一所不住



カテゴリ:言葉・本( 88 )


恥ずかしや若き日思う本読みて

妙に暑い日が続いて、年の瀬を忘れるほどの気候は、やっぱり変や。
さて、年末恒例(といっても2回やっただけ)の本で振り返る1年。
この1年は傾向として、ときどき新刊本を手にすることはあったものの、再読が多かった。

前半、8月まではとにかく 赤江瀑作品ばかり21冊を数えた。
その合間に 堀江敏幸『燃焼のための習作』や、西加奈子『通天閣』、佐藤泰志『海炭市叙景』など再読し、9月に読んだ新刊 崔実『ジニのパズル』は収穫だった。
10月の再読は、朱川湊人『かたみ歌』、荻原浩『千年樹』、沢木耕太郎『人の砂漠』、五木寛之『風の王国』、堀江敏幸『いつか王寺駅で』など。

11月は再読ばかりで、中道風迅洞『どどいつ入門』、春風亭栄枝『蜀山人狂歌ばなし』、山住昭文『江戸のこばなし』、高木護『辻潤 個に生きる』、一叩人『反戦川柳人 鶴彬』、秋山清『ニヒルとテロル』、高橋新吉『ダダと禅』、森鴎外『ヰタ・セクスアリス』、武者小路実篤『幸福者』。

12月になって、林芙美子『放浪記』、谷崎潤一郎『陰翳礼讃』、川端康成『雪国』、志賀直哉『暗夜行路』、そして今読んでいるのが、田山花袋『田舎教師』。
そうそう、須賀敦子全集から彼女が訳した ジャン・ジオノ『希望をうえて幸福をそだてた男』と、宮沢賢治『虔十公園林』を読み比べてみたことも。

だらだらと再読本ばかり並べてみたのは、読みながら、若いころの自分があまりにも世間知らずで、無鉄砲で、自意識が強かったのを思い出し、恥をかいてばかりの人生やったと感慨深いものがあったから。
特に明治から昭和にかけての文豪の小説は、10代から20代はじめにかけて読んだものだから、性格形成に大きな影響を与えた。中でも『幸福者』の「先生」の清廉な生き方を手本にしようとしたばっかりに、憧れとした無頼派にはなれなかった。

ともあれ、昔読んだ本を書き出すのは、わが身をさらけ出すに等しい感覚である。
まだまだ無知な田舎者の感性を揺さぶった文字列の山は、本棚に控えている。

[PR]
by rurou-no | 2016-12-27 10:58 | 言葉・本

ごいし

「ごいし」といっても囲碁のことではない。「ご」で思い出した方言について。
禿頭爺が生まれ育った地では、「来て」と親しみを込めて呼びかけるときに、「ごいし」または「ごいしよ」と言う。

その生まれ育った地が舞台になった映画で、そりゃ違うでというシーンがあった。
もっとも、映画全体が低レベルのつまらんものであったから、今更ここで取り上げるのも何かと思うのだが、地元の人間として聞き流せなかった。

島の岩礁で座礁・沈没した船の乗組員を島民が助け、手厚い看護で乗組員が元気を取り戻し、言葉は通じなくても心が通い合ってきたころに別れの時が来た、といういかにも映画的なシーンだ。
島民役の出演者らは、ほとんど島のことばを話してなかったのに、その時とってつけたように帰国する異国人へ「また来てくらんしよ」と呼びかけた(禿頭爺はよく聞き取れなかったので、連れ合いに確認)。

「~してくらんし」とは、「~してください」という意味であるが、「来てくらんし」という言い方はあまりしない。日常会話としては微妙なところだ。
これは40年ほど前になろうか、当時の町長がラジオCMで喋ったのが広まった。
それに映画の舞台となった地では「くらんし」でなく「くらいし」と言う。
そしてこのような別れの時には、「また、ごいしよ」という相応しいことばがある。

ことばは生き物で、時代とともに変わっていくことは否定しない。しかしながら土地のことばは、生活に密着して民俗文化を育み、長い間受け継がれてきたものだ。
例えば島の中でも三つの地域でそれぞれことばが違い、さらに禿頭爺が生まれ育った地では、語尾の変化で俗語(タメ口)と敬語を使い分けている。

