と自己紹介(「ここら辺の者や」と言っているだけ)をするのもお約束。「吉本」とは言いえて妙、とにかくわかりやすい。
数百年も連綿と受け継がれている芸能、ってなんかすごいことやと改めて思う。

学校で習った「日本史」なんて、「〇〇時代」という区分が表すとおり「権力者史」でしかないから、あまり身が入らなかった。違った視点でもう一度学び直せたら面白いやろな。
[PR]
by rurou-no | 2013-05-30 15:10 |

喜色満面の好々爺

またしても訃報である。24日付朝日 <おおらかな芸と人柄で愛された、狂言の人間国宝で文化勲章受章者の四世茂山千作(しげやま・せんさく、本名茂山七五三〈しげやま・しめ〉さんが23日午前0時15分、肺がんのため死去した。93歳だった。>

その舞台に接した人はだれもが口をそろえる、「出てきただけで大笑いしてしもた」と。
劇場であればなおのこと、堅苦しい能楽堂にあっても、それまでの雰囲気を一変させる天性の狂言師だった。喜色満面、おおらかな芸風は一瞬にして人を虜にしてしまう、不思議な力があった。

12世千五郎を名乗っていたころに、何度か観る機会を得た。
茂山家は京都なので、大蔵流の狂言は身近にあった。「お豆腐狂言」を標榜してたから、怪しげで風変わりな恰好の若造でも敷居を気にすることなく気軽に足を運べ、ファンを自称できたのである。

そろそろ出番や、と思うだけで笑いがこみ上げてくる。千五郎さんが登場した途端、堰を切ったように笑いがからだの中からどんどんあふれ出て止まらない。その姿が舞台から消えるまでの間、心からしあわせな気分にひたれる至福のひとときを過ごせるのだ。

「笑いの神」が降りてきた、といっても過言ではなかった。そこにいる人はみんな喜色満面の笑顔を自分のものにできるのだから。
能楽界の枠を飛び超えて幅広く活躍した千五郎さんは、役者だけでなく企画・演出にも異能の才を発揮した弟の千之丞さんとともに、二人三脚で今日ある狂言の隆盛を築いた。

芸というのは、存在そのものでもあるので、生きているうちにしかその人の芸は味わえない。
あとに続くものがどれだけ、その真髄を継承していけるのか、である。

そして私たちは見巧者としての力を磨くことで、関わっていけるかもしれない。だけど、今の自分にはそれすら叶わぬ現実がある。千作さんの「スーパー狂言」もとうとう見られなかった。
「至宝」を失ってからでは遅い。与えられた時間は限られている。
[PR]
by rurou-no | 2013-05-27 14:45 |

冥土の飛脚

しもた! 「め」は最近出たばかりやった。と、気がついたのは前回投稿途中だった。
思いつくままタイトルをしりとりして、それに関する内容をある程度の長さの文章にまとめるという、ゲーム感覚の気分でやっているから、時にはこんなこともある。
今さら変えるのもあほらし、とそのまま落語ネタを続けたら、最後は歌舞伎で終わった。

というわけで、今回は歌舞伎流れで 『冥土の飛脚』 。江戸期を代表する狂言作者、近松門左衛門が人形浄瑠璃として書いた傑作である。歌舞伎では 『恋飛脚大和往来』 (こいのたよりやまとおうらい)という外題が定着しているが、ややこしい外題より 『梅川忠兵衛』 のほうが通じる。

秋元松代 作、蜷川幸雄 演出で舞台化された 『近松心中物語』 は、この『冥土の飛脚』 がベースとなった。また北野武監督の映画 『Dolls』 もこれを下敷きにしていたのではなかったか。

飛脚問屋の跡取り養子である忠兵衛は、新町の遊女梅川と馴染んで遊興費にも事欠くようになる。そんなある日、梅川の身請け話が持ち上がり、忠兵衛は友人の八右衛門へ届けるはずの為替金五十両を身請けの手付けとして着服してしまう。八右衛門から五十両の催促をされた忠兵衛は、お屋敷へ届けるため懐にあった為替金三百両の封を切ってしまう。封印切りは死罪であった。
梅川と忠兵衛は手に手をとって、忠兵衛の生まれ里である大和新口村へ逃げのびるが、やがて追っ手に追い詰められる。


