5月3日に亡くなった
横山ノック さんを送る会が大阪で開かれた、との記事が一昨日の新聞
に出ていた。トリオを組んでいた
横山パンチ、
青芝フック に続いて、上方漫才の大御所として
挨拶に立ったのが、2003年9月に相方
夢路いとし を亡くした
喜味こいし。
「パンパカパーン」で一世を風靡した
漫画トリオのリーダーだったノックさんは、晩年の不祥事
ですっかり元気をなくしていたが、落語会のゲストとして漫談をしていたノックさんの舞台姿は
最後まで芸人特有の「華」を失っていなかった。
「舞台に出ただけで場がパッと明るくなる」と、こいしさんは偲んでいたそうだ。
エンタツ・アチャコ、ダイマル・ラケット らとともに、上方漫才の系譜として語り伝えられる
であろう
いとし・こいし は、旅芸人の一家に生まれて「子ども漫才」から舞台に立っている。
65年におよぶ、その芸歴の長さは追随を許さない。
「うちの妻(さい)がねぇ」 「あれはサイやのうてカバやろぅ」 と、お馴染みのフレーズで始まり
独特の間合いで淡々とボケとツッコミを繰り出す喋くりは、誰にも真似できない深い味わいが
ある。日常の何気ない話が、いつの間にか破天荒な展開をみせてシュールでさえあった。
面白いのが、「荒川芳博・芳坊」 から 「いとし・こいし」 へ芸名を変えた時の逸話。
まず「いとし・こいし」というのが決まって、
月岡夢路 さんのファンだったから 「夢路いとし」
それを受けて 「喜味(きみ=君)こいし」 となった。漫才師らしい決め方である。
漫才は時代と共にスピード感やアクションが加わったりしながら少しずつ形を変えてきている。
今風のもいいとは思うが、やはり基本はしゃべくりと間合いである。関西人なら誰しも身につけ
ているボケ・ツッコミのお笑い感覚を、プロならではの芸で笑わせて欲しいと願うばかりなり。