たかがことば、されどことば。どうでもいいことでありながら、やっぱりちゃんとしておきたいのが、ことばである。ことばが軽んじられてる時代だからこそ、よけいに。
[PR]
by rurou-no | 2016-06-16 13:50 | 言葉・本

択言択行

「択言択行」・・・善悪を区別して選び抜かれるべき言葉と行いのこと。(goo辞書)
大津地裁(山本善彦裁判長)が9日、再稼動した関電高浜原発3、4号機の運転差し止め仮処分決定を出したことにより10日、稼働中の原発が止った。
福島原発事故の原因が解明されないまま新規制基準を定めた規制委の姿勢に不安を覚える、地震・津波への対策や避難計画に疑問が残る、住民らの人格権が侵害されるおそれが高い、と極めて道理にかなった判断を下している。

新聞連載記事『プロメテウスの罠』の中で、若松丈太郎さんの名前が出ていた。「原発事故を予言した詩人」として知られるが、若松さんは「私は予言者ではまったくない。ただ観察して現実を読み解こうとしただけ」と冷静に話す。影響を受けた詩人に金子光晴の名をあげた。
金子光晴 『おっとせい』 (部分抜粋) 
   みわたすかぎり頭をそろえて、拝礼している奴らの群衆のなかで、侮蔑しきったそぶりで、
   ただひとり、反対をむいてすましているやつ、おいら。おっとせいのきらいなおっとせい。

若松丈太郎 『神隠しされた街』 (抜粋)
   四万五千の人びとが二時間のあいだに消えた
   サッカーゲームが終わって競技場から立ち去ったのではない
   人びとの暮らしがひとつの都市からそっくり消えたのだ
  (略)
   鬼ごっこする子どもたちの歓声が/隣人との垣根ごしのあいさつが
   郵便配達夫の自転車のベル音が/ボルシチを煮るにおいが/家々の窓の夜のあかりが
   人びとの暮らしが/地図のうえからプリピャチ市が消えた
  (略)
   原子力発電所中心半径三〇kmゾーンは危険地帯とされ/(略)
   半径三〇kmゾーンといえば/東京電力福島原子力発電所を中心に据えると
   双葉町 大熊町/富岡町 楢葉町/浪江町 広野町/川内村 都路村 葛尾村
   小高町 いわき市北部/そして私の住む原町市がふくまれる/(略)
   私たちが消えるべき先はどこか/私たちはどこに姿を消せばいいのか
  (略)
   ツバメが飛んでいる/ハトが胸をふくらませている/チョウが草花に羽をやすめている
ハエがおちつきなく動いている/蚊柱が回転している/街路樹の葉が風に身をゆだねている
   それなのに/人声のしない都市/人の歩いていない都市
   四万五千の人びとがかくれんぼしている都市/鬼の私は捜しまわる
   
   幼稚園のホールに投げ捨てられた玩具/台所のこんろにかけられたシチュー鍋
   オフィスの机上にひろげたままの書類/ついさっきまで人がいた気配はどこにもあるのに
   日がもう暮れる/鬼の私はとほうに暮れる
   友だちがみんな神隠しにあってしまって/私は広場にひとり立ちつくす
  (略)
   雑草に踏み入れる/雑草に付着していた核種が舞いあがったにちがいない
   肺は核種のまじった空気をとりこんだにちがいない
   神隠しの街は地上にいっそうふえるにちがいない

   私たちの神隠しはきょうかもしれない
   うしろで子どもの声がした気がする/ふりむいてもだれもいない
   なにかが背筋をぞくっと襲う/広場にひとり立ちつくす      (1994年8月)  

[PR]
by rurou-no | 2016-03-17 10:56 | 言葉・本

ポセイドンは海の神

アレルギーとカレンダーは関係あるのやろか?カレンダーが2月1日になるのに合せて、自覚症状を覚えるようになり、徐々に静かに潜行する感じで「その時」を待っていた。そして1枚めくった3月1日、ついに堤防決壊。今年も憂鬱な季節の到来である。

