映画史上に燦然と輝く、最も偉大な監督の1人
イングマール・ベルイマン の作品で初めて
観たのが
、「野いちご」(1957年) と
「処女の泉」(1959年) の2本立てだった。
スウェーデン映画を見るのが初めてなら、こんなに深刻なのに面白い映画、密度の濃い映画
を見たのも初めてだった。ポスターになっていた「処女の泉」の馬に乗った少女の写真は、今
でも目に焼きついたままで忘れることはできない。
「野いちご」は、
社会的評価の高い老教授が身内からはエゴイストで冷酷な人として疎んじら
れている。夢の暗示により自らの死を予感して過去を振り返る。離れていった恋人、裏切った
妻、奔放な若者たち、確かなはずの業績・知識すらも怪しい。夢と現実、過去と現在、生と死、
それぞれが交錯して老教授の人生を焙り出して行く。
「処女の泉」は北欧の神話に題を得ているのか。
少女は森の中で男に犯されて殺されてしまう。
父親は復讐をするため男を殺す。少女が倒れていたところに泉が湧いてくる。神の存在、神秘
主義など重いテーマを美しい映像で描き出す。
30年くらい前になる。それからというもの、ベルイマンこそが最高の映画監督だと信じるままに
見続けた。
「不良少女モニカ」(52)
「第七の封印」(56)
「鏡の中にある如く」(61)
「冬の光」(62)
「沈黙」(63)
「仮面/ペルソナ」(66)
「叫びとささやき」(73)
「ある結婚の風景」(76)
「秋のソナタ」(78) などなど主な作品だけでも十指に余る。
ベルイマンは人間という存在に真正面から対峙し、その偽善性までを暴き出してしまう。それは
人間の滑稽な部分でもあることが明らかにされる。寓意と象徴、哲学的思考、精神性、生と死、
そして性、それぞれのことを徹底的に突き詰めて映像化していた。
考えながら、感覚的にも楽しめるベルイマンの映画は至福をもたらしてくれるのである。