少し前、片岡愛之助のことを書こうとして取り上げた 『新口村』 はこの芝居の三段目に当たる。
上方歌舞伎ならではの世話物で、忠兵衛のたよりなさや八右衛門とのアドリブを交えた丁々発止のやりとり、男女の悲哀、親子の情愛、雪や遠見の演出など見所は多い。

公金横領は、現代でもしばしばニュースになるほど普遍的なテーマだ。江戸時代は死刑という大罪だったが、近ごろは頻発するようになったせいか、罪が軽くなった気がする。それどころか、たとえば被災地復興費を勝手に横取りしている政治家や官僚は、何の咎めも受けていない。

近松は実際に起きた事件を元にして、数々の名作をものにした。
欲ッタレどもが横行する世知辛い今の世の中で、人情の機微がなくなれば物語も生まれぬ。
[PR]
by rurou-no | 2013-05-13 13:57 |

抜け雀

このところ血圧が高くなってばかりだから少し頭を冷やそうと、上方落語からタイトルを借りた。
わが家の裏は藪になっていて、去年まではスズメやウグイス、ホトトギスなど盛んに啼いていたというが、今年はあまり聞こえないらしい。 『沈黙の春』 が近づいているのかもしれない。
らしい、と頼りないのは、年中蝉を飼っている小生の耳に小鳥の鳴き声はもともと届かないのだ。

『抜け雀』は、路銭を持たない貧乏絵師が小田原の宿で毎日上等な酒を呑んで長逗留したあげく、宿代を支払う段になって一文もないと白状する。代わりに衝立へ雀の絵を描いて去った。
ところが絵の中の雀が毎朝、チィチィ啼きながら絵から抜け出て飛び回っては元の衝立へ戻ってくる。それが評判となり、抜け雀見たさの客が連日押しかけて宿は大繁盛。

ある日、この絵を見に来た老人が「雀はそのうち力尽きて死んでしまうから羽を休められるように」と、雀のそばに鳥かごと止まり木の絵を描いて去った。次の朝飛び出した雀が帰ってきて鳥かごに入り止り木へ。それがまたまた評判を呼んだ。そんなある日、最初に雀の絵を描いた絵師が再訪、衝立の前に立ち鳥かごの絵を描いたのは実の父と知って、自らの慢心と親不孝を詫びた。


この噺はサゲが難しい。「何の親不孝がこざいますかいな」「いや不孝ではあるまいか亭主、親に籠をかかせた」となる。「籠を描く」と「籠を舁く」をかけて、親に籠舁きさせる「逆縁」のことか?

これは文楽と歌舞伎で上演される『双蝶々曲輪日記』(ふたつちょうちょうくるわのにっき)の「橋本の段」からとっている。お客さんも浄瑠璃を知っているのが前提になったサゲである。半可通の小生なんぞは足元にも及ばない、さりげなく当たり前に、知的で粋な娯楽を楽しむ人たちよ。

ちなみに『双蝶々』は、「角力場」と「引窓」が有名だ。「角力場」は、相撲の大関、濡髪長五郎と力自慢の若者、放駒長吉が相撲をとって、贔屓を助けたいために濡髪がわざと負ける。
「引窓」は、人殺しをして追われている濡髪が実家へ立ち寄ったところ、母親の再婚相手の息子が濡髪を捕まえる命を受けていた。実の息子を助けるか義理の息子の手柄を立てさせるか板挟みで悩む母、2人の息子は自らを犠牲にして相手のために互いを思いやる心意気。天窓を開ければ月光が差し込んで部屋が明るくなり、閉めれば闇へと、月の光を象徴的に表現した芝居である。
[PR]
by rurou-no | 2013-05-09 14:21 |