しりとりなんて後先考えずに言葉を発するから面白いのだけど、ときに困ったことになる。
前回「ぽ」で終わるやなんて、とボヤいても自分のせい。そこで先月読んだ書名を拝借して 『ポセイドン変幻』 とするつもりが、「ん」では具合悪い。こうなったらと大風呂敷を広げ、ギリシア神話からタイトルに。ポセイドンは海洋の支配者であると同時に地震を司る神でもある。

2月のある日ふと、赤江瀑を再読してみようと本棚の文庫本を手にとったら止められなくなって、次々と読む羽目になってしまった。
『花酔い』 『オイディプスの刃』 『ニジンスキーの手』 『遠臣たちの翼』 『海峡』 、月が替わって 『妖精たちの回廊』 を読み、続いて 『青帝の鉾』 を読み始めたところだ。

赤江作品に夢中だったのは、主に30代の日々。
「清冽なリリシズム」(ポセイドン)、「妖美華麗なロマンの世界」(オイディプス)、「妖美華麗な蠱惑の作品集」(ニジンスキー)、「妖しいまでの美意識に充ちた」(遠臣)、「妖美の世界に耽溺する魅惑の」(妖精)など、本のカバーに記されたまま、馥郁とした香り、玲瓏たる響き、豊潤なるイメージに満ちた、作家の耽美、絢爛の美意識に心を奪われた。

世阿弥の『花伝書』『花鏡』、歌舞伎役者、ダンサー、石工、漁師、画家、刀剣、鯉、書、刺青、陶、花、など主題となるのは「美」をとことん追求する主人公とその周辺の人びと。異形の者たち。同性愛を思わせるほどの濃密な人間関係。エロスとタナトス。美と死は近縁にあった。
猛毒のジギタリス(花酔い)に、やられてしまったのだと思う。

いつか読み返そうと置いていたのが今になった。30年ぶり、値段は300円台が中心、内容を鮮明に覚えていたのもあれば、すっかり忘れていたのも。まだようけあるけどどないしょ。
音楽も10代、20代のころ耳に馴染んでいたのを聴くことが多くなってきている。
老眼と難聴なにするものぞ、と意気軒昂の老爺か、それとも店じまいの支度か?
[PR]
by rurou-no | 2016-03-03 11:42 | 言葉・本

ヒツジサルにて年越し

大晦日。「ヒツジサル」は「未」と「申」で十二支。十干と合わせて「乙未(きのとひつじ)」「丙申(ひのえさる)」になる。古文書では、日付に「寛政三辛亥年五月六日」などと、十干十二支入りで表記されている場合が多い。

さて、年末恒例の(といっても去年やっただけ)読書で振り返る1年。
今年はとうとう本屋へ足を踏み入れることもなく、つまり一冊も本を買うことなく過ぎてしまった。
読む本といえば、連れ合いが図書館で借りてくる本と、時おり購入する本、そして本棚に並んでいる本の再読、に限られる。
それでも、活字が詰め込まれた紙の重なりは、渇いた喉を潤してくれる美味なる水だった。

1年前に倣って月別ベスト本を挙げるつもりだったが、収穫のなかった月も出てきたので、面白かった本を任意に選んでみようと思う。
1月・又吉直樹 『火花』 文芸誌『文学界』で読む。芸人世界を普遍的なテーマと真摯な筆致で。
   西加奈子 『さくら』 『サラバ!』を世に出した作家は、初期から興味深い作品を書いてた。
2月・黒川博行 『後妻業』 ほぼ同じ内容の後妻業事件が明るみに。事実も小説も奇なり。
   津島佑子 『黄金の夢の歌』 記憶の底にある歌を求めて中央アジアを旅する壮大な物語。
   後藤正治 『清冽 詩人茨木のり子の肖像』 詩人の人物像が清々しく鮮明に立ち現われる。
   池澤夏樹 『池澤夏樹の旅地図』 移動の旅と思索の旅。好奇心と知性が世界を魅力的に。

