「乞食の国隆」と呼ばれていた盲目の路上ミュージシャン
里国隆 は奄美大島笠利町出身の
唄者である。村から村(島から島)へと放浪しながら道端で、あるいは宴席へ招かれて歌った。
戦後間もない沖縄へ渡り、進駐軍で賑わう急ごしらえの街の角で歌い、店で歌い、ハワイまで
歌いに行ったそうだ。
彼のCD
『あがれゆぬはる加那』 の写真は沖縄の何処かの町の通りだろうか、電柱を背に
座って竪琴を弾きながら歌っている。足元には空き缶が一つ置かれただけで、誰もその唄を
聞いている様子はない。
その次に出たCD
『黒声 クルグイ』 の方は、三弦を弾き語りしている写真が使われている。
どちらの風情も、まさにブルース・ミュージシャンそのもの。太くて低い彼の声もデルタ地帯の
カントリー・ブルースである。このようなたとえは、奄美の唄者としての里さんに失礼なことかも
知れない。悲しいかな奄美の民謡より先にアメリカのブルースの洗礼を受けたから、彼の唄を
初めて耳にした時「ブルースや!」と思わず唸ってしまった。
奄美の民謡は村ごとに歌の曲調や歌詞が違っていたりするが、里国隆の唄は更に異端である
ように感じる。祖父の膝の上で習い覚えた古いスタイルの奄美の島唄を歌い、自ら作った唄も
歌った。娯楽に飢えた島の人たちに歓迎され、女性にモテたそうだ。
路傍で歌う里さんの唄を聴いた沖縄一の芸人で、沖縄の芸能研究者でもある
照屋林助 は、
自宅へ連れて帰り彼の唄を録音した。そのテープを聴いた
竹中労 は、すぐに里さんに会いに
行く。56歳になっていた。その夏《琉球フェスティバル ’75夏》へ出演、レコード録音もした。
一時的に脚光を浴びたかにみえたが、本人は「俺は道の上で死ぬんだ」と言って路上へ戻る。
偶然とはいえ、こうして彼の唄声が記録されたのは奇跡的ともいえる幸運のたまものだ。