一大事

別にわが家の一大事ではなく、単なる趣味興味の範疇だから他人事になってしまうが、とにかく伝統芸能・歌舞伎と興行会社・松竹の一大事といえよう。
3日、江戸歌舞伎の市川宗家、12代目團十郎が亡くなった。

芝居に関心がない人には、何を大騒ぎしてるのかと思うだろう。世俗的に例えれば、田舎の素封家の主が急死したとしよう。村ではまもなく数十年に一度の大祭が控えており、主はそこで代々世襲を旨とする重要な役を担っていた。幸い跡を継ぐ息子はいるものの、まだ若くて頼りないので任せるには荷が重い。さて、大祭は無事に行なえるのか?そして村の差配は?

旗艦劇場である歌舞伎座が62年ぶりに建て替えられ、4月から杮落とし公演が始まる矢先だった。大名跡・團十郎として、幕開けを飾る舞台を務めるはずだった。世襲の家業が中心で古いしきたりが残る世界ゆえ、新しい歌舞伎座の柱となるべき存在を失うのは大変な事態だ。
これまで何度も危機を乗り越えてきた歌舞伎は、そう簡単に土台が揺らぐことはないだろうが、かたちは取り繕えども看板不足は否めない。

歌舞伎芝居の一ファン、といってももう10年くらい観劇から遠ざかっているし、もっぱら専門誌の写真や番組表を手懸かりに舞台を想像してるだけだから偉そうなことはいえないけど、勘三郎に続いて團十郎と大看板の欠けた舞台は物足りなくて淋しい思いがする。
名前や地位が役者の器量を育てる作用が往々にしてあり、世代交代がこれからの課題となろう。
伝統を重んじ、常に新しいカブキモノの芝居をどんな風に創れるのか、次世代に期待したい。

なんて能書き垂れていると、素封家の別荘の庭仕事を下働きしていた程度の関わりしかないくせに、のんきによそさんを心配するよりあが(自分)の心配せんかい!と叱責されそうだ。
もっとも、わが家の一大事(貧窮)は日常となってしまっているから、清貧(というほど立派なもんではないが)を甘んじて受け入れる心構えは確固としてあり(ってどんなんや)、「明るいビンボー」「豊かなビンボー」を目指すのさ、と空元気全開状態ではいささか情けなく面目ない。
[PR]
by rurou-no | 2013-02-06 11:52 |

しびんの花活け

15日に映画監督の大島渚(80)、19日に元横綱の大鵬(72)と年頭から有名人の訃報が続いた。
子どものころは「柏鵬時代」と重なるし、映画館通いの日々にあっては大島監督の作品が公開されると必ず出かけていた。こうして身近に感じていた人の死に接すると、ついつい禿頭と皺ばかりが目立つわが身を振り返ってしまう。そして功成り名遂げ、確かな足跡を残した人たちと比ぶべくもない現実を目の当たりにして、少しばかり情けなく立ちすくんでしまう。

昨夜、久しぶりに寄席へ行ってきた夢を見たのでタイトルに借りた。はじめは『死人茶屋』にしていたが、アルジェリアで人質にされ戦闘で犠牲になった10人と助かった7人の企業社員が帰国したばかりで不謹慎か、と思いこちらに変えた。どちらにしてもあまり変わりないか。

上方落語『しびんの花活け』は、尿瓶のことを知らない武士が古道具屋の庭の奥で見つけた尿瓶を、珍しい花活けだと思い込み大枚五両で購入した。さっそく花を活けていたところ、出入りの本屋がそれは小便を入れるものだと教えてくれた。立腹した武士は血相を変えて古道具屋へ。あわてた古道具屋は咄嗟に母親が病気で薬代が五両いるからと嘘をついた。話を信じた武士は親孝行に免じて、と許してくれた。サゲは少々難しくて、「五両の五の字も言わずに帰ってしもた。偉い侍やなぁ」「そらそうや、しょんべんはでけん。尿瓶は向こうにあるねん」。
ひやかすだけで買わずに帰ることを「しょんべん」という道具屋の符丁がわからないと笑えない。