3月・多和田葉子 『献灯使』 ベルリン在住の著者が描く近未来は、現実にある一面を捉える。
   沢木耕太郎 『世界は”使われなかった人生”で溢れてる』 もう一つの人生はどうだったか。
4月・なし
5月・日本文学全集『中上健次』 唯一無二の作家として中上健次の大きさを再認識した。
   岩瀬成子 『きみは知らないほうがいい』 もっと読まれていい児童文学作家である。
6月・中島京子 『かたづの!』 江戸時代の女大名が戦を避けて領民のために孤軍奮闘する。

7月・柴崎友香 『パノララ』 パノラマ写真に生じる空間の歪み、ズレているのはどっちなんや?
   米澤穂信 『リカーシブル』 ミステリーはあまり読まないのに、この作家はよく読んでいる。
8月・原田マハ 『モダン』 『楽園のカンヴァス』と対をなすような短編集。MoMAが舞台に。
   吉田修一 『森は知っている』 産業スパイ小説。指令に翻弄される少年たちが切ない。
   宮本輝 『田園発港行き自転車』 富山の田園風景の中を自転車で走る爽快感が秀逸。
9月・宮本輝 『水のかたち』 骨董屋で手に入れた手文庫の中にあった壮絶な引き揚げの手記。

10月・乃南アサ 『水曜日の凱歌』 戦中戦後の「女子挺身隊」は国家プロジェクトだった。
11月・内田洋子 『ミラノの太陽、シチリアの月』 珠玉の短編集として読んだ秀麗で上質な随筆。
    津村記久子 『この世にたやすい仕事はない』 ありそうでない真面目仕事小説が笑える。
    長野まゆみ 『冥土あり』 昭和の時代を背景に実直な職人だった亡父の生涯を辿って。
12月・宮下奈都 『羊と鋼の森』 調律師を主人公とした深遠なる音楽の森への誘い。音楽愛。
    森博嗣 『喜嶋先生の静かな世界』 大学院生と研究者の好ましく羨ましい師弟関係。
    
今年最後に読んだのは、梨木香歩 『海うそ』 。豊穣なる物語にどっぷりはまってしまった。
昭和のはじめ、かつて修験道の霊場と大寺院群があった南九州にある離島を調査する地理学者。平家落人伝説があり、明治の廃仏毀釈で打ち壊された痕跡を山の中に見る。
50年後再び訪れた島には橋が架かり、観光地へ作り変えられていく風景を目の当たりにした。
そこで、「喪失とは、私のなかに降り積もる時間が、増えていくことなのだった」との思いに至る。

離島で生まれ育った不肖ジジイには、あまりにも身近な森の中の道行きだった。土や植物、花、木、鳥、獣、小動物、木々の間から差し込む光、獣道を抜けた先に広がる風景、海うそ。
森の匂いまでリアルに嗅ぎ分けられるほど、物語世界を同伴者として一緒に歩いた。
島の生活、民話、民間信仰、風習、地名、ことば等々、民俗誌小説の傑作に出会った充足感に浸っている。
[PR]
by rurou-no | 2015-12-31 11:58 | 言葉・本

聴こえてきたのは森の音

たまたま Secret Garden を聴きながら、宮下奈都 『羊と鋼の森』 を読んでいたら、森の生き物たちの生命が躍動するざわめきが、からだの内部から湧き出てくるような思いにとらわれ、感極まる体験をした。

本はピアノの調律師になった青年の成長物語で、全編にわたって音楽愛溢れる内容となっている。調律師はこの禿頭ジジイも若い頃(があった)に憧れた仕事だっただけに、いつもとは違った小説の読み方になったかもしれない。音の聞き分けはともかく、チューニングハンマーの微妙なさじ加減で一つずつ音を作っていく職人的な作業は好きだし、自分に向いていたとも思う。耳のコンプレックスさえなければ。

主人公の外村に「どんな音を目指していますか?」と聞かれ、調律師の板鳥は原民喜をひいて「明るく静かに澄んで懐かしい文体、少しは甘えているようでありながら、きびしく深いものを湛えている文体、夢のように美しいが、現実のようにたしかな文体」と応えた。
まさに、羊と鋼の深い森の世界である。

紙に綴られた文字が、CDに刻まれた音の連なりが、濁りのない澄んだ水のように真っ直ぐ体の内へ入り込んできて、胸を震わす。たとえ老いた目や安価な再生装置であっても、心に響いた。
では、少し前に見た映画はなんであんなに不快な気持ちを味わったのやろ。

それは作り手の立ち位置、姿勢にあるのではないか。遭難者を助けた行為、異国に取り残された人を救い出した行為に対する敬意がなく、単なる映画の材料として娯楽的に消費してしまうあり方。ある事象から展開する創造力に欠け、ひたすら消費するにまかせている。
結果的に現実の出来事まで底の浅い作り物と同じレベルに貶められた。

前回長くなりすぎたので省略した、医師について考えてみる。映画の主人公だ。
主人公を際立たせるためか、もう1人の医師が出てきて、当時その地にありもしなかった遊郭で遊び呆けている。善玉に対する悪玉としての設定はあまりにも安易で、思わず目を背けてしまった。想像力の貧困さは表現者として致命的である。

医師の名誉のため『沖日記』など当時の記録で確認すると、樫野の小林健斎はまだ夜が明けやらぬうちから怪我人の手当てに奔走し、知らせを受けた大島の松下秀、伊達一郎、川口三十郎の3人はその日の午前中に樫野へ駆けつけ治療に当たった。山越え8キロの道である。松下、伊達両医師は沖周大島村長とともに取るものも取りあえず急行した。川口医師はあまりの怪我人の多さに、第2陣として追いかけた。4人とも不休の治療行為だった。

後日、治療費の照会に大島の医師3人は連名で「元々それを請求する気持ちはなく、ただ痛ましい遭難者を心から気の毒に思い、ひたすら救助一途の人道主義的精神の発露に過ぎず、薬価および治療代は義捐致したく存じます」と寄付を申し出ている。
樫野の小林医師も斉藤半之右衛門樫野区長を通じ沖村長へ、治療代の寄付を申し出た。
遭難者の救助や看護、食べ物や着物など惜しみなく提供した島の人びとと同じように、医師たちもそれぞれ篤志の人物だった。
[PR]
by rurou-no | 2015-12-17 17:25 | 言葉・本

むかしからムラカミ

「(小説を書くことは)1人カキフライに似ている」と、郡山市で開かれた文学イベントで語ったそうだ。今や世界的な小説家となった村上春樹による、そのまんまムラカミ語録である。

先日、村上本としては『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』以来久々に連れ合いが図書館から借りてきてくれたのが、『職業としての小説家』。これは講演形式の随筆集だった。
その中でデビュー作の『風の歌を聴け』について、はじめに英語で創作してそれを翻訳したというようなことが書かれていたので、改めて本棚から件の本を出して読んでみた。

確かに、アメリカ文学の影響を強く感じたのが、その英語での創作もひとつの要因だったのかもしれない。今読み返して、初読のときと同じスノッブな内容が鼻につくイヤァな感じは変わらないのには笑えた。ただ新しいスタイルの小説であることが気になっていて、『1973年のピンボール』 『羊をめぐる冒険』と追いかけてみたけど、ムラカミ的なものへの興味は持続しなかった。

いつからまた読み出したんやろか。中年のオッサンともなれば許容量も少しばかり増え、若いころは辟易していたスノッブさにも「はいはい、それで?」と余裕で対応できるようになったせいでもある。そうなるとなかなかに読みやすく読み応えもあってとなるのだが、『多崎』くんは「若書き」に戻ったみたいで共感できなかった。

比喩や隠喩、アナロジーに富んだ文章こそ村上さんの真骨頂だと思うが、どやろか。
今日ある成功は、戦略的なニューヨーク進出と外国語に翻訳しやすい文体という側面もあった。
良きにつけ悪しきにつけ村上はムラカミで変わらないし、それを受け入れるかどうかは読者や。
今回は「む」から始まる語句に困って、無理やり御大ムラカミに登場願った次第であった。