物の価値というのは主観的なもので、人それぞれ違って当たり前である。まぁ、気に入ったからと金に糸目をつけないのは懐の温かい人だけで、ビンボー人はコストパフォーマンスの損得と値段を頭の中で電卓を叩いて、さらに明日のごはんの心配にまで考えを巡らせ安心を得たのち、やっと財布を取り出すことになる。ケチと始末の違いははどこらへんにあるのやら。

それに、歳をとると欲しいものがあまりない。物欲がなくなるのか、ビンボーが物欲を押さえつけているのか、どっちなんやろ。
経済的に余裕がないと、なかなか好きなことも出来ないのはそのとおりだ。だけど経済力は生活の豊かさと比例するものでは決してないと思う。
今は映画は見に行けるけど、相撲見物には行けない。せめて相撲見物ができるようになればなぁ。
[PR]
by rurou-no | 2013-01-26 15:38 |

練達の役者

歌舞伎役者の中村勘三郎が、5日に亡くなった。
伝統芸能の世界のみならず、演劇界全体にとって大きな損失であることは、彼を知る人ほど強く感じていることだろう。同世代のトップランナーのひとりだった。

「中村屋の若旦那」の業績は、田舎者の禿頭がわざわざ取り上げるまでもなく、数々のメディアが「追悼」という形でその役を果たしてくれるはずだ。
ある一時期、歌舞伎芝居の裏方として何度もその舞台を見る機会を得た立場から、舞台上の艶姿、舞台袖、そして楽屋で見かけた素顔を思い出し、「悼む人」の真似事でもしてみたい。

一番印象にあるのは、『春興鏡獅子』で大奥の小姓から獅子の精へ早替りの場面、化粧前に貼った祖父である6代目尾上菊五郎の写真を手本に早業で化粧をし直していた姿だ。化粧をしながらも付き人へ次々と指示を出し、段取りの確認をするなど、常に舞台全体に気を配っていた。

歌舞伎は座頭が演出家を兼ね、また役者が代々家に伝わっている「型」によって自らを演出する。
彼は芝居が進行中であっても、舞台袖へ引っ込むと共演者へ「あそこはもうちょっとこうした方がいいよ」と、科白の言い回しや所作を教えたり、「あそこの間合い良かったよ。あの間を忘れないで」と、褒めてその気にさせるなど、とにかくじっとしていないし気を抜かない。

きっぷのよさと面倒見のよさはイメージ通りだし、八面六臂の活躍は、いつ休んでいるんやろと心配になるほどパワフルだった。
華がある舞台を眩しく見ながら、この役者は間違いなく歌舞伎界を背負って立つ大立者になる、「6代目」といえば6代目菊五郎、「9代目」といえば9代目団十郎、というように「18代目」と呼ばれ歴史に残る存在になる、そんな役者をリアルタイムで見ているんや、と思っていた。

「突発性難聴」に続いて「食道がん」に侵され、とうとう舞台復帰は叶わなかった。
歴史に語り継がれるべき役者が、生き急いだ伝説の役者になってしまった。
ここはひとつ「中村屋!」「18代目!」と大向こうを掛けて悼むことにしよう。
[PR]
by rurou-no | 2012-12-08 15:22 |

皿屋敷

『皿屋敷』といえば、お菊さんが皿を「いちま~い、にま~い」と数える怪談物の定番である。
有名なところでは江戸の『番町皿屋敷』と姫路の『播州皿屋敷』があり、講釈や浄瑠璃、歌舞伎などの題材として脚色され上演されてきた。どうやら各地に似たような話があるとか。

小生が最初に知ったのは子どものころ見た映画だった。地区の集会所の役目も果たしていた青年会館(地元では「かいど」と呼ぶ)が臨時の映画館として、主に東映の時代劇映画を上映していた。
当時は町内に常設映画館が2館あったのに、今は車で1時間の新宮(地元では「しんぐう」でなく「しんぐ」)まで行かないとない。時代が新しくなるほど生活が不便になる。