水木しげるさんが亡くなった。
《「ゲゲゲの鬼太郎」などの作品でしられる漫画家の水木しげる(みずき・しげる、本名武良茂=むら・しげる)さんが、30日午前7時18分、多臓器不全のため東京都内の病院で死去した。93歳だった。》(朝日一面カタより)
水木しげるの漫画は、主に『ガロ』で親しんだ。また、妖怪世界の面白さを教えてもらった。
[PR]
by rurou-no | 2015-12-03 12:03 | 言葉・本

斟酌と忖度と空気を読む

「しんしゃく」と「そんたく」は語感が似ていて、意味も似たところがあると思うので、改めて新明解さんに登場してもらった。 【斟酌】①先方の事情を考慮に入れ・る〔て穏便に取りはからう〕こと。(以下略) 【忖度】「他人の気持ちをおしはかる」意の漢語的表現。 【空気を読む】昭和49年11月発行の新明解国語辞典第二版にはこの語はない。

わざわざややこしぃ漢字を並べたのも、先月下旬「空気を読んでいては、空気は変わらないんです」と話す大澤芙実さんの姿に胸を打たれたからだ。いつの頃からか、この「空気を読む」という同調圧力を含む嫌な言い方が流行語になっていて、穏やかならぬ心持になっていた。
そんな鬱屈を大学2年生の彼女が的確な言葉で晴らしてくれた。

大澤さんの発言は、10月25日法政大学で開かれたシンポジウムでのこと。ネットの動画を見て恥ずかしながら感極まってしまった。彼女の一言一言が老爺の心に響いてきたのだ。
一部抜書きすることを許していただきたい。「草案では、国家権力を縛るための憲法が私たちを縛ろうとしていますが、中身のない言葉ではもう私たちを動かすことはできません。それは、この夏、心を持つ私たちが決して無力なんかじゃないことを知ったからです」

「当たり前に順応するのではなく、何を当たり前にしたいのか、常に思考し行動し続けること。どうやらそれだけが未来を連れてきてくれるようです。空気を読んでいては空気は変わらないんです。そのことを、デモをするたび、街宣をするたび、一緒に声を上げる名前も知らない人が、その勇気でもって教えてくれました。武器を持ち、人を殺すことが普通の国だというのなら、私はその普通を変えたいんです」

「こんなにも人のぬくもりを感じた夏はなかった。こんなにも自分が生きていることをかみしめた夏はなかった」
「私の言葉を理想論だとか、綺麗ごとやと笑う人がいるかもしれません。でも希望も語れなくなったら本当の終わりです。だから、私は明日からも路上に立ちながら、大いに理想を語ります。夢を語ります。それは、そうやって社会を作っていくのが、これからを生きるすべての人に対する私の使命やと思っているからです」

約11分、時々手元のスマホのメモを見ながら静かに、そして力強く発する言葉は、年寄りのからだの奥底まで染み入った。
[PR]
by rurou-no | 2015-11-26 13:50 | 言葉・本

握れば拳開けば掌

物質にせよ現象にせよ、同じものでもどう見るかによって、違う表情が現われる。
タイトルは「に」からということで拝借した。「手」も握れば「拳」となって痛そうでも、開けば握手ができるし、肌に触れると気持ち良くもなる。要はどう使うかということ。

内田洋子さんの 『ミラノの太陽、シチリアの月』 を読んだ。
こんな洒落た本は田舎の町の図書館には置いてなくて、遠出した連れ合いが都会の書店で買ってきたものだ。カバーの裏に「随筆集」とあったので、暇つぶしの手慰みならぬ「目慰み」ぐらいにはなるかと手に取って読み始めたら、引き込まれてからだが前のめりになってしまった。

十話からなる文庫本を随筆集というより、上質の短編小説集として堪能した。
イタリア在住の著者が、現地で出会った人びとや遭遇した出来事を題材にして、達者で緻密な文章を操り、奥行きのある物語に仕立て上げている。
巧みな描写から、行ったことのないミラノの街や鄙びた村の駅、海辺の風景などが、目の前に現出する。そう、短編映画を見ているような、と言えばいいか。