マクラが長くなった。今日の『皿屋敷』は大人になってから聴いた上方落語でおつきあいを。
伊勢参りから帰った松っつぁんが、道中で播州の姫路からやと話したら「あの『皿屋敷』のあるところでんな」と聞かれ、知らずに恥をかいた。物知りの六兵衛さんに尋ねたところ、「それは『車屋敷』のことや」と教えてくれた。さらに今でも井戸から幽霊が出てくるとも。そんならとホンマもんの幽霊みたさに屋敷跡へ出かけようとするが、お菊さんが皿の数を「くま~い」まで数えるのを聞いたら死んでしまうから、「ひちま~い」くらいで逃げて帰ってくるよう念を押される。

その日の夜、遊び仲間揃って車屋敷へ行って皿の数七枚のところでうまく逃げ帰ったが、お菊さんがあまりに別嬪だったものだから次の日も出かけることになった。評判のお菊さん見たさに近郷近在から人が押し寄せるようになり、人がいっぱいで逃げように逃げられなくなったある晩、お菊さんが十八枚まで数えるのを聞いてしまった。「皿が九枚しかないから殺されて恨めしいと出てくるのに、十八枚やてどういうことやねん」と文句いうたら「風邪引いたから2日分よんどいて明日の晩休みまんねん」でサゲとなる。

こうやってあらすじを文字にすると無粋でつまらんが、これが高座にかかればめっぽう面白くなる。なんといっても怪談譚を爆笑のネタにしてしまう噺家さんの芸には恐れ入った。
近ごろ自分の無知を棚に上げて、伝統芸能を経済の論理で語ろうとする無恥な首長がいるが、取り巻きにも六兵衛さんのような、まともな物知りはおらんのかいな。
[PR]
by rurou-no | 2012-09-15 12:33 |

へっつい盗人

久しぶりに上方落語からタイトルをお借りしてお付き合いを。というのもビロウな話で申し訳ないが、わが家は初老に差し掛かった者同士の2人暮らしで、やれ「トイレが近い」だの「なかなかおしっこが出ない」など日常会話で交わすようになってきた。
先日、そんな話をしていて思わず『へっつい盗人』の一節が口から出た。そう、例の「じょんじょろりん、じょんじょろりん」というあれである。

この『へっつい盗人』は、友だちが宿替え(引っ越し)したお祝いにへっついさんを贈ろうと道具屋へ盗人に入るアホな2人の噺だ。
「へっついさん」と言っても近ごろでは通じなくなってきた。「おくどさんやがな」では、ますます迷宮入りしてしまう。「ようするに、かまどのことや」と説明したつもりでも、そのかまどが生活の中にない。噺家は大変やなぁと同情を禁じえない。

落語の舞台となることが多い長屋には、共同の井戸があり水仕事はそこで、煮炊きは各家のかまどで、ということになっていた。トイレも共同便所で、この噺の冒頭に出てくる。
さて、噺の聞きどころはオノマトペ(擬音語、擬態語)である。演じる方も腕の見せどころだ。
へっついさんを盗み出そうとした時に緊張してしょんべんがしたくなった。そのしょんべんの長いこと、長いこと。擬音語を延々と演る。

鈍でおっちょこちょいの2人組なら落語のネタにもなろう。だが、あってはならない事故を起こしたのに事故の実態隠しと責任逃れに汲々とし、倒産すべき会社を救ってもらった(税金で)のをいいことに被害者への賠償から逃げようとするばかりか、テメエらの給料とボーナスのために電気代を値上げしようなんて、盗人猛々しいことこの上ない輩がまかり通っているのは理不尽である。盗人に追い銭くれてやるほど太っ腹にはなれないぞ。

23日、軍用輸送機のオスプレイが岩国基地へ陸揚げされた。10月には沖縄の普天間飛行場へ配備されるという。野田首相は「米政府の方針だから」と。日本は独立国やなかったのか?現政権は様々な局面で保守志向が先鋭化していて、困ったことになってきた。
[PR]
by rurou-no | 2012-07-24 10:59 |


一瞬を、永遠に
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31
以前の記事
カテゴリ
メモ帳
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