特別なことは何も起きず、繰り返すだけの変化のない日常、と言ってしまえばそれまで。
同じ1日でも視点を変え、細部を観察すれば、新しい発見に満ちていることを教えてくれる。
読後感がいつになく気持ちのいい活字体験だった。これじゃとても活字離れは出来そうにない。
こんな文章を書いてみたいと思えど、凡庸なジジイには到底叶わぬことやな。

先月29日、日本政府は沖縄・辺野古の米軍新基地建設に着工した。権力は何をやってもいいんだとばかりに、ルールをも無視して強行するやり方は許されるはずもない。昨日は警視庁の機動隊まで導入して、抗議する沖縄のおばぁやおじぃに弾圧を加えた。
強者が力で弱者をつぶす社会なんてあってはならない。手の使い方を間違ごうたらあかん。

ラグビーワールドカップは、予想通りニュージーランドがオーストラリアに勝って連覇した。
プロ野球日本シリーズは、応援しているソフトバンク・ホークスが圧倒的な強さで連覇。
スポーツはルールに則って(時には審判のミスさえ許容しつつ)ゲームを行うから、安心して楽しめるのだ。一般社会もそうあってほしい。
[PR]
by rurou-no | 2015-11-05 11:57 | 言葉・本

月は東に日は西に

雨が降ったのは秋祭りの日だけ、と間が悪い晴天続きの今月であるが、さらにタイミングよく満月の夜だけ厚い雲が出て月を隠してしまった。それでも雲の切れ目から控え目に現われるお月さんは、その光で前面を覆う雲のかたちをくっきりと描き出し、見事な墨絵を披露してくれた。

タイトルは、江戸時代中期の画家で俳人でもある与謝蕪村の「菜の花や月は東に日は西に」という句の下句の部分である。季節が違うと言うなかれ、たまたま古文書の勉強中に漢語の意味を調べていて、この句を思い出したのだ。
テキストに明治7年県議会へ出した建議書があった。内容は教育の大切さを述べる格調高いもので、漢語が頻出するため、いちいち辞書で意味を確認する必要があった。

一部抜き出すと「嗚呼東烏西兎人ヲ待タス歳月荏苒イツカ・・・」と続く。
はじめは「東の鳥と西の兎」って何のこっちゃ、とお手上げ状態だったが、先生から「これは『鳥』ではなく『烏』と読んだ方が意味が分かる」と教えていただいた。
なるほど古代中国の神話では、月に兎が、太陽に三本足の烏が住んでおり、それぞれの象徴であるという。「東兎西烏」は東から月が昇り、西に太陽が沈む、時の流れの意味になるそうだ。「歳月荏苒(じんぜん)」も、歳月が移り行くという意味である。明治人の教養には恐れ入る。

連れ合いが図書館から借りてくる本がだんだんつまらなくなって、わが家も活字離れが始まるかと思った矢先に、乃南アサ 『水曜日の凱歌』 がやってきた。ズシンとくる読み応えだった。
東兎西烏、歳月荏苒、たった70年前のことも忘れたのか、新しい戦争のため「一億総動員」の掛け声を始めた政府のバカどもめ。この禿頭ジジイは非国民なるゆえその一億には入らぬぞ。

戦争に敗れ、進駐する米兵の「性の防波堤」lとなるべく「特殊慰安施設協会」を国家プロジェクトとして設立した戦後の混乱期を、すぐ近くでつぶさに見ていた14歳の少女、二宮鈴子が主人公である。戦中戦後の「女子挺身隊」の存在をなかったことにしたい連中は、今もって「慰安婦問題」を認めようとしていない。「防波堤」で守られる婦女子と、身を差し出す女の違いはどこに?
日本政府から露骨なイジメや嫌がらせ、差別を受ける沖縄の人と無関心な本土の人。原発事故から避難したまま忘られようとしている福島の人と再稼動に突き進む政府や企業、立地自治体。
「みんな、ずるい」という鈴子のつぶやきを、きちんと受け止めるべきだ。
[PR]
by rurou-no | 2015-10-29 12:11 | 言葉・本


一瞬を、永遠に
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
以前の記事
カテゴリ
メモ帳
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